理念なきモノづくりは凶器と化す  人類の幸福に貢献する「日の丸製造業の使命」

モノの発展は人類に貢献する
だがそれはある日突然脅威にもなる

日本の自動車部品メーカー、タカタの品質保証担当役員が、米国の国会の場に立った。数年前、トヨタ自動車社長の豊田章男氏が同じ境遇に置かれたときの光景が、デジャブのように脳裏をよぎる。

海外で波紋を広げているのは、タカタが製造したエアバッグの欠陥問題だ。エアバッグの作動時に金属片が飛び散るなどのリスクがあり、それが原因と見られる死亡事故が米国などで発生した。タカタのエアバックは多くの日系自動車メーカーの自動車に搭載されており、世界各地で自動車のリコールが相次ぐ騒動となっている。

人命にかかわる事業を担う責任と義務。巨大化する企業の毛細血管にまでその社会的使命を刷り込むのは難しい。しかし、事業の「拡大」が「肥大化」と揶揄されないためには、背負わなくてはならない責務だ。

台頭する新興国の中間層を取り込むために、製造業はモジュール化を推進し、効率的なモノづくりを指向する。部品が共通化されるのに従い、1つのリコールが企業の命運を左右するようになる。一昔前は「セキュリティ事故が企業を滅ぼす」と言われていたが、その社会的意識はリコール(品質)へと向かいつつある。

モノの発展が人類の前進に貢献することは、ある側面では事実であるが、そのモノが突然人類に対する脅威になることもある。

足もとでは、人工知能の開発が盛んだ。様々な情報とアルゴリズムを駆使して、人間と同様の思考をロボットが担えるよう、開発が進められている。ある方がこう言っていた。「世の中に一番悪い影響を与えているモノに攻撃を加えよ」とロボットに命令したら、ロボットは人間に攻撃を開始するだろうと。物事には、常に負の側面が付きまとう。成長の過程で増殖を続ける病魔を、監視し続けなくてはならない。これは企業の使命だ。

タカタは一部上場企業であるが、半数以上の株式を一族が保有する。騒動が起きてから、いまだに代表取締役は公の舞台に顔を出さない――。

本連載は、今回をもって最終回となる。筆者は連載の前半において、グローバル競争の渦中で岐路に立たされた日本の製造業の「ゲンバ」が抱える課題を詳しく炙り出し、後半においては、「製造業のサービス化」という視点をベースに、O2独自の「Forest Map」を駆使しながら、日本の製造業が進むべき道を示唆してきた。一連の記事を通じて、筆者のメッセージを過不足なく読者諸氏にお伝えすることができたと思う。

連載最終回では、さらにその先の課題について触れておきたい。それは日本の製造業の関係者全てが、自分たちが戦う市場で勝つことばかりに腐心するのではなく、日本という国を発展させ、さらに世界をリードする原動力となるためにはどうしたらいいのかという意識を、持たなくてはならないということだ。

日本の製造業には、必ずや世界をリードできる潜在力がある。そして、その力を発揮するために、自らの「使命」を意識しながらビジネスを行う必要がある。使命なきビジネスは、結局自らの事業を成長させることもできない。今回は、筆者がこれまでの連載に込めて来たそうした理念について、述べておきたい。

製造業が直面する社会的コスト
課題先進国として日本の使命

高度経済成長期において、日本は公害大国であった。水俣病、四日市ぜんそくなどは世界中で報道された。日本の産業発展を支えた鉄鋼の城下町、北九州市は、排煙や排水などの環境汚染に苦しんだ。川と海からは魚が消え、子どもたちはマスクを着用して登校した。

このとき日本は、産業発展の裏に潜む影を学んだ。製造と廃棄は一体である。「3種の神器」と呼ばれる電化製品が爆発的に普及する一方で増え続けるゴミの島。日本は人類と自然の共創を意識し始めた。

北九州市も生まれ変わった。ゴミの循環モデルは世界の手本となり、人口増・ゴミ増で悩むアジア各国の自治体が視察に訪れるようになった。北九州市はゴミ循環のノウハウを無償で提供する代わりに、その過程で使われる日本製の機器販売につなげている。双方良しだ。

中国のPM2.5の報道が出る度に「中国はひどい」と言われるが、似た状況をわが国は経験済みだ。しかしながら、課題先進国として、隣国の社会的課題を予見して具体的な行動に出なかったかことは、いささか残念ではある。歴史問題もわからなくはないが、「大人になる」必要があったのではないか。

