さらば平和外交  軍事援助に扉を開くODAの変質

山田厚史の「世界かわら版」
【第58回】 2014年4月10日 山田厚史 [デモクラTV代表・元朝日新聞編集委員]

紛争を武力で解決しない。日本が国際社会で生きる大原則が「平和外交」だった。この理念は援助にも活かされた。ODA大綱には「軍事的用途を回避する」と明記された。武力に頼らず民生分野で徳を積み、影響力を高めていく。そんな国是が国会議論もなく書きかえられようとしている。

ODAにも
首相の国家観を持ち込む危険

外務省は3月31日、「政府開発援助(ODA)大綱を見直す有識者懇談会」の初会合を開いた。6月をメドに報告書をまとめ、年内に新たなODA大綱を閣議決定するという。岸田文雄外相が3月28日発表した「見直し」は、安倍晋三首相の国家観を援助の世界に持ち込む危険性をはらんでいる。

「ODA大綱の見直しについて」という文書が外務省のホームページに張ってある。なぜ今ODAの基軸を変えるのか。「見直しの背景」に次の一節がある。

「国家安全保障戦略や日本再興戦略においてODAの積極的・戦略的活用が明記されている…」

安倍政権は昨年12月、米国のNSC(国家安全保障会議)に倣って安全保障政策の元締めとなる国家安全保障会議を設置した。外務・防衛省と首相官邸が軸になり、米国などの情報機関と連携し、テロ対策や北東アジアの軍事情勢に対処する、という鳴り物入りの組織だ。

「日本版NSC」と呼ばれるこの機関の事務局である国家安全保障局のトップに就いたのが、内閣官房参与として安倍政権の知恵袋になっていた谷内正太郎元外務省事務次官。初仕事として取り組んだのが国家安全保障戦略だった。

この中でODAは「普遍的価値の共有」に「積極的・戦略的に活用する」と謳われた。どぎつい政策は一般の人に分かりにくい表現で書き込む、というのが官僚社会の常套手段である。意訳すれば「中国に対抗する勢力を力づける方向でODAを活用する」ということである。

谷内局長は外務官僚のころ「自由と繁栄の孤」という方針を立案した。民主主義と市場経済を「普遍的価値」として、この価値を共有する国家と連携を強めていくことを日本外交の基本とした。アジアではASEANからインド・パキスタン。モンゴルから中央アジアへと自由と繁栄の弧をつなぐ、という「価値観外交」である。

米国ではブッシュ・ジュニアが大統領で、民主主義と市場経済をあまねく世界に、とイスラム勢力や中国をけん制していた。日本はこの「価値観外交」に同調し、アジアに「中国に対抗する国家連合」を作ろうと動き始めたのである。今も安倍首相が外遊三昧なのも「価値観外交」を引きずっているからだ。

「普遍的価値観」つまりイスラムや中国と対抗する国家を束ねる安保戦略にODAを組み入れる。それが大綱見直しの意図である。

武器輸出は「原則禁止」から
「例外を除いて自由」へ

有識者懇の初会合があった翌日、政府は「武器輸出3原則」を廃止し「防衛装備移転3原則」を閣議決定した。

なにがどう変わったのか。平たく言えば「原則禁止」だった武器の輸出が「例外を除いて自由」になったのである。

新原則は①国連安保理決議の違反国や紛争当事国への移転は認めない、②平和貢献・国際協力の積極的推進や我が国の安全保障に資する場合は移転を認める、③目的外使用および第三国移転については適正管理が確保されること、が3本柱だ。

①は武器禁輸の条件だが、現時点で安保理決議の違反国はない。つまりこの条件に触れる国はない。②は日本の仲間には武器を供与しようということである。③技術や部品の流出は大丈夫か、など面倒なことは言わない、という寛大な態度を示した。

武器輸出3原則は佐藤栄作内閣で決まった。輸出してはいけない国として①共産圏、②国連決議で禁輸が決まっている国、③紛争の当事国、その恐れがある国。だがシリ抜けが目立つようになり三木内閣は「武器の輸出は慎む」と表明。事実上の「原則禁止」となり、例外的に認める場合は、そのつど官房長官が「談話」を出して理由を説明することになった。

「憲法の平和主義の精神にのっとったもの」と政府は説明してきた。それが安倍内閣で覆され、他国と共同開発された武器が第三国に渡ることもOKとなった。

「普遍的価値を共有する国」なら軍事や武器輸出で積極的に協力する、という方針を明確にしたのが国家安全保障戦略である。これに沿ってODAが積極的・戦略的に活用される。

「原子力ムラ」同様に
援助の世界にも「ODAムラ」

見直しを決める有識者懇とはどんな顔ぶれなのか。

座長は薬師寺泰蔵(慶應大学名誉教授)。委員として荒木光弥(国際開発ジャーナル主幹)、大野泉(政策研究大学院大教授)、大橋正明(国際協力NGOセンター理事長)、佐藤百合(JETROアジア経済研究所地域研究センター長)、中西寛(京大大学院教授)、松浦晃一郎(ユネスコ前事務局長)、矢野薫(日本電気会長)。

