「イスラム戦争-中東崩壊と欧米の敗北」昨日刊行

「イスラム戦争-中東崩壊と欧米の敗北」昨日刊行

内田樹氏推薦! 「中近東のイスラムをめぐる政治状況を
精密なロジックと平明な文体で腑分けしてくれる一冊」

混迷の中東に突如現れたイスラム国。
捕虜の殺害や少数民族への迫害が欧米経由で
厳しい批判と共に報じられているが、その過激な行動の裏にある歴史と論理は何か?

本書はイスラムそのものに対するメディアの偏見と、
第一次世界大戦時に確立された欧米による中東秩序の限界を指摘。
そして、集団的自衛権容認で中東に自衛隊が派遣される可能性が高まる中、
日本が今後イスラム世界と衝突せず、共存するために何が必要なのかを示す。

「日本にとっても、イスラム戦争は他人事でも、遠くの出来事でもありません。
国内では安倍政権は集団的自衛権を容認し、その行使を主張しています。
中東・イスラム世界で想定されるのは、アメリカが自国に対するテロの脅威があるとい
う理由で集団的自衛権の行使を同盟国に呼びかけ、
日本もそれに呼応して派兵するケースでしょう。東アジアでアメリカに守ってもらうの
だから、中東で恩返しをしなくては――
もしそのような発想があるならば、日本にとってだけでなく世界にとって途方もない危
険をもたらすことになるのです。
本書は中東の状況とイスラムをめぐる偏見の実態を概観、分析し、日本がテロや戦争に
巻き込まれることのない第三の道を探るものです」(「はじめに」より)

(目次)
はじめに 日本は決してこの戦争に参加してはならない
序 章 中東で起きていること
第一章 16億人のムスリムを味方にするか、敵に回すか
第二章 まちがいだらけのイスラム報道
第三章 イスラム世界の堕落とイスラム国の衝撃
第四章 日本人にとってのイスラム
おわりに 戦争は人の心の中で生まれる
著者について
内藤正典(ないとう・まさのり)

1956東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会
学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学
大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。
著書に『イスラムの怒り』『イスラム―癒しの知恵』(集英社新書)、『ヨーロッパとイ
スラーム』(岩波新書)、『イスラーム戦争の時代』(NHKブックス)、編著に『イスラー
ム世界の挫折と再生』(明石書店)など。

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masanorinaito ?@masanorinaito  7時間7時間前
フランスの表現の自由に関する原理というものはヨーロッパでも特異なもので、長い年
月の教会との闘争を経て一つの精緻な体系をなし、そこから生み出された。だから、そ
こに「節度」だとか「制約」を求めることはできないし不当である。私はフランスが表
現の自由を制約すべきだとは全く思わない

表現の自由の「やりすぎ」と言うのはムスリムにとっては安易に得心するリップサービ
スに過ぎないし、それでは、ムスリム側が暴力による応答を止める契機にはならない。
せいぜい、御用イスラム指導者たちに惰眠をむさぼらせるだけ。

私は、ムスリム諸国のイスラム指導者たちのご都合主義な解釈、すなわち「テロ犯はム
スリムではない。単なる過激主義者であって、あれはイスラムじゃない」というご託宣
ほど欺瞞に満ちたものはないと思っている。

ただし、フランスが「表現の自由」を突き詰めた上で、イスラム、特に預言者ムハンマ
ドを冒涜し嘲笑するなら、衝突する。繰り返しになるが、ムスリムにとっての預言者ム
ハンマドの位置は、キリスト教徒にとってのキリスト、無神論者(フランスで宗教や教
会から離れた)にとってのキリストとも異なる

フランス社会がキリストを嘲笑してもテロが起きないのは、フランスにおける政教関係
の帰結、ライシテを確立するための闘争の歴史的所産なのであって、20世紀後半にフラ
ンス社会に参加したムスリムには、それはまったく通用しないのである。そのことをフ
ランスもムスリムも認識しないと衝突は繰り返される

ローマ教皇による宗教を侮蔑すべきでないとの発言は、ムスリムにとって口当たりの良
い言葉だが、ライシテを信奉するフランス市民には嫌悪をもたらす妄言。こんなリップ
サービスで、世俗主義とイスラム主義の根源的衝突は回避できない。宗教間対話が何の
結果ももたらさなかったことがそれを示している

だから、一度、ライシテのフランスと聖俗不可分のイスラムは、完全に別個のパラダイ
ムのもとにあると双方が認識したうえで、一から、共存をどうするかを論じなければ無
意味

ムスリムはフランスで宗教を表に出すことがなぜ禁じられるかをきちんと学ぶ必要があ
る。それに従え、と言うのではない。自分たちの壮大な信仰の体系と西欧近代の諸価値
を創造したフランスとは何が異なるのかを真剣に学ぶ必要がある。そうでないと、フラ
ンスがなぜムスリムに敵対的なのかを理解できない

別の話。シャルリ・エブドが「涙のムハンマド」「私はシャルリ」「全ては赦された」
の絵を表紙にした件。フランス側、あるいは非ムスリムがどう解釈しようと勝手だが、
その解釈論争さえ、絶対にムスリムには共有されないことを知るべき。彼らは、預言者
ムハンマドの風刺がなど、汚らわしく見たくない

見ないでテロかよ。その通りである。嫌で嫌で仕方ないものを見ろ、見た上で、解釈論
争をしようじゃないか、というのは馬鹿げたほどにフランス的、あるいは西欧的論理で
あって、ムスリムにはそれを受けて立つ理由がまったくない。

「悪意の挑発をした者は常に罰せられず、暴力的応答をした者だけが罰せられるのは不
公正だ」マテラッツィを頭突きで罰したジダンの発言。

私が昨日発売された『イスラム戦争、中東崩壊、欧米の敗北』で「イスラム戦争」とい
うタイトルをつけたのは、ムスリムが好戦的だから戦争になるという意味ではない。全
く逆で、戦争嫌いのムスリムを支配し抑圧し、啓蒙を押し付けてやまない西欧の暴力に
よって、ムスリムを暴力に向かわせたことの批判

MLホームページ: http://www.freeml.com/public-peace

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