2015年2月21日05時00分
過激派組織「イスラム国」による日本人人質事件をめぐり、日本政府が同組織との交渉を依頼したのがヨルダン政府だった。やりとりの一端が、「交渉役」の証言で浮かび上がった。▼1面参照
2月15日、「イスラム国」は、交渉役となったイスラム厳格派指導者アブムハンマド・マクデシ氏の発言とされる内容をインターネット上に一部公開した。
「私はパイロットのカサースベ中尉と、リシャウィ死刑囚(の交換)のために交渉を仲介している。そのためにこの電話番号を得た」
マクデシ氏は「イスラム国」に拘束されたパイロットを殺害しないよう訴えた。「中尉を殺せば(ヨルダン当局に拘束されている)リシャウィも(死刑で)殺すことになる」
「彼女の死の責任を『イスラム国』が負うことになる。これ(人質の交換)は二度と来ないチャンスだ。これを生かせば、人々はあなた方を称賛するだろう」
一方、「イスラム国」側は、フリージャーナリスト後藤健二さんとリシャウィ死刑囚の交換を迫る。
マクデシ氏は反論した。
「ヨルダンはパイロットだけを気にかけている。日本人とは関係がない、彼(後藤さん)の国(日本)が彼の救出に取り組み、身代金を払うなりすべきだ、とヨルダン側は言う」「(交渉の)カードをまぜこぜにしたくない。これでは、交渉がだめになるかもしれない」
「イスラム国」はこの肉声に、様々な字幕をつけ自らの主張を展開。「ヨルダン国王の罪を我々に着せようとしている」などとヨルダン側を非難した。マクデシ氏は朝日新聞の取材に対し、この音声を本物と認めた。
このやりとりがあったのは、1月24日の前後とみられる。「イスラム国」側は、会社経営者の湯川遥菜さんが殺害されたとみられる画像とともに、後藤さんとリシャウィ死刑囚を交換するよう要求する映像を公開した時期だ。
■アルカイダ系指導者/出所、仲介見返りか 解放交渉担ったマクデシ氏
ヨルダン政府から交渉を依頼されたマクデシ氏とは何者なのか。
同政府に近い複数の関係者によると、ヨルダンにとっても「イスラム国」との直接の交渉ルートは乏しかった。
同国は主に(1)ヨルダンのイスラム教指導者(2)イラクのスンニ派部族長――らを通して、自国軍パイロットのカサースベ中尉や日本人の人質の解放交渉にあたっていたという。マクデシ氏は前者の有力ルートだった可能性がある。
マクデシ氏は、過激派組織アルカイダ系の宗教指導者だ。「イスラム国」の前身組織「イラクのアルカイダ」を率いていた故ザルカウィ容疑者とつながりがあった。
だが同容疑者が、ヨルダンの首都アンマンで少なくとも計57人が死亡、300人以上を負傷させる爆破テロ事件に関わるなど、過激度を強めていった2000年代半ばには距離を置くようになったとみられる。
ザルカウィ容疑者が米軍の空爆で死亡した後、後継者となったアブバクル・バグダディ容疑者が率いる「イスラム国」に対しても、批判的な発言を続けてきた。
「首を切って殺害する行為などはイスラム教のイメージを損ねるのでやめるよう(バグダディ容疑者に)手紙を書いていた」。同じヨルダンのイスラム厳格派指導者アブサヤフ氏はマクデシ氏について語る。
路線を違えたとはいえ、宗教指導者のマクデシ氏の影響力は依然としてイスラム過激派内で強い。ヨルダン国内外に多数の支持者がいて、「イスラム国」にも交渉のパイプを持っているとみられている。
英紙ガーディアンによると、マクデシ氏は「イスラム国」に拘束された米国人の援助関係者ピーター・カシグ氏の解放交渉にも、米国の弁護士とともに関わったとされる。ただカシグ氏は殺害された。
アラブ系メディアによると、マクデシ氏はアフガニスタンでのテロ集団への支援に関わったなどとして、ヨルダンで約5年間収監された。昨年出所したが、再び収監されていた。
欧米メディアなどによると、マクデシ氏は今月5日、ヨルダンの刑務所を出所したという。「イスラム国」がカサースベ中尉を殺害する動画を公開した直後だ。ただ、それより前に出ていたとの情報もあり、真相は不明だ。
ヨルダン政府は出所の理由を明らかにしていないが、マクデシ氏本人は、交渉役を担った見返りだとしている。
一方、「イスラム国」は交渉内容の公開前、英字機関誌「ダビク」の中で、マクデシ氏との交渉の詳細を暴露する、と予告するような文章を掲載していた。
彼らがマクデシ氏を名指しする理由について「憎むべき『敵』とみなし、交渉の役に立たなかったと中傷する狙い」(外交筋)との見方もある。
(アンマン=渡辺丘、渡辺淳基)