Global Ethics


核廃絶論者ホルドレン教授米科学技術長官に by limitlesslife
December 24, 2008, 5:25 pm
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下記情報を得たのでお伝えします:

オバマ次期大統領が、核廃絶論者のホルドレン・ハーバード大学教授を科学技術顧問として閣僚に加えたことを、22日づけ赤旗が報道しました。


NHKも報道しました。これで、オバマ政権が核廃絶を指向する可能性が大きくなり、グッドニュースだと、感激しています。ただし今後、核以外の軍事・外交政策との乖離が気になると予想されます。私自は、核廃絶が人類の最優先課題だと確信する理論構築はできているつもりでいます。でも議論を深めておくことが必要だと思います。
 
2008年1月のホルドレンの講演のなかの、核兵器廃絶関連部分を邦文にして、下記におきました。これだけ明確な核ゼロ政策を持つ人物が米国閣僚になることを、大多数の日本国民は知らないと思います。なるべく多くの方々の目にふれるようお助けくだされば、幸いです。
           渡植貞一郎
 __________
Science 25 January 2008:
Vol. 319. no. 5862, pp. 424 – 434
会長講演 (PRESIDENTIAL ADDRESS
持続的福祉のための科学・技術(Science and Technology for Sustainable Well-Being
ジョン・P・ホルドレン John P. Holdren
 
(核兵器関連部分のみ)

はじめに

米国科学振興協会(AAAS)は、科学それ自身のための科学振興に関わるものではありません。協会のモットーは「科学振興で社会に奉仕」であり、人類の環境を改善する願望という文脈での科学振興に関わるものです。この任務には、自然科学だけでなく、必ず社会科学への関心を要します。工学による、科学の具現化に向ける関心、自然科学、社会科学、および工学が、公衆の政治に影響する、もしくわ、影響できない、過程に対する関心が必要です。長年にわたって堅持してきたAAASのこの前提のすべてが、2007年度総会、およびこの講演「持続可能な福祉のための科学・技術」という主題の要点です。

このテーマの検討を始めるにあたって、私は、福祉および持続性に関し、いくつかの前提をし、また定義をします。その後、持続的福祉を損なっているものの分類、および罹病率、死亡率の数値として示される定量化をすることにします。次に、私は、科学・技術(S&T)が特に重要な役割を果たす、5つの特定の課題の状態を取り上げます。それは: 貧困対策の基本的ニーズ、この惑星の陸上、水中、地中生物資源の奪い合い対策、海洋の保全管理、エネルギー・経済・環境間のジレンマの解決、そして、核兵器ゼロの世界への指向、です。前進のペースを加速するのに何が必要かについて、いくつかの考えを述べて、終わりたいと思います。そのなかで、AAASがしようとしていること、出来ること、そして、個々の科学者と技術者に何ができるかを述べることにします。

核兵器廃絶に向って(Moving Toward Elimination of Nuclear Weapons

冷戦中には、世界の核兵器保有数は、米国ソ連両陣営それぞれ数万発、イギリス、フランス、中国、および、たぶんイスラエルの保有数はそれぞれ数百発に達しました。そのうち、ある程度の数の核が使用されると、人類のかなりの部分の生存が脅かされ、大多数の人間の福祉が損なわれることを、誰でも認識していました。しかしながら、1990年代の始めに、冷戦が平和的に終結すると、核兵器に対する極端な恐怖はほとんどの人々の心から急速に消失しました。核兵器大災害の最もありそうな政治的理由が消失し、目立って広く残っている唯一の核関連の懸念は、ならずもの国家、または、テロリストによる核兵器入手となりました。それは、冷戦下の核脅威に比べると、最初は、切迫性、緊急性がそれほど高くはなかったのです。

主要大国が保有する核兵器は危険でないという思い込みは、米国とロシアの核兵器備蓄のかなりの削減で、強まることになりました。余分と考えられた弾頭を現役から回収、解体するプロセスが開始され、2002年のモスクワ協定が妥結し、将来さらなる削減が見込まれたので、楽観論はいっそう補強されました。その一方、核兵器問題では、核拡散と核テロの懸念が、急速に注目されるに至りました。この懸念は、イラクの核兵器プログラムの最初の発覚、1998年のインド、および、パキスタンの核実験、AQ・カーンの核拡散ネットワークの露見、北朝鮮の核兵器プログラムの暴露、および、2001911日に、組織的かつ壊滅的な(非核であっても)テロリストの力量を思い知らされたこと、などによって高まったのです。

核拡散および核テロを懸念するのは、確かに、これまでも、これからも間違いではありません(66)。しかし、米国、ロシア、およびいわゆる合法的な核保有諸国(67)がいまだに保有している核兵器それ自身は、もはや世界にとって大きな脅威ではないと、信じ込むのは、それら核兵器が直接的に使用される脅威、および、それらの存在が核拡散と核テロに影響している現状の両方を過小評価することです。

主要核大国の核が現実に使用される可能性を懸念することが、かなり妥当だとするのには次のような事実があるからです。(米国の公衆にはその大部分は公開されていません): (i) これらの核兵器備蓄総数は、およそ2万発です。そのうち米国の核兵器はおよそ半分です。 (ii) 米国とロシアの核兵器の大部分は、モスクワ協定に支配されません。協定は「実戦用に配備された戦略核兵器」と分類された兵器だけを支配します。また、検証の規定もメカニズムも全く備えていません。 (iii) 米国とロシアは、それぞれ、およそ2000発の短時間内反撃可能警戒態勢戦略核兵器を維持するので、誤動作、誤発射の確率を高めています。そして、(iv)米国とロシアはともに、核兵器の先制使用の「権利」を保持しています。非核の通常兵器の脅威に対応した場合にも適用されます。米国とソビエト/ロシアの核兵器の大規模な使用の確率は、確かに冷戦の終結で減少しましたが、その危険は完全に消失したわけではありません(6869)

そのうえ、核保有国の核使用と核兵器改良を指向する姿勢は、決して、核拡散と核テロの危険と無関係ではありません。現在の核兵器保有国の、大量の核備蓄の無期限継続、核警戒態勢の維持、非核保有国に対する核第一撃脅迫の継続、効力増強または新規目的のための新型核兵器開発追求などの、あからさまな意図は、核拡散防止条約に盛られた原則に明白に背反し、核拡散防止体制(70)を崩壊させるものです。

もっと明確に言えば、核大国のそのような姿勢によって、核兵器所有を咎める視点となりえる道義的権威を失い、核拡散に奔走する者に対し、彼らを制裁し、核技術移転を阻止する国際協力を獲得する可能性を低下させます。また、そのような核大国の姿勢は、核兵器にはかなりの政治的、軍事的価値があるという意見を補強し、核兵器を保有しなければ、核攻撃される恐れはないという確信を崩すことによって、直接的に核拡散を促進します。

核拡散が起きると、そのこと自体が、さらなる核拡散の機会と核保有指向を増強し、テロリストの核兵器入手の機会を広げることになります。そのような核拡散の機会の増大とは、核兵器、核兵器専門技術、および核爆発物質を、新たに加わった位置の新たに加わった者が入手することだけではありません。カーン・ネットワークがおぞましく示したように、それまで核兵器を特に制御した経験が全くなかった者が入手することを意味するのです。したがって、核兵器数、核配置、および計画的核使用の規制は、核兵器の偶然事故的使用、誤使用、無許可使用、あるいは、意図的使用のいずれの確率をも低下させ、核兵器を、新たな核拡散国家、またはテロリストが所有する可能性を低下させるのに重要なのです。

しかしながら、継続的な核拡散に替わる唯一の選択肢は、究極的には、遵守に確信がもてる手段を伴う、核兵器の全面的な禁止の達成です。核兵器保有ゼロを指向しなければ、逆に核兵器の普遍化傾向に向うでしょう。誰も核兵器普遍化のペースを予測できませんが、結局は、それら核兵器が使用される確率は1に近づくことを意味します(71)。さらに、核兵器禁止は、現実的かつ道義的であるばかりでなく、国際法的な法的義務だという、強力な主張があります(72)。また、核兵器備蓄と核兵器使用の政策を指揮してきた人々のなかで、年々、より多くの人々が、核兵器禁止が唯一の分別あるオプション(73)だという結論に達しています。

反論もしばしば聞かれますが、核兵器禁止は、核兵器の「非発明(un-inventing)」つまり一種の不可能事を要求してはいません。人間社会は、個別にも、あるいは全体としても、殺人、奴隷制度、化学兵器、生物兵器などを、賢明にも禁止しましたが、その場会、それらが考え出されないことを、想定したわけではありません。また、検証(の困難さ)は乗り越えられない障害ではありません。さらなる社会的、技術的革新を伴う検証は、大多数の人々が(74)思うより効果的であります。そして、いずれにせよ、検証をすり抜けることに由来する世界の危険は、核兵器が禁止されない世界の危険よりも小さいと思われます(75)

タイミングに関して言えば、1946年の全て米国保有の1ダースの核兵器から、1986年の世界の核兵器備蓄、およそ65000発のピークまでの増加には、ちょうど40年かかりました。次の20年で核兵器数は2/3以上減少しました(76)。 私には、世界が、つぎの20年間でゼロを目指してはいけない理由が全く考えられません。 2025年頃までです。 その方向を目指す決定的に重要な最初のステップは、核兵器保有国が次のような内容の声明をすることです。つまり、いかなる状況にあっても、核第一撃をしないこと、 核兵器非保有国に対する核攻撃をしないこと、すべての核警戒態勢の解除、戦略、非戦略、配備、非配備を問わずすべての核兵器総数の、実質的、持続的低減計画、その措置によって生じた余剰核兵器の物理的破壊、および、再利用を有効に排除しえる方法による核分裂物質の廃棄、これらには、国際的に合意される検証手段をともなう、などであります。また、包括的核実験禁止条約の批准と発効、兵器用核分裂物質製造中止の交渉開始(77)も、声明に含まれます。

