クリスチャン・アッピ、アメリカのヒロシマとナガサキ70年後

トムグラム:クリスチャン・アッピ、アメリカのヒロシマとナガサキ70年後

署名入り記事ニュース 署名入り記事2015年8月4日10時28分13秒

(著者について)トム・エンゲルハートによる(前書き)

関係トピック:ヒロシマ;ナガサキ;核兵器;核戦争

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Opednews.com ヘッドライン:H3 8/4/15

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本論考は元TomDispatch.comに掲載されたもの。

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「「幾昔も後に冷戦時代にトップのアメリカの官公吏(大統領・軍上層部等)がどんな核の考えに嵌っていたかを思い出すことは殆どできない。例えば1950年代書記の国家安全保障会議の秘密文書では国のトップ戦略家達は、この惑星(地球)の生命を永遠のホロコースト(大虐殺)が有り得ることを想像して、喜んで未来派歴史の納骨堂に降りていった。彼らはそれらの文書に100の原爆が、合衆国の標的に落とされ、二千二百万人のアメリカ人が死傷する可能性やソ連の「完全破壊」の結果に成るかも知れない「打撃」について書いている。

そして彼らは単にデキシーを口笛で吹いていたのではなかった。結局、自分達は1960年にトップ軍服組は国の最初の核戦争に向けた単一統合作戦計画を議論していることが判ったのである。それには、共産圏世界の1,060の標的に3,200以上の核兵器を配送するというシナリオが描かれたのであった。標的は少なくとも130の都市を含み、皆成功すれば、全てが消滅する筈であった。このような攻撃の損害可能な極秘見積もりは2億8千5百万人死亡、4千万人負傷に達した。それがソ連と共産国中国の「完全破壊」を意味し、「ストレーンジ・ラブ(異常愛)博士」(邦画「博士の異常な愛情」:軍司令官の精神異常で核爆撃指令され核破滅に至る物語。博士は大統領科学顧問で水爆愛がこの惨禍を招き、一組の男女生き残りで人類生存を考える異常愛からの名であろう)が1964年にスクリーンをヒットするまで、これらの数字は単にある種の「理性的」戦争計画の一部に過ぎなかったが、これは「先制攻撃」-他の国が考えたら「侵略戦争」だが-でその敵を壊滅させるものとして全く真面目に討議されることになった。彼らに当然の名誉を与えるなら、「陸軍と海軍の仕官達は確かに風下降下(放射能)の致命的衝撃について」心配し「陸軍は『友軍と人民』に被爆制限(規制)をするよう明らかな関心をもった。」(そうである)。 対照的に空軍は(地上核爆発の)付加的制限(規制)は必要ないとした。」(のだが)。

ヒロシマ(1945年8月6日)とナガサキ(1945年8月9日)の原爆爆撃の70周年に達したのを我々が「祝う」のはこの(ような)世界である。今日それ程多くの(あるいは、実際には、もっと少ない)核兵器が「共産圏世界」を消滅させるより遥かに多くの事を為しただろう。それは惑星(地球)を核の冬に飛び込ませ、疑いも無く6千5百万年前に恐竜があの小惑星が死滅させたと全く同様に決定的に人類を根絶させたであろう。

黙示録は我々と(共に)あったし-今もある。結局、核兵器を持たない国がそれを造るのを止める最近の核合意にも拘わらず、この惑星は常時拡大され、更新され、そして近代化される世界を終わらせる(核)兵器庫で今もって充填されているのである。 今日「アメリカの審判:ベトナム戦争とアメリカ国家の正体」の著者であるクリスチャン・アッピはアメリカ人達が、この国の指導者達が-反核運動がここで暫時の力を得た稀な瞬時を除いて-どのようにして、一つのみならず二つの都市を壊滅させ何十万という無防備な市民を殺して、我々を核時代に導入した事を何とか無視しようとしたやり方を考える。トム

クリスチャン・アッピ著

善い戦争」のわれらの「慈悲深い」終結

即ちどうして愛国主義が決して済みませんと言わなくても良いことになるか

「決して、決して後悔で一分たりとも無駄にするな。それは時間の無駄だ。」

- ハリー・トルーマン大統領

ヒロシマとナガサキの核壊滅の70年後我々はここに到達した、そして私は人間達を殺戮するために核兵器を使った世界で唯一の国の立場で道徳的審判に一歩でも近付いたのかと疑う。アメリカの大統領は公式の謝罪をするだろうか?わが国は太陽よりも熱く焼いたあの二つの爆弾、「チビっ子」と「デブ男」、を投下したことを果たして後悔するだろうか?それ(米国)はそれら(爆弾)が何千という被害者を瞬時に蒸発させ、さらに何万の人を焼却し、グラウンド・ゼロ(爆心地)から何マイルにもわたってあらゆるものを灰燼に帰したやり方を(自ら身心に)吸収するだろうか?それは「黒い雨」が放射能を拡散してさらに多くの人々を-ゆっくりと苦痛を伴って-ついには二つの都市で低く見積もっても少なくとも25万人以上の死者数に至ったことを遂には把握することになるのだろうか?

