哲学者の鷲田清一(わしだきよかず)さんに「おとなの背中」という短いエッセーがあって、味わい深い。やっていいこと悪いこと、生きるうえで大事なことを、子どもは大人を見て覚えていく。子どもは大人の〈その姿、その佇(たたず)まいを、後ろからしかと見ているのだ〉▼子どもは大人が思う以上に鋭敏だという指摘に納得する。佇まい、という言葉もいい。ある辞書によれば、さりげなくかもし出される雰囲気をいう。見られるに値する佇まいをどうしたら獲得できるか、などと思い惑う時点で落第かもしれない▼何歳からを大人とするか。与野党の話し合いは、中途半端な結果となった。憲法改正の国民投票には18歳以上に参加させる。これにあわせて選挙権も18歳への引き下げをめざす。だが、民法上の成人年齢をどうするかは先送りという▼飲酒や喫煙を含め、子どもとの線引きのあり方には多くの議論がある。とはいえ改憲の是非の意思表示ができると認めるなら、立派な成人として遇していいのではないか。見せる背中はまだ小さくても、急ぐことはない。大人でいる時間は長い▼自民党は明文改憲に向けての法整備を優先したかったのだろう。その一方で安倍首相は条文は変えず、解釈だけを変えて集団的自衛権を行使できるようにするという。ちぐはぐというか、あれもこれもの欲深さというべきか▼安倍氏が国民投票法を成立させた7年前を思い出す。強行を重ねた当時の手法への反省は今いずこ。ごり押しの姿勢には佇まいも何もない。