科学技術(S&T)は、次に述べるいくつかの方法で、そのような進展を達成するのに貢献できます: 核兵器削減協定の検証をより容易にする技術的改良。その結果、協定合意が容易になる;他の技術開発で、民生用核エネルギー技術が核兵器製造に転用されるのを防ぎ、転用が起きた場合に検出できる;核兵器の事故、誤使用、不認可使用、の危険を低減する役割での科学・技術の応用;核が存在する期間には、間の核爆発実験の必要性を取り除く科学技術の役割;核兵器ゼロに向う道程における危険性と落とし穴を明確にし、それを防止する統合的検証方法を科学技術に基づいて構築する、などであります。

ほぼ確実に言えることは、核兵器ゼロの世界に到達するのは、科学技術の問題であると同時に、政治的英知、政治的英断、あらゆる種類の武力紛争における動機の低減の課題でありましょう。しかし、紛争にかかわる動機の低減の領域では、今回お話したように、持続可能な福祉を妨げる障碍の緩和に大きな貢献をする科学技術が、不可欠でありましょう(78)

参考文献

66. National Academy of Sciences, Committee on International Security and Arms Control, Management and Disposition of Excess Weapons Plutonium (National Academy Press, Washington, DC, 1994); G. Allison, Nuclear Terrorism: The Ultimate Preventable Catastrophe (Henry Holt, New York, 2004); M. Bunn, Securing the Bomb 2007 (Project on Managing the Atom, Cambridge, MA, and Nuclear Threat Initiative, Washington, DC, 2007).
67. The term “de jure nuclear weapon states” refers to those certified as legitimate albeit temporary possessors of such weapons by the Non-Proliferation Treaty (signed in 1968 and entering into force in 1970), in exchange for their agreement to make progress toward nuclear disarmament (Article VI) and to assist non-nuclear weapon states in acquiring the benefits of peaceful useful energy (Article IV). They are the United States, the Soviet Union (now Russia), the United Kingdom, France, and China.
68. National Academy of Sciences, Committee on International Security and Arms Control, The Future of U.S. Nuclear Weapons Policy (National Academy Press, Washington, DC, 1997).
69. John P. Holdren, “Beyond the Moscow Treaty,” testimony before the Foreign Relations Committee, U.S. Senate, 12 September 2002 (www.belfercenter.org/files/holdren_testimony_9_12_02.pdf).
70. See, e.g., Canberra Commission on the Elimination of Nuclear Weapons, Report of the Canberra Commission (Department of Foreign Affairs, Commonwealth of Australia, Canberra, 1996) and (68).
71. This was recognized already in the prescient book that Harrison Brown, then a young chemist working in the Manhattan Project, started writing even before the Hiroshima and Nagasaki bombs were exploded: Must Destruction Be Our Destiny? (Simon & Schuster, New York, 1946). The Polish/British Manhattan Project scientist Joseph Rotblat also reached this conclusion before World War II ended, left the project as a result, and spent the rest of his 97 years working for the elimination of nuclear weapons (including through the Pugwash Conferences on Science and World Affairs, which he helped organize and lead and with which he shared the 1995 Nobel Peace Prize). See J. Rotblat, Scientists in the Quest for Peace: A History of the Pugwash Conferences (MIT Press, Cambridge, MA, 1972); J. Rotblat, in Les Prix Nobel 1995 (Nobel Foundation, Stockholm, 1996); and J. P. Holdren, Science 310, 633 (2005).
72. International Court of Justice, Int. Legal Materials 35, 830 (1996).
73. G. L. Butler, “Abolition of Nuclear Weapons,” speech at the National Press Club, 4 December 1996 (www.wagingpeace.org/articles/1996/12/04_butler_abolition-speech.htm); A. Goodpaster, chair, An American Legacy: Building a Nuclear-Weapon-Free World (Stimson Center, Washington, DC, 1997); G. Schultz, H. Kissinger, W. Perry, S. Nunn, Wall Street Journal, 6 January 2007, Op-Ed page. General Butler was the commander of all U.S. strategic nuclear forces; General Goodpaster was Supreme Allied Commander in Europe; Schultz, Kissinger, and Perry all served as U.S. secretary of defense.
74. Committee on International Security and Arms Control, National Academy of Sciences, Monitoring Nuclear Weapons and Nuclear-Explosive Materials (National Academy Press, Washington, DC, 2005).
75. J. P. Holdren, in M. Bruce, T. Milne, Eds., Ending War: The Force of Reason: Essays in Honour of Joseph Rotblat (St. Martin’s Press, New York, 1999), chap. 4.
76. Natural Resources Defense Council, Table of Global Nuclear Stockpiles, 1945-2002, November 2002 (www.nrdc.org/nuclear/nudb/datab19.asp).
77. See, e.g., (68-70, 73) and National Academy of Sciences, Committee on Technical Issues Related to Ratification of the Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty, Technical Issues Related to Ratification of the Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty (National Academy Press, Washington, DC, 2002).
78. See also J. P. Holdren, “Arms Limitation and Peace Building in the Post-Cold-War World” (Nobel Peace Prize acceptance lecture on behalf of the Pugwash Conferences on Science and World Affairs), Les Prix Nobel 1995 (Nobel Foundation, Stockholm, Sweden, 1996).

ハーバード大学資料より

オバマ次期大統領は、ハーバード大学のジョン・P・ホルドレンを新政権の科学技術問題担当大統領補佐官に任命する。この職務は、一般には「大統領科学顧問、the President’s science advisor」と呼ばれており、大統領府の科学技術政策局の監督もする。また、上院の承認を必要とする職責である。

ホルドレン博士は、現在、ハーバード大学ジョン・F・ケネディ記念政治学部の環境政策学教授、同学部の科学および国際関係ベルファー記念センターの社会政策プログラム教授である。また、ハーバード大学の地球および惑星科学学部の環境科学および環境政策学教授で、独立系のノンプロフィット法人ウッヅホール研究センター理事長兼所長でもある。彼は、1996年からハーバードに在籍し、1992年からウッヅホール研究センターにパートタイムで出向している。

ホルドレンは、MITとスタンフォード大学で、航空工学およびプラズマ物理学の修士、博士号を取得した。エネルギー工学、エネルギー政策、地球気候変動、核軍縮および核拡散防止、科学技術政策の専門家である。世界最大の自然科学学会であるAmerican Association for the Advancement of Science (AAAS) の元会長で、全米科学アカデミー、工学アカデミーの会員である。

ベルファー・センター所長のグレアム・アリソンは、オバマ次期大統領のホルドレン任命について次のように語った。「オバマ次期大統領が、ジョン・ホルドレンを大統領科学顧問に選んだことを誇りに思う。ジョンは、政策に強い科学者そのものだ。彼は、気候崩壊、核の脅威など、社会が直面している困難な課題を取り扱う科学・技術のダイナミックスを熟知しており、新たな有効な解決法についても造詣が深い。ベルファー・センンターで、過去10年間以上、彼は科学・技術、社会政策研究のリーダーだった。ジョンがワシントンに移るのは、ハーバードにとっては、大損失だが、わが国には計り知れない利益だ」

ホルドレンは次のように語った。「この国が現在直面している諸問題、経済、環境、健康、安全保障、特に貧困層の転落傾向などは、相互に関連しており、どれひとつとっても、物理科学、生命科学、工学の前進と洞察なしには、解決できない。オバマ次期大統領はこのことを完璧な明快さで理解している。オバマ次期大統領は、社会の繁栄とより良い世界の構築のために、新政権が努力するあらゆる局面で、科学・技術の力量が完全に発揮され、利用されることを確実にするようにと、召集した素晴らしいチームの他のメンバーと、そしてオバマ次期大統領と、共に働けるのは、専門家としての自分にとって、最大の幸運であり、また、これまでにない重い責任を感じる」

ホルドレンの、ハーバード大学ケネディ政治政策学部における、社会政策の教育、研究、および取り組みは、次のような特徴があった。それは、気候変動の脅威および過度の石油依存の危険性の低減、核兵器と兵器用核分裂物質に由来する危険性を最小化するなどの目的で、米国が、エネルギー技術を開発、採用することを求める、また、政策関連の科学・技術に関する正確な情報が、政策決定者、および社会一般に、把握される過程を強化することなどに焦点があてられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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奴隷にされて by limitlesslife
December 24, 2008, 5:07 pm
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E.ベンジャミン・スキンナー、外交政策

200834月、共同通信

 

今や人間の歴史始まって以来最も多くの奴隷が居る。我々が問題の巨大な範囲を認め、そのあらゆる形態を攻撃し、奴隷達が自らを自由にするように力を付けさせるまでは本当の廃止は我々のものとはならない。

 

ニューヨーク市に立てば、あなたは白昼堂々と健康な少年あるいは少女の売買の交渉まで5時間の所にいる。彼あるいは彼女は何にでも使える、セックスや家内労働が最も普通であるが。出かける前に何を買うのかはっきりさせておこう。奴隷とは生きていく以上の支払いのない詐欺または暴力の脅迫で働くよう強制された人間である。同意するか?よし!

