Global Ethics


地球生命を生きる by limitlesslife
July 27, 2007, 2:00 pm
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人はつる草に覆われた植物の様に、光が届かず、窒息して死ぬ、金や物、名や利、地位や所有のために覆われて、光が届かず、窒息して死ぬ。それは泡沫、吾我、有限人生で大海、健全、無限人生ではない。

人類による地球問題群を解決する道は唯一つ、吾我生活ではなく地球生命を生きること。

それは五禍(錯誤、束縛、差別、搾取、殺戮)から五福(覚醒、自由、平等、博愛、平和)に変わること。それは地球体系を知り(5S: Systemic, Sustainable, Saving, Safe, Simple; 体系、維持可能、節約-救済、安全、質素)、地球倫理(5L: Law, Life, love, Liberation, Lielessness; 法則、生命、愛情、解放、不偽)を行なう事。

具体的には大智(5A: Access, Assess, Agree, Act, Advise: 情報開示-入手、評価、賛同、行動、忠告)と大悲(5R: Reduce, Reuse, Recycle, Rearrange, Restore: 削減、再使用、再循環、再編、復活)を行なう事。

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欲は苦 by limitlesslife
July 23, 2007, 1:22 am
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欲(want)は不満、つまり苦。

 欲が多ければ苦も多く、やがて破滅になる。

狡知、文明とは苦悩と破滅への道である。

これを知るが智そして解放、知らぬが痴そして破滅。

個人も集団もどちらを選ぶかの岐路にある。



大谷光真師OBサミット講演(仏教) by limitlesslife
July 17, 2007, 10:52 pm
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OBサミットと宗教専門家会議のことはこのブログでも先に書いた。大25回OBサミット総会(5月21-23日、ウィーン)で大乗仏教を代表して出席、講演された大谷光真師(全日本仏教会元会長、浄土真宗本願寺派門主)の講演原稿を戴いたので、大変良くまた判りやすく仏教の立場を述べておられるので、以下に転載させてもらいます。(営利目的には使用しないようにお願いします。)

大谷光真師OBサミット(INTERACTION COUNCIL)講演       2007,05,22 

 INTERACTION COUNCILにおいて、発言の機会を与えられたことを、感謝いたします。私は、日本の伝統仏教教団の連合組織である「全日本仏教会」(JAPAN BUDDHIST FEDERATION)から推薦されてまいりました。2500年前のインド北部においてゴータマ・ブッダに始まる仏教は北東には中央アジアから中国大陸へ、南東には、南アジアから東南アジアへと、各時代各地で様々に展開しました。その東のはてである日本の佛教は一つの個性的な展開の姿であり、私が属します浄土真宗は、その中で、戒律を守り修行する出家者がいないという個性的な教団です。今日はなるべく仏教全体に通じる事柄を申したいと思います。

 仏教界の歴史と現状

 現在、仏教が生きている地域は、仏教の歴史が千年以上ある地域と、近代になって伝わった地域との2種類に分けることができます。歴史の長い地域は、主としてアジアの国々で、次第にその土地の民俗信仰や習俗と結びつき、深く人々の心にしみ込んでいるとともに、他の宗教と共存している場合が多いです。そのために、出家してさとりを目指す専門家としての僧侶以外では、熱心に道を求める在家の人々もありますが、どちらかというと、現世や来世の幸せを願う面が強いと言えましょう。それでも、倫理や道徳の基礎として、仏教は庶民の生活の支えになっています。近代になって伝わった地域は、主として欧米諸国であり、仏教徒の亡命、移民、或いは、個人的興味などにより様々のグループができました。

 仏教の歴史を顧みますと、常に、平和的であったとはいえませんが、外国から侵略された場合を除いて、武力衝突が少ないと言えましょう。それは、教義の基本が、欲望を制御することにあることが大きいと思います。今日、この様な消極的な平和論では、社会の不正義を改めることができないと批判されることもあります。社会の停滞・不正義を仏教が支えてきたと批判されることもあります。確かに、仏教の基本は個人の目覚めや救いですから、直接、社会に働きかけ、更には、集団で社会を変えることには、消極的でした。それに対しては、近年、engaged Buddhism と呼ばれる新しい活動が主として南アジアでみられます。今回ご出席のアリヤラトネ氏の活動はその最も早いものであり、最も良く知られ、成果をあげています。

 仏教の目指すのはブッダになること、つまり、欲望を制御し、真実の智慧を得ること、或いは、ブッダに近い精神的な目覚めを得ることです。その方法や目的に至る時期は、様々の説があります。方法として、出家して戒律を守り、厳しい修行や勉学をする道、座禅を中心にする道、マントラやブッダの名前を唱える道、私の奉じる教えのように、阿弥陀佛の救いに目覚め、まかせるという道もあります。なお、実際の行為は少しずつ違いますが、倫理的基盤である不殺生・不ちゅう盗・不邪淫・不妄語など他の宗教と共通のものが多くあります。InterAction Councilによってまとめられ、国連によって採択されるようはたらきかけられている「人間の責任に関する世界宣言(The Universal Declaration of Human Responsibilities)」は、仏教徒にとってもまことに妥当なものと思います。 