この国の過去70年間継続する軍事化と核の「近代化」からすれば、答えは明らかに「否」のように見える。しかも、歴史家として私は我々の国家的悔悟の無さを少しでももっと深く掘り下げようとしてきた。そうしている間もアメリカーナの奇妙な断片が心に浮かび続けるが、それは人気のあった1970年のお涙頂戴の愛情物語の一行で、彼女の男友達が詫びようとすると、「愛は」と女主人公が「済まないという必要は決してないという意味なの」と言うところだ。これはアメリカ人の記憶にかつて留められた最も愚かな定義だ、というのは本当の愛は謝って償いをする強さをしばしば必要とするのだから。

それは、しかしながら、愛国心という愛のもっと広い形のものを多くのアメリカ人が考える仕方に顕著に良く当てはまる。第二次世界大戦での日系アメリカ人の強制収容を謝罪し弁償した1988年の議会決議のような稀な場合を除いて、真の愛国心は何よりもあなた方が「済みません」と決して言う必要はないことを意味する。他国が自らの誤った行動を認めようとしないことを批判する当の政治家達は決まって自分たちは決して何ごとに対しても謝るべきでないと主張する。例えば、1988年に米国海軍がイランの290人の旅客(66人の子供を含む)を乗せた民間航空機をペルシャ湾上空で撃ち落として殺した後、当時大統領に立候補していたジョージ H.W.ブッシュ副大統領は「私は決して米国の為に謝罪はしない。決して。事実がどうであったか気にかけない」と宣言したのである。

実際のところ、しかしながら、アメリカの悔悟なさのブッシュ版は十分ではない。結局アメリカ人は1941年以来常時戦争していたが自分達の国は平和愛好国であると見る方を好む。これは彼らが拒否や謝罪しないこと以上のものを必要としていることを意味する。彼らは(歪曲と除外をどれ程しようとも)説得的な物語と説明を必要としている。人類絶滅の脅威が毎日の現実であるような世界に導いた(原爆)爆撃を正当化する為に開発された話は我々の歴史で最も成功した正当化物語かもしれない。70年後、それと矛盾する証拠がどんどん積み重なって増えているにもかかわらず、それはいまだに公衆の記憶と学校の教科書に深く定着しているのである。多分、核兵器のアメリカ人の弁明‐それを擁護する弁論‐「済みませんとは決して言わないことを保証する‐を再検討する時機であろう、大破局の危険の時代に入ってから何十年もしているのだから。

ヒロシマ弁明書

1945年8月9日ハリー・トルーマン大統領はホワイトハウスからラジオ演説を行った。「世界はヒロシマ、軍事基地、に最初の原爆が落とされたことを銘記するだろう。」と彼は言った、「それは我々が、出来るだけ、この最初の攻撃で市民を殺すのを避けることを望んだからである。」 彼は二番目の原爆がすでにナガサキに落とされたことについては述べなかった。

トルーマンは勿論ヒロシマが「軍事基地」なら、シアトルもそうであり、住民の大多数は市民であり、多分彼ら10万人が既に死んだことを理解していたのである。実際、彼は、ヒロシマが軍事的意味合いから選ばれたのではなく、ヒロシマが米空軍により既に火災爆撃を受けて大部分が消滅していないほんの幾つかの日本の市街の一つであることを知っていた。米国当局者は事実最初の原爆を最大の恐怖と破壊を生むように使おうと一生懸命であった。彼らはまた自分たちの新兵器の威力を計りたかったので、ヒロシマとナガサキという「処女目標」を選んだのであった。1945年7月戦争相ヘンリー・スティムソンはトルーマンに、日本の市街がすっかり火災爆撃を受けているので原爆の「威力を見せる」目標は残されていないかもしれないとの恐れを報告している。スティムソンの日記によるとトルーマンは「笑い、そして、判ったと言った。」

