政府は25日、東京電力福島第一原発事故の政府事故調査・検証委員会が関係者から聞き取った聴取結果書(調書)のうち、佐藤雄平福島県知事や渡辺利綱福島県大熊町長、平岡英治旧原子力安全・保安院次長ら127人分の調書を公開した。9月に故吉田昌郎元第一原発所長や菅直人元首相ら19人分、11月に56人分の調書を開示済みで、聴取対象となった約770人のうち、公表は計202人分となった。

菅義偉官房長官は6月の記者会見で、本人の同意を得られた調書を公表し、年内にその作業を終える方針を表明した。これを受け、政府は対象者に文書で協力を依頼し、返答のあった対象者の調書を公表してきた。しかし、東電幹部らの調書は同意が得られないなど、公表に向けた作業は年内には終わらなかった。政府は年明け以降も開示に向けた作業を続けるとしている。

■「テレビしがみつき」事態見守る

200万県民を抱える福島県の佐藤雄平知事(当時)の調書からは、混乱の中で対応にあたっていたことがうかがえる。

2011年3月11日午後7時3分。福島第一原発で放射能漏れの恐れがあるとして、政府は原子力緊急事態宣言を発した。

国や東電からは県に十分な情報が届かない。ただ、テレビからは深刻な事態が伝わってくる。午後8時50分、佐藤氏は第一原発2キロ圏内の住民に避難を指示する。東電との訓練で避難区域と想定していた範囲。「ぱっと頭に浮かんで避難指示をさせていただいた」

東電は電源を失った原発の冷却設備を動かすため、電源車を原発に向かわせた。午後11時までに到着するとの話が県にも入っていた。「あの時はみんなテレビにしがみついて、何とか11時までに到着してくれないかと」。電源車は到着したが、「接続できなかった」。

一方、事故調の報告によると、県には12日夜以降、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のデータがメールで送られていた。放射性物質の広がりを示す情報だ。だが、「混乱しているときにデータが入ってきたために、組織内で十分な共有が図られなかった」。その間に、大量の放射性物質が飛散した方角に自治体単位で避難した住民もいた。

15日までに三つの原子炉建屋が次々に爆発。政府の避難指示は半径3キロから10キロ、20キロ――と広がり、より遠くへと避難所を移る住民が続出した。佐藤氏は振り返る。「最高9回も避難なさったという方がいらっしゃった。これはまさに原子力災害の避難の実態だと思います」

■緊迫の現場、社員証言

事故当時の緊迫した状況をめぐる東電社員の調書も公開された。

事故当時、電源の復旧にあたった福島第一原発のグループマネージャーは、連絡通路の鉄扉が変形して開かないなど作業が困難だったと答えた。4号機が爆発した3月15日朝についても証言。「退避指示」を受けて福島第二原発に退避し、その後「戻るように指示され」数人で戻ったと答えた。さらに「チームリーダーやベテラン作業員も戻りましたが、人員としては半減しました」とした。

同じ15日朝、東電本店にいた社員の1人は、「一部の人間を残して2F(第二原発)に退避したい旨」の話をした故吉田昌郎所長に対し、原発の状態を示すデータをもとに「そんなに慌てないでください」と言った、と証言している。

安全評価に携わる社員は、東電がメルトダウンを認める前の4月10日の時点で、1号機の燃料の上半分は完全に溶け、ある程度は底に落下していると考えていたと証言した。