報道するラジオ2013/3/8 原発10km、20km圏はいま 福島と舞鶴を行く~被災者たちの声

 永岡です、今週の報道するラジオ、水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。

 今回は3・11の2周年特集で、国や自治体の定める原発からの距離の線引きの意味合いを語ります。

今日は水野さんも平野さんも南相馬におられるのです。南相馬も昼間17度あり、原発から22,23km地点。みなさん避難され、警戒区域は解除されても居住は出来ない中、居住の許される、最も原発に近い場所、線量は年間1ミリを超え、隣は飯舘村、線量の高いところと比べたら低いものの、放射線管理区域があるのです。

 南相馬、水野さんのリポートは、自宅が20km地点で分断された方のお話です。取材されたのは鈴木さん、71歳、自宅の敷地が立ち入り禁止になったのです。鈴木さん、原発について、意識はなく、重くは思わず、爆発で原発を初めて身近に感じたのです。平野さん、鈴木さんは驚かれた、海も豊かで、立地自治体ではないものの、庁舎は格別に立派ではなく、そんなところの事実と言われました。

 鈴木さん、事故の深刻さを知ったのは3月13日の夜、11日は津波から助かったと思い、防災無線は津波の話ばかりで原発の避難の声はなく、断水し、13日、鈴木さん水を何とかと山にミズを汲みに言ったら、そこは放射線の高い風の来るところであったのです。帰ってきたら、道路から南に警察が防護服を着ていて、南に行けないと言ったのです。防護服を不審に思ったのです。警察官、原発については教えてくれず、そのまま山形に避難、4月に帰ってきたら家の前に警戒区域とあり、庭で20km圏内、圏外になっていたのです。

 平野さんもこの庭を見て、花を植えているところと、荒れたところに分断されているのを見て驚かれました。土の色も変わり、自分の意思でなく土地を分断されたのです。お金、補償については当時は分からず、しかし20km圏内と圏外で補償は違う(鈴木さんの家の住所は20km圏外)、隣は無人なのです。住めるというより、よそで済むサポートのされないところなのです。

 鈴木さんの畑、立ち入り禁止で、矛盾しており、断りもなく、東電も謝らない!市会議員は何回か来たが、他は誰も来ない。賠償は何もなし、土地に入れなくても、何もないのです。補償も謝罪もないのです。どこに怒りをぶつけていいか分からないのです。平野さん、ではなぜ線引きできたのか、役所は字(あざ)名のみで区切った、ひどい話で、敷地が分断されるのも知らない、市役所も来ない、解除の説明もない。鈴木さんのお姉さん、300m先の避難地域で、出て行かないといけない、土地だけでなく、姉妹の仲も裂かれた。他のお宅にも泥棒が入り、鈴木さん、近くに泥棒が続出し、夜はあたり無人、安心して住めるのではないのです。距離による線引きは矛盾、線量で分けていない。山林は線量を自分で測って高い。除染もあてに出来ない。お孫さんにも野菜をあげられない。野菜は作れない。春菊がブランド品なのに、壊滅、近所の農家もやることをなくしているのです。春菊のハウス、鉄筋が錆びた光景を平野さん見て悲惨と言われました。土地のあばら骨であり、責任者は見るべきなのです。鈴木さん、土地を、土を返してくれと言われるのです。同心円で考えるのは理不尽で、福島事故、同心円で考えられない拡散で、風向きにより違い、160kmの千葉にも届いている、20km、30kmで区切る意味は平野さんないと断罪されました、便宜上同心円で、全国の原発に当てはめようとしているのです。

 続いて、近畿のお話大飯原発から30kmにある京都市舞鶴市の模様。近畿ではどうなのか、似たような状況にあるところで、リスナーより震災より2年目、復興が進まず歯がゆいとのメールがあるのです。舞鶴、大飯の立地自治体ではないが、30km圏内。原発マネーの恩恵はないのに、防災計画が要るのです。鈴木さんと同じ状況にある、30kmラインのすぐ外を水野さん訪れられました。このお宅、目の前の川が30kmになるところです。まさか、自分の家が30km圏のところとは知らず、このお宅の女性、気分的には違う(中と外)、安全と思っても、近すぎて危険なのです。

 福島では、ラインの区域で、あっちの人はいなくなり、こちらからはいてくれとなるのです。一歩違って引っ越せ、まあいいと全然違うのです。しかし、じっとしておられない、しかし行くところはないのです。真っ暗なら住んでおられないのです。しかも、高浜からは10kmであり、それに気づくと、どう考えたらいいかとなるのです。舞鶴、原発事故が起きた際の避難計画を作り、3月13日に決定するものの、平野さん、今の政権は安全指針→再稼動への地ならしのためにしていると指摘され、地方にしたらドタバタをさせられるのです。舞鶴、こっちからの風か、いろいろ考えるが、9万人の町で、皆さんを避難させるなら、バス2000台!とても無理であり、調達は無理。誰が運転するのか?本当にどうなるのか、一般市民の声を水野さん取材されました。

 大飯20km地点、年代により考えが違い、中高年の人は、原発から何kmかを知っており、数字に気づいたのは3・11以来、避難は自動車無理、国道は混雑、どうして生活するのか?逃げるならどう走れるか、車のない人はバスも手配できないし走れない。避難計画は実行できない、計画されても、その通りにはならない。計画があっても実行できないと助からないのです。中高年は関心が高いのです。平野さん、舞鶴は道が狭く、どうやってバスを通行させるか、無理だと言われました。高齢者は体が不自由で、気の遠くなる時間と訓練が要るのです。どこにバスを置き、人を集めるか、さらに雪が多く、どうするか?地震なら道は走れるか?市役所で指揮系統、市役所も原発から10km、福島事故は教訓であるのです。

