国民主権、真剣に考えて
県厚生連佐久総合病院医師 色平哲郎
以前、93歳の男性を診察したことがある。
左腕がひしゃげていた。
機関銃でやられたという。
戦地を必死に生き抜いた人だった。
平和と豊かさが身近にある私たちは、戦時下の不条理や貧困、
差別と抑圧をどれだけのリアリティー(現実感)を持って語れるのか、
と感じた。
一連の安全保障法制の審議にはいくつか問題がある。
一つ目は手続きが適切かどうかだ。
多くの国民が反対しているか、理解していない法案が
国会を通過するシステムには問題があるのではないか。
私も「どこへ連れて行かれるのか」と戸惑っている。
二つ目は従来の「専守防衛」から、(集団的自衛権の行使を認める)
国連憲章51条を中心とする枠組みへ大転換するのに、
政府から国民に説明がないことだ。
集団的自衛権の行使を名目に、
他国への軍事介入が繰り返された歴史は枚挙にいとまがない。
結果として自国民の生命を危険にさらし、
民間に多くの被害を出したことは歴史から明らかだ。
三つ目は、政府が想定するリスク要因が具体的に何なのかが説明不十分ということだ。
人権を規制しかねない法律を「念のため」という発想でつくることは禁じ手だ。
今回の国会審議の発議の判断は適切だっただろうか。
私は(高知県出身の自由民権運動の指導者)植木枝盛の
「人民は国家をつくるの主人にして、国家は人民につくられし器械なり」
という言葉に共感する。
現行憲法の根幹にはこの発想があるが、昭和の戦争時代にこの発想はなかった。
「国民は国家の道具にして、国家は国民に君臨する」という時代だった。
憲法は国民が守らされるものではなく、国民が国に守らせるものだ。
日本人は国民主権と政府のあり方を、真剣に考えていかなければいけない。
いろひら・てつろう
1960(昭和35)年、横浜市出身。
南佐久郡南牧村野辺山へき地診療所長、
同郡南相木村国保直営診療所長などを歴任。
現在は東京大大学院医学研究科非常勤講師
も兼ねる。
信濃毎日新聞 2015年8月11日
MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace