毎日新聞 2014年08月05日 東京朝刊
◇行使のリスク語らぬ政府、新聞の役割重い
安倍政権は7月1日、集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。この欄で集団的自衛権の問題を取り上げるのは4月、6月に続き3回目になるが、戦後外交・安全保障政策の重要な節目であるだけに、改めて毎日新聞の社論を説明したい。
2月以降、毎日新聞が掲載した集団的自衛権に関する社説は20本以上ある。うち大型の1本社説が7本。閣議決定の翌日の社説は1面に掲載した。要点は別表の通りだ。
私たちは長い時間をかけて多様な視点で議論を重ね、安倍政権の閣議決定に反対する社説を書いてきた。主な論点は次の四つである。
まず外交論だ。日本の平和と安定には東アジアの緊張緩和と近隣諸国との信頼醸成に向けた努力が欠かせない。軍事的な備えを怠らないのは当然だが、安倍政権の外交は平和への発信が不足している。集団的自衛権行使の議論を安心して委ねられる基盤がない、ということだ。
次に安保論である。抑止力が向上するとの主張は集団的自衛権の一面しか語っていない。集団的自衛権による参戦と戦火拡大の可能性が高まることも考えるべきだ。閣議決定は地理的制約を設けていないから、日本周辺や近海に限り行使を容認するという歯止めもかからない。
憲法論からも反対した。戦後一貫して否定してきた海外での武力行使を一転して可能にする集団的自衛権の行使容認は、合理的な憲法解釈変更の範囲を明らかに超える。
さらには歴史論だ。集団的自衛権行使の条件にある「国の存立」という言葉は時の政権がいかようにも解釈できる。国の存立や自存自衛を大義名分に他国の戦争に参加したりアジアを侵略したりした過去の歴史に、私たちは学ぶべきだ。
ただ、これら四つの論点そのものもさることながら、私たちが一貫して重きを置いてきたのは集団的自衛権の「論じられ方」である。
政策の是非を判断するにあたっては、そのメリットとデメリットが主権者である国民の前に適切に開示され、国民的理解を得るという民主主義の手続きを十分に踏むことが必要だ。集団的自衛権行使のような大きな政策転換であれば、なおさら世論の広範な納得が欠かせない。
一つの政治判断を論ずる時、ラス・カサスの基準と言われる有名な例がよく引き合いに出される。
16世紀のスペインで「植民地メキシコの野蛮な先住民に脅かされる命を救うため軍事介入すべきだ」と主張する神学者に対して、司教ラス・カサスは「介入は、それによってより大きな犠牲が生じない場合に限り正当化される」と反論した。
集団的自衛権行使の議論にあてはめれば、行使することで得られる国益と失われる国益の二つをてんびんにかけ、それでも行使が必要だ、と国民に語りかける誠実さが為政者には求められるということだ。
だが、安倍政権は「国民の命を守る政治の責任」「安保環境の変化への対応」を繰り返すばかりで、なぜ集団的自衛権を行使しないとそれらが達成できないのかをわかりやすく説明してきたとは言い難い。
リスクを語らず、自らの政策はいいことずくめであるように語る政治は、集団的自衛権を良心的に考えようとする多くの国民をも遠ざけてしまいかねない。そうした政治が政策の深刻な失敗と国民の不信感を招くことは、3年前の原発事故で明らかになったはずではないのか。
戦後の安全保障政策の最初の転換点は、64年前の朝鮮戦争だった。警察予備隊から保安隊、自衛隊と日本が一足飛びに再軍備していった時代を、故・神谷不二氏はこう書いた。「一旦放棄した軍事力をふたたびもつというこの国家的大事業が占領軍司令部の指令によってはじめられ、国民的討議を経ないで行われることになったのは、わが国にとってまことに不幸なことであったと思う」(「朝鮮戦争」・中公文庫)
米国の意向を背景に、安保政策の大転換が国民的論議不在のまま行われようとしている構図は、当時と同様である。特定秘密保護法でも警鐘を鳴らしたことだが、外交や安保は政治家と官僚だけで決めるものだ、という独善的な考え方が今もあるとすれば、それは戦後民主主義の成熟に、為政者が追いついていけないということではないだろうか。
私たちは、日本の政治を巡るこうした言論環境に強い危機意識を持っている。メディアは政府と国民をつなぐパイプだ。政権がリスクを語らないならメディアが語っていくしかない。それを踏まえて是非を判断するのは、最後は国民である。
毎日新聞は閣議決定に反対の論陣を張ってきたが、自分たちの主張を押しつけようとは考えない。行使容認の主張も紹介しながら、議論の土俵を作ろうとしてきたつもりだ。それはこれからも堅持したい。
世論調査で過半数が集団的自衛権行使容認の閣議決定に反対しているのは、政府の説明が胸に届いていないことの表れだ。「国民の広範な理解と納得」という基盤が失われたまま、集団的自衛権行使の関連法整備がこれから進んでいくなら、それは民主主義のモラルハザード(倫理崩壊)につながりかねない。そうならないためにも、新聞には政権を監視し、説明責任を果たすよう求め、国民を巻き込んだ論議の媒介役を果たすという大事な役割がある。【論説委員長・小松浩】
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■集団的自衛権を取り上げた毎日新聞の1本社説の見出しと主張の要点
「今は踏み出す時でない」(2月12日)
安保体制の強化と、地域の緊張を緩和するための外交は、総合的な戦略の下で両輪となって進められるべきものだ。
「問題だらけの解釈変更」(3月14日)
一内閣の判断だけで、安保政策の重大な転換を行い、戦後日本の平和主義を支えてきた憲法9条を骨抜きにしてはならない。
「限定容認論のまやかし」(4月11日)
「限定容認」を理由に自衛隊が途中で引き返すことができるのか。個別的自衛権を軸に、現行の法的枠組みの中で、現実を見据えた議論を進めるのが筋道だ。
「改憲せず行使はできぬ」(5月3日)
国会議員が3分の2以上の多数で発議し、国民投票で過半数の賛成を得た場合のみ、集団的自衛権は行使可能とすべきだ。
「根拠なき憲法の破壊だ」(5月16日)
その時々の内閣が憲法解釈を自由に変えられるなら、憲法への信頼は揺らぐ。憲法が権力を縛る立憲主義にも反する。
「閣議決定に反対する」(7月1日)
国民の命を守る方法がなぜ集団的自衛権でなければならないのか。現在の憲法解釈の下、個別的自衛権の範囲内で法整備するだけでは足りないのか、納得できる説明はない。
「歯止めは国民がかける」(7月2日)
閣議決定で行使を容認したのは国民の権利としての集団的自衛権であって、政治家や官僚の権利ではない。歯止めをかけるのも国民だ。
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「社説を読み解く」は、前月の社説の主なテーマを取り上げ、他紙とも比較しながらより深く解説します。ご意見、ご感想をお寄せください。
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