清く正しく美しく。「なんてったってアイドル」はかつてそう歌ったが、こと選挙に際しては社説も、清く正しいある種の「型」にはまることを余儀なくされる。民主主義を基礎づける大切な1票。投票しましょう――。大事なことだ。何度でも書かねば。

ただ、下がり続ける投票率と、それにもかかわらず「選挙に勝った我々こそ民意だ」とばかりに独善的に振る舞う政治家と向き合う時、この国の代表制民主主義は「型」の中で窒息しかかっているのではないか、との思いも抱く。

そんな現状に、タノマレモセズホメラレモセズ、裏口からせっせと酸素を送り込んでいるのが、福岡市在住の外山恒一さんだ。2007年の東京都知事選に立候補し、政見放送で「どうせ選挙じゃ何も変わらないんだよ!」と言い放ち、世間をギョッとさせたあの人。4月の統一地方選挙期間中は九州各地で「ニセ選挙運動」を展開していた。

「このたびの選挙に立候補していない、とやま、とやまこういちでございます」

「選挙に出るような非常識な人に政治が任せられますか? 投票用紙を捨てましょう。破る。燃やす。切り刻む。誰も投票に行かなければ、1人も当選致しません」

ニセ選挙カーからの訴え。賛同はしない。でもなるほどね。固まっていた思考に風が吹き抜ける。「外山語」に翻訳すれば、先の衆院選は棄権率約47%、さらに投票用紙を切り刻んでいるイメージを棄権という行為にかぶせると、おお、なかなかタイヘンなことが起きているではないか。

筋金入りの反選挙派。「多数決で決めたら多数派が勝つに決まっている」からだ。なのに「政治=選挙」というカンチガイが広がり、有権者は選挙が終われば傍観者と化し、多数派が政治をいいようにしている――確かに。

首相は昨年、消費増税の先送りについて国民の信を問うと衆院を解散した。ところがいま、安保法制の整備も公約だった、それで選挙に勝ったのだから国民から支持を得たと、涼しい顔をしている。

主権者が、選挙の時だけ姿を現す有権者にとどまっていたら、〈※個人の感想です〉みたいな首相の弁もまかり通ってしまう。政治はある意味、言葉の奪い合い。とりわけ、安倍政権下では。「レッテル貼りだ」なんてレッテル貼りにひるむ必要はない。さあ、奪いにいきましょう。堂々と貼りにいきましょう。

(たかはしじゅんこ 政治社説担当)

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