 

殆どの人は奴隷制が19世紀に死滅したと想像している。1817年以来一ダース以上の国際条約が署名されて奴隷取引が禁止された。しかし、今日人間の歴史上いかなる時よりも多くの奴隷がいる。

 

そしてもしあなたが5時間以内に一人買いに行こうとするなら、先に進むがよい。先ずタクシーを呼んでJFK(ケネディー)国際空港へ行き、ハイチのポール・オ・プランスへ直行便に飛び乗りなさい。飛行は3時間。トゥッサン・ルヴェルチュール国際空港に着いたら、ポール・オ・プランスの最も普通の交通形態であるタップ・タップ、レトロな椅子と覆いの付いた平底ピックアップ(トラック)のために50セント必要だ。首都の大通り、ルート・ド・デルマーに4分の3程上ったら屋根をタップして(叩いて)飛び降りる。そこの脇道で、レッソー(ネットワーク)床屋の前に立っている一団の男達を見つける。近付くと、一人の男が進み出て、「人を手に入れたいのかね?」

 

 

ベナヴィユ・レブホムに会う。彼は気さくに微笑む。彼は髭を刈り込んで、多色、縞模様のゴルフシャツ、金の鎖にドックマルタンのノックオッフを身に付けている。ベナヴィユは求婚者、すなわちブローカーである。かれは公の本物の不動産取引許可証を持っており自分は就職斡旋人だと言う。彼が持っている被庸人の3分の2は子供の奴隷である。ハイチで束縛されている子供の数は30万人である。彼らはクレオール語で婉曲にレスタヴェク、同居者、として通っている。強制され、報酬なしで、囚われの身で夜明け前から夜まで働く。ベナヴィユや何千という他の正式又は非正式な取引人は絶望的に貧困な田舎の親元から、タダで学校に出してやり良い生活が出来るようにしてやると約束してこれらの子供達を連れ出すのである。

 

子供の奴隷を買う交渉はまあこんな風である:

 

「どれ位早く子供を連れて来れると思う? 掃除や料理が出来る者を?」とあなたが訊く「あまり大きな場所は持ってはいない;小さなアパートだ。だが、どれくらい掛かるかね?それからどれ位すぐに?」

 

「三日だね」とべネヴィユが応ずる。

 

「それでお前がその子をここへ連れて来れるか?」と訊く、「それとももう此処に子供たちはいるの?」

 

「今ここポール・オ・プランスにはいない」とベネヴィユが外国人の客と思って眼を見開いて言う「田舎まで出かけることになるよ。」

 

あなたは追加費用を訊く「交通費を払わなけりゃならんのかね?」

 

「結構です、100米ドルで」とベナヴィユが言う。

 

吹っかけを嗅ぎつけて彼をせめる「エッ、交通費だけで?」

 

「交通費はハイチので100くらい」とベネヴィユは言う、13ドル程「そこまで行かなきゃならないし、旅行には(ホテルと)食事も必要だし。500グールだね」

 

「OK,500ハイチ(ドル)だね」とあなたが言う。

 

そこで今度は大変な質問をする:「で、手数料は?」これは真実の瞬間だ。ベナヴィユは目を細くしてどれ位せしめれるかを決めようとする。

 

100米ドル。」

 

「大分でかいな」と取引を駄目にしないように笑みをみせて言う「ハイチ人ならどれ位なんだ?」

 

ベナヴィユの声が乗り気でない風をして声を上げる「100ドルさ。これは大仕事なんだ。」

 

あなたは踏ん張る「50米ドルに手数料は下げれないかね?」

 

ベナヴィユは間を置く。だが効果を狙っただけ。彼はハイチ人から取るよりもっとあなたから取れる事を知っている。「ウイ(諾)!」と笑みを浮かべて言う。

 

だが、取引が成立したわけではない。ベナヴィユは身を寄せて「これはやや微妙な質問だが・・・仕事だけのために欲しいのかね?それともパートナーにもなれる者かね?意味はわかるよね。」

 

あなたはセックスのために子供を欲しいかと訊かれても瞬き一つしない。「両方できる者はいるか、と言っているんだ。」

 

「ウイ!」と乗り気でベナヴィユは応答する。

 

もしあなたが買物を米国へ持ち帰ることに興味があるなら、ベナヴィユは、あなたがその子を養子にしたように見せるにうまい書類を作るよう手配できると言う。

 

彼は13歳の少女を提供しようという。

 

「それはちょっと年取っているな」とあなたが言う。

 

12歳のも知っているよ。10とか11とかも」と彼は応える。

 

交渉は終わり、あなたは自分の方から連絡するまで先へ進むなとベナヴィユに言う。ここ米合衆国から600マイルの所、マンハッタンから5時間の所で、あなたは50ドルで一人の人間を買う手配に成功したのである。

 

残酷な真実

 

もしその会話が、旅行の記述のように、虚構だったら良いだろう。だがそうではない。私はそれを、五大陸にわたる4年間の奴隷調査の一部として、2005106日に記録したものだ。一般人の意識では「奴隷状態」とはあるべきでない難儀に対する比喩より殆ど出ていない。投資銀行家達はしょっちゅう自分達を「高給取りの奴隷」と呼ぶ。人権活動家達は時間給1ドルの労働搾取工場労働者達を、給料が払われしばしば仕事から抜け出すことが出来る事実にもかかわらず、奴隷状態と呼ぶかもしれない。しかし奴隷制の現実は遥かに異なる。奴隷制は今日未曾有の規模で存在している。アフリカでは何万という動産奴隷が戦争で捉えられ何世代にもわたり丸め込まれて存在している。ヨーロッパ、アジア、南北アメリカにわたり売買人等が2百万人も売春と労働に強制している。惑星の最も奴隷が集中している南アジアではほぼ1千万人が桎梏に苦しんで暮らしており、多くの場合何世代にもわたる法律的虚構の「借金」を払い切るまで捕獲者から去ることが出来ずにいる。

 

発展した世界では現代の奴隷制の法外さを把握する人は殆どいない。それと戦う為に何かする人は更に少ない。合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュは何人かの鍵となるアドバイザーに促されて売買人と暴力の犠牲者保護法を強く執行することを2001年に初めたが、この合衆国法は国内の人間売買人たちを訴追し外国政府も同様にするように誘うことを求めて一ヶ月前に実施されたものだ。ブッシュ政権はその努力を歌い上げた-キリスト教福音主義者のメディアを使って国内でそしてもっと広くは国連総会の2003年、2004年の呼びかけを含む談話や宣言で。しかし、世界中で100以上の売買禁止法と1万以上の売買訴追を達成したと信用のおける主張をする合衆国国務省内部の人々の静かで勤勉な仕事にもかかわらず、世界中の奴隷の数のはっきりした減少には至っていない。司法省は人間売買訴追を3から32に、有罪判決を10から98に増した。2006年までに27州が売買禁止法を通過させた。しかし同じ時期に合衆国は現代の奴隷の2%以下しか解放していない。合衆国に毎年175百人の新しい奴隷が束縛に入り続けているのである。

 

西洋の努力は始めから奴隷制の歪んだ理解によって不具にされて来た。合衆国ではフェミニストと福音主義者活動家達の強固に推進する連合体がブッシュ政権に殆ど排他的にセックス業界に焦点を当てるよう強制してきている。公式の国務省の基本線は自主的売春は存在せず、セックス産業が今日の奴隷制の主要な駆動体だというものである。ヨーロッパではドイツとオランダは殆どの売春を犯罪とはしなくなり、ブルガリアなど他の諸国は合衆国の圧力に屈して反対方向に動き、肉体産業を取り締まっている。しかし南北アメリカ、ヨーロッパおよびアジアでは統制されないエスコート・サービスがインターネットの助けで爆発している。覚醒した政府が仮住居を犠牲者に提供するといったこの問題を扱う明晰な解決策を提供しても、それらは殆どインパクトを与えていない。

 

多くの人々は性奴隷制を特にいやなものとしているが-実際そうである。私はそれを直かに見た。例えばブカレストの売春宿で精神薄弱の、自殺未遂の少女を中古車と引き換えにどうかと言われたことがある。しかし、犯罪的セックスの為に奴隷にされた女性や子供一人にたいして、例えば家事や農業労働といったほかの分野で15人の男性、女性、子供で奴隷にされた者がいるのである。最近の研究は売春婦や売買人を収監しても、束縛全体の比率に比して殆ど無視できる程の効果しかないことを示している。売春を根絶する事は正しい大義であるが、西洋の政策の、全ての売春婦は奴隷であり、全ての奴隷は売春婦であるという考えは犠牲者全体の苦しみを過小評価している。それは殆どの政府を歴史の間違った側に置く恐れのあるアプローチ(接近方法)である。

 

一生の負債

 

男性だという事実を除けば、ゴーヌー・ラール・コールは現代の平均的奴隷の典型である。(彼の要望で彼の個人名は変えてある。)世界の奴隷の大多数のように、ゴーヌーは南アジアで借金に縛られている。彼の場合インドの採石場にいる。殆どの奴隷のようにゴーヌーは文盲で自分の束縛を禁じ主人に対して制裁手段を提供するインドの法律に気付いていない。彼の物語は、彼の4尺の高さの石と草の小屋で12回以上も語ってくれたものだが、「インドの奇跡」の裏側を表している。

 

ゴーヌーは世界の貧困者の8%を擁する北の州ウッタル・プラデーシのローハーガーラ・ダールに住んでいる。私は彼に200512月襤褸で汚い服を着た2ダース程の他の労働者達と歩いている時出会った。彼等の後ろに採石場があった。その穴に、歴史的にカースト外のコール族の一人であるゴーヌーが、一日14時間家族と共に働いていた。彼の道具は単純な、荒削りのハンマーと鉄の鏨であった。彼の手はたこで覆われ、指先は磨り減っていた。

 

ゴーヌーの主人は背が高く、頑強で無愛想なラメーシ・ガールグという名の請負師である。ガールグはイギリス統治下に基礎が置かれ今は600に近い砕石請負師たちによって運営されている一番近いかなり大きな町、シャンカルガールでは最も裕福な連中の一人である。彼は全家族をアルコール、穀物およびぎりぎり生活の出費以外は報酬なしで強制労働をさせて金を儲けている。彼等がガールグを使うのは岩石をトントン叩き砕いて色ガラス用に珪砂を作るか、道路やバラス用に砂利を作ることだけである。奴隷学者ケビン・ベールは19世紀のアメリカ南部での奴隷は自分の購入価格を生み出すのに20年働かなければならなかったと推定している。だがゴーヌーや他の奴隷達は2年でガールグの為に利益を稼いでくれる。

 

ローハーガーラ・ダールの男性、女性および子供は皆奴隷である。しかし理論上は少なくともガールグは彼等を買ったのでも所有しているのでもない。彼等は借金を働いて返すのであり、多くの者にとってそれは10ドル以下で始まったものであった。しかし、ここでは利息が年100%以上付くのである。借金の殆どは少なくとも2世代にまたがる、現代のインド法では法律的に有効ではないのだが。それはガールグが詐欺ででっち上げ、暴力で維持する虚構である。例えばゴーヌーの奴隷身分は62セントの融資の故であった。1958年彼の祖父が働いていた農地の所有者からその額を借りたのであった。三代と三奴隷主の後もゴーヌーの家族は奴隷のままである。

 

何百万人に自由をもたらす

 

