集団的自衛権の行使容認を目指す安倍晋三首相が、憲法解釈の「最高責任者は私」と国会で言い切った。内閣法制局はこれからも「法の番人」であり続けられるのだろうか。

 

■政治家は言い訳に使うな 自民党幹事長石破茂さん

政治家はこれまで、集団的自衛権が行使できないことをもっぱら内閣法制局のせいにしてきました。「私たちは行使を容認したいのだが、法制局が認めない」というのは、政治家のエクスキューズ(言い訳)だった。憲法によって「国権の最高機関であり唯一の立法機関」と位置づけられる国会の構成員として、一種の自己否定なのではないかと思います。

ですから、私は十数年来、「憲法と関係するこのような重要な法案であるからこそ、国会議員の矜持(きょうじ)を持って議員立法で行うべきなのではないか」と言ってきました。当初はなかなか多数意見にはなりませんでしたが、自民党で党議決定している「国家安全保障基本法」はそのような思いで立案したものです。内閣法制局は設置法によって「内閣に意見する」ことが任務とされており、議員立法に対して意見する権限を持ちません。であれば、国会の意思で内閣法制局の憲法解釈を乗り越えられると考えたのです。

もちろん憲法の理念である国民主権基本的人権の尊重、平和主義に正面から反する立法は許されません。しかし、理念の範囲内であれば、時代の要請によって内閣法制局の見解と違う立法措置はありうるのです。

そもそも集団的自衛権の行使が、わが国の自衛権として認められている「必要最小限度」に当てはまるかどうかは、安全保障政策上の判断であって、内閣法制局が憲法解釈として決めるべきことではありませんでした。「政策判断の問題だ」とすればよかったのに、歴代政権と内閣法制局が憲法解釈の世界に持ち込んでしまったことが誤りだったのではないでしょうか。

今後は議員立法か、内閣提出法(閣法)かいずれにせよ、行使を容認しても、実際にそれを行使するためには根拠となる自衛隊法などの改正が必要となります。これらを閣法とするならば、かつて内閣が閣議決定して国会に提出した答弁書との関係から言っても、行使を容認する閣議決定が不可欠であり、今後の推移を見ながら政府・与党間での調整が必要となります。

内閣法制局はこれまで、政権が代わるごとに憲法解釈が変わることがないよう、憲法を頂点とする法秩序の安定に役割を果たしてきました。しかし、国民から選ばれたわけではない内閣法制局のあり方を国民主権との関係で考えた時、それがもし特別な力を持つのなら、三権分立の中で非常に異質な存在となってしまいます。

もうこれからは、内閣法制局を国会議員のエクスキューズに利用することはやめるということです。内閣法制局の憲法解釈だからという理由で、時の政権が時代の要請を顧みず、「憲法守って国滅ぶ」という事態にさせるわけにはいかないのです。

(聞き手・三輪さち子)

 

いしばしげる 57年生まれ。銀行員を経て、86年衆院初当選。自民党、新生党新進党を経て97年に自民党復党。防衛庁長官や農林水産相などを歴任。12年から現職。

 

■暴走に歯止め、無理な話 元外務省条約局長、元最高裁判事・福田博さん

1990年にイラクがクウェートに侵攻した「湾岸危機」の当時、私は外務省条約局長をしていました。日本政府の国際貢献が問われた局面で、内閣法制局の方から「米軍への飲み水の供給も集団的自衛権の行使であれば憲法違反になる」といった話が聞こえてきました。私は「この人たちは日米安保条約を否定しようとしている。わが国の安全保障はどうなってしまうのか」と考え込んだものです。

憲法9条は、日本も批准した不戦条約(1928年)にある「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ放棄スル」とした国際法を我が国が守ることを担保するため規定したものです。憲法9条は不戦条約と相まって、紛争解決手段としての戦争を国際法上も国内法上も違法化することに主眼があり、主権の一部である自衛権の話とは本来、無関係です。交戦権の否認も戦争を違法化したことを念のために表現した規定と考えるべきです。

国連憲章51条は個別的自衛権のほか集団的自衛権を認めており、日本は1956年に国連加盟をする際に、この条文に何らの留保も付けていません。憲法の制約が本当にあるなら、当然その点を留保して加入しなければなりませんでした。