大統領はすぐに「軍事基地」という正当化を取り下げた。結局、ヒロシマから来る原爆壊滅の最高に生々しい画像を検閲するワシントンの努力にも拘わらず合衆国が市街全体を一撃で破壊し大量の生命を失わせたことを世界はすぐに把握した。そこでそれに代えて大統領は後の少なくとも70年間有効となる弁明書を作る事に焦点を絞った。その核となる議論は同じ8月の9日に現れた。「我々は警告なしで真珠湾を攻撃した者達に(原爆を)使った」と彼は言った「米国戦争捕虜を飢えさせ、殴りつけ、処刑した者達に、国際的戦争法規に従うそぶりさえも放棄した者達に使った。我々は戦争の苦しみを短くするためにそして何百万の若いアメリカ人の命を救う為に使った。」

1945年まではアメリカ人はヒロシマとナガサキの市民が日本の戦争犯罪を犯してはいないことを気にしなかった。アメリカの戦時文化は、日本人が非人間的であるだけでなく、人間以下であると描く「黄禍」人種差別の長い歴史に長年のこと依拠していた。トルーマンは自分の日記に書いているように、日本は「野蛮」に満ちた国で‐「非情、無慈悲、狂信的」な国民であらゆる男、女、子供も死ぬまで戦う程天皇に忠実な国民なのである。これらの何年間も雑誌は通常のこととして日本人を猿、類人猿、虫けら、毒虫として描いてきた。そのような敵であるから、行き渡った見解は真の「市民」は居ず、絶滅に近いものか、少なくともそれに至る道を進むアメリカの意志以外は何物も日本人の降伏を強制できないというものであった。ウィリアム・「ブル(雄牛)」・ホルゼーが1944年の記者会見で言ったように、「善いジャップ(ジャパニーズ:日本人の蔑称)は六ヶ月前に死んでしまったジャップのみである」というのである。

第二次世界大戦以後何年間もするうちに人種嫌悪の最悪の敵意に満ちた表現は減っていったが、原爆は日本本土に攻め込めば、決死の戦闘は膨大な損失を双方に生む、と自信満々に主張された、侵攻の必要を無くして戦争を終わらせるに必要だったという広く行き渡った考えは少くならなかった。歴史上最も破滅的な、将来の世界終末に至る道を開いた、武器は、それ故、生命を救ったというのである。それは核戦争を導入する最も広範かつ根強い支持を提供した赤裸々な呪文(マントラ)であった。トルーマンが、退任して、1955年に「回想録」を出版した時までには、彼は日本侵攻は五十万人のアメリカ人と少なくともそれだけの日本人の命を救ったであろうとある特定の数字で主張する用意があった。

何年にもわたり、あの二つの原爆が救った人命のますます多くなる数字は一種の聖なる数値学となった。たとえば1991年にはジョージ H. W.ブッシュはトルーマンの「タフ(剛毅)で計算ずくの決定」を褒めて、それらの爆弾が「数百万のアメリカ人の命を救った」と主張した。その時までに、原爆大殺戮はすでに長い間はるかに多くの苦悶と殺戮を防いだ慈悲の殺生に変容していたのである。

トルーマンは自分の決定について一抹の後悔も疑念も決して持つことはなかったことを主張して墓に入った。確かに記録には1945年8月6日にいたる鍵となる数週間に彼が他の何らかの代替案に真剣な考慮を払ったという証拠は何もないことを示している。

「歴史修正主義者」は創造時に現存した

二十年前スミソニアン国立航空博物館が第二次世界大戦終結の五十周年を記念する野心的展示を計画した。その中心は特異な事物‐ヒロシマに原爆を投下するのに使われたエノラ・ゲイの胴体、B-29スーパー・フォートレスであった。しかし同所の管理者や歴史コンサルタントはアメリカの軍事科学技術の何かその他の勝ち誇って祝うもの以上のものを望んだ。その代わりとして彼らは思想を刺激するその爆弾開発の模様、その使用についての討議、その長期的結果の情報収集を求めた。博物館は単に戦争を終わらせ、「生命を救う」ために投下されたという引き続く主張に挑戦する何らかの証拠を含めることを求めた。

