日本はアジアの次の独裁国家になるのか?

日本はアジアの次の独裁国家になるのか?
FEB 20, 2015 9:00
By Noah Smith
今年初め私は世界各国における政権の反自由主義的な動きと、人権軽視という心傷む傾
向につい書いた。残念ながら、日本はこの危うい流れに追いつきつつある。
これは奇妙な言いがかりに聞こえるかもしれない。というのは、安倍晋三首相はこれま
でいくつかの自由主義な政策(女性労働者への平等な扱いの推進など)を実行してきて
おり、移民受け容れにも前向きな姿勢を示してきたからである。日本社会は、全般的に
見ると、過去数十年にわたって、より自由主義な方向に向かってきた。裁判員制度の導
入もその一つだし、クラブにおける長年のダンス禁止も無効にされたのもその一つであ
る。
しかし、こういったことは安倍の政党が日本国憲法を彼らの思い通りに変更した場合に
は、ほとんどが意味のないものになってしまうだろう。
日本の自由民主党(現存するうちで最も実体と異なる党名をもつ政党の一つ)は戦後史
のほぼ全時期、短期的な中断をはさんで、日本を支配し続けてきた。この政党の実質的
な部分は哲学的にも、組織的にも、またしばしば遺伝学的にも、日本軍国主義時代の政
治的支配者の流れを汲んでいる。それゆえに、当然ながら、アメリカ占領期に日本にお
しつけられた自由主義な価値観をこの党派はまったく内面化することがなかった。かつ
ては少数派であったこの党派が、現在では自民党内の支配的な勢力となっている。
自民党は現在、アメリカが起草した憲法を廃棄し、代わりに自主憲法を制定しようとし
ている。
自民党の改憲草案は「現行憲法の条項のいくつかは自然権についての西欧的な理論に基
づいており、そのような条項は変更されねばならない」と謳っている。この考えに基づ
いて、自民党改憲草案では、国は「公益及び公の秩序に違背する場合」には、言論の自
由、表現の自由を規制することができるとされている。また、宗教集団に国家が「政治
的権威」を賦与することを禁じた条項も廃絶される。つまり、政教分離原則が放棄され
るのである。
さらに悪いことに、草案は国民が従うべき六つの「義務」をあらたに付け加えた。
「憲法擁護義務」や家族扶養義務のようにあいまいで無害なものもあるが、「国家国旗
に敬意を払う義務」を国民に求めるようなアメリカにおける保守派が推進している憲法
修正と同趣旨のものもある。
他の三つの「義務」はあきらかに反自由主義と独裁制を目指している。
「国民は責任と義務は自由と権利の代償であるということを自覚せねばならない」「国
民は公益および公の秩序に従わねばならない」「国民は緊急事態においては国家あるい
はその下部機構の命令に従わねばならない」
これは中国やロシアであれば憲法に書かれていてもおかしくないだろうし、「緊急事態
」についての条項は、多くの中東諸国で弾圧のために利用されている正当化の論拠と同
じものを感じさせる。
残念ながら、この自民党改憲草案のきわめて反自由主義的な本質は欧米ではほとんど注
目されていない。欧米の人々は改憲というのは日本国憲法の一部、軍隊を保有すること
を禁じた現行憲法九条の改定のことだと思っているからである。
自民党改憲草案が九条廃絶をめざすのは事実だし、九条廃絶が安倍の改憲の主要な目的
であることも事実である。けれども、われわれががこの問題を非武装という論点にだけ
焦点を合わて見るのは、重要な論点から目をそらせることになる。
たしかに、九条廃絶はデリケートな問題である。日本はすでに軍隊を保有している(名
前は「自衛隊」だが)。そして、九条の非武装条項はかなりゆるく解釈されているから
、ここで九条を廃絶してみても事態はほとんど変わらない。憲法が改定されたからと言
って、日本が他国に侵略を始めるということはほとんど考えられない。日本はただ、そ
の事実上の軍隊をふつうに軍隊と呼ぶようになるというだけの話である。
しかし、九条問題に気を取られていると、われわれは自民党草案が日本国民の自由にど
のような打撃を与えることになるのかを見落としてしまう。
日本国民はもちろん反自由主義的な国で暮らすことを望んではいない。