こうした点を顧みず、内閣法制局は独自の法律論とつじつま合わせで「集団的自衛権国際法上保有すれども、憲法上行使できない」との趣旨の答弁を繰り返してきました。その原因は東西冷戦時代に、自衛隊や在日米軍基地といった政治的にやっかいな問題が国会で議論されると、政治家が内閣法制局長官に答弁を丸投げしたことにあります。その結果、本来政策を語るべき政治家自らが、内閣法制局の法律論に振り回されているのが現状ではないでしょうか。

内閣法制局は各省庁からの出向者で構成されている役所。政府が国会に提出する法案の整合性を保つために必要な組織ではありますが、省庁が出す法案を事前に審査していることから「自分たちは偉いんだ」と思ってしまう人もいるのでしょう。

最近では、内閣法制局の幹部経験者が「集団的自衛権を行使するには、憲法9条の改正が必要だ」といった発言までしています。軽々しく改憲を求めていると受け取られかねず、国際的に無用の誤解を招く発言です。

また内閣法制局を「憲法の番人」などと言うのは間違いです。違憲審査権はあくまでも司法にある。民主主義は多数が決める政治ですが、その民主主義が行き過ぎた時にそれに歯止めをかけるのが司法の役割です。内閣の一部門である法制局に、暴走の歯止めをかけさせようというのは、土台無理なのです。

戦争を防ぐには法制局の憲法解釈ではなく、真に民主的な選挙で選ばれた政治家によるシビリアンコントロールこそ必要なのです。

(聞き手・山口栄二)

 

ふくだひろし 35年生まれ。60年外務省に入省し、条約局長や駐マレーシア大使、外務審議官などを歴任。95~05年最高裁判事。監修書に「現代国際関係の基本文書」。

 

■国民の関心が支えになる 明治大学教授・西川伸一さん

安倍首相の答弁を聞いたときは、「それを言っちゃあおしまいよ」と思いましたね。戦後の保守政権は、内閣法制局をうまく使ってきました。法制局に無理難題を押しつけて、野党の批判をかわしてきた。安倍さんの答弁は、ある意味で保守政権のこうした「知恵」の否定です。

内閣法制局も「法の番人」と「権力の従者」という二つの顔を巧みに使い分けてきた。政権から要求があれば、「ここは無理だけど、ここまでは理屈でなんとかしましょう」と貸しをつくった。その代わり政権は法制局の権威を認め、手を突っ込まない。ギブ・アンド・テークの関係を続けてきたんです。

でも内閣法制局の権威には法的な裏付けはありません。法律上は内閣に従属した組織にすぎないので、安倍首相が小松一郎さんのような部外者を長官に持ってきても、抵抗できない。

だからといって、内閣法制局の独立性を高めるのは現実的ではない。内閣提出法案の事前審査が仕事ですから、内閣にあること自体は制度設計として合理的。問題はその使い方です。

内閣法制局が内閣提出法案を事前に厳格に審査し、違憲の恐れを極めて低くする方が統治としては効率的です。司法の事後チェックは時間がかかるし、具体的な違憲訴訟を起こされないと機能しない。ただ、厳格さは融通のなさの裏返しでもある。

内閣法制局に批判的な政治家に小沢一郎さんがいましたが、事前規制型から事後チェック型へという新自由主義的な発想でした。安倍さんは、集団的自衛権の行使容認だけのために、内閣法制局に手を突っ込んだ。

この20年間、内閣法制局はPKO協力法テロ特措法有事法制関連法と、「白」の範囲を少しずつ広げて対応してきた。集団的自衛権はそうはいかない。これまで「黒」といってきたものを「白」にするのだから、「法の番人」の権威は一気に崩れます。

内閣法制局が今のスタンスを保つ限り、また同じようなことが起きる。歯止めをかける法的な手段はないので、後は国民の良識しかない。憲法解釈を軽んじ、自分の都合で変える気の首相は支持しない。支持率が低ければ、安倍さんもこんな強引なことは言い出さないでしょう。

国民にしてみれば、内閣法制局がなぜ重要なのかがわかりにくいことも、事態を不透明にしています。法制局は行政府内だけの「法の番人」で、いわば「BtoB」(企業間)の取引ばかりやってきた。C、つまりコンシューマー(消費者)である国民には知られなくてもいいという職人気質がある。

今回の件は「わざわい転じて福となす」。内閣法制局が「BtoC」になる機会と考えたい。国民に関心を持ってもらうことが彼らの支えになります。

(聞き手・尾沢智史)

 

にしかわしんいち 61年新潟県生まれ。明治大学政治経済学部教授。専門は政治学、現代国家分析。著書に「これでわかった! 内閣法制局」「裁判官幹部人事の研究」など。