人生)
2008年に最終報告を出したWHO「健康の社会的要因」委員会(CSDH)の委員長だ
ったマイケル・マーモットさんが、イギリスの保健省の援助のもとに設置された委員会
から2010年2月に新たなレポートを発表した。
「私とともに立ち上がり
『悲惨を作りだす世界構造』と闘おう」
パブロ・ネルーダ
このレビューに関係した私たちはみんなはよく分かっている―今は少数の人だけが享受
している人生のチャンスをもっと多くの人に与えることによって目覚ましい改善を達成
するには長い道のりがある。このような努力の効果は直接生命を救うより広範なものに
なるだろう。
私はWHOの「健康の社会的決定要因委員会」の議長を勤めた。ある評論家は委員会の
報告に「エビデンスを備えたイデオロギー」というレッテルを貼った。同じようなレッ
テルはこのレビューにも貼り付けられるだろうが、私たちは喜んでそれを受け入れるも
のである。私たちは一つのイデオロギー的な立ち位置にいる:合理的な方法で回避でき
るはずの健康の不平等が存在するのであれば、それは不公正である。それらを正すこと
は社会正義にかかわる事柄である。エビデンスがどうのこうのではない。意図だけは良
い というのも不十分である。
イングランドでは毎年、早すぎる死亡という形で、健康の不平等に対して250万年分
も人生を失っている可能性がある。
私は世界委員会を始めたときパブロ・ネルーダを引用した。彼を引用することは今なお
ふさわしいと思える。
’Rise up with me against the organaization of misery’ 「私とともに立ち上が
り『悲惨を作りだす世界構造』と闘おう」
マイケル・マーモット(議長)
エグゼクティブ・サマリー
このレビューのキー・メッセージ
1 健康の不平等を減らすことは公正と社会正義に関わる事柄である。イングランドでは
多くの人が今日も健康の不平等のために早すぎる死に見舞われている。そのため、総量
で見ると本当は楽しんで生きられたはずの130万から250万年の人生が毎年不当に失われ
ている。
2 健康の社会的勾配が存在するー社会的地位が低くなればなるほど健康は悪くなる。
健康の勾配を軽減することを標的として行動しなければならない。
3 健康の不平等は社会的不平等の結果である。健康の不平等に対する行動は健康の社
会的決定要因全部に関わる行動でなくてはならない。
4 最も困窮した層にのみ焦点を当てることは健康の不平等を十分軽減することになら
ない。社会勾配の急峻さを軽減するためには、行動は全般にわたらねばならない、しか
し活動の規模や強さは困窮の度合いに応じるべきである。私たちはこれを「バランスの
とれた全般主義」と呼ぶ。
5 健康の不平等を軽減するための活動はいろんな経路で社会に利益をもたらす。経済
的には、健康の不平等によって生じた疾患からくる損失を軽減するという利益がある。
健康の不平等による疾患は現在生産性損失、税収減少、福祉経費増大、治療費増大をも
たらしている。
6 経済成長は我が国の成功を測る最も重要な基準ではない。健康、幸福の公正な分配
と持続可能性こそが重要な社会的到達目標である。健康の不平等に挑戦すること、気候
変動に挑戦することは一緒に進まなければならない。
7 健康の不平等を軽減させるには6つの政策目標に対する行動が必要だろう。
①人生の最初の地点で最善の状態をすべての子どもに与えよ
②すべての小児、青年、成人がその潜在能力を最大限伸ばし、自分の人生全体をコン
トロール(*が他人に 支配されないよう)できるようにせよ
③全員に公正な雇用とよい労働を創出せよ
④すべての人のための健康的な生活基準を確定せよ
⑤健康的で維持可能な場所とコミュニティを創設せよ
⑥健康悪化の予防の役割と影響を強化せよ
8 この政策が実施されるには中央政府、地方政府、NHS(ナショナル・ヘルス・サ
ービス)、第3セクター、民間セクター、コミュニティグループの活動が必要である。
国家的政策は全政策において、健康に焦点を当てた効果的な実行のためのシステムが地
方になければ実現しない。
9 地方での効果的な実行は、地方での効果的な意思決定を特に必要している。このこ
とは個人と地方コミュニティの能力向上・権限付与のもとで初めて可能となる。
健康の不平等は社会の中の不平等 ―そのなかで人々は生まれ、育ち、生活し、働き、
老いるのである― が原因である。
WHO健康の社会的決定要因委員会は、その他の研究があるなかでも、保健省によるこ
のレビューの委託を引き受けるにあたっての刺激になった。それは世界の様子を探究し
て「社会的不公正が大規模に人々を殺している」と結論づけていた。一方、イングラン
ドでは死亡率や罹患率において世界的にみられるような不平等の極端さに近いものはな
いが、不平等はなお実質的で緊急な行動が必要である。イングランドでは、もっとも貧
しい地区に住んでいる人々は7年も早く死ぬ(図1の一番上の曲線)。もっと心をかき
