原子力規制委員会で、電力会社にとって厳しい指摘を投げかけてきた委員の島崎邦彦は、9月の任期切れで再任されないことになった。次期の委員人事が示される2週間あまり前、自民党内には「島崎降ろし」の声が渦巻いていた。

5月9日に党本部であった「原子力規制に関するプロジェクトチーム」。原発のある地域から選ばれた議員らが並ぶ会合に、規制委を支える原子力規制庁の幹部が呼ばれた。

「敦賀の判断が性急だ。島崎氏が1人で考えている」。福井県選出の議員は、地元の敦賀原発廃炉につながる活断層の判定に不満をあらわにした。別の議員も「(5人の)委員構成が偏っている」と規制委の厳しさを問題視した。

島崎は地震予知連絡会長を務めた地震学者。現地調査や専門家の議論を踏まえた判定だったが、政調会長代理で座長の塩崎恭久は「原子力規制の経験がない。経験を持った人にしなければならない」と断じた。事実上の更迭要求だった。

経済界や学界も含めた包囲網もつくられていく。原発を重要な電源に位置づけたエネルギー基本計画が4月に閣議決定されると、弾みがついた。

5月14日、関西経済連合会九州経済連合会の役員らが規制庁を訪ね、長官の池田克彦と向き合った。

「いつごろ再稼働するかは政府の責任。審査終了のめどを示してほしい」(古川実・日立造船会長)

「再稼働を一刻も早くやらないと、日本経済がえらいことになる」(石原進JR九州会長=当時)

規制委は、原発推進行政や産業界と規制の距離の近さが問われた事故の反省から、独立性を高め発足した。経営トップによる要請自体が異例だった。

エネルギー政策についてお答えする立場にない」。警察庁出身の池田は受け流したが、九経連会長の麻生泰は記者団に「教科書通り」「ご立派」と皮肉ってみせた。要請では、規制委の本務である安全面より経済面の言及が多くを占め、「圧力」が狙いなのは明らかだった。

事故後、息を潜めていた「原子力ムラ」も勢いを増す。学者と経済界で設立した「原子力国民会議」は6月1日、約600人を集めた集会を開き、「原発が全機停止している現状は異常事態」と気勢をあげた。4日後には、共同代表に就いた文部科学相経験者の物理学者、有馬朗人が官邸を訪ね、日本の原発技術の優秀さを力説した。

関係者によると、安倍政権は年明けから、9月の任期切れを見据えて規制委員の後任選びを始めていた。

結果的に地ならしになった一つが、今年5月に初会合を開いた規制委の下部組織の人選だ。核燃料の安全性を有識者が検討する審査会で、空席のままだった。昨年12月、塩崎が委員長の田中俊一に面会し、早期に開くよう求めていた。

審査会には「ムラ」の学者が並んだ。専門的で、役割も助言にとどまるため大きな異論は出なかった。この会長に、後に規制委員に選ばれる田中知(さとる)が就いた。

東京大教授で、2年前まで業界団体役員を務めるなど推進側とのかかわりは密接だった。委員候補となると、独立性や中立性を重くみる規制委発足時の人選ルールに触れかねない。

しかし安倍政権は、民主党政権が決めたことだとしてルールの細かな規定は「なかったこと」にした。

そもそも規制委の発足前、より独立性を高めた委員会にし、政治介入を防ぐよう民主党政権に迫ったのは自民党だった。

「島崎さんの続投を望んでいた」。規制庁幹部はこう本音を漏らす。原発審査の継続性を重視したい役所の事情があった。

だが、批判が渦巻くなかで、島崎は2年で退くとの当初の意志を変えなかった。官邸から事前に人事案を示された規制委側も拒まなかった。田中知の専門は放射性廃棄物で、人材を求めていた分野でもあった。

「結局、与党の思う通りになってきている」。別の幹部は、あきらめ混じりにこう漏らした。9月の委員交代と前後して、各地の原発の審査がヤマ場を迎える。(敬称略)