先ず(スミソニアン)訪問者達はアメリカの著名な第二次大戦軍司令官の何人かが核兵器を使うことに反対していたことを知る筈だ。事実、当時の五つ星陸海軍司令官の七人中六人がそれらを使う理由は無く日本はすでに敗北していると信じていたし、アメリカの(日本本州)侵攻が始まる前に降伏するようだということを知っていた。幾人か、例えばウィリアム・リーイ海軍大将とドワイト・アイゼンハワー陸軍大将、はその兵器には道徳的にも反対していた。リーイは、日本を原爆爆撃することは「野蛮」であり、「あらゆる自分がかつて聞いたキリスト教倫理とあらゆる戦争法規」に違反ると考えていた。

トルーマンは原爆を使うことに反対した軍司令官達に真面目に相談することは無かった。彼は、しかしながら、米国が計画した1945年11月1日と1946年3月1日に予定された日本本州への二回の大侵攻を実行した場合どれ位のアメリカ人が殺されるかの予測を提出するように軍専門家のパネル(討論団)に尋ねた。彼らの数字は4万人であり、彼が戦後引用した50万人より遥かに少なかった。この予測さえ、米国のほぼ完全な制空海権下にあって日本が兵士に食べさせ、燃料を供給し、兵士を武装し続けることが出来るとする疑問のある仮定に基いたものであった。

スミソニアン博物館はまた何人かの鍵となる大統領助言者たちがトルーマンに彼の「無条件降伏」の要求を取り下げて〔日本の〕殆ど即刻の降伏に導いたであろう平和条件の変更、、即ち日本が天皇を皇位に留まることを許すこと、をするように力説したことを(博物館)訪問者達に知らせる計画であった。トルーマンはその忠告を拒否したが、単に核攻撃の後になって同じ譲歩を許す結果になっただけであった。

しかしながら、トルーマンのそれらの爆弾を落とした動機の一部は敗北した日本ではなく台頭するソ連に関係していたことを銘記すべきである。ソ連社会主義連邦の1945年8月8日に日本に参戦するとの約束(実際そうした)でトルーマンは〔日本との)敵対をほんの少しでも長引かせることはソビエトの東アジアでのより大きな圏域の主張を許すことになるのを憂慮したのである。彼とジェームズ・バーンズ国務長官は当時米国だけが持っていた新しい爆弾の威力を生々しく見せつけることはまたヨーロッパでの共産主義の力をもっと「扱いやすく」するだろうと信じたのであった。スミソニアンの展示は(実現していたら)冷戦の計画と体制は第二次世界大戦の終結の瞬間に始まり、ヒロシマの遺産の一つは到来する何十年間の大量核軍備競争であったことを示唆したであろう。

エノラ・ゲイのようなアメリカの人工品の展示に加えてスミソニアンの管理者達は、女学生の弁当箱、爆弾炸裂の瞬間に凍結した時計の針、溶け合った数珠、死者や瀕死の人々のようなヒロシマの核破壊による幾つかの胸の張り裂けるような事物を展覧したいと願った。あの飛行機の巨大な胴体のそばにこれらを見ればその爆破の被害者に何らかの同情を感じないことは難しかっただろう。

これらのどれも起こらなかった。展示は抗議の嵐の後に取り消された。空軍協会がメディアへの当初の原稿の写しを漏らした時批判者達はスミソニアンを「政治的公正(進歩主義の意図的公平主張との保守の批判)」、歴史「修正主義」と「攻撃性」を非難した。彼らは展示がアメリカ退役軍人に対する侮辱であり根本的に非愛国的であっただろうと主張した。保守主義者達がその非難を先導したが、上院は満場一致でスミソニアンを「修正主義者で攻撃的」として非難し、「エノラ・ゲイの役割は・・・第二次世界大戦を、アメリカ人と日本人の命を救う結果になった、慈悲深い終結に導く為になった。」という公式の弁明書の小奇麗な復唱を含む決議を通過させた。

慈悲深い?これだけでも考えてみよ:ヒロシマとナガサキで殺された市民数は全太平洋戦争中に殺されたアメリカ兵士数の二倍以上である。

結局、スミソニアン博物館にはほとんど何も展示されなかったが、「善い戦争」のアメリカの勝利の煌めく遺骸、エノラ・ゲイそのものは展示された。

最も偉大な世代に対する我々の不断の信仰

それから二昔、我々は歴史上唯一の核攻撃の本当の公衆の検討にも、スタッド・ターケルが「善い戦争」と呼んだ戦争のやり方に何の重大過誤も見出さないということにも、もっと近寄ってみることをしてこなかった。彼はこの用語を自分の1984年の第二次大戦の古典的口述歴史で用いたが、六千万人の人々が死んだ戦争をその(「善い戦争」)ように考える皮肉を強調するために故意に引用符を付けたのである。それ以来何年にもわたりアメリカの常套句になったが、引用符もそれらの年間の我々の動機と行動についての懐疑を暗示するものも共に消滅してしまっていた。

