小出先生 ラジオフォーラム2015/4/25のお話(裁判で負けても、地元住民の努力が電力会社にプレッシャーをかけて改善した)&引きこもりは自己責任なのか、高橋敦敏さんのお話

永岡です、第120回ラジオフォーラム、今週は社会学者の景山佳代子さんの司会で放送されました。三角山放送局でも、前の番組でスタッフの丸山さんが、ラジオフォーラムをぜひ聞いて欲しいとのコメントがありました。

景山さん、南相馬に行かれて、想像以上、上手く言葉で表現できないほどのもので、言葉が見つかったら報告されたいと言われました。

今週のゲストは10年以上引きこもりの支援をされているニュースタート事務局関西(http://ns-kansai.org/ )代表の高橋敦敏さん、ひきこもりが問題になったのは90年代~2000年代前半で、しかし最近はメディアであまり取り上げられることはありません、これは社会の責任ではなく自己責任という考えもあり、これについて、高橋さんのお話がありました。

前半のお話、ニュースタート事務局は、社会的な引きこもりと言われた98年から活動し、勉強会で、ひきこもりの子供を持つ父母が来られて、何が起きているのかを探り、本人も来て、その中で鍋を食べて集まることや、訪問活動を2001年から開始、共同生活寮を作り、ワーカーズを作り、活動理念は親から生活を自立、社会参加を目的にしています。

みんなで食事、定例会を毎月やり、大阪・高槻で、メインは共同生活寮、NPO法人の設立、景山さんもフリースクールを見学され、引きこもり=外との接触のない人をどうするか、親以外の関係が長期間なく、家族以外の人間関係がなく、本人が相談に来たら食事、花見もあるが、本人が来ず両親が来て、その後本人にも来てもらう、ダメなら訪問活動。

訪問活動は、父母の話と本人の話が食い違うこともあり、手紙、電話で接触し、とりあえず行く、会えないなら手紙を置いて接触する。訪問は、家の中に他人が入るのは、今はあまりなく、その中で、ドアの前で話をしても本人には大変で、家族を啓くことをして、家族の風通しを良くする。手紙の内容も、訪問しているものが、今の社会について、引きこもりは本人の責任ではなく、ブラック企業もあり、社会に希望とは言わず、みんな大変でもやっている、出てこないかと言う。

呼びかけて、すぐ会える人、半年かかる人もあり、1年くらいは考えてくれて、半年を区切りとしている。景山さんも、友人が突然引きこもりで、メール、電話にも出ず、どうすべきか回りも分からずと言われて、続けたら本人にプレッシャーと言われ、高橋さん、ちょっとした変化が感じられる(服装がマシになるなど)場合があり、しかし高橋さんが帰った後、なぜあんな奴を呼んだともなることもあり、どう続けるか。

根気のいる仕事で、引きこもり対策は、景山さんも相手からの反応なくやるのは大変と言われて、高橋さんも社会に出るときに悩み、自分がどう出たらいいか分からず、自分のせいにして、自分の人生は自分で決めるもので、ひきこもる気持ちになることもあり、それで相手のことを考えるようになった。

景山さん、ひきこもりの人の気持ちを聞いても、甘えているという空気が本人に感じられ、大変とも指摘されました。

 

小出裕章ジャーナル、3月27日に大阪で行われたラジオフォーラム公開収録から、景山さんと小出先生のやり取りが放送されました。

今回のテーマは四国の伊方と小出先生のかかわり、1973年に日本初の原発訴訟が起きて、小出先生の熊取6人衆が参加し、これで原発の安全論議の基礎になったのです。

敗訴でしたが、78年に棄却され、しかしこれをきっかけに地元の方々が公害問題の研究会を開き、原発問題を調査して、これに小出先生の関わられたきっかけは、74年4月に熊取に来られて、その時から裁判に関わり、世界初の原発の安全を問う裁判で、証拠では圧勝したのに、敗訴した。

裁判は大変、お金、労力で疲労困憊して闘って勝てず、そこで当時の小出先生も原発の周囲の若者と、自分たちのできることをしようとして、彼らは原発に抗議して警察に捕まるなどあり、しかし現地の人は、自分たちの海がどう汚れるか知りたい、中には漁民もいる。

自分の生活の場を調べたく、77~78年に伊方全面の海の放射能汚染を調べ、当時若かった人も今は60代、伊方も今全て止まり、これで調査は終わりにした。

この33年間の調査で、伊方の全面の海に、放水口で放射能がたまり海が汚れていることがわかり、この事実は現地の人には苦しく、しかし四国電力も証拠を突きつけられて、放射能を出さないようにして、汚れはだんだん少なくなり(コバルト60)、最近は小出先生の測定でも汚れは見つからず、「住民の調査で電力会社にプレッシャーをかけて放射能を出させなくなった」。

「裁判で負けても、地元の方の活動は抑止力になった」のです。景山さん、小出先生の著書で、ガンジーの7つの罪を挙げられたのが印象で、人間性なき科学を批判され、人間性を大事にした科学が小出先生を集約していると指摘されました。以上、公開小出裕章ジャーナルの景山さんのコーナーでした、やり取り全文は以下にあります。

http://www.rafjp.org/koidejournal/no120/

これは、原発裁判のためにも、役に立つお話でした(私は3つの原発訴訟の原告と、兵庫に避難された方々の支援訴訟に参加していて、役に立つものでした)。こういう活動は、第2、第3の樋口英明さんを生み出すと思われました。

ここで音楽、フランクチャックスフィールドオーケストラ、虹の彼方です(この曲はユーチューブにはありませんでした)。

 

