日本人の倫理を問う(前)

みなさまへ    松元

長文ですので、前・後、2回に分けてお送りしますが、ご笑覧いただければ幸いです。
原文のままであれば、転送や転載に使っていただいてもかまいません。

【日本人の倫理を問う】(前)

2013年2月14日

松元保昭

 

▼はじめに―嘘と責任

子どもが嘘をついたら、どんな親で も叱るだろう。学 校の先生も、やはり嘘をついた生徒を叱るだろう。私は教師だったころ、万引きをした生徒があらわれるとクラス全員によく灰谷健次郎の 「チューインガムひと つ」を読み聞かせたものだ。人格からほとばしり出る灰谷の指導による作品なのだろうが、悔悟の深みにおりてゆく安子ちゃんの素直な心性 と、とりわけ罪を犯 したわが子に恐懼して嘆く母親の姿に胸を打たれた。他者と自己自身にたいする責任という人としての民衆倫理は、こういうところから形成さ れるのではないだ ろうか。

3・11で「文明の病」(石牟礼道 子)はさらに深く 広がった。原発をめぐるさまざまな事態を見るにつけ聞くにつけ、井上ひさしの「にんげんがおかしくなっていませんか」という声が天から響 いてくるような気 がしてならない。今の日本では、さまざまな制度の理屈をともなって、嘘と誤魔化しが、無責任と非倫理が横行支配してしまっている。責任者 を処罰することも なく、子どもたちとその未来を放射能と誤魔化しで覆うことは、許されないことだ。日本人のモラルの特質と未来について考えてみた。

 

▼嘘と誤魔化しの現実

この二年間の東電や政府の対応をみ ると、そのウソには目に余るものがある。最初から情報を正確に伝えないばかりか、事故当初のようにSPEEDI情報の隠蔽や安定ヨウ素剤配布義務の不履行の最中で「ただち に影響はありません」などという言い訳で誤魔化す手法が、その後常套手段になってしまった。例えば飯館村モニタリングポストのよう に、その地点だけ除染してコンクリートで覆って線量を低くしている策術。75パーセ ントは山林に囲まれる飯館村はいくら除染しても線量はすぐ戻る。しかし村長は一年以内の住民の帰村を計画しているという。こういう類 の制度的誤魔化し、システムによる欺きが行政施策として横行しているのが日本の倫理的現在である。

思いつくままに挙げると、住民被害 の最小化を最優先 するより原子炉施設と政権の存続を考えた東電と政府の初期対応。その後も一貫している住民のいのちと健康を最優先にしない国と地方の行政 姿勢。はなから差 別と誤魔化しを制度化している電源三法交付金と総括原価方式。事故責任、賠償責任回避のためのメディアによる巨大な過小評価戦術および人 心管理システム。 より具体的には汚染線量基準引き上げと海洋、湖沼、河川、山林、および生物濃縮の詳細な被曝線量調査報告義務の意図的不履行。同じことだ が自己決定可能な 情報提供と補償も賠償もない棄民政策。大地の汚染を無主物と言い張る欺瞞と厚顔。中学生でもわかる食物連鎖と生物濃縮という機制を「希 釈」と偽って隠蔽す る言説操作の類。希釈拡散禁止という国際合意に反する汚染食品流通やがれき処理の拡散。移染でしかないものを除染と欺き、大手ゼネコンに 復興予算が還流す る除染や広域がれき処理のシステム。チェルノブイリを超える避難基準の線量引き上げと汚染実態と見合わない区域設定。御用学者とメディア が誘導する一貫し た内部被曝の軽視ないしは無視と表裏一体の「安全安心」再誘導、司法もこれに追随。具体的には、放射線核種からの細胞破壊、DNA損傷に よる心臓疾患、免 疫障害、死産、奇形など数多の健康障害の実例を挙げずに、賠償訴訟の困難が目に見えている原因を確定できないがん疾患にのみ特定して「安 全」を説く常套戦 術。診療せずに「県民健康調査」という誤魔化し。隠蔽のための非診療と非公開。「線量計細工」など無法無権利のまま放置されている大量被 曝で使い捨ての原 発労働者。活断層など地震の温床を無視する再稼動の準備。事故のない通常稼動でも温排水、放射線核種排出、原発労働の危険性など変わらぬ 隠蔽。推進派でか ためられた規制庁トップは国民を規制・弾圧する元警察官僚。三基の原発がメルトダウンした史上最悪の惨事が進行中に加え、4号機の使用済み燃料プールが瓦解する一触即発の状況だというのに「収束 宣言」。原発の永続化と核兵器の製造可能性に密接に結びついている「すでに破綻している」再処理技術と核燃サイクルへの固執。10万年も100万年も誰も責任など取れないのに、嘘と誤魔化しと 欺きの核廃棄物処理、等々。原発を存続させるとしたら、これらの嘘と誤魔化しもまた何十万年も続くことになるのだろう。