公然のこととして、核戦争開始については(ナガサキに「デブ男」を落とした後五日間にわたり67の日本の市街地を壊滅させた火災爆撃については無いとしても)この国にもっと批判的な精神傾向の証拠はいくらかは有る。例えば、最近の世論調査で「ほんの」56%のアメリカ人が今では核兵器を日本に対して用いたのは正しかったと考えているが、これは1990年代より2,3ポイント下がっており、30歳以下のアメリカ人はついに50%を割った。加えて、第二次世界大戦直後では85%のアメリカ人が原爆投下を支持したことを知っておいても良いだろう。

勿論、そのように爆弾賛成の態度は1945年には殆ど驚くべきことではなかった、特に戦争が勝利で終わった安堵と喜びおよび当時の反日感情があったのだから。遥かにもっと驚くことは:1946年までに何百万のアメリカ人がジョン・ハーシーのベストセラー「ヒロシマ」-六人の日本の生存者の経験を通して原爆の衝撃を探ったグラウンド・ゼロ(爆心地)からの感動的な報告-に浸っていたのである。それは次のような書き出しで始まっていた:

「日本時間1945年8月6日の朝8時15分丁度、ヒロシマ上空に原爆が閃いた瞬間、東洋製缶工業人事課の職員佐々木とし子は自分の工場事務所の席に丁度坐って、隣の机に向かっている少女に話しかけようと顔を向けた。」

「ヒロシマ」は原爆の破壊力の断固たる描写とかつてのアメリカの敵をそれ程の威厳と人間性をもって扱った瞠目すべき記録である。「本件の要点は」とハーシーは結論する「戦争全体が、たとえ正義の目的の為だとしても、現在の形で正当化できるものかどうかということである。何か善い結果になったとしても、それを遥かに超える物質的精神的悪を持たなかったのかということである。」

ABCラジオ放送網はハーシーの本は非常に重要だと考えたので四人の俳優を雇いそれを全部読む放送をして、更に広い聴衆に届けた。大きなアメリカの媒体会社が我々の二十一世紀の戦争の犠牲者に共感する危険のある作品の為に重要な放送時間帯を振り向けたことをあなた方は今日想像できるだろうか?第二次世界大戦に我々が直接参加したことから来る「物質的精神的悪」を考察するよう促す最近の人気ある本などあなた方は考えられるだろうか? 私にはできない。

事実、あの戦争が終わって初めの数年で、ポール・ボイヤーが自分の素晴らしい本「あの爆弾の早い光によって」が示したように、核兵器の存在そのものが自国を新らたに脆弱なものにするという恐怖が育つにつれてアメリカの勝利主義は影を潜めた。結局何時か誰か、ソ連がそうなりそうだが、新型の戦争をその創造者達に対して用いるかもしれず、そうすれば決して救いとも慈悲とも見做されないアメリカの黙示録(の終末)を生むことになる。

冷戦後数十年の間に、しかしながら、そういう恐怖は再び消失した(しかし理由もなくそうしいているのである、というのはパキスタンとインドの南アジアの核交戦でさえ惑星全体をある種の核の冬に投げ入れ得るからである)。そのかわり、例の「善い戦争」の考えが確実に正義であると思われている。例えば、ローラ・ヒッレンブランドの第二次世界大戦に付いての極く最近の大ヒットとなった本「アンブロークン(不断に):第二次大戦の生存、強靭、救済」を考えてもらいたい。2010年に出版されニューヨーク・タイムズの厚表紙本ベストセラー・リストに殆ど四年間にわたり載っており何百万部も売れている。その広がりにおいてトム・ブロッコーの1998年の本「最も偉大な世代」をさえしのぐかも知れない。「アンブロークン(不断に)」のハリウッド適用版が昨年クリスマスに現れた。

ヒッレンブランドの本は第二次世界大戦の包括的な歴史あるいは(その一部である)太平洋戦争でさえ扱おうとするものではない。それはルイス・ザンペリー二が、不良少年からオリンピック走者になりB-24の爆撃手になった物語である。1943年に彼の飛行機は太平洋で撃墜された。彼とパイロットは救命艇で殆ど餓死しそうになり、サメの襲撃や日本の飛行機の機銃掃射にも拘わらず47日間生き延びた。最後は日本人に捕らえられ容赦なきサド的攻撃の犠牲者となり、残酷な戦争捕虜の身の連続に耐えた。

