過激派組織「イスラム国」(IS)による邦人人質事件で、政府の検証委員会は今回の対応について「誤りがあったとは言えない」とする報告書をまとめた。ただ、朝日新聞がこれまで得てきた政府関係者の証言などと照らし合わせると、ズレもうかがえる。取材結果を踏まえながら、報告書を再検証する。▼1面参照

■「体制十分」でも進展なく 不明2人の政府対応

報告書によると、政府は会社経営者の湯川遥菜(はるな)さんがシリア入りしていた事実を把握しておらず、昨年8月に「行方不明」との情報がもたらされてヨルダンに現地対策本部、官邸に情報連絡室などを設置した。

しかし、官邸関係者は取材に対し、「情報連絡室などは設置されていたが、これといった情報もなく、ほとんど動いていなかった」と証言している。

報告書によると、11月1日にフリージャーナリストの後藤健二さんの家族から行方不明の連絡があり、対策本部などに後藤さんの事案を追加した。この時点では「政府全体として情報収集を行う体制を十分に構築したが、犯行主体を断定するには至らなかった」としている。

ただ、湯川さんについては昨年8月の時点で、シリア政権系サイトが「ISが自由シリア軍と共に戦う日本からきたテロリストを拘束」などと報道。インターネット上では、頭から血を流して尋問を受ける湯川さんの映像が流れ、朝日新聞を含む日本メディアも一斉に「『イスラム国』が邦人拘束」と報じていた。

■「IS脅迫の口実」指摘も 安倍首相の中東演説

報告書によると、外務省は昨年12月3日、後藤さんの妻から夫の拘束を告げるメールが来たとの連絡を受け、安倍晋三首相、菅義偉官房長官に報告した。

警察庁は一連のメールを分析したが、この時点でも「犯人像を絞り込むことができなかった」といい、政府は妻のメールを使った直接交渉はしなかったという。

朝日新聞の取材では、妻はコンサルタントと相談し、メールで身代金の金額交渉をしていた。政府関係者によると、政府は妻に「直接交渉はしない」「身代金の要求に政府は応じられない」と伝え、メールの文言を事前に調整することはなかったという。

複数の政府関係者は遅くとも1月前半には「ISに違いないと認識していた」とも証言している。政府がメールを解析したところ、ドメイン名が、ISが過去の人質事件で使ったものと一致したことなどからだ。

そうした状況の中、安倍首相の中東訪問(1月16日~21日)が行われた。

報告書は「ISを恐れるあまり、日本が積み重ねてきた人道支援を止めることになればテロに屈することになり、訪問は適切だった」と説明。ISが批判した首相の「ISIL(ISの別称)と闘う周辺各国に2億ドルの支援」というカイロでのスピーチも、「過激主義と直面する穏健イスラム諸国を、国際社会の一員として支援していくというメッセージ。ISは自らに都合の良い主張を行うが、スピーチの表現に問題はなかった」と結論づけた。

ただ、報告書には「日本側の意図と異なるが、ISは脅迫の口実とした。善悪白黒の二元論ではなく、よりしたたかな発言を追求する必要がある」との有識者の指摘も盛り込まれた。

■妻へのメール、詳細触れず 人質解放交渉の連携

1月20日、政府は動画の公開でISによる犯行だと認定したと説明する。ISと直接交渉はしなかった理由について、報告書は「ISはテロ集団であって実態が定かではない。ISは際立った独善性・暴力性を有するテロ集団であり、理性的な対応や交渉が通用するような相手ではない」と記した。

政府は、直接交渉しない代わりに中東地域の部族長や宗教指導者など、第三者を介した事態打開を模索したが、ISに直接影響力のあるルートは得られなかった。ヨルダンに現地対策本部を置いたことについては「トルコも選択肢としてあった」としながらも、湯川さんの行方不明以降、対策本部がヨルダンにあったこと、ヨルダンは地域の情報集約地であったことなどから「適切」とした。

