2014年3月22日05時00分
◇朝日新聞・東亜日報共同調査から
1990年代、北朝鮮の人々の生活や意識を大きく変えた出来事が食糧難だった。配給制が崩壊し、経済を通じた統制システムからの離脱を余儀なくされたからだ。市場経済が流入し、貧富の格差の問題も浮き彫りにしたと、脱北者たちは口をそろえる。
韓国政府によれば、北朝鮮には毎年約530万トンの食糧が必要。だが、コメや小麦などの配給は、90年代半ばには平壌以外でほぼ停止。毎年100万トン前後の食糧が不足している。
脱北した男性(40代)が住んでいた北朝鮮両江道では95年11月に配給が完全に途絶えた。「最初はジャガイモすら食べられない生活だった」と話す。別の女性脱北者(30)も「コメを食べられる庶民は50%ほどだった」と打ち明けた。
数々の悲劇も生んだ。
東京都の女性脱北者(60代)は、「私は娘を中国に売りました」と告白する。脱北する前年の97年、女性は夫を栄養失調で亡くした。配給は数カ月に1度、腐ったトウモロコシが1キロ配られるだけ。人々は道端のヨモギやタンポポを奪い合い、他人の家に泥棒に入った。「中国で生き抜いておくれ」。女性は娘にそう言うしかなかったという。
それでも、生き残った人々がいた。
別の女性脱北者(61)は自宅のミシンを使い、中国から仕入れた生地で服を作って売った。鉄道労働者だった男性(42)の給与は一晩の飲み代で消え、「妻が市場で塩を売って生活費を稼いだ」。49歳の男性は国境警備隊員に賄賂を渡して中国に渡り、マンガンなどの金属を売りさばいた。
「国営の農場や企業所で働き、国から安価な配給を受ける」という経済システムは破綻(はたん)した。
北朝鮮指導部が「革命の首都」と呼び、富を集中させた首都・平壌と地方との格差が拡大。その平壌のなかでも、家庭教師や荷物運びなど、様々なアルバイトに精を出す市民が急増。特権階層と結びついて利権をあさる人も現れた。平壌には昨年ごろから外貨専用のタクシーも目立ち始めた。もはや家庭の食卓での話題は「首領様の健康」ではなく「割のよいアルバイト」「安い食べ物がある市場の情報」になっているという。
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コメント:「国家」制度の破綻(差別、搾取、殺戮、破壊、破産、・・・)
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