 三毒

 仏教において悟りを妨げる基本的な罪を三毒、すなわち、貪欲・瞋恚・愚痴に分類しています。これは、世界の課題を検討する上でも、十分役に立つと思います。

 先ず愚痴について、この世の物事はさまざまの縁(条件)が集まって成り立っているという縁起を正しく理解していないことです。縁起とは善と悪、敵と味方との区別を絶対的なこととせず、相対的、仮のこととして、対立を和らげるように努力することでもあります。一つひとつの条件を変えていけば、結果も変わっていきます。人類は、動物植物のみならず、水や空気の相互関連の中に、生存が可能になっています。地球上の悲惨なできごとも、個人の苦しみも、複雑な繋がりの中にあり、無くすことはできなくても、変えることはできるのです。私が、その一部分を担っているのですから。

 仏教は基本的に「迷いを離れて悟りを開く」ことを目指していますから、悟りを開いていないものは、総て救いの対象であり、哀れみの対象であります。決して、処罰の対象ではありません。救われているものと救われていないものを切り離して、対立的に考えるのではなく、共通の基盤の上に、悲しみを共にし、喜びを共にすることです。国際紛争を考えるときも、善悪正邪、利害得失で見る前に、悲しみを感じる、苦しみを感じることが先ではないでしょうか。世俗の世界の善悪正邪は相対的です。特に、世界のリーダーの方々には、悲惨な戦争の跡地をよく視察していただきたいです。

  次に貪欲については、個人に関わると共に、産業と環境に関わる事柄です。欲望は生物が生き続けたいという根本的なものですが、人間の場合には、ただ、生存を続けるだけでなく、より安全で楽しい生活、自分の能力を発揮できる生き方を求めていますから、経済の拡大は必然でありましょう。しかし、それが、他の人々を犠牲にしたり、資源を枯渇させ、環境を破壊してもよいとは言えません。グローバリゼーションは理屈としては正しい面がありますが、現実には、力の強い国や組織が一層強くなり、弱いものは一層弱くなる傾向があります。人間だけが貪る、強い者が貪るのではなく、あらゆる生き物が支え合い助け合わねばなりません。さらに、空気・水も含む地球システムが調和を保たなければ、人類に悲惨な結果を引き起こします。 今日の紛争の多くが、経済的利益の衝突と関わっていることを思うと、他の犠牲を引き起こさない豊かさを目指さねばなりません。これらは仏教の基本にかかわる課題ですが、近年、経済成長、工業化の進んだ東アジアでは、台湾の尼僧による社会活動が目立つのみで、中国大陸・韓国・日本では、社会を変えるような仏教の影響はあまり見られないのが残念です。仏教徒こそ率先して、エコロジーに関わる生活態度を身につける責任があると思います。

最後に瞋恚は平和の問題に深く関わります。

仏教の開祖、釈尊(Gotama Buddha)の言葉に

 「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」(『Dhamma Pada』第5偈) 

 というものがあります。私は、これこそ、仏教の言葉の中でも、万人に通じる宝の言葉だと思っています。もちろん、簡単に怨みを棄てることはできませんが、どうしたら怨みを減らすことができるかを考えるほうが、いかにして、怨みを返そうかと考えるよりも遙かに生産的であります。

 釈尊の言葉はこの他にも、「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ダンマパダ』第130偈).があります。

 「足ることを知り、真理を聞き、真理を見る者の独居は楽しい。

  世の人々に対し、怒り憎むことなく、生きとし生けるすべての生きものに対して、自  制(セルフ・コントロール)することは楽しい。

  世間に対する貪り・欲望を離れ、もろもろの欲望を超えることは楽しい。

  「われが、われが」という慢心に打ち克つことは、けだし最上の楽しみである。」

     (『Vinaya1-3 南伝大蔵経第3巻pp.5-6、『Udana10 第23P.99

 仏教の教えは、基本的に、非暴力です。もしも、仏教の中に、原理主義者(fundamentalists)が存在したならば、決して、武力紛争になることはありません。仏教が争いに関わるとすれば、それは、原理を自分に都合良く解釈しているか、あるいは、仏教を忘れたり、隠したりしていることになります。仏教の伝搬と大衆化は常にこのような課題を抱えています。特に、仏教徒であるという自覚と、特定の民族や国家に所属しているという自覚が複合している場合に、集団同士の争いになれば、衝突を避けることはまことに困難です。近年、南アジアや東南アジアで、この様な紛争が見られることはまことに残念です。

 一般的に言って、宗教自身にも危険性が内在しています。喩えを用いますと、現代医療には、難しい病気を治す良い薬がありますが、用い方を誤ると、逆に薬害を引き起こす場合があります。宗教は、人間が生きる上で、根本的ないのちに関わり、共同体に関わります。強い影響力を持つ宗教ほど、一つ間違えると、深刻なことになるのはごく自然でありましょう。宗教に関わるものが、独善的・排他的にならないように気を付けることです。自らに誇りを持つことと、他の人々を認め受け容れることの両立こそ、宗教の今日的課題です。