最近多くの大胆で資金の足りない団体が奴隷制の根を絶つ事に挑戦し始めている。いくらかのものは劇的な奴隷救済で名を上げた。殆どは奴隷自身が自らを自由にしようと選択しなければ奴隷達を自由にする事は不可能であるという事を学んだ。例えばウッタル・プラデーシのコール達の間ではプラガティ・グラームウドヨーグ・サンスターン(村落企業前進団体、PGS)は何百と言う家族が採石場請負師の束縛を打ち破るのを助けてきた。1985年から秩序だって働いてPGS組織者達は奴隷達の間に徐々に自信を築いてきた。PGSの援助で、コール達はマイクロ・クレジット・ユニオンを形成し、採石場の借地権を勝ち取り自分達の労働の成果を保持できるようになった。いくらかの者達には生涯で始めて自分の資産、牛や山羊、を買い、自分の収入が、前は何もなかったが、今では急速に殖えている。PGSの成功は解放が単に廃止の第一歩にすぎないことを証明している。先進国では、チェコ共和国やスウェーデンでのような国の法律執行機関はついに人間売買の最悪犯罪-奴隷商売、売春婦や破廉恥な労働請負師-を追及し始めた。しかし最も裕福な諸国においてさえ、地方警察の教育のために更に多くの事がなされなければならない。あまりにもしばしばこれらの路上レベルの法執行員は適正な書類なしで働く乳母が奴隷であると同様にまさに売春婦も人身売買の犠牲者でありうることを理解していないのである。しかも、彼女達が法執行者により発見された後も、奴隷達に再度人身売買に引き戻される事を防ぐある種のリハビリ(回復訓練)、再訓練あるいは保護が富裕国でも殆ど提供されていないのである。合衆国やオランダで以前の奴隷達に認められる避難所は出発点であるが、しかしもっと多くが為されるべきである。

 

国連は、その設立原理があらゆる形態の束縛と戦うことを要求しているのに、現代の奴隷制と戦うことを殆ど何もしてきていない。一月に国連の薬物犯罪局の長アントニオ・マリア・コスタは国際団体に人身売買のもっとましな数値を提供するように要請した。そのような数値操作は奴隷制のある特別な様相と戦うには価値があるかもしれない。しかし国連が、その構成諸国に広く行き渡った奴隷制度に責任を取るようにさせることに首尾一貫して失敗してきたのだが、より広い現象を打ち勝つ効果的道具となるという示唆は殆ど無い。

 

人間売買のいかなる恒久的解決もリスク源泉諸国での予防計画を含まなければならない。国連のような効果的な国際機関が無い場合、そのような努力は合衆国からの圧力を必要とする。今までのところ、合衆国は喜んでいくらかの国の達成記録を批判してきたが、最も問題となっている所、特にインドに対してそうする事に抵抗している。インドは1976年に借金による(奴隷)束縛を廃止したが、地方での法の執行が貧弱な為、何百万人が束縛のままである。2006年と2007年に合衆国国務省の人身売買モニター・戦闘局は合衆国国務省コンドリーサ・ライス長官にインドの非妥協的態度を親しく会って拒絶するようにと迫ったが、彼女は何もしなかった。

 

奴隷制の心理的、社会的、経済的な繋がりは深く、政府が本当に奴隷制を効果的に根絶する為には、奴隷達に束縛から自らを引き上げる方法を提供する事の出来る団体とパートナーとならなければならない。それをする一つの方法はインドのヴァラナシに本拠を置くMSEMVS(人間開発と女性エンパワメント協会)のような草の根団体を真似ることである。1996年にそのインドの団体は自由移行学校を立ち上げた、そこでは奴隷にされていた子供達が技術を学び正式の学校に進める十分な学力を身につけるのである。その団体は又母親を対象にして、小規模企業を立ち上げる技術と材料を提供した。性奴隷で悪名高いタイでは同様な団体、労働権促進ネットワークが絶望的に貧困なビルマ移民を、中でも特に学校と健康プログラムを設立して、売買人の毒手から離すように働いている。南ハイチの遠隔の高地でさえ、リミイェ・ラヴィ(命の光)の活動家達はそうでもなければ完全に孤立した田舎の共同体がベナヴィユ・レブホムのような売買人の危険がある事を警告し、子供達を家の近くに留め置けるように非公式な学校を組織するのを助けている。近年になって、合衆国はこれらの団体に資金の手助けをするのに益々意欲を示してきているので、メッセージが届いている一つの励ましの兆候である。

 

四年間私は1ダースの奴隷にされた人々を見、その幾人かはベナヴィユのような売買人が実際に私に売ろうともちかけたのである。私はどこでも人間の命を金で買うようなことはしなかった。そして、一つの例外を除いて、私の調査研究が後程より多くの人を救う助けとなるように望んで、私は常に一人の人間を救う行動を控えた。時には、それは臆病の言い訳のようにも感じた。しかし実際の解放の困難な仕事は選ばれた少数者の重荷であるべきではない。何千の奴隷達の為に、PGSやMSEMVSのような草の根の団体は自由を齎すことが出来る。しかし、諸政府が適正に簡潔な用語で奴隷制を定義し、あらゆる形態でのその犯罪を徹底的に訴追し奴隷達を自ら自由にするように力付ける団体を激励するまでは、何百万人が束縛のままであろう。そして我々の集団としての(奴隷制)廃止の約束は全く何の意味も無いことが続くことであろう。

 

E.Benjamin Skinnerは「あまりにも怪物的な犯罪:現代の奴隷制に直面して」(ニューヨーク:フリー・プレス、2008)の著者である。

 

 



気候変動:科学と政策の乖離の拡大 by limitlesslife
December 19, 2008, 6:45 pm
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気候変動:科学と政策の溝が拡大
2008年12月15日(月)
ステファン・リーハイ、
インター・プレス・サービス

カナダ、ケベック発
私達の家の屋根は燃えている、家族の指導者達がその下の居間で安閑と「政局」に懸かり切っている間に-これが先週終わった国際北極変化会議にケベック市に集った世界中の千人の科学者達と北方原住民指導者達の本質的なメッセージである。

「気候変動とその衝撃は地球的結果に予想を超える率で加速している」と代表は声明書で警告した。

北極圏の急速な氷解と多段的な生態系への衝撃を詳細にわたる何百の研究と調査プロジェクトのデータを提示して、参加者達は諸政府に「温室効果ガス放出を削減する即刻の対応策」を取るようにと促した。

幸な偶然の一致で、同じ時に190の政府が正にそれをする為にポーランドのポズナニに会合していた:化石燃料燃焼からの排出をどれだけ削減するかの同意に達するために。彼らはより貧しい国々がインフラを強化し、食料防衛策を構築し、農業を改善するよう資金を提供して益々悪化する気候危機から生き残るのを助けることに賛成することさえ出来なかった。

ケベック市の廊下での偶然の出会いで、科学者達は-資金援助を失うことを恐れて厳重にオフレコでとのことだが-気候変動は、自分達が想像していたより遥かに早くしかも大きな衝撃で起きていると言った。

「大々的な削減を今しなければ気候変動は圧倒的な地球的悲劇になるだろう」とあるカナダの専門家は言った。

ポズナニで、政治家たちは会合が成功したと宣言し、来年のコペンハーゲンでの会合に排出を削減することに同意することを誓った。

しかるに一方、炭素と気候の物理学は経済の立ち直りあるいはもっとめでたい政治気候を待てないだろう。

1992年地球共同体はリオデジャネイロにやって来て、気候変動は現実の危険であることに同意し、炭酸ガスとその他の地球温暖化ガスの排出を削減する事を約束した。最初の気候変動協定を作り出すのに5年懸かったが、それが京都議定書で、豊かな国々が自分達の1990年レベルより5%以下に排出削減をするよう誓約した。

多くの国々は非常に微々たる削減目標を満たした-カナダや日本のように目標の30%も酷く超えた際立った例外を除いて。しかし大気に関する限り、問題は地球全体の炭酸ガス排出であり、それは跳ね上がっている。

炭酸ガスの排出は、京都議定書の誓約国の多くが排出量を抑えるよう努力しているにも拘わらず、2000年以来その前10年の約4倍早く増大していると、国際機構化学者の協力機関、グローバル・カーボン・プロジェクト(国際炭素計画)は報告している。

この炭素予算の新しい更新は、炭酸ガスの排出と大気の蓄積が気候変動に向けた取り組みの強力な国際発展の十年間では未曾有のものであり最も驚愕すべきものである」とグローバル・カーボン・プロジェクトの長であるレップ・カナデルは去る九月の声明書で述べている。

今日、大気中の炭酸ガス量は最悪の場合の予測を遥かに超えており、だから北極での氷解が加速しているのである。

北極圏の諸国は慌てふためくよりも、むしろその潜在的エネルギー資源の故にその地域を搾取する好機として夢中になっているようだ、とカナダのブリティッシュコロンビア大学の国際法の専門家であるマイケル・バイヤーズは言っている。「諸国政府はそれを得てはならない。私達は石油とガスをそれがあるところ、即ち大地に留めおく必要がある」とケベック市のIPSで語った。

ステファン・ハーパーが率いるカナダ連邦政府は勿論判ろうとしない。環境団体の国際連盟によりポズナニで出された気候変動の成績査定では、カナダは先進国で最後に格付けされ気候変動と戦う成績に関して57の最大温室効果ガス排出国の中、サウジアラビアに次いで第二番目である。

ポズナニでの気候についての話し合いの間、カナダはしばしば交渉中合意を遅らせ邪魔したと名指しされた。ジョージ・W・ブッシュ政権の科学蔑視を真似てハーパー政府はカナダの指導的な気候政府科学者ドン・マックアイバーが、演説する予定であり旅費も支払われることになっていたにも拘わらず、ポズナニへ行くことを拒絶したのであった。

現政権の下で継続する「自宅監禁」を恐れて、マックアイバーは世界気象組織で計画中の会議の議長職を辞退したのである。

諸政府が気付かない間に、大気中炭酸ガス濃度は383ppm(百万分の1パート)になり年間2から3ppm上昇している。産業革命以前の炭酸ガスレベルは平均270ppmであったしある気象専門家達は地球を本当に安定にするには350ppm以下まで戻す必要があると呼びかけている。