筆者は今でも、覚えていることがある。小学4年生のときだ。父親の仕事でアメリカに住んでいた子が転勤してきた。彼の話によると、学校では先生が授業で水俣病の写真を使いながら、「日本は『企業の成長』と『人の尊厳』を天秤にかけた」と、子どもたちに伝えていたらしい。海外からは、日本企業は自らの「使命」を忘れている、と見られていたのかもしれない。

「技能」に関わる立場として
伝承の社会的模範となるべし

また以前、金沢で伝統工芸品を扱う企業の社長が話していたことがある。「漆の食器なんて、食洗機にかけれないから若い人は避けるんだよね。でも、我々はこの技能を守る使命がある」と。

伝統工芸も製造業だ。逆に言えば、製造業も以前は伝統工芸だったはずだ。少人数の手づくり体制から機械化・組織化したモノづくりに移行した企業は製造業に分類され、昔ながらの職人気質のモノづくりを守り続けた人は伝統工芸と呼ばれた。

ノリタケはわかりやすい例だ。高級食器を職人が手づくりしていたが、機械化を行い量産可能とした。その陶器加工の技術を活かして、プリント基板の加工など新規事業へも進出を果たした。

「日本」そのものがブランドとして、世界から評価されていることは有難い。その背景として、伝統工芸などの職人文化を美しい物語として伝え続けてきたことが、良き方向に作用しているのは間違いないだろう。

たとえば『National Geographic』などで、蒔絵が施された漆器の写真が「日本人が誇る繊細技術」と紹介され、それを見た人がディーラーから「日本車は品質が良いので安心ですよ」と営業トークを受ければ、相乗効果になるはずだ。

製造業にとって、伝統工芸は出自が同じだけではなく、ブランディングの一環として見ればパートナーでもあるのだ。「技能」と寄り添うようにして成長を続けてきた製造業。その「技能」や「技術」を伝承し続けてきたからこそ、事業運営を続けられている。社会には受け継ぎ続けるべき「技能」や「技術」が多数存在する。

製造業は、一肌脱ぐ時期に来ているのではないか。この国の「技能」と「技術」の存続と発展に貢献するという、広い視座を持とうではないか。そう、製造業とは文化的事業でもあるのだ。

製造業の「技能」「技術」は
実は農業の発展にも一役買う

では、製造業が日本のために一肌脱げる「技能」や「技術」とは何だろうか。意外かもしれないが、製造業のコンセプトをあてはめて考えることで、今後発展が期待できる産業の1つに「農業」がある。

「松本さん、トマトの甘さをコントロールする秘訣があるんだよ」

真っ黒に畑焼けしたおじさんが、笑顔で説明してくれる。

「毎日の温度と湿度を測定してみると、傾向がわかるんだ。特に土の乾燥度がポイントだね。実がなってから水をやり過ぎると、味がぼやけるし水っぽくなるんだよ」

「なんで、そんなことわかったんですか? 勉強したんですか?」

「成型と一緒だよ。その日の気温と湿度で成形条件を調整するだろ。同じだよ」

筆者にとっては慧眼であった。農業は製造業だったんだ!

筆者が代表を務めるO2では、「はなえん」という農園を営んでいる。これは小さなテストだ。製造業で行われたように、ベテランの「野菜の作り手」のノウハウを可視化すれば、野菜つくりの素人でもベテラン同様の美味しい野菜を短期間でつくれるようになるのではないか。そう思って始めたものだ。

TPPに対する賛否の議論で、「日本の農業は海外の安価な農産物に駆逐される」という不安が多かった。果たしてそうだろうか。上海のスーパーでは、中国米の隣に「Made in China」の「ササニシキ」が山積みになっている。しかしその隣には、「Made in Japan」と書かれた「ササニシキ」が置いてある。中国産の「ササニシキ」と日本産の「ササニシキ」は値段が違うのだ。むちろん、上海人は「Made in Japan」の「ササニシキ」を買う。

中国の友人はこう語る。

「中国人は中国人を信用していない。日本の食べ物は安心だ」

福岡のいちご「あまおう」は、ロシアでは1パック5000円でも売り切れるという。台湾の知り合いの経営者は、手土産には必ず日本産のリンゴを持って行くという。日本の農産物は競争力があるのだ。

