福島原発告訴団、2年間のあゆみ

永岡です、福島原発告訴団の関西支部よりニュースレターが来ました。その中で、告訴団事務局長の、地脇美和さんの文章をテキスト化しました(少々の誤字脱字はご容赦願います)。

なお、告訴団ブログにあるように、4月28日に福島で汚染水問題のイベントがあり、河合弘之弁護士、海渡雄一弁護士などが出られます。

 

福島原発告訴団ブログ、http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/

告訴団関西支部 市民環境研究所 http://www13.plala.or.jp/npo-pie/

 

 

「これでも罪を問えないのですか」

福島原発告訴団、2年間のあゆみ

地脇美和(福島原発告訴団事務局長)

 

 

福島原発告訴団は、東京電力福島原発事故の責任を問うため、2012年3月に結成した。

告訴団を支える弁護団には、全国各地の原発差し止め訴訟に関わってきた河合弘之弁護士と海渡雄一弁護士、そして保田行雄弁護士が就任。業務上過失致死傷罪をはじめ、ありとあらゆる法令を駆使し、加害者及び加害企業の刑事責任を追及していくことになった。そして福島県内各地と避難者が多い地域で「告訴の説明会」を弁護団と開催した。

○第1次告訴

第1次告訴は6月11日に1、324人の福島県民による集団刑事告訴を福島地検に行った。

原発事故を引き起こした東京電力の幹部や国の関係者ら33人の刑事責任を問う告訴・告発状を福島地検に提出した。容疑は業務上過失致死傷罪、激発物破裂罪(いずれも刑法)及び人の健康に係わる公害犯罪の処罰に関する法律(公害罪法)違反。

「原発事故の責任をただす!」と書いた横断幕を先頭にして、総勢230人で提出行動を行った。福島地検(福島市)の空間放射線量は、敷地内の駐車場で毎時1マイクロシーベルトを超えていた。

告訴・告発状提出後の会見で、弁護団の保田弁護士は、「原子力安全・保安院のしたことは、薬害エイズ事件の際の厚生省薬務局とまったく同じ。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして住民に被曝を強いた山下俊一・福島県立医大副学長らにしても、今回の告訴を受け、さっさと福島県から去っていた

だきたい」と発言し、会場は拍手で包まれた。

○原発事故による被曝は「傷害」

告訴・告発状提出から2か月ほどが過ぎた8月1日、福島地検は、この告訴・告発状を受理し、東京・福島の両地検が連携して関係者の事情聴取などを進めることになった。原発事故を招いた人々の刑事責任は、以下の二つに大別される。

(1)原発事故発生前、原発を襲う地震や津波による被害が予想されていながら、それを未然に防ぐための対策を取らなかった。

(2)原発事故発生後、一般市民の被曝を未然、もしくは最小限にとどめるための対策を取ら

なかった。

(1)の責任に関しては、今回の告訴・告発だけでなく、政府や国会の事故調査委員会からも指弾されていた。(2)の責任に関しては、現段階での健康被害の発症の有無にかかわらず、被曝者は健康面で多大なリスクを負い続ける以上、本人の意図しない、または予期しないところで発生した被曝は「傷害」として捉えるべきであり、放射線が体を通過したこと自体が「傷害」である。

○第2次告訴

その後この告訴・告発を全国に呼びかけて、2012年11月15日、福島地検に第2次の13、262人の刑事告訴・告発状を提出した。告訴人は合計14、586人となった。

この間、東京電力は2012年10月に、同社の第三者委員会「原子力改革監視委員会」の場で、従来の「津波は想定できなかった」とする主張を撤回。「事前の備えができていなかったことが問題で、対処は可能だった」との見解を示し、津波対策の不備を認めた。これは、「対処は可能」としない限り、同社の柏崎刈羽原発の再稼働に目途が立たないためだ。しかしこの方針転換は、事故の刑事責任を自ら認めることに他ならず、文宇どおりの「両刃の剣」。

経営陣らが訴えられた株主代表訴訟では「津波は予測できなかった」との主張を続けており、支離滅裂の様相を呈していた。

福島第一原発事故では、入院中だった病院からの避難を強いられ、避難中や避難後に死亡した一般市民が多数存在する。彼らは皆、東日本大震災が「原発震災」とならずに済めば、そもそも死ぬことはなかった人たちだ。このことだけでも、福島第一原発事故は「刑事事件」以外の何ものでもない。

