【第30回】 2013年2月28日 山田厚史 [ジャーナリスト 元朝日新聞編集委員]

恐いのは「関税」より「非関税障壁」
日米首脳会談の盲点

再選を果たしたオバマ大統領、再挑戦の安部首相。初顔合わせの首脳会談は、日米双方の外交姿勢が鮮明に現れた。米国は攻めの外交。国内を守りながら日本市場を取りに行く戦略性を鮮明にした。日本は、米国にすがる外交が露わに。国内を説得するためTPP関連では「関税撤廃に聖域」があるかのような表現を共同声明に入れてもらった。

焦点はもはや、「関税撤廃の聖域」ではない、ということに多くの国民は気付いていない。実は「非関税障壁」がより問題にされている。コメよりも、保険、医薬品、遺伝子組み替えなどに米国の標的は移った。

昨年2月、このコラムに「TTP=自由貿易」の嘘、という題で事前協議が米国のむちゃくちゃな論理で行われていることを指摘した。今回も同じだ。

首脳会談での一芝居

安倍首相はひらすら「交渉に聖域がある」という言質をオバマに求め、「米国も聖域に理解を示した」と土産を持ち帰ることで、TPP交渉参加への道を開こうとした。

そんな日本の事情を熟知した米国は1月下旬、各国の政府関係者が集まるスイスのダボス会議で、カーク通商代表が茂木経産相に「日本車の輸入関税を続ける」と通告した。

「政府内は戸惑いと安堵という複雑な反応だった」と、政府関係者は明かす。

自動車の関税を残すTTPとは一体何なのだ、という声が上がる一方で「これで交渉参加へ道が開ける」と外交関係者は胸をなで下ろした、という。

舞台裏で進んだ根回しの結果、安倍首相は「聖域なき関税撤廃というのでは日本の国益は守れない。首脳会談で私が直接オバマ大統領に確かめ、(聖域があるという)心証を得てきたい」と国会などで繰り返し発言するようになった。

自動車関税継続の通告で「聖域化」は既に決まっていた。そこを伏せて、首脳会談で心証を引き出すと芝居をうった。

今や通商交渉のテーマは非関税障壁

工業品の代表である自動車に関税を残すというのでは、TTPが唱える「高いレベルの自由化」は空文化するのではないか。今回のポイントはここにある。

実は、TTPの主課題は今や関税ではない。世界の通商交渉のテーマは、すでに非関税障壁、投資保護、知的所有権、紛争処理など関税以外の分野に移っている。

「関税引き下げ」が自由貿易の代名詞のように使われていたのは、米国が最強の輸出国だったころからだ。米国の主導でケネディラウンドと呼ばれる一括関税交渉が始まったのは1960年代。ガットのウルグアイラウンドを経て、ほぼ落ち着くところに達したのが現状だ。残るは「センシティブ・マター」と呼ばれる各国の政治案件だ。日本のコメと同様の課題をそれぞれの国が抱え、突っつきすぎると交渉の枠組みが壊れかねない。

関税は途上国に市場開放を迫る道具としては今も有効とされるが、先進国間では自由貿易の旗を振るアメリカでさえ、自動車産業などが「関税保護」に頼り、関税交渉の時代は終わったというのが現実だ。

そこでアメリカは他国の市場をこじ開ける「新しい道具」を用意した。分かりやすい例が「日米構造協議」であり「対日経済要求」である。「あなたの国はこんなにおかしな制度だから、米国企業の活動の自由が妨げられている。直しなさい」というやり方だ。

こうした2国間協議をアジア太平洋で丸ごと仕組み化しようというのがTPPだ。

もともとシンガポール、ニュージーランドなど産業がぶつかり合わない4ヵ国でやっていた取り組みに米国が乗り込んで、主導権を取った。

米国の国家情報会議(NIC)が昨年末にまとめた「2030年グローバルトレンド」は、今後30年間で文明の重心は米国からアジアに移るという。産業革命から始まった西洋の隆盛が反転し、世界経済や政治でアジアが復興する、と予測している。

米国はこうした大局観から国家戦略を構築する。狙いはアジアだが、そこには中国が控えている。「制度を変えろ」と要求しても、従う国ではない。

そこでアジア地域の経済改革を、非中国の国家群で先行させようというのがTTPである。平たく言えば「アジアにおける米国主導の経済同盟」である。

仲間であり利害対立を抱える当事者

当然「日本も入れ」となる。だがこの同盟は必然的に抱える難問がある。「仲間であり利害対立を抱える当事者」という複雑な関係だ。

今回の首脳会談にもそれが滲み出た。安倍首相は民主党政権がこじらせた日米関係を修復して存在感を示したい。領土問題で争う中国への対抗上、米国と緊密な関係を強調したい。

そのためには「忠誠の証し」が必要となる。自民党内は国内での反対を押し切って交渉に参加する意思表示が、交渉の予備段階で米国に示され、共同声明の文案が作られた。

「すべての関税撤廃をあらかじめ約束するよう求められるものではない」という表現で「聖域があります」と読めるようにした。ここまでは同盟関係である。

その裏に「利害対立」が潜む。声明に盛られた以下の部分だ。

「両政府は、TTP参加への日本のありうべき関心についての2国間協議を継続する。これらの協議は進展を見せているが、自動車部門や保険部門に関する残された懸案事項に対処し、その他の非関税障壁に対処し、TPPの高い水準を満たすことについての作業を完了することを含め、解決する作業が残されている」

