昨年9月の国連総会安倍晋三首相はこう演説した。「積極的平和主義の立場からPKO(国連平和維持活動)をはじめ、国連の集団安全保障措置に対し、より積極的な参加ができるよう図っていく」

この言葉が象徴するように、安倍内閣は日本の安全保障強化を理由とする集団的自衛権の行使にとどまらず、武力行使を伴う多国籍軍への参加など、今の憲法解釈で認められていない活動に意欲を示す。

日本の国際貢献をめぐり、転機となったのは1991年の湾岸戦争だ。

国連安全保障理事会は当時、クウェートに侵攻したイラクに対し、米国など多国籍軍の武力行使を認める決議を採択。米国は日本に物資輸送など後方支援を求めてきた。

しかし国連のお墨付きがあっても、多国籍軍の海外での武力行使に加わることは、憲法上認められていない。結局、日本は自衛隊の派遣を断念。国際的な批判も浴び、92年のPKO協力法成立の契機となった。

 

■自衛隊活動、拡大図る首相

安倍内閣は昨年10月、「イラクのクウェート侵攻のような武力攻撃」と題した想定について、首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」に示し、対処のあり方について検討を求めた。

内閣はその際、「我が国は国連安保理決議が全会一致で採択された場合ですら、武力行使できない」と指摘。安保理決議を踏まえた武力行使に協力することは「国連加盟国の責務ではないか」と主張した。

ただ、安倍内閣の目指す自衛隊の海外派遣の将来像と、現実には大きな隔たりがある。PKO協力法では、自衛隊が武器で相手に危害を加えてもやむを得ないケースを正当防衛や緊急避難などに限っている。武器使用を拡大すれば、「海外での武力行使」につながる恐れがあるからだ。

首相は集団的自衛権の行使と同様、この問題も憲法の解釈変更で乗り越えようとしている。今年2月の参院予算委では「今の法体系では自衛隊は何もできない」と主張。自衛隊の海外での活動を制限してきた「武器使用基準」の緩和が必要との考えを示した。

具体的には、海外で自衛隊の部隊からかなり離れた場所にいる日本人を救出したり、危険にさらされた他国の部隊やNGOの救援に駆けつけたりする際、従来は認められなかった武器の使用を可能にするものだ。

 

■現場は苦悩「議論冷静に」

実際、海外派遣された自衛隊が武器の使用に悩む場面は過去に何度もあった。

94年11月、アフリカ・ザイール(現コンゴ民主共和国)。神本光伸氏は、PKO協力法に基づいてルワンダの難民支援のために派遣された陸上自衛隊員約260人を率いる隊長だった。

「日本の医療NGOが難民キャンプで物資を強奪され、動けなくなっているそうです」。部下の報告を聞いた神本氏は「ただちに救出を。小銃、鉄帽を忘れるな」と指示。宿営地から約30キロ離れた難民キャンプに隊員約20人を派遣し、NGOのメンバーを保護した。

ところが、神本氏の指示は波紋を呼んだ。報道陣から「邦人の救出は(派遣部隊に認められた)業務の実施計画に入っていないのでは」と指摘された。部隊の活動は同法によって事前に定められている。武器持参での邦人救出とみなされれば、神本氏の判断は違法と判断される恐れもあった。

「やり過ぎたのかもしれない。俺の自衛官生活もこれで終わりか」。意気消沈していた時、東京から「官房長官が実施計画の中にある輸送業務だったと発表した」との連絡が届いた。政府の判断でとがめられることはなかったが、神本氏には今も釈然としない思いが残る。「自衛官がいるのに、日本人を助けないという選択肢はなかった」

2004年2月、イラク南部サマワ。イラク特別措置法に基づき、派遣された陸自の先遣隊長を務めた佐藤正久参院議員も「駆けつけ警護」の問題で悩んだ。

サマワの中心部にも迫撃砲が撃ち込まれるなど、治安悪化が懸念されていた。日本の外務省職員や報道陣も現地にいたが、隊員と一緒にいる場合を除き、彼らが危険にさらされても武器で救援はできない。佐藤氏らは「情報収集」の名目でホテルを巡回し、日本人の安全確保に気を配った。

佐藤氏はこの経験を踏まえて語る。「日本人だけでなく、自衛隊の近くにいる国際機関職員ら非武装の人を助けなくてもいいのか。他国の軍隊の警護より文民の安全確保がまずポイントになる。憲法論の中で、自衛隊の活動にどこで線を引けるかという議論を、冷静にしていくべきだ」

(其山史晃、園田耕司)