新しい化石の証拠は三百年前、炭酸ガスが400ppmであったと推定されていた時、北極域は氷、雪と永久凍土ではなく森林が覆っていたことを示している。米合衆国の地質調査の新しい研究によれば海抜は今日より24メートル高かったのである。

気候変動の容赦ない物理と継続する政治的麻痺の間の競争で、私達の家は地に焼け落ちる運命にある。多くの気候活動家は草の根の革命、即ち化石燃料経済の派遣を覆す地球革命、のみが今や私達を救うだろうと言っている。



戦争は皆が悪い by limitlesslife
December 16, 2008, 12:20 am
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終戦60周年番組の再放送(筑紫追悼記念番組)で、広島に原爆を落とした所を撮影した科学者と小学校、電車で被爆した二人との会見を放映した。被爆者、西野さんはこれから逢う原爆死者の為に謝って欲しいと言うのに科学者は戦争では皆共犯者だから謝らないと言う。また真珠湾を攻撃した日本画悪いと言う。

共犯者だから皆がそれを止める事、お互いが相手を攻める我見を超えて人類、生類の立場から戦争、闘争の誤りを認め止める必要がある。小我を超えることこそが解決の道である。



珊瑚礁喪失は地球的絶滅事件を示唆する by limitlesslife
December 14, 2008, 12:33 am
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国連によれば世界は大量絶滅事件の瀬戸際にある。

 

温室効果ガスの急速な放出は世界の多くの生物種が許容するより速い速度で棲息域を変えている。

 

「主に人間の衝撃の結果として、実に世界は現在絶滅の第六の波に面している。」と国連環境計画のエイチム・スタイナー委員長は声明で述べている。

 

今年既に前の国立科学アカデミー紀要での研究報告は、完新世絶滅として知られる今期の絶滅は地球の歴史で最大で、人間の行動による最初の事件であるかもしれないと言う。しかしながら、以前の事件とは異なり、絶滅は何世紀ではなく何十年の期間で起きている。最近の研究は世界の4分の1の生物種が2050年までに絶滅するかもしれないことを示唆している。

 

国連の警告には生態系の減退の由々しい報道の繰り返しが頻繁に益々増えていることが付髄している。

 

極く最近の地球の珊瑚礁の査定は世界の19%の珊瑚礁は死滅していると推定している。その主要な脅威は海面温度上昇と海水酸化拡大である。

 

ポーランドのポズナ二での国際気候変動交渉で水曜日に地球珊瑚礁監視ネットワークが公表した報告は、もし現今の排出趨勢が続くならば、残った珊瑚礁の多くは次の40年以内に死滅するかもしれないと予告している。

 

排出を実質的に削減する為に何もしなければ、私達が知っているような珊瑚礁を事実上失う、即ち珊瑚の絶滅である。」と同ネットワークのコーディネーター、クライブ・ウィルキンソンはプレス・レリースで述べている。

 

国際自然保護連合(JUCN)によれば過剰漁獲、汚染および外来種侵入の危険が同様に続いている。

 

JUCNは世界中で調査した44,838種の内38%が絶滅の脅威に曝されていると十月に宣言している。その絶滅危惧種のレッド・リストは世界の哺乳類の22%、両生類の31%、鳥類の14%が絶滅の脅威に曝されていると考えている。

 

野生動物の回遊種についての国連会議がその保護リストに21種の回遊種を加えたその時期に当たり、先週スタイナーの大量絶滅の警告が出された。昨年公表の国連環境計画の報告によれば回遊種が気候変動による最もリスクの高いものに含まれている。

 

チータ、エジプト禿鷹を含む保護動物のリストに国連会議は六種のいるかを加えた。IUCN によれば、世界のいるかの種のほぼ4分の1が絶滅の脅威にあり、その殆どは生息域の喪失と生存捕獲によるものである。

 

ネーチャー・コンサーヴァンシー(自然保護団体)によれば、珊瑚礁の死滅は、しかしながら、全大洋生態系に悪影響を与え、全海洋魚類の4分の1は珊瑚礁に生息しているという。加えて、IUCNは5億人の人々はその生業を珊瑚礁に依存していると推定している。

 

珊瑚礁の査定は世界の珊瑚礁の45%は健全であることを見出し、地球温暖化から予想される変化にいくらかは耐える事ができるという希望を与える。海洋生物学者達は今、幸運でないものがある時に、ある種の珊瑚礁種が更に暖かく、酸度の高い海水でも生き残り得ることを理解しようと試みている。

 

ベン・ブロック、ワールドウオッチ研究所のスタッフ・ライター

20081212日発行、 ENN (Environmental News Network)

 (資料参照できるので原文pdふぉ英文ブログに載せてあります。)



高級車に乗り汚水を飲むより、自転車に乗り浄水を飲むほうが良い! by limitlesslife
December 9, 2008, 11:51 am
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中国の水問題についての有益な記事を得たので訳者の許可を得て訳者コメントと共に下記に引用させてもらいます:

高級車にうち跨り汚水を飲む様な事をしてはいけない
  
この度の陽宗海、滇池、洱海の保護と汚染改善対策調査研究会議は、我々に経済発展と環境保護の関係を如何に処理するかについての新しい認識を与えてくれた。
  
中国の特色ある社会主義の建設には、我々は長期に亘って身を置いてきた社会主義の初期段階に必ず立脚しなければならない。科学的発展観の完全な達成は、この初期段階を上手にそして迅速に進んで始めて実現出来る。科学的発展観の第一義は発展であり、社会主義初期段階に於いては我々は環境保護の為に発展を緩めたり或いは停止したりしてはならないが、但し汚染に対しては決して寛容になってはいけない。
  
改革開放30年、快速発展が巨大な成就を遂げた事は衆目の一致するところであるが、この快速な発展の中で極めて大きな環境資源の代価を支払った事も否定できない事実である。陽宗海のヒ素汚染は科学的発展観に背くものであり、
一時的な利益が環境を犠牲にした最悪の結果である。開業3年半、工業生産総額約6億元、納税金額1000万元の企業が造成した汚染損失は数十億元に達し、周辺の260万人の民衆の生産生活活動に甚大な悪影響を及ぼした。汚染改善には巨額の投資と長大な時間を必要とする。市県各級政府の適時な処理で損失を最小限に止め得たとしても教訓は深刻である。
  
陽宗海が化工企業に因って汚染された事は多くの人々の深い関心事となった。長江、黄河沿岸や大湖沼周辺には相当な数の大化工企業や冶錬企業が林立し、更に人々の心配の種になっている。汚染のみならず、更に過度開発の問題もある。幾つかの北方の河流水資源開発利用率は生態警戒線である30-40%を超えており、黄河、淮河、遼河の開発利用率は60%、海河に至っては90%を超え、
流域生態効能は深刻な失調を来たしている。
  
科学的発展観の核心は人を以って本と為すであり、人を本と為す基本的要求は生命を愛する事である。経済が発展し衣食住が向上しても、その為に却って民衆が環境汚染と生態退化の害を受けるとしたら、発展に何の意義があるのだろうか? 民衆は上手い事を言う、『自転車に乗り、浄水を飲みたい。高級車にうち跨って汚水を飲みたくない』。もし高級車を走らせて汚水を飲んでいるとしたら、それは将に現代の最大風刺である。我々は決してそのような発展をしてはならない。                          (1/2)
  今回の調査研究会では滇池と洱海も看た。滇池の汚染改善対策は十数年やっているが水質は未だに劣Ⅴ類であり、原因は非常に多いが、但し一点は抜本的対策の不十分な事である。抜本的対策とは汚染源を制御し、汚水を遮ることである。現在昆明市は湖周囲からの汚水を遮る事が滇池汚染防止の最も有効な措置と直接手段である事を認識し、夫々の級政府が責任を強化し、更にその他の措置を講じているので、滇池の水質が早期に改善される希望を我々に与えている。洱海の水は現在Ⅱ級であるが、その背後には十数年に亘る大理州各級党委と政府が「洱海の源流が浄ければ、洱海が浄水となり、大理は発展する」という理念を堅持し、洱海保護と汚染防止対策の中で科学に依拠し、厳格に法を執行し、総合的に汚染防止対策を行い、全民の参加を得て労苦をいとわぬ努力をした賜物である。経済と環境の協調発展は不可能だろうか? 洱海を看れば、それが科学的発展観の実現であり、環境保護が経済社会発展を優化している生きた教材であることが理解できるだろう。(2/2完)
(周生賢・・国務院環境保護部部長{大臣})
原文 中国語 人民日報海外版 08/12/06 抄訳 島崎「是」2008/12/08
[訳者コメント]
中国では大臣が一文を寄稿することは極めて稀であるが、周生賢は時々筆を振るう。彼は49年寧夏回族自治区で生まれ18歳で就業、その後共産党入党し中央党校で学び大学院へ進学して上級エコノミストとなった男で、所謂出世コ-スを辿ったエリ-ト官僚ではなく、自治区同心県副県長からの叩き上げであり、
「庶民大臣」として知られている。滇池は昆明市の南西に位置し嘗て高原の真珠に例えられた広さ370平方米の淡水湖だが、十数年来汚水の湖としてワ-ストワンに位置し当局の無能ぶりを証明している。洱海は昆明市の西北西260キロの大理市にある広さ240キロの淡水湖で、洱海クル-ズでも知られる観光地であり、この二湖は雲泥の差がある。因みにある調査では汚染度合い順七大水系は下記であるが、この記事に書かれている開発利用率の高さには驚愕する。このままでは七大水系全部が「死の河」となるのではないか。
遼河 東北地方 渤海に注ぐ
海河 南運河、北運河、子牙河、大清河、永定河が天津郊外で合流し海河となって渤海に注ぐ
淮河 河南を水源とし南京の北を流れ一部は長江に合流、黄海に注ぐ
黄河 渤海に注ぐ
松花江 アム-ル河に合流する
珠江 東江、北江、西江が広州郊外で合流し珠江となって南シナ海に注ぐ
長江 黄海に注ぐ



戦争は無法 by limitlesslife
December 5, 2008, 11:32 am
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イラク帰還兵の戦争犯罪証言を転載します。