この種の組織は初会合で座長を決めるのが普通だ。座長は事務局と打ち合わて議論の段取りと方向を決める重要なポスト。初会合の前から決まっていた、ということは事務局との二人三脚が既に始まっていたのだろう。

それにしても4回の会合で援助方針の大転換を議論できるのか。会合はせいぜい2時間。事務局がドサッと資料を出して説明し、委員がひと言ずつしゃべれば時間切れ、というのがこの手の会合だ。

さきの「見直しの背景」によると、改定のポイントは「軍事援助」のほかに沢山ある。日本再興のためにインフラ輸出・資源確保。世界の貧困撲滅のため格差是正、持続的開発など開発目標の変化。平和構築のためPKOと連動するODAの在り方。途上国に流れ込む民間資金との連携などが列挙されている。

盛り沢山の課題を4回で対応策や方針の転換を決めるなど不可能と思われるが、この手の会議を操ってきて官僚OBは

「議論しました、というアリバイ作りの儀式が有識者懇談会。ご自分の役割が分かる人を委員に選ぶのが通例です」

という。

原発事故で「原子力ムラ」の存在が露わになったが、援助の世界にも「ODAムラ」がある。官僚機構の外郭団体であるJICAやJETROなど旧特殊法人、ODA予算の世話になる学者や研究機関、「おだんご(ODANGO)」と呼ばれるODA予算に頼るNGO、援助情報を流すメディアなどである。委員に選ばれた有識者のほとんどが「ODAムラ」の住人だ。

方針変更で大事な役割を果たすのは、元外務審議官の松浦氏と保守論談で活躍する中西教授だろう。国家の安保戦略にODAを使おう、という意見を積極的に表明すると思われる。人選の段階でどの委員がどんなパートを受け持つか役割はほぼ決まっている。あとは手順を踏み、外務官僚が書くレポートを追認するだけだ。

ODAの見直しもまた
「戦後レジームの脱却」なのか

集団的自衛権の憲法解釈も武器輸出三原則の見直しも「有識者懇」が使われた。「有識者に諮ったところ、このような結論が出ましたので、政府としても……」と、お墨付きを頂いたかのように閣議で決定するという手法だ。国会など関係ない。外交委員会などで取り上げられても馬耳東風。

しかし内閣が代わっただけで、60年続いて来た援助方針が根本から変わる。そんなことでいいのだろうか。

今のODA大綱は2003年、小泉内閣で作られたものだ。「援助実施の原則」として「軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する」と明記されている。

「非軍事利用」は1954年に日本がビルマに援助を始めた時から大原則になっていた。根源は憲法の平和主義である。憲法に謳われた精神を援助という政策に具体化すれば、非軍事的協力になる。「これが日本という国です」と世界に示してきた。政権が代わったからといって手仕舞いするほど軽い話ではないだろう。

岸田外相は国会で「軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する」という「精神は変えない」と語った。しかし、木原誠二外務政務官は、有識者懇談会の役割について「安全保障を含めた面についても議論いただく」と述べ、軍事分野への活用も検討の対象内であることを暗に認めた。

自民党内のハト派である宏地会の代表である岸田外相と、靖国神社公式参拝を推進する会の副幹事長を務めた木原政務官では微妙な差はあるが、ODA大綱の見直しは安倍政権の基本方針に沿った展開になるだろう。

「共通の価値観」を持つ国への軍事支援はすでに始まっている。南シナ海・スカボロー礁の領有をめぐって中国と対立するフィリピンへ艦艇の供与が決まり、やがてODAの適用が浮上するだろう。

中国けん制のパートナーと政権が位置付けるインドへは、産経新聞によると「政府は海上自衛隊の救難飛行艇US2を輸出する方針」という。US2は敵見方識別装置を装備しているので武器と見なされていたが、武器輸出3原則が廃止されたことで道が開けた、という。安保戦略は「防衛装備」を「普遍的価値」を共有する国に供与することが「積極的平和外交」だという。財政基盤が弱い相手国に資金面で支援するのがODAの役割、という位置付けだ。

ODAとはオフィシャル・デベロップメント・エイドの略である。これを政府開発援助と訳した。もともと「開発への援助」なのである。井戸を掘ったり、道路や港湾の建設に日本の税金を注いできたのは、まともな暮らしをしたいと願う途上国の人々への「生活支援」のためである。他国と張り合う防衛装備品を提供することが「開発援助」なのか。

日本の安全保障に役立つなら、途上国に日本のためにひと働きしてもらおう、と考える政治家がやがて出てくるとも限らない。世界を眺めると他民族を軍事戦略のコマに使うことは珍しくはない。豊な国は貧しい国を盾や鉾に使うことはよくあった。日本は戦後、そうしたことをしない国である、という旗を掲げて、非軍事の援助を貫いてきた。

今年はODAが始まったから60年という。60年培ってきた援助の理念を壊し、軍事援助に扉を開く。これもまた「戦後レジームの脱却」ということなのか。

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