(私が)日本国憲法の成立について知った2年後、1994年10月10日に、同じくら
いびっくりするような記事が朝日新聞にのりました。9日付のニュー
ヨーク・タイムズが、「CIAが1950年代から60年代にかけて、自民党に数
百万ドル援助」という内容の記事を報じたというのです。
この記事を書いたティム・ワイナー氏は、その後10人の元長官を含むC
IA職員、元職員に300回以上のインタビューを行ない、2008年に『CIA
秘録』を出版しています(キャッチーコピーは「すべて直接取材と一次資料にも
とづく、初めてのCIAの歴史」)。そのワイナー氏の目から見ると、そもそも
自民党というのは「岸がCIAに金を出してもらってつくった政党」なのだ
そうです(そこまで言いますか)。
「岸はアメリカに自分を売りこんで、こう言った。『もし私を支援サポートしてくれ
たら、この政党(自民党)をつくり、アメリカの外交政策を支援します。経
済的に支援してもらえれば、政治的に支援しますし、安保条約にも合意しま
す』」(ティム・ワイナーの証言:資料①)
「CIAは1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世
界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった」(資料②)
「岸は日本の外交政策をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。
アメリカは日本に軍事基地を維持し、日本にとっては微妙な問題である核兵
器も日本国内に配備したいと考えていた。岸が見返りに求めたのは、アメリ
カからの政治的支援だった。
フォスター・ダレス国務長官は1955年8月〔同年11月の保守合同の直前〕
に岸と会い、面と向かって『もし日本の保守派が一致して共産主義者とのア
メリカの戦いを助けるならば』支援を期待してもよろしい、と言った。その
アメリカの支援が何であるか〔=資金供与〕は、誰もが理解していた」(同前)
ちょっと信じたくないような話ですが、おそらく事実です。アメリカ国
務省も2006年に、日本に左翼政権が誕生することを懸念したアメリカ政府
が、1958年から68年にかけて自民党の政治家たちに金を渡していたことを
含む4件の秘密計画が行なわれたことを認めているからです。た
だその詳細についてはなぜか3件の計画しかあきらかにされていないのです
が、ティム・ワイナー氏の綿密な取材によれば、影響が大きすぎるので公表
されなかった残りのひとつは、まちがいなく岸にCIAが巨額の資金援助を
していたことだそうです。
事実、アリゾナ大学のマイケル・シャラー教授は「週刊文春」(2007年10
月4日号)の取材に答えて、国務省の委員会にいたとき、「CIAから岸へ
の資金提供を示す文書をこの目で見ています」と証言しています。1回20
~30万ドル(7200万円~1億800万円)くらいの金額が何度も支出されていた
というのです。これは現在の貨幣価値でいうと1回10億円くらいのようで
すから、当初報道された「自民党への総額数百万ドルの援助」とは、現在の
価値では100億円から300億円くらいということになるのでしょう。
一方、このころ共産党と社会党がソ連から資金提供を受けていたこともほ
ぼあきらかになっているとのことですから(資料③)、安保条約をめぐって
東西が必死の工作を行なっていた1950年代末から60年代にかけては、日本
のほとんどすべての政党が外国から秘密資金の提供を受けていたということ
になります。
ティム・ワイナー他の取材によれば、CIAから自民党への資金供与は少
なくとも4人の大統領のもとで15年間つづいたということですので、岸政
権以降も、池田政権、佐藤政権とつづいたわけです。そしてその間、すべて
の政権で主要なポストにつき、長く自民党幹事長もつとめて党の運営資金の
やりくりに深く関わった田中角栄元首相は、自前の土地転がしなどで政治資
金を調達するようになります。1970年代にジャーナリストの立花隆氏が解
明した田中元首相の権力を利用した錬金術(たとえば河川敷を買い占めたあと、
税金で堤防を築き、道路をひいて巨額の利益を得る)は、おそらく岸・佐藤兄弟
がCIAの金で行なった金権政治(政治家・官僚・選挙民の買収)を、「別の
やり方」で受けついだものだったのでしょう(資料④)。
このように「アメリカの最良の友(Best Friend)」となるべく育てられた
岸ですが、ダレスからはやはり恫喝されています。1957年6月、首相就任
から約4カ月で訪米した岸に対し、ダレスはこんな言い方をしています。
「もし日本の望みが関係〔日米安保〕の解消(divorce) にあるのなら、ア
メリカとしてはその意志に沿うようにしたいと思います」
「われわれは東アジアにおいて別の協定を結ぶこともできます。たとえば、
オーストラリアはわれわれに産業を発展させてほしいと申し出てきました。
日本の代わりにオーストラリアを工業基地にするという考え方もあります」
このとき岸は「日本の未来は、アメリカとの緊密な協力の中にのみ存在す
ると考えています」と答えて、アメリカ側をいたく満足させたといいます。
これが安保の改定と、3億ドルの借款につながりました。
なるほど。これが覇権国への模範解答というわけですか。こうしてみると
ダレスの言葉も恫喝ではなく、聖書に手を置いて誓わせるような、一種の契
約の儀式と考えたほうがいいのかもしれませんね。
ところでこの問題にくわしい早稲田大学の有馬哲夫教授によると、金をも
らっていたからといって、岸元首相をCIAのエージェントや協力者と決め
つけるのは、単純すぎる見方だとのことです。岸くらいのプレイヤーになる
と、反共も再軍備も憲法改正も、すべてみずからの政治的信念であって、そ
の実現のために主体的にCIAや米国務省を利用したと見ることもできるか
らだというのです。たしかに岸が実現した保守合同(55年体制)と新安保条約、
いくつかの社会主義的政策が、そのあと日本に訪れる高度成長の時代に確固
とした基盤をあたえたことはたしかでしょう。
ただPART 1でふれた片岡鉄哉氏の分析だと、こうなります。岸がCI
Aから資金提供を受けてつくった自民党の本質的機能とは、「安保体制を守
り、運営する」ことだった。そして自民党の右派とリベラル派(保守本流)
が安保を守り、自民党のリベラル派と社会党が憲法を守るという安定した三
極構造*(55年体制)のなかで、日米安保さえ守っていれば国内でいくら痴
呆的な政治闘争に明け暮れていても政権は安泰だった。だから日本は「外交、
防衛のすべてをアメリカに頼る保護国」(愚者の楽園)となっていったのだと。
経済的繁栄とひきかえに、外交、防衛、そして政権選択といった国家主権を
手離したことのツケを、これからわれわれは払わねばならないのでしょう。
* 社会党はつねに自民党の半分くらいの議席だったので、三者の勢力はまさに拮抗し
て
いました。55年体制がスタートした時点の議席数も、自民党300、社会党154と、ほぼ
2対1の割合でした。
①映画「ANPO」(DVD:2010年)リンダ・ホーグランド監督
②『CIA秘録』(2008年)ティム・ワイナー(著)
③『クレムリン秘密文書は語る』(1994年)名越健郎(著)
④『田中角栄新金脈研究』(1985年)立花隆(著)
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『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』
の175から177ページより:
MLホームページ: http://www.freeml.com/public-peace