Global Ethics


東電の見立ては甘い、遮水壁を早く作れ! by limitlesslife

[uniting-peace][18381] 小出先生 たね蒔きジャーナル2011/11/30のお話(東電の見立ては甘い、遮水壁を早く作れ!)


永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞専門編集委員の近藤勝重さんの案内で放送されました。

原発のニュース、福島の佐藤知事、原発の廃炉を求めて、原発の恩恵以上に事故の打撃があり、原発に依存しない福島にすると言うことです。

電機労連が民主党に献金したものが3000万円、自民党にも3000万円以上で、東電は会長、社長などが献金しています。我々のポリシーに沿う議員にしていると電力会社は言っているのです。

東電はメルトダウンした燃料の状態を解析して、燃料の損傷は1号機が最大で、格納容器に落下、コンクリートを65cm融かして固まった、2,3号機は6割程度融けたと推定しています。燃料は冷えていると言っています。冷温停止の発表のためです。

そして、小出先生のお話、融けた核燃料の位置を東電が発表したものの、水野さん意味が分からず、これについて、メルトダウンの可能性を否定した時期から小出先生メルトダウンを指摘し、格納容器を融かして、水をかけたら汚染水が出来るのかと言うことで、炉心が圧力容器を貫いて、格納容器にコンクリートを融かして、鋼鉄の容器を融かしている可能性を小出先生指摘されていたのです。

格納容器の上にコンクリートがあり、リスナーより、メルトダウンした燃料が圧力容器を融かしても格納容器に留まっていると東電はいい、これは小出先生の見立てより甘いのかと言うこと、その通りで、格納容器は放射能を閉じ込める最後の砦で、格納容器の底のコンクリートが壊されて、その下の鋼鉄も壊れていたら、放射能を閉じ込める防壁がなくなり、地下にダムを作れと言っていたのです。どこまで行っているかは不明で、最悪を想定してやらないといけない、格納容器の底に穴が開いている可能性を小出先生否定していないのです。

近藤さん、鋼鉄まで30数センチあると言うものの、解析の結果であり、小出先生も分からない、今回の事故は経験したことのないことであり、東電は解析したと言っても、温度、圧力の条件、仮定が要り、しかし仮定のためのデータがない(燃料の本当の温度が不明)のです。根拠なしの解析なのです。

スリーマイル事故、推進派は融けていないと言っていたのに、7年半たって見たら、原子炉の半分が融けていたのです。小出先生も過去の事例をもとに考えられ、汚染の広がりを食い止められない、可能性があれば、対策しないといけない、地面にめり込む可能性がある(永遠に続くチャイナシンドロームではないが、地下に5~10mめり込んで止まると推測している)。ウランは100トン、瀬戸物でドロドロ、鋼鉄を融かし、コンクリートも融かす、体型が大きくなるが、発熱は崩壊熱のみで、どこかで融けなくなり、それが5~10mで地下で止まると思われる、なら遮水壁を作るべきと言って来たのです。5月から言って来たのです。

鋼鉄の壁を壊されているかが問題で、東電も計算しただけ、炉心がどこにあるか見られない、測定も出来ないのです。東電も遮水壁を作ると言っているものの、もっと早く作らないといけない、東電の言うとおりに余裕があるか不明なのです。

メルトダウンした燃料の詳細について聞けました、これを、お伝えいたしました。



原発の寿命を延ばす検討しかしなかった! by limitlesslife

[uniting-peace][18367] 小出先生 たね蒔きジャーナル2011/11/29のお話(原発の寿命、圧力容器の脆性危険性、寿命を延ばす検討しかしなかった!)

 永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。昨日の自民党が橋下氏の支持に回ったことで、リスナーから山のようにメールが来たそうです。

原発のニュース、運転から30年を超える原子炉の安全性を検討する会議が保安院で行われ、伊方2号機、福島第2の2号機、美浜2号機が対象です。専門家では、劣化が事故に影響しないかを検討して年明けに結果をだし、40年を超す原発も3基あり、中性子で脆くなっている原子炉も出ています。原子炉の停止による破損が懸念されるのです。伊野東大教授は、九電に停止の手順を求めています。

福島の米からセシウムの出たこと、出荷停止で、伊達市の2地区であり、出荷停止は福島市に続いて2つ目です。1kg580~1050ベクレルが出ています。

そして、小出先生のお話、原発の寿命が30~40年と言われること、原子炉は機械で、様々なものが組み合わされてできており、どこかが壊れたら交換して寿命を延ばせるものの、原発は絶対に交換できないものが、圧力容器(本体)があるのです。放射能の塊、1000トンもある、これは交換できず、これが何年持つかで、鋼鉄は割れない、へこんでも大丈夫(延性)がある。ガラスは脆性(叩いたら壊れる)、が、金属も冷たくなると脆性になるのです。零下何十度ではそうなり、普通はありませんが、金属が中性子を浴びると脆性の温度が高くなり、運転するほど脆くなるのが常温に近づく、それがヤバイのがいつかであり、それが30~40年続いたら鉄も脆性になるとして、この寿命が出たのです。

しかし、1号機は40年(71年3月スタート)で、圧力容器は壊れなかったものの、どれだけの温度で割れるかは、試験片を圧力容器に入れて、それを検査してテストを行ってきたのです。それで、40年は大丈夫としていたのです。しかし、30年でこれからどうするか、電力会社が計画を出さないといけない、それで40年を認め、それでも余裕があり、国が認めてきたのです。

福島第1は、2月7日に、あと10年運転していいという認可が下りていたのです。脆性-延性遷移温度の記録から見たのですが、この遷移温度は原発ごとに違い、普通の温度でガラス化する原子炉もある、玄海1号機が一番危ない、これは90何度で脆性になってしまい、100℃を超えると延性ですが、それ以下だと脆くなるのです。

これは、危険性を指摘しても、保安院、九電は押し切ろうとしており、平野さん、第三者機関が危ないと指摘しないといけない、しかしそれがない(電力会社がOKと言ったらおしまい)のです。電力会社は続けたい、運転中の圧力容器は300何度であり、大丈夫と言うものの、トラブルで、冷やさないといけなくなったら、割れてしまう、どちらに行くのも恐ろしいのです。どこまで受け入れるかなのです。

原発の寿命の会合は保安院=お墨付きの組織であり、政府は、来年春に第三者機関を目指すとしているものの、残念ながら日本は原子力を推進したい、海外にも売りたいから、安全と言いたいのです。

しかし、野田総理、寿命が来たら廃炉と言っていたのですが、アメリカでは40年と言っていたモノを、寿命が来て、20年間延長の許可を出しているのです。保安院が寿命について考えても、延長のための会合であり、野田氏、寿命が来ないとしているのです。そうさせようとしているのです。

ニュースを一方的に聴いているだけとは違うのです。

平野さん、玄海原発は万一だと関西にも影響があり、中国~関西に放射能が来るのです。圧力容器が吹き飛ぶ危険性最大で、関西は他人事ではないのです。

2月7日、寿命を延ばさず、止めていたら事故を起こさなかったかについて、小出先生笑われ、寿命を延ばすための検討しかなかった、今回はブラックアウトで、新品の原子炉でも事故になっていたのです。

原発の恐ろしい話が続きます、今日もお伝えいたしました



低線量/内部被曝の危険性を 述べた好著 by limitlesslife
November 29, 2011, 1:23 am
Filed under: radiation, 放射能 | Tags:

[2011(H23)年11月29日(火)AM01:00 送信]
《パレスチナに平和を京都の会》の諸留です
(Bcc送信)
※このメールの送信停止を御希望の方は

お知らせ下されば配信停止致します
[既読重複御容赦下さい]
**転送転載 自由**
————————————
低線量および内部被曝の危険性を
医学的観点から述べた大変良い本が、
最近出版されました。
国際放射線防護委員会(ICRP)の放射性の危険性の過小評価も
明確に指摘されています。
小型(A5サイズ:21cm×15cm)厚さ1cm
117頁と、ポータブルの手軽な小冊子で便利です。
一人でも多くの方々が読まれて、
また他の皆様にも、広く拡散下さり、
お伝え下されば幸いです。以下、ご紹介します。
医療問題研究会編
『低線量・内部被曝の危険性 -その医学的根拠-』
耕文社
定価(1,000円+税)
ISBN978-4-86377-018-8 C0047 \1000E
2011年11月1日(初版第一冊)
著者:伊集院真知子・入江紀夫・梅田忠斉・川崎恵子・高松勇・橋本健太郎・林敬次・室生祥・柳元和・山本英彦の各氏
(推薦)八王子中央診療所所長・小児科医 山田真
本書の構成
第1章 放射線被曝の基本知識
第2章 だから、放射線被曝は怖い
第3章 低線量でも障害は発生する
第4章 原発事故処理労働者の健康被害
第5章 いま、考えるべきこと-被曝をめぐる論争点-
巻末資料
**転送・拡散・転載歓迎**
————————————
社会が激動している今この時
歴史に残る最大の悲劇は
「悪しき人々」の過激な言葉や暴力ではなく
「善良な人々」の沈黙と無関心である
我々の世代が後世に恥ずべきは
「暗闇の子」の言動ではなく
「光の子」が抱く恐怖と無関心である (M.L.キング牧師)
*******************
《パレスチナに平和を京都の会》
“Peace for Palestine” in Kyoto Movement(PPKM)
代表:諸留(モロトメ)能興(ヨシオキ)
〒611-0002 京都府宇治市木幡赤塚63-19
[TEL=FAX]:0774-32-1660
E-Mail:
yoshioki-afym@zeus.eonet.ne.jp
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全国の汚染、出たセシウムは東電のものである! by limitlesslife

[uniting-peace][18358] 小出先生 たね蒔きジャーナル2011/11/28のお話(橋下氏の姿勢、全国の汚染、出たセシウムは東電のものである!)

 永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫の平野幸夫編集長の案内で放送されました。昨日は大阪ダブル選挙特番を聞き、本日は小出先生のお話もありました。ちなみに、大阪都構想に反対していた自民党が、本日賛成に回り、水野さん、平野さん唖然です。

原発のニュース、福島原発の吉田所長が体調を崩して入院して退任し、後任は高橋氏、吉田氏は14日まで勤務し、検診で病気が見つかり入院、病状はプライバシーにより公表されていません。

そして、小出先生のお話、大阪市長の橋下氏、脱原発と言っており、小出先生、政治が大嫌いで、コメントしたくない、自民党が寝返り、いかにも政治の世界らしい、ガンジーの7つの社会的な罪、理念なき政治に反する、橋下氏は強くなることで、自分はまっぴら、脱原発は歓迎なのです。

福島の大気中の放射能が全国を汚染していること、文科省の調査結果が出て、沖縄でもセシウム、大阪は18.907ベクレル/平方メートル、この数字、人間が放射能をばら撒いていた、犯罪は原爆、5000ベクレル/平方メートルのセシウムを50~60年代にばらまき、チェルノブイリでばらまき、それはヨーロッパ、ソ連は過去の核実験と同じ、日本で100ベクレル/平方メートルであり、今回は関西は20で済んだが、汚染を免れているのではない、地球は汚れているのです。

セシウムは誰のものか、45km離れたゴルフ場が、東電に土壌汚染の除去をしてくれと仮処分を求めたら、東電より、原発から出た放射能は東電の所有物ではないといい、除染の責任なしと主張し、この論理、「何とも言葉もない、セシウム、核分裂生成物は原発の原子炉のもの、東電の所有物」であり、東電のものであり、形が変わったのみ、原子炉の中のものが東電がばらまき、所有物に変わりはない、東電は無主物と言い、価値がないどころではない、猛烈な毒物であり、それをばら撒き知らないとは、言いようのない会社である、と言うことです。平野さん、東京地裁の決定が10月に下り、除染は国や自治体の仕事で、東電の責任は認めていない、「まったくの間違い」、東電が片づけるべきなのです。行政に責任転嫁、裁判官もおかしいのです。

このゴルフ場の問題、出たセシウムが東電のものではないとなると、他の場所、もののセシウムも問題になり、えらいことにならないかと水野さんが言うと、その通りで、賠償責任、除染は行政と裁判所が言っているのです。司法の判断が大きな課題なのです。

今日の小出先生のお話をお伝えいたしました。



「原発事故への道程」後編 (2/2) by limitlesslife
November 28, 2011, 2:19 pm
Filed under: 福島原発事故, 原発 | Tags:

[uniting-peace][18350] NHKETV特集「原発事故への道程」後編―記録と評註(その2)

みなさまへ    (BCCにて)松元

さきにお送りした諸留さんのNHKETVシリーズ「原発事故への道程」の文字起こし記録と評注の、《後編》(その2)をお届けします。

諸留さんは記録を重視し、[◆註]の形で「最低限度」の補足や説明をしていますが、のちほど番組の内容とNHK報道についての全般的な論評を発表する予定です。

======以下、後編(その2)転載======

【解説】:その裁量権を認めた司法。原発建設は更に進むかに見えました。

【画面】:日本初の原子力船「むつ MUTSU」の進水式の映像

【テロップ】:原子力船「むつ」

【解説】:日本で初めての原子力船「むつ」。

【テロップ】:「むつ」放射線漏れ事故 1974年9月1日

【解説】:この船のトラブルがきっかけで、国の原子力政策が国民から疑問視されるようになります。太平洋上での出力実験中に、放射線漏れを起こしたのです。基本設計の安全性を審査した科学技術庁と、船の建造を管轄する運輸省が、責任を押し付け合ったため、非難の声があがりました。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1992年

【解説】:島村原子力政策研究会。むつの問題に関わった官僚たちが、原子力行政の見直しを迫られたことを語っています。焦点は1956年に設置されて以来、日本の原子力政策を担ってきた原子力委員会のあり方でした。

【テロップ】:元通称産業省官僚 島村武久

[元通称産業省官僚 島村武久]:「原子力船「むつ」の放射線漏れが1974年9月1日にあったわけですけれど、これが直接の動機だったことには間違いはないんですが、それまでに原子力発電所でいろいろ、まぁ・・事故っていうのは変ですけれども、[◆註:27](事故が)あったりとか・・あるいは、分析研究(放射線の研究所)の問題もありましたね。なんだかんだという、いわゆる不祥事みたいなものが相次いで起こったと・・。これも「むつ」で頂点に達したということだと私は思うのですよ」

[◆註:27]原子力推進関係者の間では「事故」の言葉は敢えて使わず、「事象」という言葉に置き換えられて表現されている。

【テロップ】:科学技術庁官僚 沖村憲樹
[科学技術庁官僚 沖村憲樹]:「原子力委員会に対する批判といたしまして、まず原子力行政の責任体制が不明確であるということが批判の大きなものであると。それからもうひとつは、規制と推進が同じ組織で行われているということに対しまして、国民の間で不信感が起きているんじゃないかと・・」[◆註:28]

[◆註:28]「規制と推進が同じ組織で行われていることに対し国民の間で不信感が起きている」というのは、原子力委員会が原発を推進しながら、安全審査等規制にも係わる役割も担っていたことを指す。

【テロップ】:原子力委員会 開発 規制

【解説】:当時の原子力員会は、原発を推進しながら、安全審査等、規制に係わる役割も担ってきました。このことが問題とされたのです。

【テロップ】:科学技術庁官僚 沖村憲樹

【画面】:「沖村憲樹 028」のラベルの貼られたカセットテープの画面

[科学技術庁官僚 沖村憲樹]:「当時はエネルギー問題がですねぇ、非常に、まぁ、重要な問題ということで、石油が足らなくなるっていうことで、原子力に非常にシフトしなければいかんという議論があったわけなんですけれども。一方におきまして、まぁ・・あの・・不安・・国民の不安ということから、(原発の)立地がなかなか進まないということで、これをまぁ、進めるためには・・・・行政機構全体を一回、いじってみなきゃいけないんじゃないかっていうようなことも、背景にあったんじゃないかというふうに思いました。要するに行政全体を見直す委員会をつくらなきゃいかんっていうのは、なんとなく大きな世論みたいな感じだったというふうに記憶しておりますけれども」

【テロップ】:原子力行政懇談会 1975年

【解説】:1975年、政府は原子力行政懇談会を設置。有識者に原子力行政のあり方を議論してもらいました。そこで出されたのが原子力行政を規制する強力な組織、原子力規制委員会を求める意見でした。

【画面】:11555
UNITED STATES
NUCLEAR
REGULATORY
COMMISSION
と書かれたビルの標識

【テロップ】:アメリカ原子力規制委員会(NRC)

【解説】:参考とされたのは、アメリカで行われた改革でした。

【テロップ】:アメリカ原子力規制委員会(NRC)→規制→原子力事業者

【解説】:アメリカでは強力な権限を持って、原子力関係機関の規制に当たるNRC、原子力規制委員会が作られていました。ところが(1975年に開催された我が国の原子力行政の)懇談会の事務局を勤めた沖村憲樹さんによれば、アメリカのような組織を作ることには、反対意見が多かったといいます。

【テロップ】:元科学技術庁官僚 沖村憲樹さん

[元科学技術庁官僚 沖村憲樹]:「やはり規制だけを集中的に考える機構はですね、原子力開発の根幹である炉の設置許可とか、運転とかを全部握るわけですよね・・そういうことで原子力の開発が旨くいくんだろうか・・っていう意見[◆註:29]が、随分寄せられました。

[◆註:29]こうした意見を寄せたのは一体誰なのか?

[元科学技術庁官僚 沖村憲樹]:「非常に反対意見が根強くってですね。はっきりおっしゃる方、はっきりおっしゃらない方も含めて、やはり、あの・・アメリカ型の規制委員会っていうのはですね、日本の原子力開発の将来に懸念がある、って言うので反対意見だったというふうに思っています」

【解説】:1976年7月、原子力行政懇談会は最終の取りまとめを、元三木首相に提出します。これを受け、原子力委員会を分割し、新たに原子力安全委員会を発足させます。

【画面】:科学技術庁
科学技術会議
原子力委員会
宇宙開発委員会
原子力安全委員会
の標識

【解説】:規模はアメリカNRCの僅か10分の1程度。権限も限られていました。

【テロップ】:原子力安全委員会→助言・提言→監督官庁(経済産業省・文部科学省など)→規制→原子力事業者

【解説】:電力会社などを指導する場合には、意見を述べるだけに留まり、直接、支持、命令する権限はありません。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1992年

[発言者不明]:「ちょうどあの時でしたからね。アメリカが二つに分かれたでしょう」

【テロップ】:元日本原電 板倉哲郎

[元日本原電 板倉哲郎]:「アメリカもね、失敗はしたと思っているところは多いんですね。あれでもう、さっぱり開発がなくなりましたからね」

[発言者不明]:「ううん・・もう開発がなくなりましたからね」

[元科学技術庁官僚 沖村憲樹]:「結果的に15年経ってみても、原子力の反対も安全委員会が吸収してですね、原子力発電も滞りながらも、まぁ、スムーズにいってますので、この体制も、まぁ、結果的にはよかったのではないかというような気がしますけど」

【テロップ】:元日本原子力研究所職員 佐藤一男さん

【解説】:早くから原子炉の安全運転に取り組んできた佐藤一男さんは、新しくできた原子力安全委員会で仕事をするようになりました。

[元日本原子力研究所職員 佐藤一男:「安全なんていうことを口にするな、と・・・。安全の研究なんかとんでもないと・・。そんなものはね、国民を不安に陥れるだけじゃないかと・・・と言うんでね。そういう風潮がわりと強かったんですよ、ええ・・・。あの・・で、だからね、安全性なんてことを銘打った研究はね、まず、とても死ぬまで日の目を見ないですよ、そんなことは・・ええ・・。そういう時代がだいぶ続いていたんですよ」

[NHK記者の質問]:「それで?安全のことを言ったらどうなるんですか?」

[元日本原子力研究所職員 佐藤一男:「そりゃ・・村八分だからね。言うなれば・・。誰も相手にしなくなっちゃうんだから・・」

[NHK記者の質問]:「どこから村八分にされちゃうんですか?」

[元日本原子力研究所職員 佐藤一男:「だから原子力ムラからですよ・・ワハハ・・いやねぇ・・村八分って言うのは、まぁ、単なる表現ですが、あの・・そんなことを言う人はねぇ・・仲間外れにされちゃいますから・・」

【解説】:100万分の1という大事故発生の確率。原発は限りなく安全だという考え方に疑問を抱くことをタブーとする暗黙の了解が定着しつつありました。そんな矢先でした。

【テロップ】:スリーマイル島原発事故 1979年3月28日

【解説】1979年3月28日早朝、アメリカ、スリーマイル島原発で安全装置ECCSが停止し炉心溶融事故が起きました。原子炉からは大量の放射能が大気中に放出され、数万人の住民が町から非難する事態となりました。

【テロップ】:スリーマイル島原発事故に関する学術シンポジウム 1979年11月26日

【解説】:アメリカで起きた事故は日本の研究者を動揺させました。スリーマイル島の事故を受け、これまで原子力政策に協力してきた研究者たちは、事故を検証するシンポジウムを開きました。しかし、原発の危険性を訴える研究者たちが排除されようとしたため、激しい対立となりました。スリーマイル島原発事故の直後、伊方原発訴訟の控訴審が高松高等裁判所で始まりました。

【テロップ】:原告側準備書面

【解説】:原告側は、国が立地審査の際には、想定していない、想定不適当事故だとしていたメルトダウン事故が起きた以上、原発許可は無効だと、改めて訴えました。

【テロップ】:原告側証人 藤本陽一

[原告側証人 藤本陽一]:「スリーマイル島原の原子力発電所で起こった事故は、論争の経過を言えば、”想定不適当”な事故に属するものでございます。スリーマイル島の事故で出ている放射能は、伊方の安全審査のときの最悪の仮想事故の数字を上回る量で、数十倍に達する量が出たわけです」

【テロップ】:国側証人 佐藤一男

【解説】:二審で国側証人に立ったのは、佐藤一男さん、たった一人でした。
[国側証人 佐藤一男]:「運転員と呼んでよろしいかと思いますが、この人たちの誤った判断に基づく行動によると思います。それが決定的な要因でございます」[◆註:30]

[◆註:30]スリーマイル島原発事故の原因が、同発電所原子炉の運転員の「人為的ミス」が事故原因であったとの、国側証人佐藤一男氏のこの証言を松山高裁判事たちはどう評価したのか?100万分の1という確率の事故を想定することは、想定不適当事故であるとした、一審判決の判断根拠の中に、人為的ミスも含まれていたのか?それとも人為的ミス(いわゆるヒューマン・エラー)は一切考慮されず、設計工学上での事故の発生確率だけに基づいただけの「想定不的確」の判決であったのか?一審も含め二審以降の判決を下した判事たちの判断内容、彼らの思想内容も含め、改めて再検証されねばならない。

[国側証人 佐藤一男]:「従って、その設計そのものが直接の決定的要因になっているということではございません」

【テロップ】:「国側証人 佐藤一男」「原告側弁護士 仲田隆明」

【解説】:原告側は、一審で、国側が起こることはないとしたメルトダウンが現実に起きたことを問い質します。

【テロップ】:原告側弁護士 仲田隆明

[原告側弁護士 仲田隆明]:「メルトダウンにより、圧力容器が割れたら、放射性物質が全部外へ出てしまいますね。大変なことになりますね」。

[国側証人 佐藤一男]:「はい」

[原告側弁護士 仲田隆明]:「国のほうでは、いや、それは破損することはない、という前提に立ってますね?」

[国側証人 佐藤一男]:「はい」

[原告側弁護士 仲田隆明]:「住民のほうからは『圧力容器だって破損しないという保証はないじゃないか』と主張しておった。これはご存じですか?」

[国側証人 佐藤一男]:「私は、直接は目にしていないと思います[◆註:31]。ただ圧力容器が破損するかどうかという問題は、いろいろなところで論じられております」

[◆註:31]ここの佐藤一男の陳述内容は不鮮明で解りずらい。二様に解釈できる。ひとつは「圧力容器の破損した原子炉の現場を、国側証人の佐藤一男氏自身が彼自身の目で直接は見たことが無い」という発言にも受け取れる。

しかし、この陳述では、原告側弁護士仲田隆明氏の「これはご存じですか?」の問いへの答えになっていないトンチンカンな陳述になってしまう。もうひとつは「住民の誰かが『圧力容器だって破損しないという保証はないじゃないか』と(法廷か法廷外で)語っている姿を、佐藤一男は「直接は目にしていない(目撃したり聴いていない)」という意味なのか?私(諸留)は前者の意味での佐藤一男氏の発言だったと思われるが・・・

[原告側弁護士 仲田隆明]:「圧力容器の破損に対しては、安全装置が無いんだということ、これはいいですね?」

[国側証人 佐藤一男]:「破損そのものに対しては、破損してしまえば、直接にはございません」[◆註:32]

[◆註:32] ここで、国側証人佐藤一男が、「(圧力容器の)破損そのものに対しては、破損してしまえば、直接にはございません」と発言しているのは重要な発言。
福島第1原発1号機~5号機で使われている「Mark I」原子炉の設計者で元GE(ゼネラル・エレクトリック)社社員のデール・ブライデンボー(Dale Bridenbaugh)氏及び、同原発の基本設計士であり、また同原発6号機工事現場監理者でもあった菊地洋一氏自身が『週間現代』4月16日号で以下のような証言を行っている。

・・・「MarkI」が抱えている問題点は、その後の改良である程度は是正された。格納容器にガス放出の為のベント弁(ウエットベント弁とドライベント弁の二種類あり)が取り付けられたのは、ブライデンボー氏の証言から解る通り、設計当初からでなく、アメリカでは1990年頃になって、後から設置されたとの証言がある。従って伊方も福島原発も含め我が国の原子炉では20年以上もベント弁が備わっていない状態で「安全基準を満たしている」との政府や東京電力の「お墨付き」の「安全神話」で擬装させ国民を欺し続けてきていたことがブライデンボー氏の証言から明らかにされている。

アメリカでは1980年代後半になって、彼の訴えの一部が認められ、圧力を逃すガス放出弁を取り付けることが義務づけられ、1990年頃にアメリカ国内のすべての「MarkⅠ」に、この弁が設置された。「MarkⅠ」オーナーズグループのアドバイスは東京電力や福島第1原発にも届いていた筈。しかし実際に福島第一原発など我が国の原子炉へのベント弁設置を、原子力安全委員会が言い始めたのが、1992年以降であった。しかも放射能防塵フィルターは設置さなかった!

(井野博満編/井野博満・後藤政志・瀬川嘉之共著『福島原発事故はなぜ起きたか』79頁。藤原書店2011年参照)

この伊方原発訴訟の原告が高松高等裁判所に控訴したのが1978年(昭和54年)4月。高松高等裁判所で控訴審が始まったのが1979(昭和54年)年からで、控訴審で請求棄却判決が下ったのが1984年12月。従って、国側証人佐藤一男が正直に証言している通り、伊方原発も含め、その当時の日本国内にはベント弁すら設置されていない状態であった。

[原告側弁護士 仲田隆明]:「日本では破損しない前提で安全審査をしているんですね?」

[国側証人 佐藤一男]:「さようでございます」

【解説】:佐藤(一男)さんは、原発事故発生の確率は、100万分の1という国の主張してきた安全性を、たった一人で背負って争うことになりました。

[国側証人 佐藤一男]:「それはね・・・あの・・誰が言ったのかっていう事になるんすよね、そんなことのね。それでね、住民の方でね。そいういうのは耳障りがいいからね。そっちのほうを、『うん・・・そうか・・』って、思いたくなるんですよね」

[NHK記者の質問]:「国が安全だ、って言っているからですね・・」

[国側証人 佐藤一男]:「あぁ、あぁ・・だって、安全だって言われたほうが安心でしょう、ねっ?だけどね、それはね、そういうことを言っているその人は、本当にそういうことを思ってそう言ったんだろうか?」

[NHK記者の質問]:「それって、どういう事ですか?」

[国側証人 佐藤一男]:「いや、あのね。その場しのぎのことを言ったのかも知れないですよねっ。あるいは、本当にそう思ったんだとしたら、その人はそういう仕事をする資格に欠けていたのかも知れないよね。逆にね。うん。そんなねぇ、いい加減な事で、安全する資格に欠けていたのかもしれないな・・・逆にね。『そんなねぇ、いいかげんなことで、安全を担当していたんですか?』なんて、言いたくなる話でしょう?だからね、そういう話しをね、あの・・・実は非常に後になってね、災いを残すんです。いろんな意味で。あの・・だからねぇ、あの・・そういことを言う人たち、言った人たちっていうのは、もうお亡くなりになったり、死んだりしちゃっているからさぁ、まぁ、いいかもしれないけれど、後継者はひどく苦労するんですよ、ええ・・・」

【テロップ】:高松高等裁判所 公判 1983年3月4日

【画面】:第22回口頭弁論調書
昭和58年(1983年)3月4日午前10時
高松高等裁判所
宮本 勝美
山脇 正道
磯尾  正
小松 一郎

【解説】:原告側は一審の証人であった、内田秀雄原子力安全委員の証人尋問を求めます。

【画面】:
被控訴指定代理人
昭和五八年三月4日付書証認否書に基づき各書の成立を、写しについては原本の存在も認めた。
控訴代理人
2号証の認否は次回にする。
控訴本人 廣野房一の弁論
別紙のとおり陳述。
控訴代理人
準備書面(六)(昭和五八年三月○日受付)陳述。
控訴人、補佐人久米三四郎の弁論
別紙の通り陳述。

【解説】:これに対し、国側は、審理は尽くされていると、早期の結審を求めます。その結果、裁判長は弁論集結を宣言しました。

【画面】:・・・る意見書」と題する書面陳述。
四 本件については右二で述べたとおり審理はすでに尽くされているから早急に結審願いたい。
証拠関係別紙のとおり
裁判長
弁論終結
右弁論結論の告知直後、「判決言渡し。期日は追って」との告知と同時に控訴代理人藤田良一、同仲田隆明、同熊野勝人ほか数名の控訴代理人から「異議の申し立てをする、裁判官を忌避する」との発言があった。

【解説】:翌年、1984年(昭和54年12月14日)、控訴は棄却。原告住民は上告しました。

【テロップ】:伊方原発訴訟 控訴棄却 1984年12月14日

【解説】1970年代になると、原発政策の担い手たちの間では、原発の稼働率の低さが問題にされるようになっていました。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1991年  通産省 谷口富裕

[通産省 谷口富裕:「電力の技術屋さんというのは会社によって非常に差がありますけれど、まぁ、一般的には技術のユーザーだということですね。私なんか、その・・嫌みで、電力の技術屋さんは、電話をかける技術屋さんが非常に多いんじゃなかと、言っているんですけどね。まさにその自ら技術の改良とか、基本的対応というのを、積極的に取り組むようなトレーニングを受けていない。あるいは能力を開発していない、というのは明らかにあって、基本のところは自分でデザインしたり、開発したりをしたわけじゃないですから、運転とかメンテナンスや、きめ細かいところの改良は、得意なんですけどね。根っこまで入っていくと、技術基盤が十分強いのかなと思いますけどね・・」

[元 通産省 島村武久]:「電力会社はね、何にもできないのかと。検査も、受け入れも。疑問があるんですよ。物を買ってね、悪かったから取り替えろは当たり前かもしれないけれど、自分で買ったものを動かしておいて、そしてそれが自分も気が付かない」

【解説】:この頃、各地の原発では故障やトラブルが続出していました。その度に、長期間運転を停止しなければなりません。原発のメリットは燃料費が安いため[◆註:33]、電力を安価に供給できる[◆註:34]ことでした。そのメリットが生かせません。

[◆註:33]「原発のメリットは燃料費が安い」とするこのNHKのコメントは、明らかに間違い。原発推進派の燃料費計算をそのまま「鵜呑み」「横流し」報道しているだけ。ウラン核燃料の国際価格は、ウラン鉱石採掘から使用済み核燃料の最終処分処理工程に至るまでの全工程でのコストを考慮していない計算法に基づく価格だけを報道している。

[◆註:34]原発は「電力を安価に供給できる」とのこのコメントも間違い。原発の電気は水力発電や火力発電など原発以外の発電単価より、はるかに高くつく。原発の発電コストを、どこまでコスト経計算に含ませるかを、詳しくチェックせず、現行の電力会社の原発発電の単価をそのまま受け売りし、「メリットである」と解説する報道は、私は問題と思う。

【画面】:原発の稼働率(設備利用率)[◆註:35]

[◆註:35]この画面も問題と思われる。原発の稼働率(設備利用率)のグラフを示すなら、全国の火力発電や水力発電の原発の稼働率(設備利用率)も、なぜ、同時に比較して映さないのだろうか?
小出裕章氏の以下のURL
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kouen/msm081026.pdf
の9頁の図5 日本の発電設備の量と実績(2005 年度)の縦棒グラフ図参照
原発の稼働率(設備利用率)だけを画面いっぱいに放映するNHKの報道(編集)姿勢は、「原発推進の国策の後押し報道」と思われても仕方がないのでは・・・?

【解説】:原発の稼働率をグラフにしたものです。原子力発電が本格化した1970
年以降、稼働率は低下を続けていました。

【画面】:1970年の原発稼働率:74%が、年々低下し、1975年では42%にまで低下している折れ線グラフの映像(縦軸に稼働率。横軸が年度。出典:原子力施設運転管理年報)

【解説】:当時、東京電力の原子力保安部長だった豊田正敏さん。財界から稼働率を上げるよう要請があったといいます。

【テロップ】:元東京電力副社長 豊田正敏さん

[当時 東京電力原子力保安部長(元東京電力副社長) 豊田正敏]:「トラブルが多くて止まった時はね・・・あれから(あの人から、という意味か?)・・・経団連の会長だった土光さん[◆註:36]から『おい、何とかしろ』と言われたのですよ」。

[◆註:36]エンジニア、実業家。東芝社長。第4代経済団体連合会(経団連)会長の土光敏夫(どこう・としお:1896年~1988年)のこと。我が国の国策としての原子力発電を牽引しリードしているのは政府(国家権力)だけでなく、その背後に巨大独占企業が君臨していることを物語るエピソード。

[当時 東京電力原子力保安部長(元東京電力副社長) 豊田正敏]:「そんなことを言ったって、任してくださいよ、ともかくね、って・・・。そんなに今日言われて、今日やって、すぐにね稼働率は上がるものじゃないのでね。数ヶ月とか一年はかかりますよ、と言ったんです」

【画面】:「通産省 わが国独自の軽水炉技術確立に本腰」「改良標準化委が発足」「近く耐震性なども検討へ」の見出しの1975(昭和50年6月26日)年付の新聞紙面記事

【解説】:1975(昭和50年6月26日)年、国は原発の改良に取り組む委員会、改良標準化調査委員会を、通産省の中に設置します。故障やトラブルの原因となる機械の欠陥を改良し、国内の原発の新たな企画を作ることで、稼働率を上げようとするものでした。

【解説】:これは原子炉にかけられた投資額をグラフ化したものです。改良標準化が始まってから原発に注がれる資金は急増しています。

【画面】:原子力関連メーカーの研究投資額(原子炉関係)
1972年の60億円から次第に増加上昇し1984年頃では350億円にまで急増している折れ線グラフが表示
(縦軸に投入資金額。横軸に1972年~1995年までの年代。出典:原子力産業実態調査報告)

【解説】:電力会社は稼働率の高い新しい型の原発を導入することに力を入れています。そんな中、アメリカから思わぬ知らせが入ります。アメリカ議会公聴会での証言です。

【テロップ】:元ゼネラル・エレクトリック(GE)社技術者 デール・ブライデンボウ

[元ゼネラル・エレクトリック(GE)社技術者 デール・ブライデンボウ]:「問題を検証し、正しい判断を下す基準が見当たらないと言っているのです」

【テロップ】:マークI型原子炉

【解説】:福島第一原発などで採用している原子炉マークI型には、重大な事故に繋がる問題点があることが指摘されたのです。

【テロップ】:元ゼネラル・エレクトリック社技術者 デール・ブライデンボウさん

[元ゼネラル・エレクトリック社技術者 デール・ブライデンボウ]:「いくつかの原発は、すぐに運転を停止すべきだと思いました。安全かどうかの調査が終わるまでは、電力会社に停止すべきだとの意見を伝えました。GEの上司にも伝えました」

【解説】:しかし、東電はマークI型の原子炉を停止することはできませんでした。

【テロップ】:元東京電力副社長 豊田正敏さん

[元東京電力副社長 豊田正敏]:「一番の目的はやっぱり新しいものを、材料も、それから設備も、標準化すればですね、予備も共通で持てるとかね。それから、安全審査なんかも、一回で済ませ(られ)るわけですよね。あと右へならえで。安全審査期間も短縮できるわけですよ。まぁ、そういうメリットはありますよ。だけど、既設のものについては、やることはやりますけれども、100%やりません、ということはあります」[◆註:37]

[◆註:37]ここの豊田正敏氏の発言も解りづらい。豊田正敏が発言する前に、NHK記者が、豊田氏に発した質問内容が解らないので、如何なる質問に対して、豊田氏が答えているのかが不明なので、回答の意味も不明な点が多い。
おそらく「電力会社が稼働率の高い新しい型の原発を導入することの利点は?」とNHK記者が質問したのであろう。もしそうだとすれば豊田氏のここでの回答の前半部は、つじつまが合う。しかし、もしそうだとすると、回答の後半部が問題発言になる!

後半部で豊田氏はキッパリと、「既設のものについては、やることはやりますけれども、100%やりません、ということはあります」と断言している。「100%やりません、ということはありません」ではなく、「100%やりません、ということはあります」と言っている!ということは、既設の耐用年数の古くなった原発に関しては、「安全審査や点検、整備、修理を100%(=全く)しない事はあった」という発言であろうか?この箇所が豊田氏の言い間違い、勘違い発言ではなく、正しい発言だとすれば重大な発言。

[元東京電力副社長 豊田正敏]:「それを福島第一(原発)・福島第二(原発)とか、4号機までのものにやれといっても、それはできませんということでね。[◆註:38]」

[◆註:38]豊田正敏氏が言う「それを・・やれと言っても」の「それ」とは一体何のことなのか?耐用年数が大幅に経過した古い型の原子炉を、改良標準化型の新型の原子炉に置き換えることなのか?それとも、 デール・ブライデンボウ氏が望んでいたマークI型の原子炉を停止させることなのか?あるいは、上述のような、安全審査や点検、整備、修理、定検作業のことなのか?意味不明。豊田氏の発言の真意がどうあれ、福島第一原発を始めとする、老朽化した原子炉は、何ら改良されることなく放置され続けたことは、豊田氏の以上の発言から明らか。

【解説】:1984年、改良標準化で急増を続けていた原子炉への投資は、下降に転じます。代わって増加したのが、核燃料サイクルへの資金投入でした。

【画面】:原子力関連メーカーの研究投資額(原子炉関係)
1972年(60億円)~1984年(350億円)まで急増したグラフ線が、1984年の350億円をピークに1997年の130億円までに降下。
同時にこの折れ線グラフに重ねて、核燃料関係の研究投資額(赤の折れ線グラフで表示)が、1972年の25億円)から、1997年の275億円へと急増。
(縦軸に投入資金額。横軸に1972年~1995年までの年代。出典:原子力産業実態調査報告)

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1991年夏

【解説】:島村研究会は、その予算配分の変化について触れています。その時、国の原子力政策に大きな方針転換があったといいます。

【テロップ】:元四国電力幹部

[元四国電力幹部]:「電力会社も、相当長年にわたって、ずいぶん(改良を)続けてきたんですよ。で、一渡りもう、軽水炉の方はいいなと言い出したのは、今から何年くらい前でしょうかね・・7から8年前でしょうか?それくらいになると(研究投資額が)減ってきましてね」[◆註:39]

[◆註:39]この元四国電力幹部の発言は1991年夏であるから、それから7から8年前は、1984年か、1983年ということになり、上述にも解説のあった「1984年、改良標準化で急増を続けていた原子炉への投資は、1984年以降、下降に転じます。代わって増加したのが、核燃料サイクルへの資金投入でした」の1984年ともピッタリ一致する!

[元四国電力幹部]:「それで、次は再処理の問題だというので、再処理の方へお金がずっと流れ始めたような記憶があるんですけれどねぇ・・。いっぺんそこをトレースしてみると、二度目の軽水炉への援助は、ある一定のとこまで行って、また落ちているんですよ。その電力の援助もね」

【画面】:「谷口氏 008」のラベルのカセット・テープ

【テロップ】:通産省 谷口富裕

[通産省 谷口富裕]:「今のそのプルトニウムの技術を中心にしたですね、核燃料サイクルの確率っていうあたりも、それについての国際的なアクセプタンスをどう得ていくかという、こんな経済的に引き合わなくて、政治的には、最近(国際社会の各国の)みんなが日本に警戒心を高めている中で[◆註:40]、うまくいくわけがないんじゃないか、という心配をですね、非常にしているというのが、率直なところです」

[◆註:40]核分裂を起こさないウラン238は、炉心内では中性子を吸収し、プルトニウム239の超ウラン元素に変換する。このプルトニウム239はウラン235同様、核分裂をするので、これを核燃料として利用するのが増殖炉である。通常のウラン235に純度7%~13%のプルトニウム239を混合したのが、いわゆるMOX燃料。

しかし、核兵器の核弾頭用としては90%以上の高純度プルトニウムが必要。1994年5月に「日本の動力炉・核燃料開発公団(動燃)東海工場で5年半で約70キロのプルトニウム大量残留があったことを IAEA に注意された。更に、日本の「もんじゅ」にも、停
止するまでの1年半の間に濃縮度96%以上のプルトニウム239がおよそ60kg程、ブランケット部に貯まっていると言われる。現在の核爆弾技術では小型核弾頭一発に、96%以上の高純度のプルトニウム7キログラム~9キログラムがあれば製造可能。我が国は核弾頭に装備できる96%以上の高純度プルトニウムを7~8発分を保有している。これが米国でさえ、我が国に警戒の目を光らせる理由である。

我が国政府は、プルトニウム240などの不純物を混ぜることで軍事転用への懸念を回避したかどうかさえ、未だに国内外に明らかにしてきていない。ちなみに、プルトニウムは核兵器の原料となる危険があり、米国のカーター政権が高速増殖炉から撤退することを決めたのも、日本が典型的であるように、プルトニウムの拡散防止が理由の一つであった。

【テロップ】:核燃料サイクル

【解説】:核燃料サイクルとは、原発から出る使用済み核燃料を循環させるシステムです。再処理をしてプルトニウムを抽出します。それを高速増殖炉などで、再び燃料として使用するというものです。国がこの核燃料システムの完成を急いだのには、国際情勢の変化があったといいます。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1989年10月12日

【テロップ】:外務省 遠藤哲也

[外務省 遠藤哲也]:「そもそもの始まりというのは、インドの、1974年の、確か5月だったかと思いますけど[◆註:41]、インドが核実験をやったと・・・」

[◆註:41]インドの核実験は、1974年5月18日に初めて行われた。この核実験はそのコードネームから微笑むブッダ (Smiling Buddha) とも呼ばれて
いる。

[外務省 遠藤哲也]:「核の平和利用だというけれども、いづれにしても核爆発をやったということで、アメリカが、これはうっかりしたら、核が世界に拡散していって、大変に国際政治上の不安定要素を引き起こすと[◆註:42]。NNPAという、例の1978年の核不拡散法をアメリカで作ってですね、これはまぁ、勝手極まりない法案ですけれど、国内法を作ってですね、『お前も(この法案を)飲め』と、各国に要求した(わけなんですよね)。アメリカは力が強いですから、あんなふうに言えるんでしょうけれど、押しつけてきたと・・・」

[◆註:42]外務省の遠藤哲也官僚は、インドの核兵器開発には厳しく言及しながら、イスラエルの核兵器保有に関しては全く触れていない。意図的な政治性を感じる。

デビッド・ベングリオン初代首相は、首相就任早々、核兵器開発に乗リ出していた。その時、国防省文民シモン・ペレス氏(後に首相)を秘密核開発プロジェクトの事務局長役に、有機科学エルンスト・バーグマン教授を技術責任者に任せた。ペレス氏は、フランスと秘密の核技術協定を締結し、イスラエル南部のネゲブ砂漠にある、ディモナにフランスの協カで「ネゲブ核研究センター」を建設した。こうした経緯は、米民間調査機関、国家安全保障公文書館の上級研究員アブナー・コーエン氏らの研究で既に明らかにされている。

米中央情報局(CIA)は1960年にも、同センターでの核開発を察知した。ベングリオン首相は米側の指摘に対し「平和目的」の核開発と回答した。
ケネディ大統領は核拡散防止に積極的で、イスラエル側に現地査察を要求。米政府専門家は1961年~1969年の期間中、年に一回程度の割合で、現地訪問したが、重要部分は視察できなかった。

後を継いだジョンソン米政権は、現地視察を認めさせる代わりに、武器を供与する妥協策をとり、M48戦車やF4戦闘機などをイスラエルに供与した。
この間、イスラエルは核兵器開発を既成事実化することに成功した。
1969年9月26日、ホワイトハウスでのニクソン大統領とゴルダ一メイア・イスラエル首相の会談で、「イスラエルの核兵器保有に関してはあいまい戦略で通す」ことで同意。この首脳会談の議事録も、首脳会談に先立つ国家安全保障検討メモ(NSSM)40号も極秘で未公開。両首脳は《1》米国はイスラエルの核保有の翼を受け入れる《2》イスラエルは核実験や核保有宣言といった明白な行動をとらない・・ことに同意した。実際、イスラエル政府は、現在に至るまで、核兵器の保有を肯定も否定もしない政策を堅持している。

イスラエルが、もしも、核兵器を保持していないのなら、モルデハイ・バヌヌ氏を国家反逆罪で、1986年以来18年間も禁固刑にしたり、釈放後も、依然、バヌヌ氏の発言を警戒し、1年間の海外渡航禁止など、外部との接触を制限する、人権蹂躙の非人道的な措置をバヌヌ氏に対して取り続けるのか!!
外務省官僚の遠藤哲也氏が、バヌヌ事件を知らない筈はなかろう。イスラエルの核兵器保持、バヌヌ事件をほとんど報道せず、黙殺し続けてきているNHKの報道姿勢は、アメリカやイスラエル一辺倒の、世論誘導報道と言わねばならない。

[元 通産省 島村武久]:「まだ再処理工場は(?)にも入っていないのだから、何ですけれども、あれ(再処理工場)がね、本当に皆が願うように完全に動きだしたらね、(プルトニウムが)とても余ってしょうがない・・日本の(プルトニウムがです)ね。見通しから言うと・・・。そうすると、ランニングストップやる。何か、日本が必要とする物をアメリカが認めるだろうけど・・。当面、使用の見込みのないプルトニウムのほとんどを、再処理工場で製造すること(に)はね、アメリカが黙って許せるだろうか?私が危惧するには・・・だいぶ昔から『アメリカに反対する根拠はない』、とかなんとか、(日本の政治財界のある人たちは)言っているけれどね・・。

実質的には、それこそ、(外務省の)遠藤(哲也)さんが、さっき言われたようにね、アメリカは行政府じゃなくって議会(が政策決定に大きな影響を持っている国)ですから・・。すると(アメリカ)議会がまた騒ぎ出して、『日本国民はプルトニウムを貯めてるじゃないか』となってくると・・いやぁ・・(そんなことにでももしなると)問題だし・・。仮に(再処理工場が)技術的に旨く(再処理工場が)動い(たとし)てもですよ、動かせないと運搬ができないと・・そのようなことにでもなると、その損失というのが相当な問題になるというふうに思うんですよ」

【テロップ】:インドの核実験 (1974年5月)

【解説】:1974年、インドが核実験に成功します。核爆弾の材料となるプルトニウムは、平和利用の為の原子炉で抽出されていました。[◆註:43]

[◆註:43]「原子力の平和利用」と「軍事利用」の区別は不可能である。両者は「一枚のコインの裏と表の密接不可分の関係」にある。

【テロップ】:アメリカ大統領 ジミー・カーター

【解説】:アメリカ、カーター政権は、核不拡散の為に、ウラン燃料を厳しく管理する政策に転じます。

【テロップ】:日米原子力協定交渉[◆註:44]

[◆註:44]インドの核実験を背景とした「日米原子力協定改訂」の動きは、1977年の「東海再処理交渉」に始まり、その翌年の1978年から本格的に動き始め、紆余曲折を経て、チェルノブイリ事故の2年後の1988年に、ようやく妥結している。

ちなみに、最初の日米原子力協定は、米国から研究用原子炉と濃縮ウラン供給を受けるための「研究協定」が1955年に締結。3年後の1958年には低濃縮ウラン供給を受けるための、いわゆる「一般協定」が締結。1968年にも商業用原子炉も対象とする「包括的協定」(1973年に一部改訂 )も締結されてい
る。
日米原子力協定(1988年)の成立経緯と今後の問題点、遠藤哲也著(H22年11月)
http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/64668029.html

【解説】:日本は、アメリカから使用済み核燃料の使用法を注視されるようになりました。日本はプルトニウムを軍事利用しないことを示す為、一刻も早く、プルトニウムを燃やす新型炉を完成させる必要がありました。
(原子力関連メーカの研究投資の)予算の(1984年を境に、原子炉関係から核燃料関係へと大きく)重点配分(が転換した)の背景には、こうした事情がありました。

【テロップ】:チェルノブイリ原発事故 1986年4月26日

【解説】:1986年4月、ソビエトのチェルノブイリ原発で事故発生。自己評価レベル7。これまで人類が経験したうちうで最悪の原発事故となりました。ヨーロッパ一円に広がった放射能汚染の実態は、未だ全容が明らかになっていません[◆註:45]。

[◆註:45] チェルノブイリ原発事故では京都大学原子炉実験所助教今中哲二氏の精力的な調査研究がある
「チェルノブイリによる放射能災害 国際共同研究報告書」
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/J-Version.html
「放射能汚染調査から見た福島とチェルノブイリ」
http://www.youtube.com/watch?v=9U1FKpWiVmg
参照

【解説】:島村研究会でも当然、この歴史的大惨事は取り上げられていました。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1991年夏

【テロップ】通産省 谷口富裕

[通産省 谷口富裕]:「この間、ヨーロッパの人たちと議論していてですね・・うーん・・・・フランスの政府の人と、あとOECDの人がいましたけれど、チェルノブイリは非常に良かったと言うんですよね。チェルノブイリ(事故)がなぜよかったかというと、まずそのチェルノブイリ事故が起こったことで、もちろん、さっきのそのソ連の体制がおかしくなっただけじゃなくて、ソ連でもがむしゃらに原子力をやらなくなったと・・。で、東欧圏も原子力をやめになったと・・・。それから発展途上国でもですね、原子力をやることに非常に慎重になったと。結果として日本が一番得するんじゃないかと。要するに、石油危機の時にも同じようなことを言われたんですよね。石油が、その・・・足らなくなって、脆弱で一番困るのは日本じゃないかという俗説に対してね、石油をもっとも効率的に使う技術なり、産業ポテンシャル(潜在力)が一番高いのは日本だから・・・(だから)日本が一番得するだろうと・・・。

[通産省 谷口富裕]:「で、今度のチェルノブイリ(事故)なんかでもですね、そういう意味で原子力技術はなかなか難しくて大変で、かつその、それぞれ各国で目いっぱい社会情勢をふまえてやっている中で、ブレーキがかかった時に、一番改善の能力と持ちこたえる能力今あるのは、日本じゃないかと(私は思うんですけど)」

【テロップ】:東京電力 柏崎刈羽原子力発電所

【解説】:東京電力が新潟柏崎、刈羽に最新式の世界最大の原子力基地を完成させたのはチェルノブイリ事故の後でした。[◆註:46]

[◆註:46]東京電力柏崎刈羽原子力発電所の着工は1978年12月。最大出力が6号機及び7号機の出力135.6万キロワット。運転開始が1984年11月。新潟県柏崎市と同県刈羽郡刈羽村に跨る二つの行政境界線上の土地に敢えて原発を設置したのは、原発交付金の札束をちらつかせることで、両自治体住民の間での互いの欲望の競争心を煽る目的からでもある。

【テロップ】:伊方原発訴訟最高裁判決 1992年10月29日

【解説】:1992年10月29日。一審以来19年間争われた伊方原発訴訟が結末を迎えました。

【画面】:最高裁裁判所正面および最高裁判事以下5名が並ぶ最高裁第一小法廷の光景

【解説】:上告棄却。原告住民の敗訴が確定します。原子炉設置許可は各専門分野の学識経験者などを擁する原子力委員会の科学的専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的判断にゆだねる趣旨と解するのが相当である。周辺住民が原子炉設置を告知されたり意見を述べる機会がなかったことは法による適正手続きを定めた憲法違反とはいえない
「最高裁判所判決 理由」より

【テロップ】:原告側弁護団長 藤田一良
[原告側弁護団長 藤田一良]:「とにかく最悪の判決だ、というふうに思いました。最高裁がこういうふうに不誠実な判決を出す、司法としてあるまじき判決を出す、ということであれば、原発に関してどのような大災害が起こり、そして、国民の(不詳?)にそれが降りかかるという事態に対しては、最高裁も共同して責任をとらなければならないと、そういうふうに考えました」[◆註:47]

[◆註:47]この伊方原発1号炉差し止め訴訟の最高裁判決(第一小法廷)で不当判決を下した判事5名は、裁判長小野幹雄、陪席裁判官大堀誠一、同橋元四郎平、同味村治、同三好達の5名。なお、判決は全員一致、意見なし、反対意見なしの最高裁判事5名全員の「政府御用学者原発村民の主張丸投げ丸任せ」判決であった!

この5名の最高裁判事の中の一人味村治(みむら・おさむ。2003年7月死去)判事は、福島第二原発差し止め訴訟でも上告棄却の判決を下した後、70歳で最高裁判事を定年退官。退官後は弁護士となり「勲一等旭日大授章」の最高位の勲章を受け取った後、98年からの2年間、福島第二原発差し止め訴訟を上告棄却判決した「功績」を東芝から評価された代償であろうか、東芝の社外監査役に天下っていた!

【解説】:これ以降、原発立地を巡る裁判で、原告勝訴が確定した裁判は、未だ一件もありません。安全審査の妥当性を司法審査でチェックする道が絶たれる中、原発の安全神話が広く定着することになったのです。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1991年夏

【テロップ】通産省 谷口富裕

[通産省 谷口富裕]:「日本の電力会社っていうのは、諸外国、先進国の電力会社に比べると相当特殊な感じがありまして・・。何が一番特殊かというとですね、その・・・日本の電力会社っていうのは、際だって立派っていうか・・・その・・・諸外国の電力会社に比べると、強力な組織なわけですね。それは、地方へ行ったらもっとさらにですね・・地方の電力会社っていうのは、地域の本当の、文字通りのリーダーっていうか、殿様というか・・・そういう感じがあって、地域の開発の隅々まで、電力会社に依存しているような図式がありましてね・・」

【解説】:そしてあの日を迎えます。

【画面】:3・11福島第一原発事故発生直後の現場の上空撮影の映像

【テロップ】:撮影:陸上自衛隊

【解説】:問題点を指摘されていた福島第一原子炉のマークI型。

【テロップ】:映像提供:東京電力

【解説】:耐用年数とされた30年を越え、40年も越え、更に10年の使用延長許可を得た矢先でした。建屋の損壊、放射能の放出という、最悪の形で廃炉が決まりました。

【テロップ】:東京 新橋

【テロップ】:原子力政策研究会 2011年7月

【解説】:日本の原子力の歩みを記録に残してきた島村原子力政策研究会。今も島村武久氏の後輩の世代によって、会合は続けられています。

【テロップ】:元 日本原子力発電副社長 浜崎一成さん

[元 日本原子力発電副社長 浜崎一成]:「起こる筈のない事故が起きたと・・まさにこれは・・・え~・・・こんな事故は起こる筈がないし、まぁ、起こしてはならない事故であるというふうな認識姿勢であったのが、実際には事故が起きてしまったと・・・」

【テロップ】:元原子力安全委員会委員長 松浦祥次郎さん

[元原子力安全委員会委員長 松浦祥次郎]:「この『起こる筈の無い事故が起こった』と言う表現は、読み様によっては、非常に奇妙な表現でもあるわけなんですよね。もう少し言い方を変えれば『起こる筈は無いと思っていた事故が起こった』と言うのなら
皆さんそうだなぁ・・・って思いますけれども・・」

【テロップ】:元日本原子力研究開発機構理事長 殿塚猷一さん

[元日本原子力研究開発機構理事長 殿塚猷一]:「起こる筈がないよねぇ・・と我々が思っていたという、その一つの思いこみというのが・・・あ~~・・・かなり原子力ムラしか通用しないというふうに言われた、独占性の気持ちというものを表現しているような意味にも取れるんだよねぇ・・」

【テロップ】:元外務相科学技術審議官 遠藤哲也さん

[元外務相科学技術審議官 遠藤哲也]:「日本の国はもう信用されてないと思うんですよ。いくら日本の国が言ったってダメだと思いますよ」

[元 日本原子力発電副社長 浜崎一成]:「そりゃぁねぇ・・・遠藤さん、政治の指導力によるんじゃぁないですか?・・・そういう・・」

[元外務相科学技術審議官 遠藤哲也]:「いやぁ私は、誰が来たってですね、ろくな政治家なんて来っこないですよ・・・」

[元 日本原子力発電副社長 浜崎一成]:「いやぁ・・・だから、遠藤さん・・・いずれにしてもねぇ・・国民の理解と地元の合意が無ければ、原子力っていうのは、やっぱりもう継続して出来ないわけでしょう・・?」

【解説】:メンバー全員、事故後も変わらないもの。それは日本には、原子力は必要だという信念です。

【テロップ】:元中部電力副社長 伊藤隆彦さん

[元中部電力副社長 伊藤隆]:「じゃあ、そこで簡単に原子力をやめてしまっていいのか。どうなのか?いやリスクがゼロでなければ止めてしまっていいのか・・?やはり、原子力というものを離れて、日本全体を考えた時には、じゃぁ日本の将来はどうなるんですか?エネルギー無しに日本はやっていけないわけなんで・・」

[元原子力安全委員会委員長 松浦祥次郎]:「だからエネルギーの究極は原子力っていうか、核反応、あるいはその核の崩壊によるものだと・・。だから、それをどのように安定して、安全に使うかっていうのは、まさにもう人間の知恵次第ではないかと思うんで・・」

【テロップ】:元原子力安全委員会委員長 松浦祥次郎さん

[元原子力安全委員会委員長 松浦祥次郎]:「一口で言えば、日本は石炭も石油も無いわけですから、エネルギーとして頼るのは原子力しかないわけですから、だから非常に危険なものであっても、これを何とか飼い慣らして・・・ええ~~・・・その・・・ちゃんとしたものに仕上げなくちゃいけないっていう、そういう発想へ、ずっと今まできていると思いますね」

【解説】:ある時は立地を進めるため、ある時は稼働率を上げるため、安全という言葉はいつも口にされてきました。しかし、それが誰の為の安全であったのか、今初めて、厳しく問い直されています。
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NHKETVシリーズ 原発事故への道程(後編)そして”安全神話”は生まれた
[2011年10月23日放映]
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資料提供
立教大学共生社会研究センター
埼玉大学共生社会教育研究センター
内閣府原子力委員会
原子力公開資料センター
原子力資料情報室
京都大学原子炉実験所
共同通信社
毎日新聞社
朝日新聞社
読売新聞社
愛媛新聞社
社団法人日本原子力産業協会
伊方町
日本地質学会
NRC
NBC
News Archives Asles
クルチャトフ原子力研究所
東京大学工学・情報理工学図書館
財団法人放送番組センター
独立行政法人理化学研究所
日野 増雄
今中 哲二
熊野 勝之

取材協力
今中 哲二
熊野 勝之
田中 俊一
日野 増雄
斉間 淳子

語り
広瀬 修子

声の出演
81プロデュース

撮影 井上 衛
照明 木村 文義
音声 鈴木 彰浩/会田雄次
映像技術 杉澤賢太郎
CG制作 福田亮介
音響効果 細見浩三
リサーチャー 和田京子
取材 伊藤夏子
編集 田村 愛
ディレクター 森下光泰/松丸慶太
制作統括 増田秀樹

(以上、《後編》(その2)終了、完)

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**転送転載歓迎**
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真の文明は
山を荒らさず
海を荒らさず
村を荒らさず
人を殺さざるべし (田中正造)

社会が激動している今この時
歴史に残る最大の悲劇は
「悪しき人々」の過激な言葉や暴力ではなく「善良な人々」の沈黙と無関心である
我々の世代が後世に恥ずべきは
「暗闇の子」の言動ではなく
「光の子」が抱く恐怖と無関心である (M.L.キング牧師)

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《パレスチナに平和を京都の会》
“Peace for Palestine” in Kyoto Movement(PPKM)
代表:諸留(モロトメ)能興(ヨシオキ)
〒611-0002 京都府宇治市木幡赤塚63-19
[TEL=FAX]:0774-32-1660
E-Mail:yoshioki-afym@zeus.eonet.ne.jp
*******************

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パレスチナ連帯・札幌 代表 松元保昭
〒004-0841  札幌市清田区清田1-3-3-19
TEL/FAX : 011-882-0705
E-Mail : y_matsu29@ybb.ne.jp
振込み口座:郵便振替 02700-8-75538
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「原発事故への道程」後編 (1/2) by limitlesslife
November 28, 2011, 2:01 pm
Filed under: 原発, 権力 | Tags:

[uniting-peace][18348] NHKETV特集「原発事故への道程」後編―記録と評註(その1)

みなさまへ    (BCCにて)松元さきにお送りした諸留さんのNHKETVシリーズ「原発事故への道程」の文字起こし記録と評注の、《後編》を2回にわたってお届けします。

諸留さんは記録を重視し、[◆註]の形で「最低限度」の補足や説明をしていますが、のちほど番組の内容とNHK報道についての全般的な論評を発表する予定です。

======以下、後編(その1)転載======
NHKETVシリーズ 原発事故への道程(後編)「そして”安全神話”は生まれた」[2011年10月23日放映]の「文字起し」です。

NHKの報道や解説が、明らかな間違いと思われる箇所には、[◆註]の形で、私(諸留)が最低限度の補足や説明を付しました。
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NHKETV特集 シリーズ 原発事故への道程(後篇)「そして”安全神話”は生まれた」[2011年10月23日放映]
見逃した方は、以下のURLなどご利用下さい。
http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/807.html
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【テロップ】:2011年3月11日

【解説】:東日本大震災。高さ13メートルの津波に飲み込まれた福島第一原子力発電所は、メルトダウンを引き起こしました。

【テロップ】:撮影 東京電力

【映像】:福島第一原発事故の地上から撮影した光景

【テロップ】:撮影 陸上自衛隊

【映像】:福島第一原発事故の上空から撮影した光景

【解説】:1号機から4号機で爆発が起き、原子炉建屋が損壊、夥しい放射能を人々の上に撒き散らしました。

【テロップ】:映像提供 東京電力

【映像】:崩壊した原子炉建屋に放水する光景

【テロップ】:マークI型原子炉

【映像】:建設中のマークI型原子炉の光景

【解説】:原発は安全。それははかない神話に過ぎませんでした。実は事故を起こした原子炉マークIは30年以上前から問題点は指摘されていました。

【テロップ】:元アメリカ国立研究所の科学者

[元アメリカ国立研究所の科学者]:「1980年代『マークIを廃止すべきか』真剣に検討しました。特に地震の危険性が高い場所では真剣に考えるべきです」

【解説】:その後、根本的な改良が施されないまま耐用年数が30年を超えて運転され続けていました。何故安全は確保できなかったのか?日本の原子力政策の中枢を担った人々が、非公開で行っていた録音テープが残されていました。

【テロップ】:島村原子力政策研究会

【テロップ】:元通商産業省官僚

【画面】:「谷口氏 008」の文字ラベルが貼られたカセットテープ画像

[元通商産業省官僚]:「日本は発電所をいかに、その・・クリーンにね、指示書通りに動かすというのは得意ですけれども、発電所の異常状態に対する対応とかね、もっとその大幅な改良改善って言う時には、どこまで日本独自なものがあるかっていうと、これは非常に厳しい問題で・・」

【画面】:元通商産業省官僚 島村武久氏の当時の顔写真

[もう一人別の元通商産業省官僚]:「電力会社はねぇ・・なーんにもできないのかと。検査も、受け入れも・・疑問があるんです。物を買ってね、悪かったから取り替えろ!っていうのは当たり前かもしれないけれど、自分で買ったものを動かしておいて、そしてそれが、自分も気が付かない」

【テロップ】:島村原子力政策研究会

【テロップ】:元東京電力副社長

[元東京電力副社長]:「だから、原子力発電所の場合は、資本費が相当高いんでね。建設費を下げるってことが一番重要なんですよね。だから大いにコストダウン。安全性と信頼性以外に、コストダウンを大いに図ってもらわないとね」

【画面】:「安全第一」「原子力発電所建設工事」

「四国電力」「株式会社奥村組」の原発建設工事現場の立て看板の画像

【解説】:日本の原子力発電の弱点を知りながら、変革をなし得なかった関係者。彼らのスタンスを決定づける一つの法廷闘争がありました。

【テロップ】:伊方原発訴訟

【解説】:今から38年前に始まった愛媛県伊方原発の設置を巡る裁判です。裁判は原告住民側と、被告国側の双方に、証人として科学者が立ち、安全とは何かを巡り、大論争を繰り広げました。

【画面】:「伊方原発行政訴訟 S50.10.23 第9回口頭弁論 証人報告(藤本陽一 その1)」の手書き表題のある分厚いA4ファイル書類1冊の画像

【テロップ】:原告側証人

【解説】:(原告側証人発言を解説者が代読)「起こりうる最悪の事故として炉心の溶融・メルトダウンを考えるべきではないか」

【解説】:(国側証人発言を解説者が代読)「起こる確率が百万分の一よりも小さい事故は想定する必要はない」[◆註:01]

[◆註:01]「確率が低いから」というだけで問題無しとして良いのか?低い確率でも、万一事故になれば大惨事になるから無視すべきでない」との立場を選ぶのか?この問題は科学的判断だけでは決定出来ない問題。米国人核物理学者で原発推進論者であったワインバーグでさえも1970年代(今から40年以上も前)に「科学の領域」だけでは処理出来ない「価値の領域」もあることを明確に認識し、指摘していた。

【解説】:原発を巡る日本初の科学裁判。そこには福島の事故で浮き彫りになる問題が、出揃っていました。福島原発事故に至るまでの歴史的経緯を探る2回シリーズ。後篇の今日は、原発の大量建設の始まった1970年代から、現在までを探ります。

【テロップ】:シリーズ 原発事故への道程(後編)そして”安全神話”は生まれた

【テロップ】:日本万国博覧会 開幕 1970年3月14日

【解説】:1970年に開催された日本万国博覧会。技術の進歩がもたらす未来の姿を、一目見ようと6400万人が訪れました。

【テロップ】:”原子の灯”

【解説】:万博の呼び物の一つが原子の灯です。会場には原子力発電所で発電された電気が届けられました。

【テロップ】:日本原子力発電 敦賀発電所

【解説】:万博の会場に電気を送った敦賀原発です。

【テロップ】:語り 広瀬修子

【解説】:万博と同じ日に、東海原発に次ぐ日本で2基目の商業用原発として、運転を開始しました。敦賀原発はアメリカから最先端の原子炉を輸入して造られました。敦賀原発の運転を軌道に乗せる責任者だった、浜崎一成さんです

【テロップ】:当時 日本原子力発電 社員 浜崎一成さん

【解説】:華やかさよりも、むしろ苦難の思い出が多いと言います。

[当時 日本原子力発電 社員 浜崎一成]:「原子炉をね、軽水炉をアメリカから入れる(輸入する)時は、いわゆる「プルーブン・テクノロジー(proven  possibility)」と
言われる、まぁ、表題があったわけなんですね。この「プルーブン・テクノロジー」って言うのはですね、すべてもう実証済みの技術だよ・・っていう事でね。それで、我々も、もうその積もりでいたら、実際には、なかなかそうはいかなかったんですね。これは困ったなぁ・・と、(例えば)さっきも説明した廃棄物の処理の問題とかですね、それは要するに、処理能力がもう足りないわけなんですよね。それから、設備の中でも、配管の応力・腐食割れの可能性とか、それから燃料の性能が落ちる、要するに鉄錆等の・・・そういうものを減らす為に・・って言うんで、もの凄く努力しましてね」

【テロップ】:日本原子力研究開発機構(茨城 東海村)

【解説】:当時はまだ、原発の安全性について注目する人はほとんどいませんでした。そんな中、原発の安全性について研究を始めた人がいます。

【テロップ】:当時 日本原子力研究所 職員 佐藤一男さん

【解説】:佐藤一男さん。後に原子力安全委員会の委員長を務めた研究者です。

[当時 日本原子力研究所 職員 佐藤一男さん]:「それはまぁねぇ・・・例えて言えば(の話)だが、日本でも、いや、世界でもそうなんだけど、自動車がね、初めて世の中で動き始めた頃に、交通安全なんてことを言う人がいましたか?」

[当時 日本原子力研究所 職員 佐藤一男さん]:「安全っていうのは、それ自身がね、その組織やら装置の目標じゃないんです。たとえば発電所っていうのは電気を起こすのが目的なんですよね。それで、安全って言うのは、その施設の一番レベルの高い、最高に重要な属性なんですよね。それが安全っていうものなんですよね」

【テロップ】:関西電力 美浜発電所

【解説】:1970年。関西電力の美浜原発が運転を開始します。民間の電力会社が単独で運転する初の原発でした。

【テロップ】:東京電力 福島第一原子力発電所

【解説】:翌年には、東京電力が福島第一原発の運転を開始します。どちらもアメリカのメーカーからプラント全体を完成品として購入する、ターン・キー契約で造られました。

【テロップ】:ターン・キー契約

【画面】:「日本 ハイペースで伸びる原子力発電」の新聞のタイトル記事

【解説】:外国から輸入すれば素早く原発が造れる。今後20年間で117基の原発が稼働するようなる、という予測さえなされました。

【テロップ】:東京 新橋

【解説】:この時代の日本の原子力の歩みについて、原子力政策の中枢を担った人々が、非公開の会合で振り返っていたことが解りました。

【テロップ】:元通商産業省官僚 島村武久

【解説】:原子力政策研究会。主催者は元通商産業省官僚島村武久です。

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1991年夏

【解説】:会合では、ようやく独り立ちした原子力行界の心許なさについて、話し合われています。

【テロップ】:元通商産業省官僚 島村武久

[元通商産業省官僚 島村武久]:「大きな方向というものがない。どこにも。電力会社は将来をどういう風に思っておるのか、その辺もはっきりしないし、メーカーさんも言われれば造るというだけでね・・なんとか良い物を造るということには間違いはないんだけれども。こういうふうにして、こういう方向に進むべきだ、というふうな意見が、日本のメーカーからは出てこないんですね。政府もまた、原子力委員会が基本計画を立てるということになっているけれども、従来決まっておるもののやつの中にですね、その後の情勢の変化を、少し加味するぐらいの程度でしてね。抜本的な事を考える事態にないでしょう。そう言う状況じゃないですかな」

[日本原子力研究所研究員]:「昭和35年ころまでに米国で言ってくるんだけど、それまでにそんな大したことやっているとは思えないんですよね。それで、出来た技術で、そのままになっている部分が結構あって、最初設計して、これでうまくいってるからということで、基本が解明されていない部分が、まだ残っているじゃないですかね。それが全部かどうかは解りませんけれど。そういうものを全部、もう一回見直して、そこの中から研究テーマを探すような事をしないと・・。『原子力には研究テーマはないんだ』と言う話も、ちらちら聞こえてくるんで。なんかそこいらが・・・。ただ問題は、そういうことを言い出すと、『今更そんなことが解っていなくって何をしているんだ』と、叱られるのが非常に怖いから、誰もよう言い出せないというのが、残っているんじゃないですかね?」

【解説】:しかし、当時の日本では原子力発電への期待が膨らむ一方でした。高度経済成長のただ中にあった日本。経済大国に向かって躍進し、電力需要は毎年10%の勢いで、伸び続けていました。一方、この時代は、都市と農村の経済格差が広がり、過疎に悩む地方が生まれていました[◆註:02]。そこへ、一人の政治家が登場します。

[◆註:02]1950年代後半から日本経済の高速成長により農工間の所得格差と過疎過密が進行した。「日本農業の曲がり角」と称され、農業政策が見直され、農業基本法に基づく農業構造改善計画が始動したこの時期が、原発の過疎地への建設の開始した時期とピッタリ重なっているのは偶然ではない。我が国の工業と農業が裏と表の関係で連動し、工業産業や大規模専業農家育成を優先させ、零細小規模農家の切り捨てを進めた農業政策の失敗が、全国僻地での原発進出の「誘い水」となった。

【テロップ】:日本列島改造論を訴える 田中角栄(元)首相

[田中角栄 元首相]:「まだまだ日本には土地が沢山ありますよ!周りに少しは緑のある所を、足りない所はどうするんですか?そこで日本列島改造というのが出てくるんですよ」

