この現状をなんとかしないといけない。でも何をすればいいのか。広島市の病院職員、大田聡さん(53)はため息をついた。

先月13日、祖父が眠る沖縄県豊見城(とみぐすく)市を訪れた。祖父は旧日本海軍の大田実中将。69年前の沖縄戦を指揮し、沖縄への配慮を求める電報を打って自決した。

沖縄県民斯(カ)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ》

16歳のとき、白木の箱のしゃれこうべを見せられた。祖父だった。後頭部に小さな穴。ピストルを口にくわえて引き金をひいた痕だ。沖縄への納骨を控え、「お前も見ておきなさい」と父の英雄さん(享年70)に言われた。

英雄さんは、中将の長男。11人きょうだいの6番目だ。軍国少年で、父・中将の死に「米英に必ずかたきを討つ」と思っていた。しかし、骨になった父を見て、軍人への疑問が膨らんだ。やや黒ずみ、前歯がなくなった顔。これが戦争か。「戦争に、いい戦争も悪い戦争もない」。高校の日本史教師の道に進み、退職後も若い世代に説いた。

英雄さんの五つ下の弟は、正反対の道を歩んだ。落合たおさ(たおさ)さん(74)=神奈川県鎌倉市湾岸戦争が勃発した91年、政府がペルシャ湾に派遣した海上自衛隊の機雷掃海部隊の指揮官に命ぜられた。

日本から約1万2千キロ。米軍の駆逐艦やヘリに護衛されながら、国籍不明の高速艇に囲まれたり、米軍ヘリが撃たれたりしたが、何も対処できなかった。国防について、兄の英雄さんと論争したこともある。「兄が言うのは平和と叫ぶだけの観念論。現実社会では通用しない」。集団的自衛権の行使容認は遅きに失したくらいだと考える。

戦争に突き進み、もうこりごりだと考えた祖父の世代。憲法9条と自衛隊という存在のはざまで揺れた父親の世代。では、その次は――。聡さんは自問する。

沖縄では軍隊が住民を守らなかった。「国民を守る」と言われても、集団的自衛権には反対だ。だが「大田中将の孫」の肩書を背負って、人を説得する自信はない。戦争体験もない。だから行動ができない。

そんな世代が支える日本が、戦争のできる国になろうとしている。それにはやっぱり反対だ。「いまは2世、3世が語るしかないのか」

(吉浜織恵、小寺陽一郎)