結論

 最後に、私の発言の要点を繰り返しますと、仏教は教えとしては、武力衝突を否定するが、過去において、集団の対立になった時、衝突を抑えることは困難であった。 今後の仏教の課題として、善悪正邪を固定的に考えないで、様々の条件を変えることにより、紛争にならないよう、 紛争を解決するよう努めることができるし、努めなければならない。宗教を利用して紛争を煽らないこと。欲望を肥大させないこと。です。そして、 「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない」をわが身に言い聞かせ、皆様に訴えて終わりといたします。 



苦楽 by limitlesslife
July 14, 2007, 1:08 am
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苦はサンスクリット、パーリ語ではduk-kha(wrong-going, going against grain) 「思い通りに行かぬこと」。

楽は同様にsu-kha(right-going, going in grain)「思い通りに行くこと」。

思いは我から来る。「我」が無ければ思いも無く、思い通りに行かぬことも無い。無我は無苦、無量、不畏、不死。

「法」、「法界」に戻れば楽、そこに極まれば「極楽」。法に目覚め、法界に安住するのが極楽、涅槃。



無窮の福 by limitlesslife
July 9, 2007, 11:56 pm
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「有限の心なければ、無窮の福あり。」 これは道元(1200-1253C.A.D.)の言葉である。

有限の心の始まりは「我」である。これは痴(無知)であるが、発展して貪(貪欲)、瞋(怒り)になる。まとめて三毒と呼ばれる。これらは我他彼此と騒音、騒擾を起こしついに地球生命体系を毒し死に至る。

有限の心なければ、泡沫が独立永遠とはせず、大海のような命に目覚める。我、我集団(国家、人種、人類等)が戦争、破壊をもたらす。有限の心なければ、自分だけでなく無限のものに無限の福をもたらす。



「不都合な真実」 by limitlesslife
July 8, 2007, 12:13 am
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ゴア大統領の「不都合な真実」日本語版(吹き替え、字幕)が配達されてきた。其の中で「いっとき大統領になったゴアです」と言っていたが、まだ彼が本当の大統領当選者だと信じている人は多く、今度の大統領選挙の本命と目され、出馬するとの噂もあり、最も理想的と思う人も多いだろう。このDVDを見る人はきっと彼に大統領になって欲しいと思うだろう。

この映画は是非万人に見てもらいたいというのが第一番の印象である。そして皆が責任をもち行動をすることを。映画ができた後の状況悪化が付録として付いているが、状況は更に悪くなって、50年ではなく、35年以内に北極の夏氷が無くなるとの予測である。異常気象は世界中の人がオカシイと感じ始めているが。

地球温暖化という米人、なかんずくブッシュ一団には不都合な真実の驚くべき真実の物語はEarth-rise(地昇、日昇にならい)に始まり、65億キロ彼方からの pale blue dot(薄青の点、地球)出終わる。この宇宙の点に勝利も悲劇も戦争も飢饉も起きた。人も技術も変わり核兵器を持つ今「やみ雲に昔のような争いは繰り返してはならない」「今こそ未来を守る為に立ち上がりましょう!」と呼びかける。

解決する方法はあるのだから、ただ必要なのは政治的意志のみである、そしてこれこそ「再生可能な資源」だと言う。ゴアの大学時代、苦手な教授と英雄がいたが前者は友人の「南米とアフリカの対岸は合うのでは」との質問を馬鹿よばわりしてブッシュの科学助言者となり、後者は始めて温暖化の研究を手がけた先生だったと。過去の常識を捨てなければならない。これは政治問題ではなくて道徳問題だと・・・。「普遍人間権利宣言」から「普遍人間責任宣言」への大転換が必要である。



大小の過ち(枠組転換) by limitlesslife
July 6, 2007, 9:36 pm
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過ちは大小の過ちに還元できるでしょう。過ちや苦しみは大小を誤るから起きるといえる。国家生命共同体より大きいものは地球生命共同体であり、これを誤るから国家主権などという過誤になり、戦争という惨禍になる。皆がこの錯誤をやめ地球人として意識して行動すれば、束縛、差別、搾取、殺戮が止み、戦争に悲惨、軍備の愚劣を止められる。人間中心主義の過ちから生命系尊重主義へ変われば、戦争、軍備などの浪費、汚染、苦悩から環境、資源、種絶滅問題などの解決へ向かえる。また国家意識、集団偏見を超えて人類、生類として判断すれば原爆投下が過ちであることも明らかになり、核廃絶も正当、当然であると行動できるであろう。

そのためには教育、メディア、宗教などが率先して変わり、国家、企業も協働しなければならない。現代社会のこれらの五大機構は非政府組織、非営利組織などへの動きがあるように、それぞれ過去の形骸、機能を非として、自己変革を進めていかなければならない。そうでなければ何時までも制度疲労どころか制度不適で地球生命体系は破局に至ることは必至である。地獄か極楽か、生か死かの選択である。