一方、自国の軍パイロットをISに拘束され、水面下で女性死刑囚との交換交渉を進めていたヨルダンを頼り、邦人人質の交換も合わせて行うよう依頼したことには触れていない。

ISは後藤さんと女性死刑囚の「1対1」の交換を主張することで、パイロット救出が最優先だったヨルダンに揺さぶりをかけてきた。パイロットは1月3日には殺害されていたとみられ、実際は交渉自体が成立しえなかった。こうした経緯からトルコに現地対策本部を置くべきだったと指摘する専門家も少なくない。

朝日新聞の取材では、ISは1月20日以降も後藤さんの妻に何度もメールで接触してきた。だが、報告書には具体的なやり取りは記されていない。政府にとってISの動きを知る手段はこのメールが中心だったが、政府は最後までメールの文面作成には関与しなかったという。理由について、官邸関係者は「そこを我々がやれば、政府が犯人と直接交渉することになってしまう」と語っている。

(久木良太、星野典久)

■<考論>政府の情報提供は十分だった 検証委の有識者、宮家邦彦・立命館大客員教授

全体としてはおおむね妥当なところに収まった。(人質となった邦人2人の)救出の可能性を損ねるような誤りはなかったということでおおむね一致している。それが基本的な結論だ。

我々が聞いたことについて(政府は)十分情報を出してくれた。(有識者による)独立した懇談会をつくる形にはならなかったが、ご意見番として役割を果たしながらお手伝いし、比較的うまく機能したのではないか。

安倍晋三首相がエジプトで行った演説が事件の引き金になった可能性については)いろんな意見が出たが、一致した評価や結論が出たとは理解していない。抜本的な対策というものはない。次の事件がまったく起きない保証はなく、不断の努力を続けていかなければいけない。

(宮家氏は21日の検証委員会の終了後、記者団とのやり取りで語った)

■<考論>ISから敵視、背景の検証ない 宮田律・現代イスラム研究センター理事長

報告書を読んで感じたのは、なぜ邦人2人が殺害されなければならないほど日本が「イスラム国」に敵視されるようになったか。その検証がなされていないことだ。

2003年のイラク開戦に当たり、日本は真っ先にイラク戦争を支持した。しかし、開戦の根拠となった大量破壊兵器は存在せず、イラクでは50万人とも60万人とも推定される人々が犠牲になった。家族、親族、あるいは同じ部族の人々が殺された戦争を支持した日本に対して、イラクでは信頼が揺らいだに違いない。それも人質事件の一つの背景になっていると思う。イラク戦争を支持した経緯も検証する必要があるのではないか。

また、首相には「テロに屈しない」という発言が目立つ。ただ、米国にならうかのようであり、ISを刺激するものと言える。

今回、現地対策本部をヨルダンに置いたことへの疑問も消えない。ISが死刑囚との交換を持ち出したことで交渉はより複雑になった。ヨルダンに本部を置けば、ISがどう動くことになるかを想定できていなかった。ISとの人質解放交渉に成功した経験があるトルコに本部を置かなかったことも、問うべきだろう。

■政府検証委員

委員長   内閣官房副長官(事務)

委員長代理 内閣危機管理監

国家安全保障局長

内閣情報官

委員    内閣官房副長官補

国家安全保障局次長

警察庁警備局長

外務省大臣官房

外務省東アフリカ局長

防衛省運用企画局長

■有識者

◆池内恵(さとし)・東大先端科学技術研究センター准教授(イスラム政治思想史)

◆長(おさ)有紀枝・立教大教授(NPO法人「難民を助ける会」理事長)

◆小島俊郎・共同通信デジタル執行役員(リスク情報事業部長)

◆田中浩一郎・日本エネルギー経済研究所常務理事(中東研究センター長)

◆宮家邦彦・立命館大客員教授(元外務省東アフリカ局参事官)