毎日新聞 2015年02月14日 東京朝刊

神戸市の介護施設で働く女性介護士(49)から「千の証言」に投稿が寄せられた。施設を利用する101歳の女性が、生まれて初めて平和を願う詩を書いたという。戦時中、子育てをしながら戦争へ傾いていく世相を見つめ、空襲で家を焼かれてもいた。
六笠(むかさ)文恵さん=神戸市灘区=は1913(大正2)年の生まれ。25歳で結婚し、大阪市内の実家のそばに長屋を借りた。長男を産んだ42年ごろから戦時色が濃くなった。
手ぬぐいと赤い糸を通した針を手に、生後間もない長男をおぶって毎日のように街頭に立った。「兵隊さんのために、という一心でした」。お守りとして持たせる「千人針」を作るためだった。縫い終わりの糸留めを1000個作る。「みな協力してくれた。同年代の女性が同じように針を持ち立っていた」
2枚でき、1枚は兄が戦地で腹に巻いた。戦後戻った兄は「食料がなくて、縫い止まりにわいたシラミを食べた」。もう1枚を渡した相手は記憶にない。
空襲に備え、おけに水をくみ玄関脇に置いた。男たちは続々と出征する。軍服姿でミカン箱ほどの台に立ち、「お国のために、行ってまいります」と絶叫する光景を何度も見た。
45年春から何度も空襲に見舞われた。米軍のB29爆撃機の大きさに圧倒され、「戦争には負ける」と感じた。実家も長屋も焼かれ、父の親類がいる岡山・玉島(現倉敷市)で長男と終戦を迎えた。
夫は船乗りで家に寄りつかず、1人で子を育てた。55年ごろ姉のいる神戸に移り、95年の阪神大震災で灘区の借家が全壊。空襲からちょうど半世紀で再び家を失った。「懸命に生きてきたが、何も残らなかった」。今は復興住宅で暮らす。
詩を知った神戸市の声楽家、時田直也さん(54)が曲をつけた。<みんなマジシャン 手をとりあって輪になろう 愛と平和の輪になろう>。何も持たない自分が、もしマジシャンなら世界を平和に導けるのに……。六笠さんは目を閉じ、口ずさんだ。【神足俊輔】