乱されるのは、障害を持たない平均期間(=健康寿命)ではその平均的差が17年にも
なるということである(図1の一番底の曲線)。そのように、住む地域が貧しければ貧
しいほど人々は早く死ぬが、彼らはただでさえ短い人生のうち、より長い時間を障害の
ある生活に費やさなくてはならないのである。勾配の重要性を説明しよう:最も貧しい
5%と最も富んだ5%を除外してみても、低所得者と高所得者の間の平均寿命の差は6
年になり、障害のない寿命の差は13年なのである。
このレビューの出発点は、理性的な方法で回避可能な健康の不平等は不公正だというこ
とである。それらを正すことは社会正義に関わる事柄である。どうやって健康格差をな
くすかについての論争はどんな社会を人々が望むかという論争であるべきである。
私たちには健康の社会的勾配を完全に消し去ることはできないように見える、しかし健
康や幸福の社会的勾配を、今日のイングランドの実情よりは浅くすることは可能だ。こ
のことは、図2で示されるように、ある地域は別の地域より健康の社会経済勾配が険し
いという事実によって立証される。
健康の社会的勾配の険しさを軽減するために、行動は全般的でなければならない、しか
し行動の規模や強さは困窮の度合いに応じるべきである。私たちはこれを「均衡のとれ
た全般主義」と呼ぶ。社会経済的な困窮度が大きい人ほどより強力な行動が必要とされ
るようだが、単に最も困窮した人たちのみに焦点を当てることは健康の勾配を軽減する
ことにならないし、問題の小さな部分にのみ挑戦することになるだけだろう。
「健康の不平等を軽減することは経済にとって肝心なことである」
さらに解説すると、私たちは図1に重ねて68歳の線を引いてみた。この年齢はイングラ
ンドが年金開始年齢をそこに動かそうとしている年齢である。示した障害のレベルでは
、人口の3/4以上が68歳より遅くまで障害のない寿命(健康寿命)を持っていない。も
し社会が、(年金がもらえる)68歳まで働く健康な人口を持ちたいと願うなら、全体の
健康レベルあげることと、社会的勾配をフラットにすることが必須である。
健康の社会的勾配が持つ意味は深い。それは資源を最も必要とする人たちに絞って有限
の資源を与えようという気持ちに誘い込ませるものだ。しかし、図1の示すように私た
ちは全員が資源を必要としている ―とびきり良好という人より下にいる私たち全員が
、である。もし焦点が最も下にいる人だけに当てられて、社会的行動は飛びぬけて状態
の悪い人の苦境を改善することだけに成功するというのなら、ちょうど最低より一つだ
け上、あるいは中央あたりにいる人たち ―彼らは自分たちより上にいる人より健康状
態が悪いのだが― には何が起こるのだろうか?より公正な社会を創造するためには全
員が対象とされるべきである。
この報告は経済の悪天候の中で出版される。私たちは危機はチャンスだという声に唱和
する。いまこそこれまでとは違うように計画し実行する時である。節約は福祉国家を削
減することに導く必要はない。実際は反対のことが必要なのである:イングランドの福
祉国家、NHS自体はもっとも切り詰めた戦後状態の中で誕生したものである。これにも
勇気と想像力が求められたのだった。今日、私たちは再び勇気と想像力を呼び起こし平
等な健康と幸福を未来の世代に保障しようではないか。
「経済成長を超えて社会の幸福へ:持続可能性と公正な健康の分配」
いまこそ社会的成功の唯一の方法としての経済成長を超えて移動するときであるこれ。
これはけっして新しいアイデアではなくて、サルコジ大統領により設置され、ジョセフ
・スティグリッツを議長とし、アマルティア・センとジャンポール・フィトゥーシも加
わった最近の経済行為と社会進歩の測定委員会でも新しく強調されているものである。
幸福は単純な経済成長よりも重要な社会的目標である。幸福を測定するもののなかで卓
越したものとして健康の不平等のレベルがある。
このレビューは双子の目的を持っている。すべての人の健康と幸福を改善することと、
健康の不平等を軽減することである。これを達成するため私たちは二つの政策上の目標
を掲げている。
①個人とコミュニティの可能性を最大限に引き出す力のある社会を創造する。
②社会正義、健康、持続可能性がすべての政策の心臓部にあることを確実にする。
今日、教育もなければ仕事もないというのであれば、本当に不安なことだ。もしあなた
の子どもたちがいい教育を受けていないのなら、彼らに何が待ち受けているかわからな
い
16歳で学校を離れる人たちにとって、職業訓練、人間関係のマネージメント、物品の誤
用へのアドバイス、借金の仕方、教育の継続、住宅への関心、妊娠、育児の形式で、引
き続きのサポートが肝心である。こうしたトレーニングやサポートは、とくにこの年齢
層のグループのために企画されて発展させられるべきだし、すべてのコミュニティに備
えられるべきである。
良い雇用は健康を守る。逆に、失業は健康悪化の原因になる。だから、人々を仕事に就