戦争は殺人であり、個人、集団に関わらず殺人は越権行為であり無法です。ムハンマッドは「一人を殺す者は全人類を殺す者だ」と言いました。殺すことは生命系、全生命の無視でありその破壊です。それを正当化する事は出来ません。国家とか正義とかに名を借りた無法、蛮行をこの世から無くしましょう。

◎聞け、帰還兵の生の声を! ―― 現場の記録
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
TUPは現在、イラク戦争またはアフガニスタン戦争を体験した
兵士たちによる体験・目撃証言の翻訳に取り組んでいます。
反戦イラク帰還兵の会が今年 3月に開催した「冬の兵士」
公聴会における証言です。この歴史的イベントに立ち会った
日本人ジャーナリストと TUPの出会いから、新たな映像作品
が生まれようとしています。田保寿一氏の取材記録を
紹介します。 (TUP/向井真澄)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/

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ウインターソルジャー(冬の兵士)傍聴記

田保寿一 (映像ジャーナリスト)
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桜のつぼみが春の訪れを告げるワシントンDCを、私は今年、
「ウインターソルジャー」に参加するため、訪れた。「ウイン
ターソルジャー」とは冬の厳しい時代に戦う愛国兵士という
意味で、ベトナム帰還兵たちが戦争終結を訴えて 1971年に
開いた公聴会の名前だ。その公聴会で帰還兵たちは、米兵が
ベトナム人を残虐に殺害している体験を証言した。

そして今回、2008年3月13日から16日、イラク・アフガニスタ
ン戦争の帰還兵たちが、この戦争を終結させるために同じ名前
の公聴会を開いた。

☆ウインターソルジャーの前に ―― プレスクラブにて

3月13日木曜日午後 1時、ホワイトハウスや議事堂にほど近い
ビルにあるプレスクラブでは、20代の青年たちが緊張した
面持ちでプログラムを配っていた。キラキラとした目の若い
女性も多いが、彼女たちも帰還兵だ。若者たちは「反戦イラク
帰還兵の会」のメンバーで、この会は、米軍のイラクからの
即時撤退、帰還兵の福利厚生、イラクへの賠償の三つを要求
するために結成された。

70ほどの記者席の後ろに私は三脚を立て、ビデオカメラを設置
した。他にも一人、日本人がいてビデオカメラを立てていたが、
大学でメディアを研究している女性だという。日本の記者クラ
ブでは、所属しない者が入って取材することは禁止されている。
ましてビデオカメラを設置することはできない。私はイラクで
取材中に米軍に機関銃を向けられて撮影を禁止されたことが
何度かあり、自殺攻撃現場で一時拘束されたことさえあったが、
定例の記者会見は自由に取材できた。アメリカでは報道取材の
自由が日本よりも認められているようだ。

三脚を置く場所を確保している時、ジェイソン・ハードさん
(28歳)が彼女と一緒に会場に入って来た。彼は衛生兵として
バグダードに派遣された若者で、こういうお医者さんだったら
安心して任せられると感じさせるような、やさしい顔立ちの
青年だ。彼はワシントンDCから車で 8時間あまりのノースカロ
ライナ州アッシュビルに住んでいて、私は、記者会見の約 1ヵ
月前の 2月16日に彼の自宅を訪れている。当時、イラクの情勢
が厳しくなり、現地での取材が困難になったので、私はイラク
を離れてアメリカにやって来た。そして、米兵たちから戦争の
現実を聞きたいと思い、反戦イラク帰還兵の会の存在を知って
取材を申し込むと、ジェイソン・ハードさんが応じてくれる
ことになった。その時、ウインターソルジャーの開催を聞いた
ので、一度帰国した後、この集会のために再訪した。

ハードさんが記者会見でスピーチした時、その表情がとても
厳しかったので少し驚いた。彼の話は、米軍がイラクで市民に
対して十分な理由も無いのに無差別射撃をしているという内容
で、公表するのは勇気のいることだったろう。一人の記者が
彼に、それはいつ、どこでなどとその詳細や、そんなことを
公表して自分の部隊から文句を言われないかと質問していた。
ハードさんの真剣な表情を見て、かれらの話すことは一言も
おろそかにはできない、公聴会がいよいよ始まるのだと感じた。

☆ウインターソルジャー初日

記者会見の後、プレスセンターから地下鉄とバスを乗り継いで
2時間あまり、ワシントンDCとの境界の少し北にあるシルバー
スプリングの全米労働大学に向かった。午後 3時、大講堂の
入口に 200人以上の人々が集まり、集会参加の手続きが始まる。
入場は無料だが、名前や連絡先を書き、私の場合は報道関係と
いう身分証をもらって入場した。

精悍な20代の青年たちは、ほとんどがイラク帰還兵だ。年齢が
上の人たちは、ベトナム帰還兵や反戦運動をしている市民、
そしてマスコミ関係者のようだ。

会場の後ろには、三脚に乗せられた10台以上のカメラがあった。
半数ほどが『デモクラシーナウ!』という独立系放送局のもの
で、この集会を実況放送している。どこからかフランス語が
聞こえてくるし、ドイツからビデオの取材チームも来ていた。
しかし、大手マスコミの記者はほとんどおらず、結局、この
集会は米国でろくに報道されなかったという。日本人の若い
女性がいたので声をかけると『赤旗』紙の記者だった。日本の
大手マスコミは取材に来なかったが、新聞としては『赤旗』
だけが、この公聴会を報道した。

300ほどの椅子に相対し、「ウインターソルジャー」と書かれ
た大きな青いたれ幕の下に机と椅子が並べられ、そこに証言者
たちが 5人から 10人ほど座り、一人ずつ順番に話をしていく。
13日は午後 7時から、ベトナム戦争に従軍した兵士たちなどが、
ウインターソルジャーの由来や兵士たちの反戦運動の歴史を
語った。

☆ウインターソルジャー第2日

翌14日金曜日、朝 9時からイラク帰還兵による最初の証言集会
が行われた。テーマは「Rules of Engagement」となっていた。
最初、私は意味がわからなかったので知りあったばかりの
アメリカ人女性に聞くと、「どんな時に銃を撃っていいのか、
敵とどう戦うべきなのかを決めた戦闘のルールのこと」だと
いう。日本語では「交戦規定」となるが、戦争がルールのもと
で行われているとは知らなかった。

元海兵隊軍曹、アダム・コケシュさん(26歳)が、大きな目を
見開きながら傍聴席に向けて手のひらほどの大きさのカードを
見せ、「これが、イラクに行く時に渡された交戦規定のカード
だ」と説明した。そこには「法的な軍事目標だけを正しく判別
して攻撃すべし」と書いてあるという。しかし、米軍は、これ
に反して軍事目標だけではなくて、一般市民を無差別に殺害
しているという証言が続いた。

もっとも多い「交戦規定」違反行為の事例は検問所での無差別
射撃で、コケシュさんも自分の体験を証言した。米軍は検問所
をイラクの道路のあちこちに作っているが、ここを通る車が
減速しない場合は敵とみなして射撃していい事になっており、
多くの市民が射殺されている。これは、「法的な軍事目標」
ではない市民を「正しく判別」しないで攻撃しているので、
本来の交戦規定からは逸脱した行為だ。

このような行為がまかり通っていることを、私は、実は前回、
アメリカに来たときにすでに聞いていた。イラク戦争が始まっ
てから、この問題を最初に告発したのはジミー・マッシーさん
で、彼を取材したからだ。彼は 2003年4月、バグダードで検問
所を警備中に走ってきた乗用車が減速しないので射撃し、
乗っていた三人の市民を射殺してしまった。その時、一人生き
残ったイラク人運転手が彼を指差して「お前が兄弟を殺した」
と叫んだという。

同じ月に、デモ隊に対する射撃によって多数のイラク人を殺傷
した事件も起き、精神的に耐えられなかったジミーさんは、
帰国後の2004年、ジャーナリストたちにそれらの事件を語った。
2005年9月にはフランスで彼の戦争体験記が出版された。本の
題名は『Kill、Kill、Kill!』で、スペイン語にも訳され出版
されることになる。

ジミーさんは、イラク人無差別殺傷事件公表で、軍から苦情を
言われたり告発されたことはなかったそうだが、あるジャーナ
リトが噛み付いてきた。従軍していたというその記者は、
「自分はそんな事件は見ていない。ジミー・マッシーは嘘を
ついている」という記事を書いた。しかし、ジミーさんによる
と、その記者は事件当日、彼の部隊にいなかったという。この
ようにして、ジミーさんが、米軍はイラク市民を無差別に殺戮
しているという事実を 4年前に公表したのに、マスコミは、
その証言は嘘だと攻撃の論陣を張るか黙殺し、米軍はその後も
イラク市民の無差別殺戮を繰り返している。

そして 2008年3月14日、何人もの帰還兵たちが「ウインターソ
ルジャー」で、ジミーさんが公表したような事件が、実は日常
的に起きていると証言することになった。

ウインターソルジャーにジミー・マッシーさんの姿はなかった。
彼は、自分の体験を証言する一方、2004年、仲間と共に反戦
イラク帰還兵の会を創立した人物なので公聴会に参加するのが
自然だ。しかし、「殺すという脅迫が来ているのでウインター
ソルジャーへの参加をひかえた」と私にメールで書いてきた。
これをジェイソン・ハードさんに話すと、「反戦イラク帰還兵
の会のメンバーに対する脅迫は日常茶飯事です。それでも私た
ちは、戦争を終わらせるために命を賭けて戦っているのです」
と誇らしげに語った。

ウインターソルジャーでは、ジェイソン・ウエイン・レミュー
さん(25歳)が交戦規定の問題を、一番まとめて証言した。彼は
海兵隊歩兵部隊で 4年10ヵ月働き、イラクに 3回派遣された。
「交戦規定を守ることによって、軍は、抑圧ではなく、被占領
住民を守るというイメージを作り、占領を成功させることが
できるのに、アメリカはそれをしなかったためにイラク占領を
失敗させてしまった」と彼は告発する。彼によると「クウェー
トからバグダードに進軍するときは、カードに書かれている
ような交戦規定を守ることを命じられたが、バグダードに着く
ころには、危険と感じたら誰でも撃ってかまわないと上官から
命じられることになった」という。そして、それがエスカレー
トし、結局、市民を無差別に射殺するようになっていく。

