新聞とテレビをどこまで信じていいか、その判断が日本人に最も求められる

孫崎享氏の視点ー(2013/03/03)

新聞とテレビをどこまで信じていいか、その判断が日本人に最も求められる

日本の政治の混迷を考えると、マスコミの罪は大きい。

民主党政権に変わろうとする時、小沢氏を徹底的に叩いた。
結局小沢氏は無罪であったが、マスコミは、小沢氏の人物破壊をし、政治的に抹殺した
といっていい。

普天間問題では、沖縄県民の望みを踏まえて、最低でも県外を提案し、防衛・外務が早
々と白旗をおろし、首相の意向に全く沿わないことは民主主義の原則を踏みにじるもの
として糾弾されるべきなのに、鳩山氏攻撃を執拗に続けた。

原発、TPP,増税、オスプレイと国民の目線で考えれば多くの疑問があるにもかかわ
らず、権力の代弁機関となってしまっている。

まあ、読売新聞の渡辺恒雄氏なんかは、権力はおれだという
倒錯した考えを持っているようである。

こうした中で、我々は大手メディアをどこまで信じていいか、真剣に考えるべきだ。

私がソ連に勤務した時には次のジョークがあった。

「(ロシア語でプラウダは真実という意味で、イズベスチアは報道という意味である)
党機関紙プラウダにプラウダなく、政府機関紙イズベスチアにイズベスチアなし」

同じように共産体制のチェコのジョークに次のようなものがあった。

「サッカーの試合の結果の点数が報じられたら、100%信じてよい。天気予報が出た
ら50%信じていい。政治の報道が出たら0%信じていい」

共産圏や独裁国では人々は新聞ラジオは政府の支配下にあり、信じられないと思ってい
る。

だから、中近東では一般の人々が使うツイッター等が猛威を振るい、政権崩壊につなが
る民主化の動きが出た。

中国でも人々は党の機関紙人民日報などをあまり信用していない。従ってツイッターの
一つ、新浪微博が2012年3月時点で3.24億人を超えるユーザーがいる。

事件が起こると新浪微博の素早い報道は政府を動かすまでになっている。

しかし、日本では新聞・テレビに対する盲信が強い。

勿論、新聞・テレビが時の政府を厳しく糾弾し、社会の木鐸の機能を果たすことはある

しかし、歴史や世界を見渡せば、新聞・テレビが統治機構の一部として機能することの
方が多い。

加えて、日本では米国が日本を統治・影響力を行使する際に
日本のマスコミ・新聞を利用するケースが多い。
信頼度は不明であるが、読売新聞や、その社主正力松太郎や読売新聞自体、CIAから
特別のコードネームをあたえられる存在であったし、朝日新聞の緒方についても、
「アメリカ国立公文書館におけるCIA文書の公開により、
CIAが緒方政権擁立のために積極的な工作を行っていたことが明らかになっている」と
されている(ウィキペディア)。

CIAなどが過去日本の報道界に工作を行ったのであれば、
それが今日まで続いていると考えてもおかしくはない。

いずれにせよ、日本の新聞社は権力の統治機構の一部になり、米国の日本支配の一部に
なってきたし、それは多分現在も続いていると考えてよい。

多くの国民は新聞は「、社会の木鐸の機能」だけと誤解している。

だからテレビや新聞が公平でないという。違う。もともと公平でなく、統治の一部分な
のだ。

そう思えば、新聞、テレビへの全面的依存が終わる。

その時にはソーシャルメディアの重要性は一気に伸びるであろう。

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