日本民族は奴隷国家、対米隷属国家に過ぎないのか

孫崎享氏の視点ー(2013/03/15)日本民族は 奴隷国家、対米隷属国家に過ぎないのか

TPPでの動きを見ていると、日本は占領時代から何も変わっていない。
アメリカに嬉々として従属している、そういう国なのかもしれない。

私の戦後史の正体から関連部分を今一度引用したい

重光は次のように書いています。
「結局、日本民族とは、自分の信念をもたず、強者に追随して
自己保身をはかろうとする三等、四等民族に堕落してしまった
のではないか」(『続 重光葵日記』)

「節操もなく、自主性もない日本民族は、過去においても中国文明や
欧米文化の洗礼を受け、漂流していた。
そうして今日においては敵国からの指導に甘んじるだけでなく、
これに追随して歓迎し、マッカーサーをまるで神様のように
あつかっている。その態度は皇室から庶民にいたるまで同じだ」(同前)

「はたして日本民族は、自分の信念をもたず、支配的な勢力や
風潮に迎合して自己保身をはかろうとする性質をもち、自主独立の
気概もなく、強い者にただ追随していくだけの浮草のような民族
なのだろうか。

また、米側の見方も次のとおりです。

マッカーサー自身、次のように書いています。
「私は日本国民に対して、事実上無制限の権力をもっていた。
歴史上いかなる植民地総督も征服者も、私が日本国民に対して
もったほどの権力をもったことはなかった」
「軍事占領というものは、どうしても一方はドレイになり、
他方はその主人の役を演じはじめるものだ」(『マッカーサー回想記』)

天皇も総理大臣も、マッカーサーからみれば「ドレイ」なのです。
つまり自主的には判断ができない存在です。

しかし「ドレイ」だからといって、イコール悲惨な生活ということには
なりません。ドレイは財産です。しっかり働いてもらわなければ
ならないので、虐待されるとはかぎりません。

古代ギリシアでも一九世紀の米国でも、財産であるドレイが大事にされる
ケースは数多くありました。しかし主人に嫌われれば命をなくするのも
ドレイの宿命です。運命は御主人様次第なのです。

さらにいえば、ドレイには上級ドレイ(日本人支配層)と
下級ドレイ(一般市民)が存在し、前者が後者を支配するという構図が
存在します。

吉田首相は、上級ドレイが下級ドレイに対して尊大に接する様子を、
一般の人びと相手によく演じていました。
しかし、夜陰にまぎれ、帝国ホテルにこっそりとしのびこんで、
主人であるウィロビーと会っていた姿は国民にはみせていません。
かろうじて犬丸帝国ホテル社長のような人が見ているだけです。

トルーマン大統領は次のように書いています。

「マサチューセッツ工科大学の総長コンプトン博士は、
〔日本から〕帰国したあとホワイトハウスに来て私に説明した。
彼にまとめてもらった覚書は次のとおりである。

日本は事実上、軍人をボスとする封建組織のなかのドレイ国であった。
そこで一般の人は、一方のボスのもとから他方のボスすなわち
現在のわが占領軍のもとに切りかわったわけである。
彼ら多くの者〔にとって〕はこの切りかえは、新しい政権のもとに
生計が保たれていければ、別に大したことではないのである」
(『トルーマン回顧録』)

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コメント:マッカーサーは日本人は12歳の子供と言っていましたね。黄禍と言って

日系人を収容所に入れ、Yellow Cab (黄色タクシー:誰でも乗せる)と言って馬鹿

にしています。我利我利亡者の貢ぎ外交は自主陵辱に等しい屈辱商人、サムライ

魂は何処?

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