2010年9月、東シナ海尖閣諸島沖で中国の漁船が海上保安庁巡視船に衝突する事件が起きて以来、「尖閣」は日本の安全保障や外交にとって、ひときわ大きな課題になった。

日中関係が緊張し、特に中国の海保にあたる海警が尖閣近海で度々領海侵犯を繰り返すようになると、国会などでひとつの危機のシナリオが語られ始めた。

昨年10月の参院予算委員会民主党の大塚耕平議員は「島嶼(とうしょ)部を武装漁民が占拠したらどうするのか」と質問。これに対し安倍晋三首相は「漁民だが、もしかしたら重武装している可能性もある。しっかりと法的基盤をつくっておく必要もある」と応じた。

質疑で出た「武装漁民の上陸」とは、どんな事態を想定したものなのか。

今年3月末、東京。ある大手シンクタンクが現役自衛官や政治学者、外交・安全保障に詳しいジャーナリストら35人を集めて尖閣の危機を想定したシミュレーション(演習)を開催。それぞれ閣僚や自衛隊幹部の役を演じ、政府の役割や事態の対処法について議論した。演習で前提とした想定事例はこうだ。

「尖閣沖で中国漁船が座礁。乗組員12人が島に上陸し、中国国旗を立てて『尖閣は中国のものだ』との横断幕も掲げた。船内にライフルを隠し持っているとの情報も入った。日本政府は国家安全保障会議NSC)を招集し、自衛隊出動の検討を始めた……」

参加した専門家らの議論の的になったのは、どんな判断と法的根拠で自衛隊を出動させるか、だった。

 

■出動の根拠、「灰色領域」論

自衛隊法が定めた出動のルールには、自衛権に基づく「防衛出動」と、警察権に基づく「治安出動」「海上警備行動」がある。他国による侵略や武力攻撃を前提に対処する防衛出動の場合は武力行使が認められるが、漁民の上陸が他国の組織的な攻撃とみなすことができなければ使えない。

一方、治安出動と海上警備行動は、警察や海保では治安維持が困難な場合に認められるが、武器の使用については防衛出動と比べて制限されている。

最近、政府や与野党で「武装漁民の上陸」という想定が広く語られるようになったのは、「防衛出動はできないが、治安出動では対応が不十分なケース」を説明するのに、わかりやすいからだ。

安倍首相は2月、自らの諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の会議で、武装漁民のほか、潜航したまま領海内に侵入した外国潜水艦への対処といった事例を列挙。こうした事例を現行法での対応策があいまいな「グレーゾーン」と位置づけ、「対応の必要性が認識されている。法整備に埋めるべき『すき間』がないか十分な検討が必要だ」と述べた。

自民党内には、法改正で防衛出動を命じる要件を緩和するか、逆に治安出動での武器使用範囲を広げるべきだと指摘する声もある。

 

■武器使用判断、丸投げに異論

ただ、武装した漁民や漁民を装う兵士が尖閣に上陸する事態が、本当に起きる可能性はあるのだろうか。

防衛省幹部は「省内で、武装漁民の上陸という想定は検討していない」と指摘。元海保幹部も「海保や海自哨戒機による警戒活動などが行き届いた尖閣周辺で、闇にまぎれて素性の分からない武装勢力が島に上陸できるとは考えられない」と否定的だ。

現行法でも海保は、停船命令に従わない船の船体に警告の意味で射撃できる。それでも上陸を防げなければ、海上警備行動に基づいて自衛艦の出動が可能となる仕組みだ。

首相が「法整備のすき間」があると示唆した点について、防衛省幹部は「十分に対応出来る。法にすき間なんてない」としつつ、「防衛出動や治安出動は閣議決定で決められ、手続きに時間がかかるのは事実」と語る。

このため安保法制懇では、緊急事態に備え、閣議決定防衛相の判断を経なくても自衛隊が活動できるよう、現場に武器使用についての一定の権限を与えておくべきだとの意見も出ている。

しかし、いま認められている正当防衛や緊急避難を超える場合に、自衛官の判断で武器使用を認めることは、防衛省内にも異論がある。同省幹部の一人は自戒を込めて語る。「歴史を振り返れば、一部隊の判断で放たれた銃弾が、戦争に発展したケースもある。政治が現場の自衛官に判断を丸投げすべきではない」(今野忍)

集団的自衛権 読み解く 安保実態編」は今回で終わります。このシリーズは今後も随時、掲載していきます。