検察は福島第一原発の事故現場確認を行い、事故当時の東電幹部らを任意で事情聴取。聴取の対象は、事故で廃止された原子力安全委員会の班目春樹・元委員長や、避難中や避難先で多数が死亡した双葉病院(福島県大熊町)の院長や遺族にまで及んでいたそうだ。

○激励行動

告訴団は、東電や安全規制当局などに対する「強制捜査を含む厳正な捜査と起訴」を検察当局に求める署名活動を呼びかけ、福島からバスを連ねて上京し、東京地検まで直接届けに行った。決して圧力に屈することなく、正義を全うして欲しいと、捜査に当たる検事らを“激励”するのが目的だ。

そして2013年2月22日、約800人が東京地検前の歩道を埋め尽くし、「東電本店を家宅捜索して証拠を押収」するよう求める上申書と4万策の署名を手渡した。続いて3月19日、福島原発告訴団は福島地検も“激励”訪問する。署名総数は、’約2か月間で、107、109筆に達した。

3月25日~29日には福島地検前で、ランチタイム連続「激励」アピール行動を行った。この日は、福島第一原発で大規模な停電が発生し、使用済み核燃料プールの冷却システムが停止した翌日だった。停電と冷却不能状態はこの日も続いており、参加者らは東電の語る「安全」と「事故収束」への不信と不安を口々に語っていた。

武藤類子団長が強い口調で、「停電で冷却が止まっていて私たち福島県民は怖くて仕方がない。汚染による被曝も続いている。福島原発事故は今も全然終わっていないんです」と訴えた。告訴団が訪れた福島地検の周辺では、事故から2年が経ち、「除染」作業が始まっていた。敷地内にある駐車場の空間放射線量は毎時0.6マイクロシーベルト前後。

検察当局への申し入れの内容は、以下の三点に集約される。(1)東電本店等への強制捜査や事故現場の実況見分なしに、被告訴人らを起訴すべきかどうかの判断はできない。(2)検察が強制捜査に着手できないでいるのは、人手が足りないからではないのか。

ならば、検察は刑事訴訟法に基づき、警察を指揮してすみやかに強制捜査すべき。(3)2004年12月の「スマトラ沖地震」とその津波被害を受け、東電は翌05年と06年の株主総会で津波対策への対応を尋ねられ、「対応が適切になされている」「問題はない」(いずれも武黒一郎常務。当時)との答弁している。津波対策を何ら講じなかった責任を明らかにすべく、当時の社内の議事録や棄議書類をしらみつぶしに調べ上げるべきー。

その上で告訴団は、真相解明のための捜索押収や、証拠隠滅の恐れのある被告訴人らの身柄確保など、必要な強制捜査を実施するよう要請した。この間、東電が国会事故調にウソをつき、福島第一原発1号機の調査を妨害していたことも判明していた。

○第2回総会

2013年4月27日、福島県郡山市の労働福祉会館周辺では毎時0.8マイクロシーベルトあった。ここで、「福島原発告訴団」の第2回総会を開催した。予定の終了時間を1時間超え、熱い議論が行われた。

そして5月31日、東京・日比谷野外音楽堂で「福島原発事故の厳正な捜査と起訴を求める大集会」を開催した。平日の午後であったが、福島県民を中心に全国から1、000人を超える告訴・告発人や支援者らが参加。国会で「子ども・被災者支援法」が成立しても「そのための予算が1円もついていない」実態や、「子どもの靴底に鉛を張って」自衛するしかない福島県内の現状などが、次々と報告された。

集会では、「巨大な事故を引き起こした政府や企業が何の責任も問われなければ、法治国家としての土台は崩れ去り、日本社会の信頼は損なわれる」、「責任ある日本社会を構築するためには、企業、国の犯罪が正しく追及されることが必要」とする決議文の採択後、参加者らが一斉に東京地検前へと移動した。

夏には、地検への「心に訴える暑中見舞いハガキ行動」を呼びかけ、8月4日いわき市で「強制捜査はまだか!!告訴受理から1年を迎えて」集会を開催。9月29日郡山で「これでも罪を問えないのですか!不起訴処分に抗議する」集会を行った。12月17日、海外特派員協会で、記者会見を行い、海外に向けて、アピールを行った。