【解説】:田中角栄総理大臣。田中は原発の地方への立地を、国策として進めました。1974年6月、原発立地を押し押し進める3つの法律が制定されます。

【テロップ】:電源三法「電源開発促進税法」「電源開発促進対策特別会計法」「発電用施設周辺地域整備法」

【解説】:電源三法は原発を受け入れる自治体に補助金を交付することで立地を促進するものでした。

【解説】:成長に取り残された地方に原発を作り、経済格差を縮小させる。同時に電力の安定供給を確保しようとしたのです。[◆註:03]

[◆註:03]「電力(エネルギー)の確保」が即「原発の確保」という結論には直結しない。論理の飛躍が見られる。

[田中角栄 元首相]:「列島改造論というのは、田中角栄の著書でございます。しかし、今国会で御審議頂いておるものは、方向は同じでございますが、国土総合開発法の改正案でございます。

【テロップ】:原子炉立地審査指針

【画面】:第16回原子力委員会定例会議 昭和39年5月27日 於委員会会議室
議題
I 審査事項
1.原子炉立地審査指針について
2.再処理施設安全審査専門部会の設置について
3.昭和40年度原子力予算の処理について
II報告事項
・・・・・
と手書き綴じ込みの書類の第一頁の映像

【画面】:上記画面の書類の2頁目の拡大映像(2頁右上段に「第16回委員会 資料1号」の青色ゴム印付)
原子炉立地審査指針およびその適用に関する判断のめやすについて
昭和39年5月27日
原子力委員会

委員会は、昭和33年4月原子炉安全基準専門部会を設け、原子炉施設の安全性について科学技術的基準の制定をはかってきたところ、昭和38年11月2日同部会から、陸上に定置する原子炉に対する立地基準の前段階としての原子炉立地審査指針に関する報告書の提出を受けた。
本委員会は、同報告書を検討の上、別紙の通り原子炉立地審査指針を定めるとともに、当該指針を適用する際に必要な放射線量等に関する暫定的な判断のめやすを別紙2のとおり定める。

【画面】:次の3条件が満たされて・・・
2.1.原子炉の範囲は、原子炉からある距離の範囲
非居住区域であること。
2.2.原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側地帯は、低人口地帯であること。
ここにいう「ある距離の範囲」としては、仮想事故の場合、何らの措置も講じなければ、その範囲内にいる公衆に著しい放射線災害を与えるかもしれないと判断される範囲をとるものとし、「低人口地帯」とは、著しい放射線被害を与えないために、適切な措置を講じうる環境・・・の地帯(例えば人口密度の低い地帯)をいうものである。

【解説】:これはどのような場所に原発を建設して良いのか。条件を国が定めた原子炉立地審査指針です。人が住んでいない非居住区域であること。その外側も人口の少ない地域であること。指針に従えば原発立地に適合するのは、都市部ではなく、過疎地になります。[◆註:04]

[◆註:04]指針には、原発立地は「過疎地」と定められている。指針の思想は、人口密集地域住民のいのちより、過疎地住民のいのちを軽視する明らかに「少数弱者切り捨ての発想」。
石川県能登半島先端の珠洲の高屋町に原発立地調査にやって来た関電作業員が、「どうして関西の電力会社が、能登半島のこんな先端まで来て、発電所を作らねばならないのか?」と尋ねた地元の老婆に、「おばあちゃん、人の多い大阪に原発を作って、もしものことがあったら大変なことになるの解るやろ」と答えたという!「珠洲に住んでいる人間をモノのように扱って、それでも人間か!」と烈火のごとく怒った老婆の前で、何に怒っているのか見当もつかず、ただキョトンとしている関西からやって来た企業の若い作業員の姿があった。人間を人間として見ようとせず、モノ扱いにし、原発予定地買収の関西電力社員は「私らは”人の心”を買うんだ」とNHKテレビカメラの前で堂々と語った。
(『いのちを奪う原発』真宗ブックレットNo.9 東本願寺出版部2002年 8頁参照)

【テロップ】:当時 日本原子力発電所社員 板倉哲郎さん

【解説】:指針作りに関わった放射線安全管理の専門家、日本原子力発電所社員 板倉哲郎さんです。

[日本原子力発電所社員 板倉哲郎]:「よく地方の方はね、『田舎の人間よりも都会の人間を大事にして、田舎の人間は放射能を受けていいのか?』・・って(よくそういうことを言いますけど)、そういうような思想じゃないんですね。放射能は受けても、致命的な放射能は受けないようにします。その他に、更にですね、安心していただけるような事後対策が十分できますよ、と言うが為に、人口の多い大都市の真ん中には作らない、というのが一つの思想なんですよね」[◆註:05]

[◆註:05]板倉哲郎氏の言う通り「放射能は受けても致命的な放射能は受けないようにし、その他にも更に、安心できるような事後対策が十分できている」のであるなら、わざわざ過疎地でなくても、人口密集地帯の大都市のド真ん中にでも作れる筈!

【テロップ】:島村原子力政策研究会 1988年3月18日

【解説】:島村原子力政策研究会では、原発の地方立地に湧く、この時代に起きた反対運動について語られています。

【テロップ】:元日本原燃サービス 幹部

[元日本原燃サービス 幹部]:「伊方の(原子力発電所の)帰りに橋を見てね、帰ったんですね。観光コースみたいんだったんですね」。

[他の氏名不詳の出席者]:「観光コースみたいんだったんですねぇ・・」

[元四国電力 幹部]:「えぇ・・・観光コースみたいんだっただね。そんなつまらんことやられたら弱ちゃう。それで橋も見られちゃう。それでね、思い出すのですけれど伊方の発電所に手をつけた時に、一番反対したのは60歳前後から上の人なんですよね。その人たちはね、『非常に生き甲斐だ』って言うのだな、反対するのが」。

[元日本原燃サービス 幹部]:「そうそう、生き甲斐だって言うんだよね」

[元四国電力 幹部]:「こっちは、もうむきになって、一生懸命『大丈夫だ』って言うでしょう。(それでも反対する人たちは)『ダメダメ。そんなんじゃ全然ダメ』とか何とか言ちゃってね。そうすると我々が行って、何か、こう・・やるでしょう。いろいろと陳情したり・・・」

【テロップ】:元通産相 島村武久

[元通産相 島村武久]:「急に放射能を浴びたらかなわん」とか(反対の人たちが言ったりして)・・・」

[発言者不詳]:「いやー・・そういう怖い話というのは、非常に信じると宗教みたいなもので」

[元通産相 島村武久]:「いや・・宗教なんですなぁ・・あれは」[◆註:06]

[◆註:06]宗教を「特定の世界観、価値観だけに限定し信じ、その他の世界観、価値観を認めないもの」と定義することが許されるとするなら、原発は安全だとする価値観を、科学的根拠に基づくとの擬装工作を施して信奉し、それに対する異論・反論を一切認めない原子力ムラこそ「カルト教徒」ではないのか?

[発言者不詳]:「ダメなんですなぁ・・あれは」

[ウラン濃縮機器株式会社 幹部]:「私が聞いた奥さんも『子どもに喰わせるものが心配だ』と言うわけですよ」[◆註:07]

[◆註:07]こうした発言が間違っていることは原子力に関する専門的知識の有無如何に関わらず、いのちを最優先したいと思う常識さえある人なら、誰でもすぐ解る筈。

【テロップ】:愛媛県 伊方町

【解説】:研究会で語られていた愛媛県伊方町。原発立地を巡り激しい反対運動が起きました。半農半漁の町だった伊方町も、他の町と同様、急速な過疎化に直面していました。危機感を抱いた町は原発誘致に乗り出します。雇用の増加や商業の発展など、経済効果を期待してのことでした。

【画面】:伊方町発行の広報 昭和45年5月15日付
広報 伊方町
「みんなの力で原電誘致を成功させよう!」「ボーリング調査始まる」の見出しとボーリング現場の写真

【テロップ】:伊方原発建設計画発表 1970年9月21日

【解説】:1970年。四国電力は、初の原発として、伊方町への建設計画を発表します。

【テロップ】:四国電力社長 大内三郎

[四国電力社長 大内三郎]:「この原子力発電所から放射能が出る、というようなことは絶対に無いということを、確信を持って申し上げる次第である」[◆註:08]

[◆註:08]この四国電力社長大内三郎の「原子力発電所から放射能が出ることは絶対に無い」も間違い。正常安定運転時でさえ、原子力発電所からは大量の放射性物質が環境中に放出され続けている。

【画面】:「原発設置絶対反対」「原発反対三崎町民会議」と書かれた横断幕を掲げた反対漁民の乗る漁船

【解説】:しかし、住民の間から原発に対する不安の声が上ります。

【画面】:「放射能汚染」「危険」「郷土を守れ」「原発設置反対」等と書かれた抗議の模造紙

【解説】:その多くが漁業や農業で生計を立ててきた人々でした。当時、瀬戸内海には次々とコンビナートが建設され、大気や海の汚染が問題となっていました。原発が新たな汚染を産むのではないかと考えられたのです。

【テロップ】:伊方原発訴訟 原告 西村州平さん

【解説】:西村州平さんも、公害問題に取り組む中で、原発問題に注目するようになりました。

[伊方原発訴訟 原告 西村州平]:「あちこちで公害問題のことがいろいろ言われるようになって・水島や長浜にも出来るというようになって、これはいけん・・ということだったけど。(それから更に)数年経って、原発が(この伊方にも)出来るということになって、これは、なおのこと、いけん・・って言うことになって、それで、他の事は何もせんで、原発のことばかりするようなことになってしまったんですね・そういう流れになったんですね」

【テロップ】:町見漁協臨時爽快 1971年10月12日

【解説】:伊方の漁業共同組合の総会です。原発建設に当たり、四国電力は漁協に漁業権放棄を求めました。[◆註:09]

[◆註:09]原発が「完全に安全なもの」「放射能漏れなど絶対に無い」のなら、原発立地周辺海域の漁協の漁業権放棄を求める必要がなぜあるのか!

【解説】:その賛否を巡り混乱が生じます。

【画面】:[漁協組合長らしき人物]:「賛成多数で可決しました」

【テロップ】:愛媛新聞記事「組合規約無視の不法集会」「休憩中の強行採決」「議事進行 理事者側に不手際」「県、漁協は有効通知 反対派訴訟へ」の見出しの愛媛新聞記事

【解説】:原発を推進する漁協幹部たちは強行採決に踏み切ったのです。[◆註:10]

[◆註:10]漁民の生活といのちを守るはずの漁協が、この時なぜ、原発推進の立場を取ったのか?中央、地方自治体、末端の単位組合に至るまで農業協同組合や漁業共同組合は、組合員である末端農民や漁民の生活や生産を守ることより、資金運用団体として金融機関化して久しいことを思い出して欲しい。

【テロップ】:漁業補償協定締結 1971年12月27日

【解説】:決議は認められ、県知事と町長立ち会いのもと、電力会社と漁協の間で、漁業権放棄に伴う補償金交渉がまとまりました。伊方原発の建設が一気に進められていきました。

【テロップ】:松山地方裁判所

【解説】:原発の安全性に対し、不安が拭えない住民たちは行動に出ます。1973年夏、原発立地の許可を出した総理大臣を相手取って裁判に訴えます。

【テロップ】:伊方原発訴訟 提訴 1973年8月27日

【解説】:原告住民が求めたのは原発設置許可の取り消しでした。

[当時の原告団の一人(氏名不詳)]:「四国電力は一企業なんですよ。それにも関わらず、(伊方)町も(愛媛)県も、行政と一体となっているんですよ。そこに住民が、本当にやり場のない苦しみ、やり場の無い悩みがあるんですよね。あんな滅茶苦茶なことが、この日本の民主主義社会で許されるだろうか、というような気持ちなんですね。これに負けますと、単に原発が出来るだけでなしにですね、日本の民主主義、あるいは地方自治までもが無くなってしまう・・私たちはそんな不安を持っております」

【画面】:「伊方原発反対訴訟総決起集会」の字幕が掲げられた原発反対集会の光景

【解説】:原告住民は35人。しかし彼らに原子力の専門的な知識はありません。法廷闘争は困難が予想されました。そこに支援させて欲しいと言う科学者が現れました。京都大学や大阪大学などの若い原子力の研究者たちでした。

【テロップ】:原告側証人(当時京都大学工学部助手)荻野晃也さん

【解説】:当時、京都大学の原子核工学教室で助手をしていた荻野晃也(おぎの・こうや)さんもその一人です。

[当時 京都大学原子核工学教室助手 荻野晃也]:「まぁ、教室が原子核工学教室で、まぁ、原子力推進の学生を教育する機関ですから、まぁ、教育するほうの自分の責任としてでも、原子力発電所というのは、本当に、どうなのか、というのを調べ始めたというのが、まぁ率直な所ですよね」

[NHK記者の質問]:「その・・(原子力発電に対して)異を唱えるということは、そこから飛び出してしまうということを、覚悟するってことですよね・・?」

[当時 京都大学原子核工学教室助手 荻野晃也]:「そりゃ、覚悟しなけりゃ出来ないことですよね・・そりゃやっぱり、ある程度・・・そりゃまぁ、しょうがないですよね。その覚悟をするか、しないか、私もまだ若かったですけれども、やはり大分悩みました。悩んだんだけれども、覚悟したんですよ」

【解説】:被告の立場に立たされた国も、そうそうたる専門家たちを証人に揃えました。

【テロップ】:国側証人 「内田秀夫(うちだ・ひでお)」「村主進(すぐり・すすむ)」「大崎順彦」「三島良績」

【解説】:内田秀夫東京大学教授をはじめ、原子力政策の根幹に携わってきた人々でした。国側の証人の一人、村主進(すぐり・すすむ)さん。伊方原発の設置許可審査にも関わっていました。

【テロップ】:国側の証人の一人(当時 日本原子力研究所職員)村主進さん

[国側の証人の一人(当時 日本原子力研究所職員)村主進]:「事故が起こった時でも、その周辺住民の健康に影響しないようにすること。被曝ゼロとは言ってないですよ。健康に影響しないようにする(っていうことですよ)。事故が起こっても住民に被害を与えないように、立地の妥当性まで評価します、という・・そういうところまでやっているわけなんですよね」[◆註:11]

[◆註:11]ICRPが改組後、一般人に対する基準を新たに設定したことに対し、アルバート・シュバイツァー博士は、「誰が一般人に許容することを許したのか」と怒ったといわれる。(拙(諸留)原稿【ICRPの謀略 その1】「ICRPの放射線基準値には根拠が無い理由!」[2011(H23)年7月30日(土)AM04:40送信 参照]
VOICES [Education Project]Civilization and Ethics :
Albert Schweitzer: Peace or Atomic War?
http://www.voiceseducation.org/category/tag/civilization-and-ethics
“Who permitted it? Who has any right to permit it?”