他の帰還兵たちも同じ内容の証言をした。米軍の「交戦規定」
はジュネーブ条約に準じ、「法的な軍事目標への攻撃」だけ
しか認めず、市民を攻撃してはいけないことになっている。
しかし、司令官が、ことあるごとに市民を無差別攻撃するよう
な命令を出し、「交戦規定」違反の攻撃が繰り返された結果、
事実上「交戦規定」はないも同然になったという。

例えば、「重そうな荷物を持って近づく人は射殺することに
なっていた」とジェイソン・ウオッシュバーンさん(28歳)は
証言した。彼らは実際に、荷物を抱えてやってきた女性を
大口径の機関銃で射殺したが、粉々になった遺体や荷物を
調べると中身は食料品で、彼らに運んできただけだったという。

サダムの軍隊がなくなった後、ゲリラ的に攻撃してくるイラク
人が米軍の敵となった。彼らは、爆弾を荷物に見せかけて
持って来たり、爆弾が仕込まれたジャケットを着て攻撃したり
するケースもある。そうなると、もはや住民と区別できなく
なり、司令官は「危険と感じれば近づく市民を射殺してもいい」
と口頭の「交戦規定」を命じることになる。

日本では「サマワは非戦闘地域」として自衛隊が派兵されたが、
米軍にとっては、サダムの軍を敗走させた占領開始時期(2003
年3月~4月)を過ぎても、戦争状態が続いているという認識
だった。「野菜をいっぱい担いだ老婦人を射殺しろ」と上官
から命じられたケースもあり、さすがに断ると「上官自ら、
老婦人を射殺した」と話す兵士もいたという。自分たちが誰に
攻撃されるかもわからないという恐怖の中で、市民を無差別
殺戮する事態が生まれていく。

また、ジミーさんが市民殺害を証言した時にも、従軍記者が
「そんな事件は見ていない」と反論したことでもわかるように、
従軍記者のいないときを見計らって無差別攻撃は行われていた
ともいう。しかも、ウォッシュバーンさんによると、市民を
間違って殺害した場合には、被害者は敵だったと言い抜ける
ために偽の証拠として使用する武器やシャベルをいつも用意
しておくよう、上官から勧められていた。シャベルを遺体の
上に置いて「交戦規定」どおり合法だ、シャベルを持っていた
から射殺したと言い訳をするためだ。爆弾が地面の中に仕掛け
られるケースが多数あり、シャベルを持ったイラク人は、即、
射殺してもいいことになっているからだ。「交戦規定」を
ごまかすための嘘が米軍に蔓延している。

ジェイソン・ウエイン・レミューさんは「交戦規定は頻繁に
書き換えられ、その内容は矛盾するものになりました。規定を
強化しても現場では守られないし、市民を射殺しても誰もそれ
を報告しないのです」と語り、こう続けた。「私達は自分を
守ることで精一杯でした。解放したはずの国で、市民の誰が
爆弾で攻撃してきても不思議ではない状況になっていました。
そのため誰が敵かわからず、しかも命をかける使命もないので、
海兵隊員は交戦規定を冗談か、あるいは、無事、故郷に帰る
ためには誤魔化すものと考えていたのです。このように交戦
規定がでたらめになったのは戦略が間違っているためです」。
そして、「モラルがなくなったことを恥じ、交戦規定を乱用
しているイラクから直ちに軍を撤収すべきです」と証言を
結んだ。

ウインターソルジャーでは 14日、15人の帰還兵がこの「交戦
規定」というテーマで、2時間ずつ 2回に分けて証言をした。
1回目の証言の後の 11時から12時半は「帰還兵の健康の危機」、
ランチタイムの後、2時から3時半まで「軍の契約業者と組織的
な略奪」というテーマでの証言が行われ、その後に 2回目の
「交戦規定」に関する証言が行われた。それに続いて「世界的
な戦争とテロの目的、イラク、アフガニスタン戦争の政治的、
法的、経済的な事情」というテーマで研究者やジャーナリスト
の講演があり、この証言集会を中継している『デモクラシー
ナウ!』のキャスターであるエイミー・グッドマンさんも出演
した。

この日の証言がすべて終わったのは午後 8時半だった。その後、
まとめの記者会見があるとプログラムにはあったがキャンセル
された。プログラムの証言者と実際の証言者とが違っている
ケースがあったのをみると、事前の打ち合わせが十分にされて
おらず、大雑把な枠だけが決められていたために、証言直後に
それをまとめることができなかったのかもしれない。午後
9時半からフォークやヒップホップの催しがあったようだが、
翌日の証言集会も早い時間から始まるので、残念ながら、私は
エンターテインメントをパスしてワシントンDC市内の宿泊先に
帰った。

☆ウインターソルジャー第3日

15日土曜日。朝の 9時から「分割と征服、性差、性行動と軍」
というテーマで、米軍内におけるセクシャルハラスメントや
レイプなどの問題に関する証言が行われた。日本では基地周辺
で、米兵による性的な犯罪事件がしばしば起きているので、
米軍の性の問題を考えるために、この証言は重要だと思う。

現在までに 16万人以上の女性兵士がイラクとアフガニスタン
に派遣されていて、その71~90パーセントの女性兵士がセク
シャルハラスメントを受けたと証言している。そのうち、
約三分の一の女性帰還兵が軍隊にいるときに性的な暴力を
受けたり強姦されたと言っているという。このような証言は
感情的にならざるをえないが、若い女性たちが、軍隊での
忌まわしい体験を話す姿は痛々しかった。

この日は性に関する証言から始まり、米軍の持つ暴力性の深層
を考えさせる証言が続いた。帰還兵たちが一番力を入れて企画
していたのは「人種差別と戦争、敵の人間性を剥奪する」とい
うテーマの証言で、午前11時から午後 3時半まで 2回に分けて
行われた。ここでのキーワードは「ハジ」だった。

反戦イラク帰還兵の会ワシントンDC支部長のジェフ・ミラード
さん(27歳)は、「911以降、米軍内部では、自分たちと違う人
たちのことをハジと呼ぶようになった」と言う。「ハジ」とは
本来はメッカを巡礼したイスラム教徒のことで、イラクに行く
と、ターバンを巻いた人を指して「あの人はハジだ」と尊敬を
こめて話す場面にしばしば出会う。ハジは地域の長老が多い。
しかし、米軍は、その言葉に差別と軽蔑の意味を込めて使って
いると言う。

ミラードさんの証言によると、ある検問所で射撃手が、夫婦と
二人の幼い子供を乗せた車を撃って一家全員を殺害した事件が
起きたとき、その報告会議で司令官が、「ハジの馬鹿が運転の
仕方を知っていたらこんなことにはならなかった」と言い捨て
たという。ミラードさんはそこに露出した、被害者を悼む気持
ちも責任感もない軍人の姿にショックを受けた。そして彼は
「人種差別と非人間化を最高司令官が命じ、最下層の兵士まで
それに従っている」とし、米軍のイラク人無差別殺戮の背景に
は人種差別があると断言した。

「人種差別と戦争」の後、午後 4時から「イラク、アフガニス
タン戦争の損害」というテーマで証言が行われ、ジャーナリス
トなどの話があった。午後 7時からは「家庭への戦争の被害」
というテーマで証言があり、戦争で亡くなった兵士の家族や、
戦争から帰国後に自殺した兵士の家族が証言した。

ジェフリー・マイケル・ルーシー伍長の母親、ジョイス・ルー
シーさんは、イラク軍兵士の認識票を二つ手に取って傍聴席に
見せながら、彼女の息子が帰国後、自殺した経緯を話した。
「ジェフが帰国して以来、毎日のように吐いていたことに
気づきました。そしてそれは亡くなる日まで続きました。
クリスマスイブの日、娘はジェフの様子を気にして早めに
帰ってきました。ジェフはお酒を飲んでいて、冷蔵庫の横に
立っていました。認識票を握りしめ、それを娘に放って、
『自分は人殺しだ』と言ったそうです。」

ジェフリーさんが妹に打ち明けた話によると、彼は、米軍の
捕虜だった二人のイラク軍の兵士を射殺するように命じられた
という。無抵抗のイラク兵士を殺したことが心の重荷となり、
それに耐えられなかったようだ。ジェフリーさんは、自分が
殺害したイラク兵士に敬意を表するため、彼らの認識票を
身に着けていたという。

米軍が捕虜を射殺していたことは国際条約違反で告発される
べきだが、この話は、戦争が「良心」あるものを追い詰めて
いくのを感じさせる。ウインターソルジャーで証言した帰還兵
たちのように、自分の良心を根拠に行動を始める人たちがいる
ことは人間の未来にとって、唯一の希望ではないだろうか。

また、この日、2004年8月にナジャフの戦闘で頭を撃ちぬかれ
て戦死したアレキサンドル・アレドンドさん(享年18歳)の父親、
カルロス・アレドンドさんも、その無念の思いを語った。彼は、
息子の戦死を知らせに来た海兵隊員の車にガソリンをかけて
火をつけ、自らそこに飛び込んで瀕死の火傷を負った父親だ。
彼の無念さは、子供を戦争で亡くした親たちに共通する気持ち
だろう。アレドンドさんとはいろんな場所で何度も出会ったが、
いつも帰還兵たちと抱き合っていた。彼にとって帰還兵たちは
みんな息子や娘であり、反戦イラク帰還兵の会のメンバーに
とって彼は父親だった。また、メンバーたちはお互いを兄弟、
姉妹と呼びあってもいる。

15日も証言が終わったのは 8時半だった。

☆ウインターソルジャー最終日

翌16日、日曜日はウインターソルジャーの最終日。

この日の証言が始まったのは午前10時で、午後1時までの3時間、
「軍の瓦解」というテーマで証言が行われた。クリストファー・
ゴールドスミスさん(27歳)は最初に子供時代の写真を見せ、
「自分は国を守る気持ちでいっぱいのボーイスカウトだったが、
そういう自分はイラク戦争の現実を見て死んでしまった」と
言い、その写真を自分の前に立てた。そして、派兵された
当時の軍服姿の写真を見せるや、それをバタリと倒して、
なぜ過去の自分が死んだのか語り始めた。