流通・通信網も発達した。ネットを介せば、アラブの富豪からタイのお金持ちまで直接取引ができる。私の友人は趣味で始めた蜂蜜のネット販売をしている。1瓶、5000円だが、1週間で売り切れるという。中には、フランスからの注文もあるらしい。

日本の農家の方々に、自分たちの農作物が世界中の垂涎の的であることを教えてあげよう。そして、具体的な実現手段も手伝ってあげよう。製造業の効率化の手段は、日本の農業を成長産業へと導けるはずだ。日本においても、海外で最も多くモノを販売している業種は製造業だ。

トヨタは、トヨタ生産方式の哲学を農業にも活かすべく、農業IT管理ツール「豊作計画」を販売し、農業法人にも出資をしている。

製造業のコンセプトを導入して
安心で豊かな医療と介護の国へ

さらに、「医療分野」にも製造業のノウハウを役立てることができる。たとえば大学病院の待合室は、人で溢れ返っている。1時間、2時間待ちも珍しくない。かと言って、スタッフが働いていないわけではない。バタバタと動き回っている。

ふと気がつくと、動線が悪い。こんな「工場」は儲からない。表現は悪いが、患者さんをモノにたとえ、ライン設計をきっちりすれば、「マチ」も減るはずだ。トヨタ生産方式では、「滞留は悪」とされる。ムリ・ムダが取り除かれれば、経営効率も高まる。黒字化する。国の医療費負担も下がる。

それほど簡単に話が進まないことは重々理解しているが、製造業の考え方を取り入れて安定経営になった病院を、筆者は多く知っている。同じことは、介護の現場にも言える。訪問介護の会社を経営している友人が、「人が足りない」とぼやいていた。シフトを見せてもらったら、ボトルネックは明白だった。人手が足りないのではなく、情報と人の流れが悪いのだ。筆者がアドバイスすると、翌週から訪問件数が1.5倍に増えた。

日本の製造業は、世界有数の競争力を有している。このノウハウは様々な異業種の競争力向上に貢献できるはずだ。

日の丸製造業は世界をリードできる
「使命」を忘れずにモノづくりをやろう

繰り返すが、日の丸製造業には本来世界をリードできる潜在力がある。そしてその力は、あらゆる産業、ひいては日本という国をさらに発展させる可能性があると、筆者信じて止まない。そうした「使命」を意識しながら、これからも「モノづくりを」やって行こうではないか。

前略 製造業様

あなた様はどこに向かわれるのでしょうか。あなた様は、モノをつくってそれを販売して、生業を立てておられます。モノをつくるには資源が必要ですね。資源は無限ではなく、有限ですね。でも、何億年もかけて蓄え続けた天然資源が、わずか数百年の間に使い果たされてしまいそうな勢いですね。

地球は疲弊している気がします。

人類には随分欲深き方々が多いようで、「モノを使っては捨て」を繰り返します。どうして、もっと大事に使わないのでしょうか。また、次から次へと新しいモノが販売されるので、壊れていないけど買い替える人も多いようですね。あなた様方は、それを勧めておられるようでもあります。

東京オリンピックに向けて、東京では新しい建物の建設や道路の建設が計画されているようですね。その建物たちは、オリンピックが終わった後にどのような末路を歩むのでしょうか。その後も、皆に喜んで使ってもらえるのでしょうか。それとも、廃墟のようになってしまうのでしょうか。

モノをつくらずに稼ぐ製造業へ
筆者からのメッセージ

聞くところによると、日本は高齢化が進んでいるようですね。晩婚化、未婚化が進み、子どももあまり生まれないようですね。そんなにいっぱいつくっても、使ってくれる人がいないのではないでしょうか。

地球から、「つくるのをお止めなさい」と言われる日もそう遠くないかもしれないですね。つくらずに稼ぐことを求められる時代が、訪れつつあるのかもしれないですね。

でも、あなた様の知恵を必要としている方々は、多くおられるようですね。「モノをつくらずに稼ぐ」そんな姿が、製造業の未来なのかもしれないですね。

草々


筆者より、連載の読者の皆様へ

1年間、ご愛読ありがとうございました。来春より連載をリニューアルして、製造業という視点をベースにしながらも、より広い観点で日本の発展への提言を続けていきたいと考えております。

寒さが厳しくなってきました。体調など崩されぬよう、お気をつけください。また来春、お目にかかりましょう。良いお年をお迎えください。

Categories モノ作り

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