永岡です、関西テレビのニュースアンカーで、来年の阪神・淡路大震災20年を前に、震災特集がありました。
阪神・淡路で6400人以上亡くなり(私の伯母もそのひとりです)、しかし、まだ3人、行方不明の方がおられます。
そのお一人、佐藤正子さん(震災時65歳)、震災の際に須磨(ニュースでは説明はありませんでしたが、映像を見たら鷹取地区、須磨と長田の境界)におられて、その娘さんの悦子さん、加古川(神戸と姫路の中間地点)にお住まいで、震災の後、悦子さん、母のいた場所を探しましたが、未だに行方不明です。もちろん正子さんのおられた家は地震と火災で破壊され、悦子さん、跡から、自衛隊や警察の協力で母の時計を見つけたものの、未だに行方不明であり、その後、須磨海岸にいたとの話もありましたが、確認は取れていません。
正子さんは、震災当時、板宿(いたやど、ここも須磨と長田の境界で、野球で有名な滝川や育英高校のあるところ)の花屋さんに勤めておられて、ここを前日に出られた後、自宅で被災し、行方不明です。花屋さんには、正子さんのロッカー、19年前のままで残っています。
悦子さん、正子さんが記憶喪失ででも生きていてほしいと願っておられます。そして、悦子さん、震災の映像などを見たら、母のことが思い出され、悲しいのです。もちろん、東日本大震災のことも心を痛めておられます。
さらに、西宮でも行方不明者が2人いて、故郷が鹿児島で共通しており、こちらは鹿児島で慰霊祭も行われました。
佐藤悦子さん、震災から19年、お孫さんも生まれて、その中で、母の記憶を追っておられます。
阪神・淡路から19年、震災はまだ終わっていないのです。
以上、アンカーの震災特集でした。
阪神・淡路で6400人以上亡くなり(私の伯母もそのひとりです)、しかし、まだ3人、行方不明の方がおられます。
そのお一人、佐藤正子さん(震災時65歳)、震災の際に須磨(ニュースでは説明はありませんでしたが、映像を見たら鷹取地区、須磨と長田の境界)におられて、その娘さんの悦子さん、加古川(神戸と姫路の中間地点)にお住まいで、震災の後、悦子さん、母のいた場所を探しましたが、未だに行方不明です。もちろん正子さんのおられた家は地震と火災で破壊され、悦子さん、跡から、自衛隊や警察の協力で母の時計を見つけたものの、未だに行方不明であり、その後、須磨海岸にいたとの話もありましたが、確認は取れていません。
正子さんは、震災当時、板宿(いたやど、ここも須磨と長田の境界で、野球で有名な滝川や育英高校のあるところ)の花屋さんに勤めておられて、ここを前日に出られた後、自宅で被災し、行方不明です。花屋さんには、正子さんのロッカー、19年前のままで残っています。
悦子さん、正子さんが記憶喪失ででも生きていてほしいと願っておられます。そして、悦子さん、震災の映像などを見たら、母のことが思い出され、悲しいのです。もちろん、東日本大震災のことも心を痛めておられます。
さらに、西宮でも行方不明者が2人いて、故郷が鹿児島で共通しており、こちらは鹿児島で慰霊祭も行われました。
佐藤悦子さん、震災から19年、お孫さんも生まれて、その中で、母の記憶を追っておられます。
阪神・淡路から19年、震災はまだ終わっていないのです。
以上、アンカーの震災特集でした。