圧倒的市民の怒りは、脱原発運動に 糾合した。しかし民衆の怒り、「再稼動反対」の叫びは、「脱」原発というエネルギー政策転換の要求をはるかに超えて、蔓延する「嘘と誤魔 化しはもうたくさんだ」という民衆の倫理的叫びであった、と私は思う。

これほどの惨事を招きながら誰一人 責任を問われず逮 捕も処罰もされない法治国家があるだろうか。厳しい責任を問うことこそ、未来への一歩である。現在、東電の事故責任と政府および関係機関 の隠蔽・不正の刑 事責任を問う告訴・告発が福島原発告訴団によってなされている。またこれに先立って、子どもたちの緊急疎開を求めるふくしま集団疎開裁判 も進行中である。 脱原発運動とこれらの訴訟が車の両輪となって責任を問い続けることを願っているが、国家責任、企業責任を民衆の立場で裁いてこなかった日 本の司法には残念 ながら多くを期待できない。事故前から「この国の未来のために、人類の未来のために、原発を止める責任があります」とはじまった脱原発運 動が、こんどこそ 「責任者の責任を追及する」運動へと深化することを望みたい。チューインガムを盗んでも、他者と自己への厳しい責任追及を果たすことこそ 人間になる条件な のだから。

また、日本政府と電力会社が「国際 的に合意されてい る科学的知見」だとして隠蔽と過小評価の拠り所としている国際機関IAEAおよびICRPにも触れなければならない。とりわけチェルノブ イリ以降、 IAEAおよびICRPによる国策と事業者利益優先の見解およびリスク基準は、内部被曝による多様な健康障害を無視し被害住民に被曝受忍 を強制している各 国の棄民政策の後ろ盾になっている。これら国際原子力ムラの出先機関は、WHOやUNSCEARの 手足を縛り放射線障害の研究および疫学調査を著しく遅滞させ、遺伝子学、分子生物学の知見を無視して、遺伝子、細胞、臓器の各レベ ル、胎児も幼児も妊婦も 同じ平均化数値を「リスク基準」とすることによって、内部被曝によるさまざまな放射線障害の症例を出来させている現実を隠蔽し、受忍 強制と棄民政策を放置 している。このような、原子力産業を推進し核兵器管理体制を支えている米英仏露など安保理核大国の伏魔殿が控えていることも視野にお かなければならない。 このIAEAが国際原子力産業のために、いまフクシマの幕引きを画策している。

ついでに言えば、人道支援と民主主 義の伝道師、警察 官のような顔をしたこの核安保理大国は、最近でもアフガニスタン、イラク、リビア、シリアと内外から武器を供給しては内乱を呼び起こし何 十万、何百万人も の人々を虐殺しては避難民に追いやり、国家をぐちゃぐちゃに破壊しても平気である。イラン、北朝鮮へと続かないことを祈る。同時にこれら の核保有管理国は 核廃絶を先延ばしにしながら、稼動中の原発427基、建設・計画中も含めると596基の原発を全世界で存続推進しようとしている。ECRRの試算によると、核実験および通常稼動の原発から放出さ れた人工放射能によって、すでに6000万人以上のがん死亡者を生み出しているとい う。金力と権力を祭壇とする彼らにとって、人のいのちや自然など何の値打ちもない。

 

▼自然の復権―パチャママ法の実現

故郷を奪われ、焼け石に水の僅かな 賠償金で棄民さ れ、誤魔化しの線量基準でモルモットにされている福島県民が、もし、「故郷の自然を守り」自然と共に生きる生業が最優先され、放射性物質 や化学物質を排出 する自然を汚染する事業は禁じられ、責任者は処罰されるという法律が施行されたなら、「天佑」として歓迎することだろう。

