(北朝鮮を逃れた人々:1)収容所 体制死守、幼児にも容赦なし

2014年3月19日05時00分

 ◇朝日新聞・東亜日報共同調査から

 

掘り返した土の中から次々と人骨が現れた。新しい骨は脂のせいで黄色っぽく、時間が経過した骨は真っ白に。子供のものとみられる頭蓋骨(ずがいこつ)もあった――。

1990年3月、北朝鮮咸鏡北道(ハムギョンブット)鏡城近くの山間部で第11号管理所(政治犯収容所)の解体作業が行われていた。政治犯収容所では、多くの人が二度と外に出られず、出られても厳しい箝口令(かんこうれい)が敷かれる。2007年に脱北した60代の元旋盤工は解体作業に招集されて偶然目撃した。

広大な土地に親族もろともに放り込むのが、北朝鮮の政治犯収容所の特徴。人権団体などによれば、最大規模の第16号管理所は神戸市とほぼ同じ広さという。元旋盤工が見聞きした第11号管理所でも、れんがや酒、家具を作る工場のほか、学校まであった。れんが工場跡には、長さ30センチほどの小型の工具が壁にずらっとかけてあった。5歳の子供もれんがをたたく作業に従事したという。「子供までもが人間扱いされず、こき使われていたと思うと、涙が出た」

平壌の北東部にある第14号管理所で生まれたシン・ドンヒョクさん(31)は17日、スイス・ジュネーブでの国連人権理事会などで自らの体験を詳細に語った。6歳から炭鉱で石炭を運び出した。逃亡を計画した母と兄は、「当時は家族の愛を知らなかった」という自らの密告で公開処刑された。「動物以下の扱い。動物の方が逃げる自由があるだけましだ」と話した。

国連の北朝鮮人権調査委員会の報告書によれば、政治犯収容所で、過去50年間に数十万人が亡くなった。現在も少なくとも四つの大規模収容所に8万~12万人が拘禁されていると推測する。

なぜ、これほどまで大規模な収容所を展開するのか。報告書は「体制維持のためだ」と言う。少しでも体制の脅威になる可能性があれば、相手が子供でも容赦しない。

韓国政府関係者によれば1997年に韓国に亡命した黄長ヨプ(ファンジャンヨプ)元朝鮮労働党書記の家族は政治犯収容所に送られた。妻は移送途中、絶望してトラックから飛び降りて死んだ。

黄氏の息子1人だけが平壌に残った。ソウルに住む黄氏に電話で「戻ってくれないと迫害される」と訴えた。黄氏は動揺し、必死にこらえていたという。黄氏は2010年10月に死去した。韓国政府関係者は「役目が終われば、息子も無事では済まない」と話す。

政治犯だけではなく、体制を支えるのにふさわしくないと判断された者にも過酷な運命が待っている。

咸興北道にいた60代男性は物資の横流しの罪で、3千人を収容する一般刑務所に入っていた。川底の土を運ぶ重労働。食事はトウモロコシを砕いたご飯と菜っ葉のスープだけ。「ネズミがごちそうだった」と話す。

栄養失調になった入所者は施設内の病院に収容され、ベッドもない病室にゴザをしいて寝た。ブドウ糖抗生物質などは横流しで不足し、救えるはずの病人が次々亡くなった。男性と同郷の青年も病院で餓死した。青年の罪は、他人の洗濯物を盗んで市場で売っただけだったという。

朝日新聞と韓国・東亜日報による脱北者60人の共同調査を通じ、北朝鮮の様々な人権侵害の実態を明らかにする。

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