言い争う気持ちは、もう失せていた。

6月19日昼。国会の閉会間近に開かれた党首会談公明党代表山口那津男は約束の5分前に首相官邸に現れた。いつもと同じやや早足で、首相の安倍晋三が待つ執務室へ向かった。

「午前はロボット視察だったんですね」。山口が当たり障りのない話題から切り出した。そこへサラダとオニオンソースがけステーキが運び込まれた。

10分ほどたったころだった。安倍が集団的自衛権の話を始めた。「与党協議はしっかり見守っていますので」。閣議決定の方針を遠回しに伝えると、山口は「党内にはいろんな意見があります」と言いかけて、そこでやめた。

2人だけで会うのはほぼ4カ月ぶり。前回の雰囲気とはまるで違っていた。

2月25日。山口は、安倍の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の存在をずっと警戒していた。「安保法制懇がいかなる報告書を出しても認めない」と強く出る山口の迫力に、安倍は思わず視線をそらした。

参院選を終えた昨年9月、法制懇が活動を再開した。山口はすぐさま党幹部を集め、「集団的自衛権は党の基盤に関わる重大な問題だ。私はこれだけは妥協できない」とまくし立てた。山口は防衛政務次官も経験した安全保障政策の論客であり、譲れない一線だった。

ただ、公明党のトップとはいえ、その権限は自民党とは同じではない。公明党の権力構造は複雑だ。

歴史的大敗を喫した2009年衆院選で代表の太田昭宏が落選。参院議員で政調会長の山口が、急きょ代表に担がれた。

創価学会の青年部長などを歴任し「プリンス」と呼ばれた太田に比べ、弁護士から政治家に転じた山口の学会人脈は細い。求められたのは誠実、さわやかさを生かした「党の顔」だった。実務の多くは、学会青年部副部長を経験した幹事長の井上義久が担った。

だが、選挙で結果を出し、党首討論でも歯切れ良く追及する姿に、山口は次第に実力者と目されるようになっていった。

4月3日、都内のホテル。山口はひそかに自民党幹部との協議に加わった。その場での、限定容認論をめぐる自民党副総裁の高村正彦との激しい議論の応酬は、他の参加者を驚かせた。

井上はこれ以上、自民党と対立するのは危険だと感じた。山口に迫った。「党首は最後の切り札だ。どんな結果になっても対応できるよう控えていてほしい」

安保法制懇の報告書提出を受けて5月20日から始まった与党協議に、山口の姿はなかった。

 

■本音封印、「党の顔」に戻る

「山口さんは『連立合意文書に集団的自衛権をやるなんて書いていない』って言うけど、『やらない』とも書いてないんだから」

5月19日、東京・赤坂の料亭で自民党若手議員に囲まれた安倍。この日の安倍は能弁だった。そして自信満々でもあった。

与党協議で合意の方向性がほぼ固まった6月26日のことだった。党の会合で山口は突然、「こんなんじゃダメだ!」と大声を上げた。

隣にいた副代表の北側一雄ら出席者は凍りつき、驚いて顔を上げた。

山口は我に返ったように、落ち着いて続けた。

「そう支持者に言われないような結論にしないと」

集団的自衛権の行使容認という安倍の悲願に抗しきれなかった山口が、たった一度だけ見せた心の叫びだった。

そして、山口は再び「党の顔」役に戻った。

7月1日の閣議決定後、安倍は25分で記者会見を切り上げた。一方、山口はその倍近くの時間をかけて、記者から質問が出なくなるまで答え続けた。

「外国防衛それ自体を目的とする集団的自衛権は今回も認められていない」「公明党が『明確な危険』という客観基準を主張していなければ、どんなことになっていたか」。専門家としての意地ものぞかせつつ、丁寧に説明した。

一般支持者の反応は依然として厳しい。「もう選挙は手伝わない」。そんな声が連日のように党に寄せられる。閣議決定の翌朝、山口は党本部に職員を集めてこう語った。「公明党を挙げて、国民に真意を伝えられるように堂々と、しっかりと訴えていきたい」

11月に結党50年を迎える公明党は、9月21日に党大会を開く。山口はすでに代表の続投が有力視されている。(敬称略)

(冨名腰隆、岡村夏樹)