牽強付会(けんきょうふかい)とはこういうことをいうのだろう。

集団的自衛権の行使容認に向け、政府や自民党内で1959年の砂川事件の最高裁判決を論拠にしようという動きが出てきた。「判決は集団的自衛権の行使を否定していない」というのがその理屈だ。

だが、この判決は、専門家の間ではそうした理解はされていない。都合のいい曲解だ。

事件が起きたのは57年。米軍旧立川基地の拡張に反対する学生らが基地に立ち入り、日米安保条約に基づく刑事特別法違反で逮捕・起訴された。

東京地裁は米軍駐留は憲法9条に反するとして無罪にしたが、最高裁はこれを破棄。外国軍は9条が禁じる戦力には当たらないとする一方、安保条約の違憲性については「統治行為論」によって判断を避けた。

判決は、9条が固有の自衛権を否定したものではないとしたうえで、こう述べる。

「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」

これをとらえ、自民党高村正彦副総裁は「最高裁は個別的、集団的を区別せず自衛権を認めている。内閣法制局が『集団的自衛権は使えない』というのはだいぶ飛躍がある」と語る。集団的自衛権も必要最小限なら認められるというわけだ。

判決が出たのは、自衛隊発足から5年後。9条が保有を禁じている戦力とは何か、自衛隊は合憲なのかどうかが国会で盛んに議論されていたころだ。

裁判の争点は、在日米軍が戦力にあたるのか、裁判所が条約の違憲性を審査できるか否かというところにあった。日本の集団的自衛権の有無が争われたわけではない。

公明党山口代表が「個別的自衛権を認めた判決と理解してきた」と語る通りだ。公明党は、自民党の身勝手な理屈を受け入れるべきではない。

砂川判決が集団的自衛権を認めているならば、その後に確立されていった内閣の憲法解釈にも反映されて当然なのに、そうはなっていない。

学説としてまともに取り上げられていない解釈を、あたかも最高裁の権威に裏付けられたかのように振りかざすのは、誤った判断材料を国民に与えることになりかねない。

「立憲主義に反する」と批判される自民党にしてみれば、最高裁判決を錦の御旗にしたいのだろう。だが、こんなこじつけに説得力があるはずもない。