この本は確実に次の頁をめくりたくなる本であるが、一人のアメリカ人の酷い試練と驚異の回復にそれが焦点を当てたことは国家主義的勝利主義と自己惑溺の陳腐さを超える、あるいは(他にもあるが、その一つとして)太平洋でのアメリカ人の戦闘をあれほど劇的に形成した人種主義を考える、殆どどんな衝動が起こるのも妨げている。是が、少なくとも、「アンブロークン」に寄せられたアマゾンの顧客の驚異的な2万5千ほどの読後感を読み通しての印象であろう。典型的な評者は「第二次大戦退役軍人に対する私の尊敬は跳ね上がった。」と書き、別の評者は「戦争での我らの男達を愛するローラ・ヒッレンブランドよ有難う」と書いている。そして「我らの国に仕えた勇気ある男達の非人間的な扱いは読むに耐えない」等々である。

「アンブロークン」は、すべてエノラ・ゲイのアメリカ人乗組員の優位視点から、ヒロシマの原爆爆撃に一頁半を捧げている。ヒッレンブランドは乗組員の安全に対する懸念を喚起している:「起こる事から生き残るに充分に遠くまで爆撃機が行けるか・・・確かなことは誰も知らなかった。」彼女は衝撃波が、地上ではなく、30,000フィート上空で、彼らがエノラ・ゲイ内にたたきつけられた時のことを「空中に投げ出した」と記述している。

「アンブロークン」の映画版は核戦争の日本人の経験に対して更に共感を誘わないものになっているが、それは私の昨春の大学院セミナーである学生が言ったことを思い起こさせる。彼は高校で社会科を教えているが同僚に私達がヒロシマについてやっている講読について話したところ、三人のうち二人は以下のような類いの反応をした:「ご承知のように、私は日本に原爆を使ったことは間違いだと思っていたが、「アンブロークン」を観てからは、あれは必要だったと考え始めた。」即ち、我々は未だトルーマンが七十年前に演説して耕した土地にいるのだ。

映画の終わりに次の注記がスクリーンに現れる:「彼の信念に基いて、ルイは前進は報復ではなく許しだと観るようになる。彼は日本に戻って、彼は平和を見て、以前に自分を捕虜にした者達と和平をなした。

これは実に感動的である。捕虜収容所の多くの守衛達が謝った、そうすべきでもあったが、そして多分もっと驚いたことに-ザンペリーニが彼らを許したのだ。しかしながら、アメリカ側も謝る必要があったということを暗示するものは何もない:我々が、二つの都市を核による壊滅で脱帽させ、日本を無差別破壊したことは、リーイ海軍大将が言ったように、「あらゆる既知の戦争法」の違反かもしれないということを示唆するものは何もないのだ。

そういう訳で我々は70年後こういう状態にあり、何かあるとすれば、日本の市民に核戦争をするのは慈悲の行為であったという考えを拒否することから更にもっと遠く離れてしまったように見えるということである。多分誰か将来のアメリカ大統領が遂に我々の核攻撃を謝ることになろうが、確かなことは最早日本の(その戦争の)生き残りは生きてそれを聞くことは無いだろうということである。

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Christian Appy, TomDispatch regular and professor of history at the University of Massachusetts, is the author of three books about the Vietnam War, including most recently American Reckoning: The Vietnam War and Our National Identity (Viking).

クリスチャン・アッピ、トム・ディスパッチの常連(執筆者)及びマサチューセッツ大学の歴史学の教授、は「アメリカの審判:ベトナム戦争とアメリカ国家の正体」を含むベトナム戦争に関する三冊の本の著者である。

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Copyright 2015 Christian Appy

版権:2015クリスチャン・アッピ

註)翻訳はなるべく(思考・表現過程を示すために語順も含め)原文に忠実であるようにした。文中の青字はその項目のリンク(関係説明・根拠など)であり、

下記の原文掲載ブログから検索できる。なお便宜のために原文を以下に転載した。

https://limitlesslife.wordpress.com/2015/08/05/tomgram-christian-appy-americas-hiroshima-and-nagasaki-70-years-later/

http://www.tomdispatch.com/blog/176031/tomgram%3A_christian_appy%2C_america%27s_hiroshima_and_nagasaki_70_years_later(トム・ディスパッチ原文)

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OpEdNews Op Eds 8/4/2015 at 10:28:13

