毎日新聞 2015年08月15日 東京夕刊
◇「一人娘立派に育てた」 最高齢遺族・ビルマで夫戦死、松岡せいさん(100)
全国戦没者追悼式に参列した最高齢の遺族、松岡せいさん(100)=京都市東山区=は陸軍少尉だった夫正二(まさじ)さん(享年31)への思いを胸に、戦後70年を生きてきた。自身も1937年から2年間、従軍看護婦として中国戦線に赴いた。その経験から「戦争はむごたらしいもの。絶対したらあきません」と訴える。
自宅の仏壇の横に飾られた正二さんの写真。今でも毎晩、その写真に「お父さん、おやすみなさい。バイバイ」と言って眠りにつく。陸軍で庶務の仕事をしていた正二さんとは41年に恋愛結婚。背がすらっと高く、誰にでも優しい人柄にひかれた。
正二さんは、長女玲子さん(72)が1歳だった43年12月に出征。最後に姿を見たのは、出征の行進を見送ったとき。その後、「あとをよろしく頼む」と走り書きされた紙切れを同僚の兵士が届けてくれ、一人泣き崩れた。正二さんは44年6月、ビルマ(現ミャンマー)の野戦病院で死亡した。終戦後、遺骨を持って帰ってくれた元兵士が教えてくれた。「その時は泣いて泣いて、泣きました」
従軍看護婦として戦争の悲惨さを目の当たりにした。食料がなく、病人におかゆを炊いてあげられない。回復した兵士が原隊に戻る時の悲壮な後ろ姿。命が尽きそうな兵士の手を握り「頑張るのよ。お父さん、お母さんが待ってはるよ」とみとったこと……。記憶は色あせない。戦没者追悼式に参列するのは2度目。「皆様の霊をなぐさめたい」と100歳での参列を決めた。
戦後は玲子さんを育てるため懸命に働いた。「松岡がたった一粒残してくれたものですから」。今でも、正二さんが「せいちゃん、こっち向いて」と笑う姿が目に浮かぶ。また会えるのなら、こう言いたい。「お父さん、子供を立派に育てましたよ」【野口由紀】
◇大きいおじい会いに来た 最年少遺族・沖縄で曽祖父戦死、宮城天音ちゃん(3)
最年少遺族として参列した宮城天音(あまね)ちゃん(3)は、14日に沖縄県嘉手納町の自宅を出る前、家族と仏壇に線香をあげた。祖母の美代子さん(67)は「大きいおじいに会いに行ってくるからね、と拝んでいました」と話した。
陸軍伍長(ごちょう)だった曽祖父、宮城篤清(とくせい)さんは沖縄戦で命を落とした。28歳だった。遺骨は戻らず、沖縄本島のどこで息絶えたのか分かっていない。
家族によると、曽祖母のカメさんにも懐いていた天音ちゃんは、カメさんと一緒に靖国神社に「大きいおじい」に会いに行く約束をしていた。だが、カメさんは昨年6月に99歳で亡くなった。今回は祖父母と両親、兄の6人家族で上京し、靖国にも参拝した。
父の篤志さん(41)は小学生の頃、本土復帰の5月15日を記念する「平和行進」に参加した。遺骨収集にも加わった。篤志さんは「この子が親の世代になったときに子や孫に伝えてほしい」と話し、笑顔の天音ちゃんを見守った。【三股智子】