かせることは健康の不平等を軽減する上で決定的に重要である。
失業率は資格や技能をほとんど持たない人たち、障害や精神障害のある人たち、ケアの
責任を負っている人たち、一人親、民族的少数派出身者、高齢労働者、そして特に若年
者の中で最も高い。働いている場合でも、同じグループが、最も賃金が低く、ほとんど
向上の幸運のない質の低い仕事につきやすく、しばしば健康を害する条件の中で働いて
いる。多くの人は、安い賃金、質の悪い仕事、失業のサイクルの中に陥れられているの
である。
英国において1980年代初期の期間に起こった劇的な失業の増加は、失業と健康の間にあ
る関連についての研究を刺激した。図8は1980年代初めに失業を経験した人たちの、そ
の後の死亡率の社会勾配を示す。それぞれの職業階層に対して、失業群は雇用群に比べ
てより高い死亡率となっている。
優先目標
1 すべての年齢の人々に健康的な生活のための最低限の所得を保障しよう
2 累進課税とその他の財政政策を通じて、生活水準における社会的勾配を軽減しよう
3 失業手当と仕事の間をさまよっている人びとの崖っぷちの苦しさを軽くしよう
社会がより豊かになれば、十分と考えられる所得と生活資源のレベルも上がる。健康的
な生活のための最低限所得(MIHL)は適正な栄養、身体の活動度、居住、社会的つ
きあい、移動、医療ケアと衛生に必要な所得などを含む。イングランドにおいては健康
的な生活のための最低限所得と、多くの人たちが受け取っている公的給付=生活保護給
付との間にギャップがある。
政策目標E
健康で持続可能な場所とコミュニティを創造し発展させよう
優先目標
1 一般的政策を気候変動と健康の不平等の規模と影響を軽減するように発展させよう
2 コミュニティ・キャピタルを改善し、社会的勾配を横断して社会的孤立を減らそう
地域的の開発され、エビデンスにも立脚したコミュニティ再生プログラムを支援しよう
。そのプログラムとは
①コミュニティの参加と行動のための障害をなくそう
②社会的孤立を減らそう
人生早期の数年に投資することの重要性はその後の人生での健康不良を予防する上での
鍵である。すなわち、健康的な学校や健康的な雇用が、もっと伝統的な薬物治療や禁煙
プログラムのような健康不良の予防法と同じくらいに、鍵なのである。一人の子どもが
受け取る経験の蓄積が、彼らが成人したときに達する結果と選択を形成するのである。
社会勾配を横断する国の健康成績目標
ごく近い将来の国の目標が以下のことをカバーするよう提案する:
①平均寿命(人生の長さを捕捉するために)
②健康寿命(平均寿命の質を捕捉するために)
いつか、いい生き方(幸福)の指標が開発され、それが大規模実施にふさわしいのであ
れば、それは健康平等に関する第3の国の目標になるべきである。
結論
社会正義は人間の生死に関わるものである。それは人々の生き方、結果的な病気になり
やすさ、早く死ぬ危険に影響する。
これはWHOの健康の社会的決定要因委員会の主張である。その委員会のものは全地球
的課題であり、私たちは全員容易に貧しい国に生きている人々の経験する健康の不平等
を認識できる。その人たちにとっては絶対的貧困が日々のリアリティなのだ。
多くの人々にとってここイングランドにおいて深刻な健康の不平等が存在することを受
け入れるのはより難しいことである。私たちは極めて価値の高いNHSをもち、この国
の人口の全体的な健康は過去50年大きく改善してきた。しかしなお、ロンドンの最も
富裕な部分、ケンジントンとチェルシーの行政区では男性平均寿命が88歳にいたるの
に、そこから数キロメートル離れたトッテンハム・グリーン、首都のより貧しい行政区
、では男性平均寿命は71歳である。劇的な健康不平等はいまだすべての地域を横断し
てイングランドの健康の主要な特徴のままである。
しかし、健康の不平等は避けられないものではないし、十分に軽減しうるものである
。それは社会の不平等から生じるものである。社会の不平等とは所得、教育、雇用、地
区の環境の不平等である。誕生以前から存在する不平等は、人生のコース全体を通じて
蓄積していく健康の低下とその他の結果のための舞台を用意する。
このレビューの中心的主張は避けられる健康の不平等は複製でありそれらを正すこと
は社会正義に関わる事柄だということである。なかに私たちの勧告は受け入れられない
という人もあるだろう。とくに現在流行中の経済学の風潮の中にいる人においてである
。私たちは、逆に受け入れられないことは 行動しないことであると発言する、という
のはそれが人間と経済にとってあまりにも高くつくからである。今日の子どもの健康と
幸福は、私たちがこれまでと異なるように物事を処理する挑戦を始めるための、持続性
と幸福を経済成長の前に置いてもっと平等で公正な社会をもたらすための、勇気と想像
力を持つかどうかにかかっているのだ。
色平哲郎
MLホームページ: http://www.freeml.com/public-peace