By Tom Engelhardt (about the author)
Related Topic(s): Hiroshima; Nagasaki; Nuclear Weapons; War Nuclear,

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“”So many decades later, it’s hard to remember the kind of nuclear thinking top American officials engaged in during the Cold War. In secret National Security Council documents of the early 1950s, for instance, the country’s top strategists descended willingly into the charnel house of futuristic history, imagining life on this planet as an eternal potential holocaust. They wrote in those documents of the possibility that 100 atomic bombs, landing on targets in the United States, might kill or injure 22 million Americans and of a “blow” that might result in the “complete destruction” of the Soviet Union.
And they weren’t just whistling Dixie. After all, in 1960, the top military brass found themselves arguing about the country’s first Single Integrated Operational Plan for nuclear war. In it, a scenario was laid out for delivering more than 3,200 nuclear weapons to 1,060 targets in the Communist world. Targets included at least 130 cities, which, if all went well, would cease to exist. Classified estimates of possible casualties from such an attack ran to 285 million dead and 40 million injured. That’s what “the complete destruction” of the Soviet Union and Communist China meant then and, until Dr. Strangelove hit the screens in 1964, those figures were simply part of the sort of “rational” war planning that led to perfectly serious debate about launching a “preemptive strike” — what, if another country were considering it, would have been a “war of aggression” — to eradicate that enemy. To give credit where it’s due, Army and Navy officials did worry “about the lethal impact of downwind fallout, with the Army explicitly concerned about limiting exposure of ‘friendly forces and people’ to radioactive fallout. By contrast, the Air Force saw no need for additional constraints [on surface nuclear blasts].”

It’s this world that we “celebrate,” having now reached the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima (August 6, 1945) and Nagasaki (August 9, 1945). Today, we know that delivering so many nuclear weapons (or, in fact, many less) would have done a lot more than wipe out the “Communist world.” It would have plunged the planet into nuclear winter and undoubtedly eradicated humanity as definitively as the dinosaurs were wiped out by that asteroid 65 million years ago.

Apocalypse was — and remains — us. After all, despite the recent nuclear agreement that will stop a country without nuclear weapons from building them, this planet is still loaded with a world-ending arsenal that is constantly being expanded, updated, and modernized. Call us lucky, but don’t call us particularly thoughtful. Today, Christian Appy, author of American Reckoning: The Vietnam War and Our National Identity, considers the way in which — except in rare moments when antinuclear movements gained brief strength here — Americans managed to ignore how this country’s leaders ushered us into the nuclear age by annihilating not one but two cities and killing hundreds of thousands of defenseless civilians. Tom

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Our “Merciful” Ending to the “Good War”
Or How Patriotism Means Never Having To Say You’re Sorry
By Christian Appy

“Never, never waste a minute on regret. It’s a waste of time.”

— President Harry Truman

 

Here we are, 70 years after the nuclear obliteration of Hiroshima and Nagasaki, and I’m wondering if we’ve come even one step closer to a moral reckoning with our status as the world’s only country to use atomic weapons to slaughter human beings. Will an American president ever offer a formal apology? Will our country ever regret the dropping of “Little Boy” and “Fat Man,” those two bombs that burned hotter than the sun? Will it absorb the way they instantly vaporized thousands of victims, incinerated tens of thousands more, and created unimaginably powerful shockwaves and firestorms that ravaged everything for miles beyond ground zero? Will it finally come to grips with the “black rain” that spread radiation and killed even more people — slowly and painfully — leading in the end to a death toll for the two cities conservatively estimated at more than 250,000?

Given the last seven decades of perpetual militarization and nuclear “modernization” in this country, the answer may seem like an obvious no. Still, as a historian, I’ve been trying to dig a little deeper into our lack of national contrition. As I have, an odd fragment of Americana kept coming to mind, a line from the popular 1970 tearjerker Love Story: “Love,” says the female lead when her boyfriend begins to apologize, “means never having to say you’re sorry.” It has to be one of the dumbest definitions ever to lodge in American memory, since real love often requires the strength to apologize and make amends.

It does, however, apply remarkably well to the way many Americans think about that broader form of love we call patriotism. With rare exceptions, like the 1988 congressional act that apologized to and compensated the Japanese-American victims of World War II internment, when it comes to the brute exercise of power, true patriotism has above all meant never having to say you’re sorry. The very politicians who criticize other countries for not owning up to their wrong-doing regularly insist that we should never apologize for anything. In 1988, for example, after the U.S. Navy shot down an Iranian civilian airliner over the Persian Gulf killing all 290 passengers (including 66 children), Vice President George H.W. Bush, then running for president, proclaimed, “I will never apologize for the United States. Ever. I don’t care what the facts are.”