彼はニューヨーク在住で、911の時に貿易センタービルが倒壊
するのを見た。次の日、ピザレストランで人々が、「中東の
人間をみな殺しにしろ」と言っているのを聞いたという。
そして、彼も「中東を核爆弾で溶かしてしまえ」と思い、人を
殺すためにイラク戦争に参加した。彼はバグダードのサドル
シティに配備されたそうだが、そこは 2003年10月から私が
何度も取材した町だった。

2004年4月、ここでマフディ軍=民兵と米軍が激しい戦闘を
開始した。当時は毎日のように夜間、米軍がこの町を爆撃して
いた。朝、訪れると、町のあちこちに戦車に踏み潰されて
ペシャンコになった車や、砲撃されて金属の塊となり、まだ
くすぶっている乗用車やバスが放置されていた。また、集合
住宅のあちこちに砲弾による大きな穴が開いている。中に住む
市民は当然、女性や子供も含めて殺害されていた。瓦礫の中に
哺乳瓶が落ちていたこともあった。生まれて間もない赤ん坊を
含めた家族のほとんどが戦車の砲撃で殺害されたと、被害者
家族のおじさんが話してくれた。町では毎日葬儀が行われ、
多数の女性たちが集まっては、胸を叩いて泣き叫んでいる。

私は、ここで取材中に車に轢かれて脳挫傷となり、命からがら
帰国したので、その後のことはよくわからなかった。だから、
ゴールドスミスさんの証言を興味深く聞いた。

彼がここに派遣されたのは2005年1月から8月までで、私が帰国
してから 1年ほど後のことだった。その時も米軍はマフディ軍
=民兵と戦闘を続けていた。私は、マフディ軍や、それを創設
したムクタダ・サドルを何度も取材したが、ムクタダ派は独自
のコミュニティを形成している、住民による一種の相互扶助
組織だった。マフディ軍も、血気はやった男たちがそれぞれの
思いで武器をとっている統制のない集団に過ぎず、サドルの
命令で戦っているというよりもそれぞれ勝手に米軍を攻撃し、
それをサドルが追認するような事例が多かった。

ムクタダ・サドルは、イラクで最初に占領反対闘争を公言し、
一貫してそれを主張し続けている人物で、占領という現実に
対するイラク人の集合的無意識を背景に指導者となっていった。
米軍はマフディ軍と戦車などの戦闘用車両、戦闘用ヘリコプター
などを使って全力で戦ったが、サドルシティではほとんどの
住民がムクタダ派で、マフディ軍は、結局は住民の一部だから、
米軍はマフディ軍と住民を区別できず、女子供を含めて無差別
に殺害することになる。

同じようにムクタダ派が多いナジャフにある病院に行った時に、
戦闘機からのミサイルによって爆撃された家にいた 10歳ほど
の姉妹が、目を含む顔面や胸を包帯で巻かれ、ベッドに並んで
寝ているのを見た。兄弟の少年も全身を負傷してその横の
ベッドにいた。彼らの母親が、その病院で治療できないほど
重症なので転院のために運ばれる姿を目撃したが、自分の子供
全員を傷つけられた親が、無残な表情で空を睨んでいたのは
痛々しかった。

ウインターソルジャーの証言によると、砲撃でなくても、米軍
の使う50口径の機関銃の破壊力はすさまじく、人間の首を吹き
飛ばし、体には大きな穴が開くという。そういう高度な武器に
対してイラクの住民は、カラシニコフ機関銃や携帯ロケット砲、
手製の爆弾を武器に米軍と戦っている。彼らは、家族や友人を
殺害する米軍と戦うことは正義だという確信を持っており、
女性や子供たちも同じ思いを共有していた。私はサドルシティ
でたまたま、棒切れを振り回しながら行進する 10歳前後の
男の子たち数十人の群れを目撃したことがあった。かわいい顔
の少年たちは大人の真似をして「神は一つ。ムクタダ・サドル
万歳、占領反対、アメリカは出て行け」と叫んでいた。

ゴールドスミスさんはウインターソルジャーで、サドルシティ
での戦闘中に、機関銃のマークをつけた棒切れを持った男の子
がビルの上から自分たちを撃つまねをしていたので、照準を
合わせて射殺しようとしたことがあったと話した。「銃を向け
ながら数分間、私は考えた。イラク人は嫌いだ。石やレンガを
投げてくる子供は嫌いだ。この子を殺せば手柄になる。数百万
の中のたった一つの命じゃないか。考え抜いたすえ、引き金は
引かなかった。私は 6歳の少年を、誰かの息子を殺そうとした」。
子供までを殺そうとする自分は、いったい何のためにイラクを
占領しているのだろうか? ゴールドスミスさんは、自分たち
のしている戦争に疑問を持つようになって精神的に苦しみ、
帰国してからは酒浸りの日々を過ごしたという。

ファルージャの武装勢力を描いたとしてイラクで配布されて
いるCDの映像の中に、機関銃を持つ 7歳くらいの子供の姿が
映っている。そのあどけない表情は忘れられなかったが、今年
2月、たまたま、独自に取材した帰還兵のマイク・ロビンソン
さんは、少女が攻撃して来た事件があったと話した。彼の友人
のジェイソン・ハードさんが「自分たちはイラクで罪を犯した」
と語ったとき、彼の話を遮って、私にも罪の話があるとマイク
さんは話し始めた。彼が、バラドにある基地の入り口を警備中、
7歳の少女が門に近づいてきた。止まれと言っても止まらな
かったので射殺命令が出て、射殺されたという。調べると胸に
爆弾が括り付けられ、服で隠されていた。マイクさんは、
「それ以来、気になってしかたがないのだが、父親が、なぜ
そういうことを娘にさせたのか、わからない」と苦しい表情で
語った。彼はほとんど泣きそうだった。

私は、彼のこの言葉を考えているうちに、イラクで出会った
ある少女を思いだした。バグダードでホームレスの子供たちを
取材していたとき、その中に 7歳くらいの少女がいて、アシュ
アと呼ばれていた。彼女は、私の宿泊していたホテルのある
カラダという商店街に連れて行ってくれと、しきりに頼んだ。
言葉の壁もあり、なぜそう言うのか理由もわからなかったので、
結局、彼女の望みをかなえてあげられなかった。

帰国後、日本人のNGOの人から、2003年の占領直後、カラダに
フランス人NGOの作った施設が作られ、アシュアちゃんは一時、
そこに保護されていたことを教えてもらった。しかし、自殺
攻撃などが始まり、外国人が標的になってきたのでフランス人
たちは安全が確保できないとして活動を停止し、アシュアちゃ
んも施設を追い出された。彼女は、そのフランス人の施設に
帰りたかったのかもしれない。少女の身で路上生活は苦し
かっただろう。

イラクは、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、そしてイラク戦争
と戦火が絶えない。戦争で親を殺害された子供たちを親戚が
引き取るケースもあるだろうが、親戚も生活が苦しい場合、
行き場がなくなることも多い。イラクでは多くのホームレスの
子供たちが路上にあふれ、黒いイスラム衣装の女性が、子供
たちの手を引いて路上で物乞いをしている姿も多く見られる。
マイク・ロビンソンさんは、父親が 7歳の少女に自殺攻撃を
させた、と考えていたが、少女に必ずしも親がいたとは
限らない。戦争が生み出したイラクの闇の深さは計り知れない。

3月16日、「米兵による抵抗運動の未来」というテーマでの
証言を最後に、午後3時半、ウインターソルジャーは幕を
閉じた。ウインターソルジャーを契機に、反戦イラク帰還兵の
会に参加する帰還兵は大幅に増え、反戦運動に弾みがついた
という。しかし、日本ではまだウインターソルジャーが開催
されたことを知る人は少ない。

☆ウインターソルジャーの意味

私は、この証言集会を約50時間分、ほぼ全部をVTRで録画し、
帰国して編集を始めた。しかし、彼らの証言を正しく理解する
ことは語学力不足のために困難で、作業がなかなか進まな
かった。

4ヵ月ほど過ぎた 7月、TUP=平和をめざす翻訳者たちがウイン
ターソルジャーの翻訳を始めたことを知り、メンバーと連絡を
とると翻訳などの協力をしてくれることになった。おかげで
一気に編集が進み、11月、最初の編集版が完成を迎えた。
ウインターソルジャーでの証言は本になり、9月に『WINTER
SOLDIER-IRAQ AND AFGHANISTAN』という題名でアメリカで出版
された。日本語版も出版されることになり、TUPがその翻訳を
受け持っている。ウインターソルジャーの証言を検証し、
分析する作業はこれからの課題だ。
私もその意味の解読に参加したいと思う。

戦争に従軍した兵士たちが、まだその戦争が継続中に自らの
任務を反省し、それを止めさせるために公聴会を開いた。その
歴史的な意味が人々に理解され、人類の歴史の財産となる日が
来ることを信じている。 (2008年11月22日)

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田保寿一は 12月中にホームページを開設し、ウインターソル
ジャーに関する取材を公表し、DVD配布の告知を行います。今、
米国の IVAW関係者とメールでやりとりしています。ホームペー
ジ開設後、そちらに IVAWやウインターソルジャーに関する
質問が寄せられれば、IVAW関係者に問い合わせます。この
ホームページが、IVAWとウインターソルジャーの日本での窓口
になれば良いと思っているものです。また、ウインター
ソルジャーの証言のほとんどを VTRで収録してあるので、もし
希望があれば、いろんな手段で公開するつもりです。くわえて、
まだ公表していない IVAW関係者やイラクの取材もあるので、
そちらも順次公開していきたいと思っています。ウインター
ソルジャー関係の田保の Eメイルアドレスは
tabojuichi@gmail.com です。

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配信担当 古藤加奈
電子メール: TUP-Bulletin-owner@yahoogroups.jp

TUP速報の申し込みは:
 

■TUPアンソロジー『世界は変えられる』(七つ森書館)
 JCJ市民メディア賞受賞!!
 
http://www.pen.co.jp/syoseki/syakai/0480.html

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