アイヌ民族にしかるべく狩漁権や土 地が返還され、旧 被差別部落民や貧農や在日朝鮮人に優先的に土地が配分され、琉球人民の独立権が確立し安保条約・地位協定が廃棄されて、米軍基地を日本全 国から全面的に撤 退させたなら、どれほど多くの人たちが日本という「国」に希望をもつだろう。さらに、敵をつくらず歓待の精神に充ち溢れている先住民族の 知恵が生かされ て、北朝鮮との国交が樹立され、日本軍「慰安婦」や強制連行被害者はもちろん明治以降の周辺諸国への侵略行為に謝罪と和解と補償の政策が 実施されるなら、 どうじに戦争責任・戦後責任にかかわる在日朝鮮人・中国人、原爆被爆者、空襲被災者たちと、水俣病など多くの公害犠牲者たちにも同様の謝 罪と和解と補償の 政策が実施されるなら、そのときこそ日本民族の未来に本当に新しい一ページが開かれることになるのかもしれない。(とうぜん法人税・累進 税の大幅変更、最 低賃金底上げ、医療および老後の完全保障、労働時間の大幅縮減など制度的住民救済が必須であるがここでは触れない。)

福島原発事故の経験から圧倒的多数 の人々は、国家というものは信用ならぬものであり、人間は自然に依存しなくては生きていけないという二つのこと思い知らされた。避難を余 儀なくされた、あるいは避難か残留か帰村か棄郷かの逡巡を日常的に強いられている200万の福島県民だけではなく、日本列島に住まうあらゆる人々が海洋、 山林、河川、湖沼の汚染の測り知れぬ脅威を前に、いま自然そのものの毀損に懼れ慄いている。

「理性の営みは、地のエレメントの 逆襲によって破綻 する」とヘーゲルが言ったそうだ。自然を支配することに人間の主体・主権をみたヨーロッパ近代なるものの限界が唱えられて久しい。人間の 産業活動、核軍事 力をともなう国家活動の制限は各国憲法によってもいまだ道半ばであって、その国家に庇護された資本の自由放任は依然、地球上各地で自然破 壊、人権破壊の猛 威を振るっている現状だ。

原発は、自然界全体に放射性物質を 撒き散らすことに よって人間のみならず全生命システムを不可逆的に毀損攪乱する。ことは人間の身勝手な費用対効果(リスクベネフィット、コストベネフィッ ト)論をはるかに 超えて、自然とともに生きる人間の基本的なあり方の攪乱と破壊である。世界の最貧国のひとつ多民族国家ボリビアの試みに着目してみたい。

昨年10月、ボ リビアのエボ・モ ラレス大統領は、「パチャママ(母なる大地)法」の施行を全世界に公表した。ひとつの生命体としての「パチャママ」(母なる大地)を 神聖なものととらえ、 この大地とともに調和して生きる生物の「共通の利益」を最優先にするという立法である。生命とその再生という自然のバランス・システ ムを擁護するため生物 多様性を尊重し、遺伝子組み換え作物は禁じられ、清浄な水と空気の保障、人間活動の影響からの回復、放射性物質や毒性化学物質による 汚染からの自由に対す る権利などが、「地球(母なる大地)」に与えられることになる。

権利の主体は自然であり、人間活動 から自然環境を守 ることに法の主眼がある。先住民族の知恵に裏付けられたその哲学は、一言でいえば「人間は自然の一部」であり自然によってこそ「よく生き る」ことができる という原理である。自然を破壊する資本の開発に抗して、自然と調和して「よく生きる」ための「母なる大地法」として提案されたものであ る。この法案は、2010年4月にボリビ アで開催された「気候変動にかんする世界民衆会議」のために、ボリビアの36の先住 民族グループすべてと300万人以上を代表している広範な主要社会運動組織5団体が草案を準備したもので、2011年12月に議会で承認され、2012年10月15日エボ・モラレス大統領によって公布された。

※昨年10月に報 道された2点の文書を、拙訳ですが参考までに後ほど送ります。

(以上、前。後につづく)

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