 今度は若い世代の声、30km圏内、危険ではないならいい、あまり危険意識を持たない、深く考えない。また再稼動賛成、雇用のため、とも言うのです。水野さん、原発の危険性より雇用、仕事のことがあり、平野さん、想像力が欠けると落胆する、事故のときに具体的にどうするのか、市役所もどれだけ危機管理ができるかと言われました。福島では、役所も被災者であるのです。リスナーより、50km以上離れても汚染される、20kmなど意味なし、損害賠償すべきと言っています。ちゃんと管理区域(立ち入り禁止)になるなら補償して人が住まないようにすべきと言われるのです。が、そうはならず、放射線量の高いところに人も住まれています。

 さらに、福島原発から10kmの、浪江町で家に帰れない方のお話です。浪江町→相馬市に避難された根本さんです。水野さんのところに来られました。一時帰宅を5回やり、線量は1月25日に3.8マイクロ、車から降りてアラームがあり、ご主人が速く済ませろと言われました。この値、33ミリシーベルト/年、許容量の3倍で、周囲も片付けられず、3・11のままの家。雨漏りはしないが、中を片付けるのも無理で、瓦礫の処理も出来ないのです。

 根本さん、3・11は家におられて、原発情報は何もなく、海岸で浪江は津波に会い、学校に避難ということがわかったのみで、中には、原発大丈夫かという人もいて、原発の津波への備えは甘かったのです。12日に区長から避難せよと、原発が危ない、2,3日で帰れると、身の回りのものを持ち、動物もそのままで逃げたのです。雪が降ってきた、これは原発の爆発、逃げ遅れた人もいて、爆発で地鳴りがして、雪が降ったように来たのは爆発した建屋の残骸、知らずに触った人もいたのです。

 根本さん、最初は浪江町に避難して、飯舘村に近いところで、飯舘村は線量が高く、そこの避難所(幼稚園~学校、中心地)に分かれて21000人のうち8000人避難。役場も臨時の避難で、しかし情報がなく、建物の外に出てしまい、ペットを連れた人は犬の散歩もしたのです。お孫さん外へ出て遊んでおり、友達と再会できてはしゃいだのです。避難所では毛布をかぶり、そこでは騒げず、外に行くのは当然なのです。

 配られるスープも屋外に並び、テントの前で味噌汁などを配り、行列になっていた、セシウムの雨が降っているなどと知る由もなかったのです。色も匂いもない、後からセシウムが降ったことを知った。1軒に20人も避難して、沢の水でご飯をたいて、被曝したのです。健康データ、浪江町は県から言われてやったのに、本来国のやるべきものを、血液検査、弘前大学の先生が子供たちの血液を見て、結果はまだです。

 このとき、SPEEDIの情報があったら、ここへは避難しなかったのです。東電、浪江町に、原発が危ないといわなかった。菅総理、ネットで避難するようにといい、町長がネットでそれを知り、防災無線は電源なしで使えず、根本さん、羽をもがれた鳥であったのです。電話回線も通じず、誰がどこにかけたかもわからないのです。伝達する方法はいくらでもあったのに、地震で塀の倒れたところ、1時間で帰れるのを3,4時間かかり、東電も自転車などで伝達すべきなのに、やらなかったのです。

 浪江町、津波で瓦礫に埋もれた車に生存した人もいて、役場の人、橋の段差も埋めて、本当に活躍した。家の流された職員もいて、消防団員も活躍し、車の戸を叩く音がして、しかし暗く、良く分からないのに、どこに誰がいるか分からず、明日一番に助けるとなり(雪も降った)、役場の人は翌日助けようとしたら、爆発で危なくなり、しかしその場所は線量が小さく助けられたのに、助けられなかったのです。心を病む人もいるのです。

 津波被害だけなら助かったのに、原発で見捨てられた。風評被害もあり、絶望的なものです。

 根本さん、広い敷地で、補償は難しく、東電の補償は43万円!で家屋敷全部。田んぼも畑も含めて何百坪を、1回たったの43万円、50万円でないと物置は買えないのです。生まれ育った夫もガッカリ。東電の人もいつ畑に入って評価したのか?東電は現地調査はしていない。太陽光発電もしているのに、何も評価していないのです。平野さん、つらい経験をして、他の地域の人に、大飯の人に手紙を出した。根本さん、農協の人に聞いて、農薬は中和する薬も開発しないといけないのに、放射能を中和する方法もなく、原発は安全として推進してきた。元の土に戻るのは、下手したら何万年かかる。暮らしも、自然も破壊され、原発再稼動はそれを考えよと、話を聞いてほしいと、商工会議部に手紙を出したのに反応なしなのです。教訓を学べなかったら、未来はないのです。

 ちなみに、東京で、震災による駐車場の崩壊で、設計した一級建築士4人が書類送検、刑事責任が問われるのは初めてです。警視庁が送検して、4人のうち1人は責任を認めていますが、他3人は否認です(小坂のスタジオから上田さんの報告でした)。

 リスナーより、走れメロスのように伝達する手段はあった、東電の無責任に呆れた、責任の所在も認めないこの国に未来はあるのかという意見もありました。被災者の意見を生かすべきなのに、再稼動を画策している。政治家にこの悲惨な現状を見せるべきなのです。SPEEDIの情報なしでこの始末、しかしSPDDEIは参考情報に格下げ、誰も責任を問われていないのです(先のように、駐車場の事故は責任が問われているのです)。防災は地域の責任なのです。

 私も、今日はラジオに向かって何回怒鳴ろうかと思いました。この内容、例により、私に無断でいくらでも広げてください。そして、安倍総理にこの惨状を見させるべきです!日本を、これ以上破滅させてはいけません!

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コメント:政官業の無責任、訴訟すべし。

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