居間の壁に掛かっていた日めくりカレンダーは「2011年3月11日」のままだった。東京電力福島第一原発のある福島県双葉町原発事故を受けて約7千人の町民全員が町を出た。その後も、放射線量が高く、避難生活が続く。その一人、佐藤一夫さん(73)の一時帰宅に、テレビ朝日のスタッフと共に同行させてもらった。

庭の木の根っこは、イノシシに掘り返されていた。家の床にはネズミの糞(ふん)が散乱している。タンスやテレビが倒れている。佐藤さんは年に数回、家の様子を見に来るが、荒れ果てた家を修繕する気になれない。まして、この自宅一帯はいずれ、原発事故で出た汚染土などを集める中間貯蔵施設の用地に指定されている。そんな思いをめぐらせると、平穏だった昔の生活には戻れないという「現実」に押しつぶされそうになる。

20代のころから、原発の建設と稼働に沸く町を見てきた。「にぎやかな町をつくってくれた原発が、これほど牙をむいて襲いかかってくるとは思ってもみなかった。この4年間は、文字通り、踏んだり蹴ったりだよ」。佐藤さんはため息をついた。

地震の直後、着の身、着のまま近隣の川俣町に避難した。郵便局で働いていた長男(当時41)は津波にのみ込まれたらしく、連絡が取れなかった。いまだに行方不明だ。佐藤さん夫妻、長男夫妻と2人の孫。楽しかった一家6人の生活は、暗転した。

3年前から近隣のいわき市にある仮設住宅で暮らす。長男の写真が部屋の隅から佐藤さん夫妻を見つめている。

「壁も床も薄いので、冬の寒さはこたえる。スーパーに買い物に行くが、たくさん買い込むと『仮設住まいの人は補償金で原発事故成り金だ』と思われる。それも切ない。家も子も失い、あげくの果てに故郷を汚染土の集積地にされる。私たちの気持ちを少しでも分かって欲しいのだが……」

双葉町の役場は、いわき市内に移転している。伊沢史朗町長(56)によると、町民はいま、北海道から沖縄まで39都道府県に避難しているそうだ。伊沢町長は1月、「苦渋の選択」を迫られた。国や県との話し合いの末、中間貯蔵施設の受け入れを決めたのだ。

福島県で出た汚染土などは県内のどこかが受け入れなければならない。そういう思いで決断した。30年以内に県外で最終処分するという法律が成立しており、国には必ず守らせます」

伊沢町長が心配するのは、原発事故の「風化」だ。「福島県では、いまだに約12万人が避難したままです。その現実が忘れ去られようとしているのではないか。一方で各地の原発周辺自治体では、避難の態勢も十分ではないのに再稼働が動き出そうとしている」

福島第一原発で、放射性物質を含む汚染水が長期間にわたって港湾外に流出していたのに東電が公表しなかった事件も、伊沢町長には「風化」の表れと映っている。

東京・永田町でも気になることがある。4年前の原発事故直後、どの組織が中心になって事故に当たるのかをめぐって政府部内は混乱した。自衛隊か警察か消防か……。政治家の間から、緊急事態に対応するために強力な組織が欠かせないという議論が出ていた。その結果、原子力規制委員会の新設が決まった12年6月、参院の与野党はこんな付帯決議を可決した。

▽政府は原子力災害を含む大規模災害に対処する組織について、米国のFEMA(連邦緊急事態管理庁)なども参考に抜本的な見直しを行い、その結果に基づき必要な措置を講じる――。

ところが、実際には役所の主導権争いもあって危機管理のための新しい組織づくりは進まなかった。再び原発事故が起きたら、同じような混乱が起きる恐れがあるのに、政治家から「日本版FEMA」という話はほとんど聞かれなくなった。これもまた、「風化」の悲しい現実である。