さらっと読むと素人には分かりにくいが、やさしく言えば次のようになことだ。

「コメなど農産物に特段の配慮してもらえるならTPPに参加したい、という日本の事情は日米でさらに話し合いましょう。でもそのための条件として米国が要求している自動車と保険の問題に決着がついていない。懸案となっている非関税障壁の問題も含め、外国企業が日本で自由な活動が出来るよう制度やルールを変える仕事がまだ残っています」

両国間には、まだ決着しない利害対立が残っていますよ、と書いてある。

それでも帰国した安倍首相は同盟関係を重視し、交渉参加へと舵を切った。反対の声が多かった自民党も「首相一任」。TTP交渉参加に弾みがついた。

アメリカの真の狙い

だが、聖域が残れば、問題はないのか。そうでないからTTPはややこしい。

政界・国会・メディアで取り上げられているTTP問題は、いつもコメに象徴される農業問題であり、防波堤となっている関税問題だ。反対するのは農協であり農林議員という構造で描かれる。無策の農政、既得権にしがみつく農業団体や経営感覚のない農民。旧態依然たる産業が、構造改革に抵抗しているので日本の強みであるモノ作りの強みを世界で発揮できない――という分かりやすいストーリーで描かれている。

確かに農業には問題がある。TPPがあろうとなかろうと改善しなければいけない課題は山積している。だがTTP問題のキモは農業に関係する関税でもなければ、関税に例外措置を設ければ打撃を回避できる問題でもない。

コメ問題は「敵は本能寺」なのである。アメリカの真の狙いは非関税障壁と投資だ。察するところ戦略的ターゲットは、医薬品認可基準の変更、保険ビジネスへの参入、とりわけ医療保険ビジネスを広げるため国民健康保険制度に風穴を空けること。そして遺伝子組み替え食品の表示を取り外し、日本で遺伝子組み替え種子のビジネスを展開することなどが予想される。

ここで「推察」とか「予想」とかの表現を使っているのは、交渉の実態が明らかにされていないからだ。TPP交渉は秘密交渉で行われ、参加国でも交渉の全貌は明らかにされていない。日米間で行われている事前協議でも、米国側から「日本車への輸入関税継続」が通告されながら、国民や国会に伏せられていた。

オバマ政権は、アジア市場に製品やサービスを売ることで輸出と雇用を増加させる、という分かりやすい政策を米国民に約束している。米国の強い産業が自由に活躍できる制度的インフラを、市場たるアジアに広げる。それがTTPの狙いだ。

競争はあっていい。だが、自分たちの都合の悪い制度や仕組みを潰しに掛かるようなことがあるなら、受け入れることはできない。それが「利害のぶつかり合い」だ。

国民健康保険制度が標的か

分かりやすいのが日本の国民健康保険だ。日本国内では財政問題など難点が指摘されるが、世界水準で見れば「優れモノ」である。日本が長寿国になったのも国民健康保険があったからだ。

一方、民間の保険産業を見れば、米国の保険会社は圧倒的な力を持っている。いま米国の保険産業はアジアを目指す。日本でも急進している。だが得意分野の医療保険が日本ではさっぱりだ。国民健康保険がほぼすべての国民をカバーしているので、入り込む余地がない。国民健康保険が壊れれば民間保険を売ることができる。

英国ではサッチャー政権の時、それが起きた。財政削減で国民健康保険でカバーできる医療が劣化し、きちんとした医療を受けるには民間の保険を買うしかなかった。制度の崩壊は保険会社にとってビジネスチャンスだ。

米国の論理で言えば、財政が支援している国民健康保険は「民業圧迫」で、優れた保険商品を扱う米国の保険会社の活動を妨げる「非関税障壁」となる。今は、日本国民が国保を支持しているので、そこまでの主張はしないが、国保が財政的に衰退すれば状況は変わる。

その原型が事前協議の「保険問題」にある。米国は政府が株主である日本郵政の子会社であるかんぽ生命が売るガン保険などを止めるよう求めている。政府の信用で全国展開のビジネスをするのは「非関税障壁」だというのだ。この論法は、やがて国民健康保険でも使われるのではないか。

医療関係は米国が強い。薬品も同じだ。今の薬品価格は厚労省が低く抑えている。これでは儲からない。これも非関税障壁になり、撤廃されれば薬価は上がり、国民健康保険の財政も危うくなる。

表示で差別するのは非関税障壁!?

注目したいのが「遺伝子組み替え食品」だ。害虫に喰われない農産物を作るため遺伝子組み替えの種子が米国では一般化し、いまや穀物地帯の南米まで席巻している。ムシが付かない防虫効果が人にどんな影響を与えるのか、まだはっきりしない。

日本では作付けは認められていないが、遺伝子組み替えの大豆を輸入して作った醤油やみそなどが売られている。こうした状況に消費者は敏感になり、「遺伝子組み替え食品は使っていません」と表示した商品に関心が高まっている。米国はこの表示を問題にしている。「表示で差別するのは非関税障壁」というのだろうか。

背後には遺伝子組み替え種子で世界制覇を目指すモンサント社がある、とされる。この問題はいずれ改めて書く。

ワシントンで石を投げればロビイストに当たる、というほど米国議会は業界のロビー活動が盛んだ。民主党も共和党も国会の議決に党議拘束はない。業界ビジネスがストレートに経済外交に反映し、米国の世界戦略と一体となって進んでいる。

それは米国のお国柄だが、他国が築き上げた制度や消費文化を破壊して攻め込むのは歓迎できない。開かれた貿易体制を目指すTTP交渉なら、国民に情報を開示して判断を仰ぐことが必要だろう。

メディアも、表で騒がれていることばかり追うのではなく、裏で秘密裏に進む重大事案を描き出す努力が必要だと、つくづく思う。

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