中東の対日観に根本的変化 ―東西アジアで一体化の恐れ―
今回の事件は、日本と世界が大きな曲がり角に直面している現実を突きつけた。
広い視野で事件を捉え直す必要がある。
日本国内では、先月の安倍晋三首相の中東歴訪は、
戦後70年の節目に際し、日本が中東の安定に貢献し、
グローバルな役割を果たすという文脈で説明されてきた。
しかし今回、中東の安定とは違う展開をむしろ招いた。
つまり、シリア内戦で欧米が作り出した「お化け」であるイスラム国が、
国際政治の一つのアクター(行為者)として機能する
既成事実づくりを日本は促進した。
「国ではない」と日本政府が強調するイスラム国が、
今やリアルな存在になってしまったのだ。
こう指摘する根底には、日本政府のメッセージの中身と
発信の仕方に関する重大な問題がある。
イスラエルのパレスチナ占領を警告した1973年の
二階堂進官房長官談話以来、歴代政府は中東の市民の間に
「日本は欧米とは違う」との印象を確保し続けてきた。
2001年からは当時の河野洋平外相の提唱で、
日本とイスラム諸国の知識人が「イスラム世界との文明間対話」を行い、
日本は欧米とは違うとの認識を分かち合ってきた。
だが、このプロセスは民主党政権下の12年末に打ち切られた。
さらに第2次安倍政権の発足後、イスラエルとの関係強化が
世界的に見て際立ち、その象徴が先月の首相中東歴訪だった。
首相はイスラエルに多くの時間をあて、ホロコースト記念館で
「特定民族を差別し憎悪の対象とすることが人間をどれだけ残酷にすることか」
と語ったが、パレスチナ人の民族浄化や追放である
「ナクバ」には触れなかった。
イスラム世界は日本の立ち位置が大きく変化したと観察したに違いない。
首相はその上、人質事件の表面化を受け「テロに屈しない」
との態度表明をイスラエルの国旗を脇に行った。
もちろんこれは政府だけの問題ではない。
日本のメディアや識者の多くもなぜか、イスラエルのことには触れない。
ここに大きな落とし穴がある。
これでは首相がいくら「国際社会とともに」と繰り返しても、
日本が言う国際社会とは
「欧米であり、イスラエルであり、有志国連合に加わる穏健イスラム諸国
の政府である」とイスラムの市民は認識することになる。
逆にイスラム国は今回、日本を新たな「敵」と位置づけることで
国際政治における存在感をつくりだし、世界のムスリム市民に、
従来とは違った対日観を植え付けることに成功した。
さらに問題なのは、対日観をめぐって、
東アジアと西アジアの「一体化」が促されてしまったことだ。
東アジアの近隣諸国とは歴史認識問題を抱え、
真の意味での戦後70年の総括をできない日本。
そんな日本だが、西アジアないし中東では、ムスリム市民はこれまで、
被爆国で平和国家の日本に敬愛の念を抱いてきた。
それが今回の事態を受けて根本的に変化し、
東西アジアの日本に対する認識が負の方向で合体する恐れがあるのだ。
拘束された日本人2人がいることが分かっていたにもかかわらず、
それをなおざりに、中東を訪問したとの印象がぬぐえない。
しかも発信されたメッセージが不用意に組み立てられたことに
最大の問題がある。
戦後70年を迎える日本のありようがアジアの東西から
緊張感をもって問われている。
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いたがき・ゆうぞう 31年東京生まれ。
専門は中東・イスラム研究。著書に「イスラーム誤認―衝突から対話へ―」など。
(信濃毎日新聞 2015年2月3日掲載)
MLホームページ: http://www.freeml.com/public-peace