○不起訴決定

私たちは、検察当局に対し、何度も強制捜査(家宅捜索)をするよう要求し、声を上げ続けてきた。しかし検察は、関係者から何度か任意で事情を聞くだけで、ついに強制捜査さえ行わないまま不起訴の決定を行った。しかも事件を福島地検から東京地検に移送し、1時間後、移送先の東京地検で不起訴の決定を行うという、信じがたい暴挙にでた。

検察審査会法では、不起訴処分を行った地検を管轄区域とする検察審査会にしか審査申

し立てができないと決められており、これは、原発事故への怒りが燃えたぎっている地元、福島の検察審査会で審査ができないようにするために仕組まれたものだ。

検察審査会法によれば、起訴相当の議決が2回続けて出れば、「被告人」は強制起訴される。被告人が有罪になればもちろんjならなくても貴重な証言や証拠が法廷に提出されることで、事故原因の究明が進めば、原発の危険性も明らかにでき、脱原発への道筋はより具体的なものになるだろう。私たちは、決してあきらめることなく、起訴相当の議決が出るよう東京で検察審査会に対し、様々な要求や働きかけを行っていきたい。

○東京検察審査会

東京地検の不起訴処分を不服として、2013年10月16日と11月22日に東京検察審査会に対する審査申し立てを5、740人で行った。東電の東電役員6名に絞った、「業務上過失致死傷

罪」での申し立てだ。審査会でぜひ、被害者の声を聞いてほしいと上申書を提出したが、審査会はすべて非公開で秘密のため、審議状況は私たちにはわからない。

地検による「不起訴理由説明会」が東京と福島で30人に人数が制限された中で行われた。

検事からは、津波がくることは予見できたが、「具体的には」予見できなかった等の論弁が並び、東電をかばう発言に終始した。「検事は東電の顧問弁護士のようだった」と感想が述べられた。検事は、さすがに東電を真っ白と言うことはできず、グレーだと発言した。

○汚染水問題を県警へ告発

また、2013年9月3日と12月18日に「東京電力福島第一原発・放射能汚染水放出」事件で、福島県警に刑事告発を行い、翌年1月20日、福島県警が正式に受理した。告発人は合計6、045名となった。この責任追及は、地元県警へと委ねられた。告発内容は、放射能汚染水を海に流出させたことによる公害法違反容疑。会社法人としての東電をはじめ、廣瀬直己社長ら現・旧幹部32人らの刑事責任を問うものだ。

2011年6月の段階で、東電は汚染水対策として遮水壁の計画案も作っていたが多額の費用を計上して、債務超過といわれないように、この対策を先送りした。また、汚染水を貯蔵するタンクの更新を怠たり、監視がずさんだったことも明らかになっている。前回の告訴・告発が起訴されていたら、汚染水対策も違ったものになっていたのではないか。

○これでも罪を問えないのですか

福島原発告訴団はブックレット「これでも罪を問えないのですか」を出版した。告訴・告発に加わった人々の中から、50人の陳述書を  収録した。この50人の陳述書も、福島県民が受けたおびただしい原発事故の被害のほんの一部に過ぎない。陳述書を書いた人はこの十数倍に上り、その陰には、声も上げられないでいる人がさらにその数百倍、数千倍いるという現実を知っていただきたい。これでもなお原発再稼働、輸出などと言う人たちがいることはとても許せない。

2014年3月1日「被害者証言集会」を東京で800人を超える参加で開催した。ますます拡  大、深刻化する被害を訴える場となった。福島で起きていることは、まともな法治国家なら考えられないことばかりだ。政府も検察も東電の代理人と化している。加害者、犯罪者であるはずの東電が平然と賠償を査定し、「お前にはこれだけくれてやる」と居直っているのが福島の実態だ。

ブックレットには、「普通なら罰を受けるはずなのに、何で東電だけ罰せられないのですか。えこひいきじやないですか」という11歳の小学生の訴えも収められている。11歳の子どもにまでこのように言われてしまう無責任大国ニッポン。被害者だけが泣いて終わる「無責任の日本史」に新たな1ページが書き加えられるだけ・・・そんな歴史に終止符を打

ちたい。

*ブックレット『これでも罪を問えないのですか』は。

CNICの本屋さん(http://cnic.cart.fc2.com/ )でも取扱がございます。

原子力資料情報室通信

478号(2014年4月1日)より

 

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s

%d bloggers like this:
search previous next tag category expand menu location phone mail time cart zoom edit close