【解説】:原発は安全か。原子力の専門家たちが国側と住民側とに分かれ争う伊方原発訴訟は、日本で初めての科学裁判と言われました。伊方裁判の原告側弁護団長を務めた藤田一良さん。原子力は全くの専門外でした。

【テロップ】:原告側弁護団長 藤田一良さん。

[原告側弁護団長 藤田一良]:「あの・・・司法の世界というのは、とかくこういう科学的な事とか、工学的な事が絡むと、皆、自分らは弁護士だからということで、そういう世界(科学的分野)のことは、まともにかまってやれることじゃない・・という面があって、あんまりそういう(科学的な)ことに手を出さない(傾向にある)んですよね。で、向こうは、全部(原発)推進ばっかしでしょう。挙国一致みたいな形で起こることは常に危ない、ヤバイところが必ず含まれていると・・そういうことは、僕は、ある種、ものの見方の固定観念みたいなものがありますからね。だから他の人がしない程、僕がせないかん事件やな、という・・そういう思いが強かったですよねぇ」

【テロップ】:森滝市郎

【解説】:裁判の傍聴席には原水爆禁止運動の指導者、森滝市郎がいました。1950年代に原子力の平和利用を容認した森滝市郎も、この頃には、全ての核を否定するという立場に立ち、住民を支援しました。1973年、およそ20年に渡る伊方原発訴訟が始まりました。

【テロップ】:立教大学

【解説】:伊方原発訴訟の法廷での専門家の証言を記録した弁論調書が残されていました。

【画面】:伊方原発行政訴訟
昭和50年10月23日 第9回口頭弁論
証人調書(藤井陽一 その1)
と手書きされたA4の分厚いファイル一冊。

【解説】:資料は320点。

【テロップ】:口頭弁論調書

【解説】:この記録によって、裁判の争点を辿ることができます。

【画面】:伊方原発行政訴訟
昭和50年10月23日 第9回口頭弁論
証人調書(藤井陽一 その1)
と手書きされたA4の分厚いファイル一冊をめくる映像

【解説】:原告がまず問うたのは、原発が安全だとして、国が設置許可を出した根拠は何か?ということでした。原告側の藤田弁護士は、国の安全審査の責任者、内田秀雄教授に、審査の際に想定した事故の規模について質問しています。

【テロップ】:原子炉安全専門審査会会長(東京大学工学部教授) 内田秀雄

【テロップ】:原告側弁護士 藤田一良

[原告側弁護士 藤田一良]:「最大限として、外に出る放射性物質の量は原子炉全体の何%ぐらいだという形で想定をして審査したわけでしょうか?」

【テロップ】:国側証人 内田秀雄

[国側証人 内田秀雄]:「放射性ヨウ素の場合は994キュリーと評価しております」[◆註:12]

[◆註:12]キュリー(Ci)は放射能の古い単位。現在使用されている放射能の国際単位系のベクレル(Bq)に換算すると、1キュリー=厳密に3.7×10の10乗ベクレル。従って内田秀雄氏の言う「放射性ヨウ素で994キュリーは3.6778×10の13乗ベクレル。

[原告側弁護士 藤田一良]:「それは原子炉内にある放射性物質のどのくらいになるわけですか?」

[国側証人 内田秀雄]:「一万分の一ぐらいじゃないかと思います」

[原告側弁護士 藤田一良]:「これは原子炉内の放射能が全部出るように想定するのがいいんじゃないですか?」

【テロップ】:緊急炉心冷却装置(ECCS)[◆註:13]

[◆註:13]Emergency Core Cooling System の略号

【解説】:国側は炉心から冷却水が失われても安全装置ECCSが働くので原子炉の中の放射能が全部出る事態には至らないと主張しました。

[国側証人 内田秀雄]:「燃料体が過熱したり、破損したり、あるいは溶融することが考えられますので、緊急炉心冷却設備によりまして、炉心に水を注入致します。従いまして格納容器スプレーによりまして、水を降らせまして、格納容器の圧力、温度というものが設計条件以下になるようにするわけです」

[国側証人 内田秀雄]:「安全対策の一番大きなものは、工学的安全施設を持っていることであります」

【テロップ】:原告側証人 藤本陽一

【解説】:これに対して原告側は、もし安全装置が働かなった場合は、深刻な事故に発展すると指摘、炉心溶融という現象について説明しました。

【テロップ】:炉心溶融(メルトダウン)

[原告側証人 藤本陽一]:「事故の時にどんなのが最悪の事故になるかというと、圧力容器の中の水が無くなってしまって、空焚きになる。それで原子炉はその熱を外へ運ぶものがなくなる。原子炉はその時止まるわけですけれども、放射能の余熱で炉の温度はどんどん上昇する。そういう状況が一番危険な状況。あり得る状況[◆註:14](です)。それを防げる自然法則は無いということです」

[◆註:14]緊急安全停止装置の多重防御システムが全て突破される事故が「シビア・アクシデント」

【テロップ】:原告側証人 (当時早稲田大学理工学部教授 藤本陽一さん

【解説】:原告側証人の一人だった藤本陽一さんです。藤本さんは、安全装置ECCSが働かない可能性を指摘しています。

[原告側証人(当時早稲田大学理工学部教授藤本陽一]:「最悪の可能性ってことを考えるならば、その・・ECCSが思ったように作用しないってことだって、あり得るわけですから。コンテナーという、もうひとつの防護壁がですね、人間のやる防御壁ですから、それも潰れた、という時にはですね、どれくらいの量の放射能が、放射性物質が放出されるかと。これはとても許容できないと・・」

【解説】:国は、そうした事故は想定する必要が無いほど、僅かな可能性しかないと主張。原告はその可能性について問い質しています。

[原告側弁護士 藤田一良]:「内田教授が主張する想定不適当事故というのは、どの程度の確率の事故をいうのですか?」

[国側証人 内田秀雄]:「国際的には、10のマイナス6乗くらいを目標にして。もう少し厳密にいえば、10のマイナス7乗よりも小さいということが、はっきりするようなものは想定しないわけです」

[原告側弁護団長 藤田一良]:「100万分の1でも当然起こりうるでしょう」

[国側証人 内田秀雄]:「起こりうるというわけではない。ありそうもない事故の確率というのは、こういう事故が起こらないというふうに設計して作ったわけです[◆註:15]。起こらないけれども、実際に起こらないことの信頼性はどの程度なのか、ということの答えなんです」

[◆註:15]内田秀雄氏の「こういう事故が起こらないというふうに設計して作った」のだから「だから事故は起きない」や、「起こらないけれども実際に起こらないことの信頼性はどの程度なのか、ということの答えなんです」という思考こそが、根本的に問われねばならない点。
1級プラント配管技能士で、元原発建設現場監督であった故平井憲夫氏も、生前明確に指摘していた通り、原発設計が優秀で、二重、三重に多重防護されていて、故障が起きてもちゃんと止まるようになっていても、それは、あくまでも設計の段階までの話に過ぎない。施工、造る段階でおかしくなってしまっていることも、問題とされねばならない。
(井野博満編/井野博満・後藤政志・瀬川嘉之共著『福島原発事故はなぜ起きたか』藤原書店2011年参照)

【画面】:内田秀雄著『機械工学者の回想 科学 工学 技術』の著書

【解説】:深刻な事故の可能性は100万分の1と証言した内田秀雄教授の言葉です。
内田秀雄著『機械工学者の回想』の著書からの引用:「原子力利用のプラスの社会的意味・効果と、事故によるマイナスの影響・リスクの潜在性との比較が行われる必要がある。無視できる程度のリスクは受容可能であるということで、原子力発電の利用が容認・推進されると言うことの認識が大切である」[◆註:16]

[◆註:16]この内田秀雄教授の発言は、科学者の発言というより、政治家の発言である!科学者といえども政治から逃れ得ないとすれば、ますますその政治思想が問われねばならない。

【解説】:裁判で、国側は百万分の1とした確率の裏付けとして、アメリカの最新の研究を挙げています。

【テロップ】:原子炉安全研究(ラムスッセン報告)

【画面】:Accident Type
Motor Vehicle
Falls
Fires and Hot Substances
Drowning
Firearms
Air Travel
Falling Objects
Electrocution
Lightning
Tornadoes
Hurricanes
All Accidents
Nuclear Reactor Accidents
(100 plant)…….1 in 5,000,000,000

【解説】:1975年に発表された報告書です。様々なリスクと原発事故と比較しています。原発事故で死亡する確率は、隕石の衝突で死亡する場合とほぼ同じ、50億分の1であると結論づけています。この報告書を日本に紹介した一人が、国側の証人、村主進さんでした。

【テロップ】:国側証人 村主進さん
[国側証人 村主進]:「まぁ・・炉心溶融する確率は百万年に1回と、言うのは我々・・僕も言ってました。我々が百万年に1回[◆註:17]って言っているのは、例えば、ECCSのポンプが、実際、何回起動要求を出した時に、起動しなかったか・・と言う実績をもとにして、それで出して(予測計算して)、百万年に1回ということを出しているわけなんですね」[◆註:18]

[◆註:17]ここで村主進氏は「百万年に1回」と言っているが、上述の文脈から推測し、「百万分の1」の言い間違い(村主進氏の勘違い)かもしれない?!

[◆註:18]ECCSのポンプが工学的に不起動となる確率計算をいくら積み重ねても、地震の振動や、津波、人為的ミス等など、ポンプの工学的原因以外の他の要因が原因で、ポンプが不起動となる場合の危険の確率までは考慮されていない。

【解説】:原子力利用の社会的効果を考えれば、100万分の1の事故の確率は無視しても良いとする国側。例え100万分の1でもゼロとは違うと主張する原告。両者の主張は平行線を辿りました。

【テロップ】:オイル・ショック 1973年10月

【解説】:伊方裁判が始まってまもなく、日本はオイル・ショックに見舞われました。石油不足から火力発電の送電が滞ります。計画停電で街は真っ暗になりました。経済界を中心に原発建設を求める機運が一層高まります。

【テロップ】:伊方原発 核燃料搬入 1976年8月

【解説】:伊方原発では着々と建設が進んでいました。1976年には最初の核燃料が搬入されます。1号炉に続く2号炉の設置許可に対し、住民は不服審査を申し立てました。

【画面】:「行政不服審査にもとづく口頭陳述 13:30-16:00」と書かれた裁判所の標識

[異議申し立てする反対住民の発言]:「事故が起こるは解っちょるのに、我々地元の住民は事故が起きたときは、どないして避難するんか、それを教えて欲しいです・・」

[科学技術庁職員の答弁]:「皆さんが避難をしなければならないような事故は、まず、社会通念的に言えば無い、ということです」

[異議申し立ての反対住民の発言]:(会場から一斉に)「何を言うとるんじゃ・・何が社会通念じゃ・・!」(ヤジと抗議の怒号)

[異議申し立てする反対住民の発言]:「絶対に安全であるということでなければですね、許可すべきものでは無いんではないですか?」

[科学技術庁職員の答弁]:「地元住民の納得が無くては許可出来ない、というような仕組みにはなっていないんです。これは申請がありますと、我々はそれを、法律に基づきまして審査すると言う立場にございますので・・」

[異議申し立てする反対住民の発言]:「もし今の言い方だったら、四国電力は手続きをしたからやりましたが、住民の皆さんのことは知りません・・ということになってしまうんだよ」

[科学技術庁職員の答弁]:「まぁ、申し訳ないですけど、もう時間ですから」

[異議申し立てする反対住民の発言]:(一斉に抗議と避難の怒号)

【画面】:「2号炉岩盤試掘調査」と書かれた看板

【解説】:住民の訴えは却下。2号炉建設は始まりました。この頃、全国の電力会社で作る電気事業連合会は、原発の理解、促進を図るPR活動に力を入れるようになっていました。

【画面】:「原子炉がもしも事故を起こしたとしたら原子力発電所とその周辺はどうなる・・」「原子力発電所から海へ出る放射能はどんな影響を与えるでしょうか」「原子力発電所の安全設計はどこまで信頼できるのでしょうか」
等のタイトルの付いた全国紙掲載の(意見)広告

【解説】:これは全国紙に掲載された広告です。紙面には専門家たちが次々に登場。原子力の可能性、そして安全性を説いていました。

【テロップ】:当時 電気事業連合会広報部 稲垣俊吉さん

[当時 電気事業連合会広報部 稲垣俊吉]:「新聞の広告っていうのは、彼らには非常に良い収入源だったからね。こぞって、こじ開けてねぇ・・我が社にも、我が社にもっていうふうに言って来られたんで・・・。だから、そういうことから、あの・・各新聞社の人もですねぇ、そんなに、あの・・(原発の安全性に疑問を抱くような)そんなに厳しい記事っていうのは、(新聞各社も)書かれなかったんじゃぁないかなぁ・・」[◆註:19]

[◆註:19]大手全国紙の新聞各社も、広告収入(カネ儲け)優先に走り、原発を推進する電力会社の「露払い」を果たす形で「世論誘導」の役割を担ったことが解るであろう。

【解説】:伊方原発に反対してきた住民たちは、徐々に焦燥感を深めていきました。原告の一人、近藤誠さん。原発反対に対する世間の眼差しが変わっていった、と言います。[◆註:20]

[◆註:20]CIAに正力松太郎を推薦した「プロパガンダの雄」カール・ムント米上院議員や、正力松太郎の懐刀と称された柴田秀利、かれらと連動していたアメリカ中央情報局(CIA)が、1950年代に、既に見抜いていた「日本の新聞とテレビ・ネットワークを最大限用いた、原発推進のための最も効果的な啓蒙プロパガンダ」が見事に効果を見せ始めた。
(NHKETV特集 シリーズ 原発事故への道程(前編)「置き去りにされた慎重論」参照)
我が国の一般市民、国民大衆が、その筋の「権威ある」(と思われているに過ぎない)情報に振り回され、流されてしまう傾向があるのは問題。自分自身の頭で、主体的・自主的に、現象の根底にまで遡って思考する力の希薄さをいかにして克服していくかは大きな課題。

【テロップ】:伊方原発訴訟原告 近藤誠さん
[伊方原発訴訟原告 近藤誠]:「あの・・本当に、当時、『そういった農民、漁民ごときが何を言うか』だとか、あるいは、『地域エゴだ・・』とか、『日本中のエネルギーのことも考えずに、これからは原子力の時代なのに、それに棹さす愚かな者たちだ・・』ということで、何処へ行っても跳ねつけられてしまう。住民が話し合いを求めても、その話し合いそのものが拒否されてしまう」

[伊方原発訴訟原告 近藤誠]:「そういう中でね、やはり、賛成だという人間と、反対だという人間の意見を、公平に叩き合わせることが出来る場所というものがね、当時(は)、やっぱり裁判しかないんじゃないかと・・」

【テロップ】:伊方原発 活断層

【画面】:関西以西の日本地図と伊方原発の位置を示す白丸。大阪平野から九州天草諸島付近にまで伸びる黄色線の「中央構造線」。この黄色い線は佐田岬と重なり、その中央部に伊方町[旧三崎町]が位置している