日本国民の80%以上は安倍政権が最近採決した「特定秘密保護法」に反対したし、憲
法改定手続きを容易にする自民党の企てにも反対した。日本国民は過去70年間きわめ
て自由な空気の中で生きてきた。それがもともとは外国勢力によって与えられた自由で
あったにせよ、それを享受してきたことに変わりはない。
われわれが危険だと思うのは、日本国民が彼ら自身の自由をみずから進んで手放すよう
に欺かれているように見えることである。
欧米のジャーナリストと同じように、日本国民もまた九条の廃絶だけに論点を絞り過ぎ
たせいで、改憲草案が人権を「義務」に置き換えるためのものだということに気づいて
いない。日本の野党が弱く、分断され、統治能力がないこと、それに比べて安倍政権は
経済再生の最後の希望であるということで許される話ではない。
まずもう少し冷静になってみよう。憲法は所詮は一片の紙切れに過ぎない。すべての国
がアメリカのように自分たちの憲法を杓子定規に守っているわけでもない。
日本の指導者たちが非自由主義的な国家を作り出そうとすれば、アメリカが1947年
に書いた憲法には彼らを引き止める力はないだろう。事実、自民党内の歴史修正主義者
たちは自分たちの改憲草案をこの国の「ほんとうの」法律だと暗黙のうちにみなしてい
る。改憲草案のすべてが非自由主義的というわけではない。性別、人種、宗教的な理由
による差別の禁止は原稿憲法のまま残されるし、健常者障害者の差別禁止にまで拡大さ
れている。
しかし、自民党の新しい憲法には真に危険なものが含まれている。
第一に、これが自民党による市民社会抑圧の企ての一部だということである。
この動きは経済の低迷と福島原発事故の後、一層物騒なものになってきている。特定秘
密保護法とその他の出版の自由に対する弾圧はその危険を知らせる徴候である。国境な
きジャーナリストが発表した報道の自由ランキングで、日本は2010年の10位から
2015年には61位にまで転落した。
第二は自民党改憲草案を採択した場合、それが国際社会にもたらすマイナスの影響であ
る。もし日本がトルコやハンガリーのような非自由主義的な民主政体に向かって舵を切
った場合、それはアジア地域において日本がこれまで保持してきた、中国という抑圧的
な国家の対抗軸としての特性を打ち消すことになるだろう。その結果、日米同盟も弱体
化する。日米両国はこれまで価値観の共有によって一体化してきたわけだが、それが失
われるからである。これから先、アメリカは非自由主義的な中国と、かなり非自由主義
的な日本の双方に対して、これまで以上に中立的な立場を採択することになるだろう。
日本にとっての最適解はたぶん九条を廃絶して、残りの条項は手つかずに残すことであ
る。しかし、このトリックが政治的に何を意味するかはすぐ見破られるだろう。自民党
が九条に手を着けた場合、どのようなやり方でそれを成し遂げようと、それは独裁主義
的な「義務」と人権の弱体化に向かうドアを開くことに変わりはないからである。
だから、日本にとって現実的な最良の解は現行憲法にはいろいろ瑕疵があるが、その改
定をできるだけ先送りして、いまだに1940年代のマインドをとどめているような人
々が政権の座にとどまり続ける日が終わるのを待つことである。
日本はいま歴史的な転換点に立っている。
日本にはこれまで以上に自由主義的な社会になる可能性もあるし、これまでよりずっと
自由主義的でない社会になる可能性もある。
より自由主義的な社会をめざすことこそが賢明であり、かつ道徳的な選択である。

http://blog.tatsuru.com/2015/02/25_1234.php

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace

______________
コメント:民衆の我利を刺激して独裁者の我利を徹底させる方法:
国粋・排外・帝国・軍産・政官・学メ(メデイア)・権力・法律・教育・恐怖・金権等)

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