後半のお話、長期化、高齢化するひきこもりのことです。

長期化は10年はざらにあり、最近10~20代から40代半ばの話もあり、勤めを止めてひきこもり、両親は70~80代になったこともあり、20年の例もある。親はリタイアで、親が退職したら、子供はどうなるとしていたのに、今は退職後だと、年金問題、親の財産でファイナンシャルプランナーも入る。

なぜ長期化するか、理由は、高橋さんの支援活動で、仕事している人がひきこもるのは、職場などの関わりが作れなくなる労働環境もあり、昔は経済も良く上がっていき、上に引き上げられたのに、今は正社員も減り、落ちるのみ、手をつないでいたら、上のものも落ちる恐怖もあり、コミュニケーションも大変。

本来、仕事は協力してやるものなのに、奪い合う中で社会との関係も続けられなくなり、無理して社会に出なくていいとなり、ひきこもる。本人は、社会が悪いではなく、自分のせいとして、努力できない、なまけていると思い、家族も社会を知らず、本人がおかしいとなる=自己責任論。

景山さん、メディアも自己責任ということに言及され、高橋さん、自分のせいと言う方が、ひきこもりが社会の問題なら、社会と家族を変える必要があり、本人はしんどく、関わりたくない、自分の責任と思うと、その方がマシになる。新たな不都合は受け入れない。

高橋さん、ひきこもりから変えていくには、自分たちでやることであり、就職活動から、日常生活、掃除、洗濯を通して仕事を考えるもので、事務局での就労支援、ひきこもり→寮→ハローワークで、本人たちはハローワークに行き、しごとを作り、共同生活で、地域で働き、寮から出て、家に帰りたくなく、一人暮らしする人もあるが、地域NPOで働き、なんでも屋もやる。

カフェの運営もして、ひきこもりの解決は、難しいのは自立、経ち続けることであり、働いてから引きこもる人もあり、社会で立ちつづけるのは大変、それをどう支えるか、立ちつづけるために、どんな人でも立ちつづるため、社会の環境を変えるべきと景山さんも言われて、人とのかかわりの中で、自分がどう求められているか、なのです。

高橋さん、自分たちがやらないと働けず、ひきこもりは、庶民の働く環境が追い詰められていると言われました、以上、高橋さんのお話でした。

 

みんなジャーナル、景山さん、第114回の東日本大震災特集で「花は咲く」を取り上げたら、数人のリスナーより不愉快、なぜこんな曲を流したのかとの指摘があったそうです。大橋仮設でこの歌が支持されているので、今回はこの歌を通しての景山さんの被災地の報告です。

しかし、景山さん、実際に被災地でこの歌が愛されているのを見られました、これに関して、景山さんの報告です。

被災者の、花は咲くへの意見、景山さんも被災地にボランティアに行き、ピアノ演奏のボランティアの方が、みんなで歌おうとなり、最初にリクエストされたのが、花が咲く、で、みんな仕事を止めて、歌詞カードもなく歌った。

パッチワーク作業をしながら、ある女性、夫が仮設で倒れ、一人減り二人減り、そして夫が亡くなり、一緒に食事をする人がなくなり、その女性が、目の前で花は咲く、を歌い、景山さんもこの曲はあまり知らず、しかしこの女性の思いを知った。

そして、花は咲く、への不愉快との批判に景山さんショックで、これを歌っていたお母さんたちの思いを傷つけたのかと思われて、さらに被災地や、避難された方のお話を景山さん聞かれて、様々な意見がやはりありました。

福島市の60代の男性は、花は咲く、NHKで流れて、いい歌といい、批判される人もあると知り、批判の理由を知りたいとなった。40代の女性は、不愉快と思い、理由は歌詞は知らなくても、メロディーを聴くだけでいや。

この曲は震災から1年後に始まり、しかしこの曲で震災のことを思い出し、応援してくれる人もあるが、慰められないと言われて、自分だけ外されていると思う人もあるといわれるのです。

閖上の40代の女性、いい曲だが、この曲で泣きたくなる、聞いたら苦しくなる、涙には味があり、この曲で苦い涙と言われて、今は閖上を離れて暮らし、閖上で生活の先が見えず、生活が安定しないと、この曲を受け入れられないと言われるのです。

この他、被災者の様々な意見があり、世代によっても異なるとあり、子育て世代は、これから子供が大きくなり、仕事も見えない人にはこの曲はつらい、「被災者」の一言でくくれないものがあり、批判されたことで、景山さん、歌を通して、3・11をどう伝えるか、批判も、賞賛も、ラジオフォーラムで、マスメディアと異なり、市民のつくる場で、市民の声がこの番組を作り、これからもリスナーの声を届けて欲しいと、景山さん締めくくられました。

この、花は咲くのこと、神戸でも、しあわせ運べるように、は全面的に受け入れられていません。新長田など、復興の破綻で不幸が運ばれており、ここではしあわせ運べるようには確かに不愉快で、逆に神戸でも三宮から東や、芦屋、西宮はにぎわっていい、ここでは良く歌われます、場所により違うことも、私も実感しています。

ただし、指揮者の佐渡裕が、スーパーキッズオーケストラ(小学生~高校生)を率いて、毎年夏に被災地にボランティアに行き、この曲を演奏して、好評で、花は咲くの歌詞の入ったうちわを配布して、みんなで歌ったのです。

また、歌を歌詞カードなしで歌えるというのは、すごいことで、関西だとそこまで普及している歌は、六甲おろしくらいです(今日は歌えません(泣))、以上、永岡による補足でした。

 

景山さん、「自己責任」という言葉が大嫌い、もちろん2004年の高遠さんや今井さんたちへのバッシングで、個人に責任を押し付けるもので、ひきこもりだと、当時者に責任を押し付けて、社会を良くすることをさせない言葉だと、締めくくられました、以上、今週のラジオフォーラムでした。

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