【解説】:提訴から3年、伊方裁判では大地震の可能性についても議論が及びました。この頃、地震の原因となる活断層の存在が注目されるようになっていました。伊方原発の近くには巨大な活断層、中央構造線が走っています。

【画面】:「四国電力(株)伊方発電所の原子炉の設置に係る安全性について 昭和47年11月17日 原子炉安全専門審査会」の表題の冊子

【解説】:これは伊方原発の設置に当たり、国の安全専門審査会が作成した報告書です。
1.3 地震
過去約1,200年の記録によると、伊方地点周辺に影響をおよぼす地震として、豊後水道および伊予灘を震源とするタイプ-Aの地震と日向灘沖および安芸灘を震源とするタイプ-Bの地震に大別される。
このうち、日向灘沖の地震活動性は比較的盛んであるがタイプ-Aの地震の地域および安芸灘地域の地震活動性はやや不活発である。A、B2つのタイプの地震による敷地周辺での建物被害の記録はほとんどない。

【解説】:ここでは活断層や中央構造線については触れられていません。何故、安全性に係わる報告書に、活断層や中央構造線について記載が無いのか?原告側は問い質します。

【テロップ】:原告側弁護士 新谷勇人
[原告側弁護士 新谷勇人]:「活断層かどうかということは、非常に大切なことだと思いますけれども。そうじゃないんですか?」

[国側証人 大崎順彦]:「それがはっきり活断層として地震を起こす証拠があるならば、それは報告書にとどめるのは当然だと思いますが、そうでないという報告を受けておりますので、報告書にはとどめておりません」

[原告側弁護士 新谷勇人]:「本当に調べられたんですか?」

[国側証人 大崎順彦]:「調べられたと思います」

[原告側弁護士 新谷勇人]:「あなたは正確にはご存じないんですか?」

[国側証人 大崎順彦]:「ただ、そういう報告を受けていませんので、そういう事実がなかったものだと思います。もし、はっきりした活断層があるならば、そのことを松田委員らは、私に報告してくれると思いますが・・そういう報告はなかったということです」[◆註:21]

[◆註:21]「報告がなかった」ことが即「そういう事実がない」とは、必ずしも直結しない。ここでは「(確率論的有無も含めての)事実の有無」と「情報伝達の状況如何」の混同がある。
事実、以下に語られている通り、国側証人大崎順彦氏の証言がウソであったことが証明された!

【解説】:証言記録に名前が登場する松田委員を尋ねました。日本の活断層研究の第一人者で、当時、国の調査に当たった松田時彦さんです。

【テロップ】:当時原子炉安全専門審査会調査委員 松田時彦さん

[NHK記者の質問]:「ここに地震を起こす証拠があるならば、活断層として。それを報告書に留めるのは当然だと思いますが、そうでないという報告を受けておりますので・・」

[当時 原子炉安全専門審査会調査委員 松田時彦]:「あぁ・・それは・・あぁ・・それはウソですよ。それは・・ひどいですねぇ・・。あの、われわれが、周りの方が飽き飽きする程、あんなに時間を要したのは、なかなか中央構造線、あれが活断層であるっていうことを(証明する)その為に時間を取っていたのに・・。そのことが無かったと・・」
(絶句する松田時彦氏)

【テロップ】:「地質学論集」第12号

【解説】:当時、松田さんが作成した活断層の地図です。伊方近くには、活断層の存在が推定できるとしています。

【画面】:今治から佐田岬を経て豊後水道から大分県の臼杵にまで伸びる、活断層が赤の実線、及び赤の破線で書き込まれた愛媛県西部から大分県東部の白地図

【解説】:地震の可能性に触れる報告は、何故か封印されていました。後半の終盤になって、関係者に衝撃を与える出来事が起きます。裁判長が突然、移動になったのです。証人調べの殆どに立ち会い、現地にも足を運んでいた判事です。[◆註:22]

[◆註:22]政府の息のかかった司法当局(最高裁)による政治的左遷人事。こうした判事の移動は珍しくない。1959年3月30日の東京地方裁判所裁判長判事伊達秋雄の下した「駐留在日米軍は違憲」の東京地裁判決(いわゆる伊達判決)を、検察の飛越上告を受けた最高裁大法廷判決(裁判長・田中耕太郎最高裁長官)が同年12月16日、「駐留在日米軍は合憲」の逆転判決を下した際も、最高裁判事の「総入れ替え」が行われたことを彷彿とさせる。

この最高裁の砂川判決でも、忘れてならないことは、「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限りその内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」とする、いわゆる「統治行為論」を法理論として適用し。原判決破棄し、地裁へ差し戻した点である。
(最高裁大法廷判決昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)

【テロップ】:伊方原発訴訟一審判決 1978年4月25日

【解説】:1978年4月25日。松山地裁。伊方原発訴訟の判決の日です。提訴から4年、原発の安全性について科学的な論争が繰り広げられてきました。

【テロップ】:原告らの請求を棄却する
[松山地裁裁判長]:「原告らの請求を棄却する」

【解説】:万一の事故の場合でも、住民の安全は維持出来るとし、原発設置許可の取り消しを求める住民たちの要求は退けられました。更に判決では、原発の設置を誰が決めるのかまで、踏み込んでいます。

[松山地裁裁判長]:「原子炉の安全性の判断には、特に高度の専門的知識が必要であること。原子炉の設置は、国の高度の政策的判断と密接に関連することから、原子炉の設置許可は、周辺住民との関係でも、国の裁量行為に属するものと考えられる」[◆註:23]

[◆註:23]「砂川裁判最高裁判決」での「統治行為論」の、まさに再現!「原発版・統治行為論」である。
http://www.asyura2.com/11/senkyo113/msg/205.html

この後、伊方原発の2号機増設許可取消提訴(2号機訴訟)も、2000年12月15日の松山地裁豊永多門裁判長によって、許可の違法性は否定され、原告住民の請求棄却判決を下した。(原発訴訟史上初めて国の安全審査の問題点を指摘したという僅かな”おまけ”はあったが)
これら一連の伊方原発訴訟判決により、国の設置は絶対であり、地元が将来被りうる可能性のある人身被害、経済的被害は全く考慮する必要は無しとされた。この伊方原発訴訟以後、原発訴訟では原告勝訴の例がない。

【画面】:「辛酸入佳境」[◆註:24]の旗を持った敗訴した原告側の人々の姿

[◆註:24]足尾鉱山鉱毒事件で東奔西走した故田中正造が残した言葉。「何事もすべてを打ち込んで事にあたれば、苦労もかえってよろこびとなる」の意。

【解説】:裁量行為。つまり原発の設置許可は住民の合意に拘わらず、国の判断で行えるとするものでした。

【テロップ】:原告側弁護団長 藤田一良さん

[原告側弁護団長 藤田一良]:「あの・・専門家裁量と・・・ねぇ・・・だけど、そんな事ねぇ・・科学的な専門家がどうして、人のいのちとか財産とかを、そういうようなものを巻き込んで起こるような事故の審査をする(というような)ときに、その連中が裁量出来るっていうものは、どこ探しても、そういうようなものは、どこにもありません。世界中ないです。

【解説】:一方、国側の証人村主進さんは、そもそも原発の安全性を法廷で争う事自体、疑問を感じていた、と言います。

【テロップ】:国側証人 村主進さん

[国側証人 村主進]:「伊方裁判について。僕は、裁判する問題じゃないと思うんですよ。それを裁判で、良い、悪い、を言うべき問題じゃないと僕は思っているんですけどね。争う場はですね、やっぱしその・・何ですよ、論文で、その・・・ちゃんと書いたものを残して、それで、そのこれはこうだ、あれはああだって・・あんたの主張はここがおかしいんじゃないかって・・こんだ、こちら側は、こういう考え方で、こう主張しているんだって・・そういうことで、噛み合わせればね、自然現象っていうもん、科学っていうものは一点に収束するんですよ。

【テロップ】:愛媛県 伊方町

【解説】:判決が出た時、伊方原発は既に運転を開始していました。

【解説】:地元には、深い対立だけが残されました。

[NHK記者]:「おはようございます。宜しくお願いします。こんにちは」。

[伊方町住民 松田文治郎氏の家族]:「はい、はい。おはようございます」

【解説】:伊方町で原発推進派だった松田文治郎さんです。

[伊方町住民 松田文治郎]:「この地区は反対者が多かったんです。ちょうど、ここが、ぶおう(?)部落という部落じゃったんです。ところが、私の叔父とか従兄弟とかの親戚関係は、もう、ほとんど反対だったんです。

[松田文治郎氏の奥さん]:「うん。反対だった。やっぱりいろいろな考えの人が・・」

[伊方町住民 松田文治郎]:「親父が賛成で、息子のげぞう(?)が『町のためにならん。妙なもの作るってる・・』っていうようなこと言いましてね、えらい批判の・・何を言ってましたよ」

【解説】:原発建設に反対した大沢肇さんです。

【テロップ】:伊方町住民 大沢肇さん

[伊方町住民 大沢肇]:「わしんところには1000万円もろてやるけん、原発反対やめよ・・って言うてきた人あります。その人ん名は言われんけんどなぁ・・じゃけんど、私は『俺ぁ、カネで動くような人間じゃないわい!』って言うて、わっと断りましたけんど・・・」

[NHK記者の質問]:「それはカネより大切なものがあると思うから(ですか)・・?」

[伊方町住民 大沢肇]:「はい・・」

[NHK記者の質問]:「それは何ですか?」

[伊方町住民 大沢肇]:「・・・カネたっていうようなもんではない・・そりゃぁいのちよ・・」

[NHK記者の質問]:「うん・・」

[伊方町住民 大沢肇]:「ひとのいのちより大事なもんはないもの・・」[◆註:25]

[◆註:25]蝉時雨の中で、口ごもりながら、ポツン、ポツンと、つぶやき語る大沢肇氏の言葉の奥にあるものを感じ取って欲しい。遠く先祖から伝えられてきた、ふるさとの海や山を守りはぐくんできた貧しい佐田崎の一寒村(旧三崎町)の一老人の、いのちの叫びを、私たちは再度聴き取る必要がある。

【テロップ】:茨城県 東海村

【解説】:日本で最初に原発を受け入れた茨城県東海村。原子力関係の施設が多く集まっています。村上村長村上達也さんは、若い頃から変わっていく村の姿を見てきました。

【テロップ】:東海村村長村上達也さん

[東海村村長村上達也]:「いや、まぁ・・原発はだなぁ・・圧倒的な力を持っていますから、そこには皆働いて職を得る、(村の)財源もそこに頼ると・・いうことになりますからねぇ。ものが言えなくなりますよねぇ・・。原発立地市町村、それに対しては(国は)特別待遇をしてくるね、っていう感じの大変な世界だなぁ・・っていう感じがありますよねぇ・・。うん・・そういう面じゃ、いわゆる、こう国に取り込まれている世界だと・・。うん、うん、うん・・国に抱え込まれている世界だなぁ・・っていう感じがしますよねぇ」

【解説】:原発推進を国策として推進する行政。[◆註:26]

[◆註:26]戦前、戦中の満蒙開拓移民国策の戦後版、これが原発推進国策である。昭和農村大恐慌で生活難に喘ぐ貧農を大量に満州、朝鮮へ送り込み、「王道楽土」「五族協和」の旗印を掲げ、満州人や朝鮮人の土地や生命財産を侵略し、奪い尽くし、いのちまでも殺傷して武装開拓移民を送り込んできた満州開拓移民の国家を挙げての国策と、戦後1950年代半ばから始まった国内過疎地での原発建設の一大国策は、ピッタリ重なっている。

かつての「守れ満蒙生命線!」の、国策キャンペーンが、戦後は「守れ原発生命線!」に置き換えられただけだ。こうした国策に酔わされ「王道楽土の新天地」を夢見て、大陸に、満州に、朝鮮へと移住していった開拓移民たちが、昭和農村恐慌の嵐の吹き狂う内地の貧しい貧農生活では得られなかった「快適な生活」は、イコール、現代の原発立地を受け入れ、原発補助金で潤い、原発関連に就職できる生活を享受し、疑問も危険も感じない原発誘致自治体地域住民の「豊かさ感覚」とピッタリ重なっている。

(以上、後編(その1)終わり、(その2)へつづく)

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**転送転載歓迎**
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真の文明は
山を荒らさず
海を荒らさず
村を荒らさず
人を殺さざるべし (田中正造)

社会が激動している今この時
歴史に残る最大の悲劇は
「悪しき人々」の過激な言葉や暴力ではなく「善良な人々」の沈黙と無関心である
我々の世代が後世に恥ずべきは
「暗闇の子」の言動ではなく
「光の子」が抱く恐怖と無関心である (M.L.キング牧師)

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《パレスチナに平和を京都の会》
“Peace for Palestine” in Kyoto Movement(PPKM)
代表:諸留(モロトメ)能興(ヨシオキ)
〒611-0002 京都府宇治市木幡赤塚63-19
[TEL=FAX]:0774-32-1660
E-Mail:yoshioki-afym@zeus.eonet.ne.jp
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パレスチナ連帯・札幌 代表 松元保昭
〒004-0841  札幌市清田区清田1-3-3-19
TEL/FAX : 011-882-0705
E-Mail : y_matsu29@ybb.ne.jp
振込み口座:郵便振替 02700-8-75538
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山岡淳一郎氏著作『原発と権力』 by limitlesslife
November 28, 2011, 1:46 pm
Filed under: 原発, 権力 | Tags:

[uniting-peace][18347] 山岡淳一郎氏著作『原発と権力』のこと

櫻井智志です。
以前色平哲郎氏が教えて下さった山岡氏の『原発と権力』について感想を記しま
す。
副題に「戦後から辿る支配者の系譜」とあります。
ずっと仕事の行き帰りのバスや電車の中や喫茶店で断続的に読んでおりました。
ご紹介いらいあまりに時間が過ぎ、ここに所感を述べるのも忸怩たるものがあり
ます。
けれど、本書が読者に明示する日本社会の支配者による構造は、驚くべきもの
であることを感じました。第二次大戦後の日本で、軍国主義をになってきた戦犯
たちが戦後直後から支配権力を復権する野望のために、核兵器保持のための
様々な野望を原発とともに推進してきた背景。
権力の恐るべき意志は、原発に慎重な福島県元知事佐藤栄佐久氏を、金権汚
職政治家と貶める謀略をはかります。その様子は読んでいて、権力は一般庶民
には及びもつかないことをしでかして、権力意志を貫いていくものです。
この筑摩書房の新書版は、実に有意義な書物です。
色平哲郎氏に感謝します。本来ならばもっと紹介したり展開したりしない事柄が
連続する内容です。
本体価格760円。2011年9月10日初版第一刷。実に意義ある書物です。