It turns out, however, that Bush’s version of American remorselessness isn’t quite enough. After all, Americans prefer to view their country as peace-loving, despite having been at war constantly since 1941. This means they need more than denials and non-apologies. They need persuasive stories and explanations (however full of distortions and omissions). The tale developed to justify the bombings that led to a world in which the threat of human extinction has been a daily reality may be the most successful legitimizing narrative in our history. Seventy years later, it’s still deeply embedded in public memory and school textbooks, despite an ever-growing pile of evidence that contradicts it. Perhaps it’s time, so many decades into the age of apocalyptic peril, to review the American apologia for nuclear weapons — the argument in their defense — that ensured we would never have to say we’re sorry.

The Hiroshima Apologia

 

On August 9, 1945, President Harry Truman delivered a radio address from the White House. “The world will note,” he said, “that the first atomic bomb was dropped on Hiroshima, a military base. That was because we wished in this first attack to avoid, insofar as possible, the killing of civilians.” He did not mention that a second atomic bomb had already been dropped on Nagasaki.

Truman understood, of course, that if Hiroshima was a “military base,” then so was Seattle; that the vast majority of its residents were civilians; and that perhaps 100,000 of them had already been killed. Indeed, he knew that Hiroshima was chosen not for its military significance but because it was one of only a handful of Japanese cities that had not already been firebombed and largely obliterated by American air power. U.S. officials, in fact, were intent on using the first atomic bombs to create maximum terror and destruction. They also wanted to measure their new weapon’s power and so selected the “virgin targets” of Hiroshima and Nagasaki. In July 1945, Secretary of War Henry Stimson informed Truman of his fear that, given all the firebombing of Japanese cities, there might not be a target left on which the atomic bomb could “show its strength” to the fullest. According to Stimson’s diary, Truman “laughed and said he understood.”

The president soon dropped the “military base” justification. After all, despite Washington’s effort to censor the most graphic images of atomic annihilation coming out of Hiroshima, the world quickly grasped that the U.S. had destroyed an entire city in a single blow with massive loss of life. So the president focused instead on an apologia that would work for at least the next seven decades. Its core arguments appeared in that same August 9th speech. “We have used [the atomic bomb] against those who attacked us without warning at Pearl Harbor,” he said, “against those who have starved and beaten and executed American prisoners of war, against those who have abandoned all pretense of obeying international laws of warfare. We have used it in order to shorten the agony of war, in order to save the lives of thousands and thousands of young Americans.”

By 1945, most Americans didn’t care that the civilians of Hiroshima and Nagasaki had not committed Japan’s war crimes. American wartime culture had for years drawn on a long history of “yellow peril” racism to paint the Japanese not just as inhuman, but as subhuman. As Truman put it in his diary, it was a country full of “savages” — “ruthless, merciless, and fanatic” people so loyal to the emperor that every man, woman, and child would fight to the bitter end. In these years, magazines routinely depicted Japanese as monkeys, apes, insects, and vermin. Given such a foe, so went the prevailing view, there were no true “civilians” and nothing short of near extermination, or at least a powerful demonstration of America’s willingness to proceed down that path, could ever force their surrender. As Admiral William “Bull” Halsey said in a 1944 press conference, “The only good Jap is a Jap who’s been dead six months.”

In the years after World War II, the most virulent expressions of race hatred diminished, but not the widespread idea that the atomic bombs had been required to end the war, eliminating the need to invade the Japanese home islands where, it was confidently claimed, tooth-and-nail combat would cause enormous losses on both sides. The deadliest weapon in history, the one that opened the path to future Armageddon, had therefore saved lives. That was the stripped down mantra that provided the broadest and most enduring support for the introduction of nuclear warfare. By the time Truman, in retirement, published his memoir in 1955, he was ready to claim with some specificity that an invasion of Japan would have killed half-a-million Americans and at least as many Japanese.

Over the years, the ever-increasing number of lives those two A-bombs “saved” became a kind of sacred numerology. By 1991, for instance, President George H.W. Bush, praising Truman for his “tough, calculating decision,” claimed that those bombs had “spared millions of American lives.” By then, an atomic massacre had long been transformed into a mercy killing that prevented far greater suffering and slaughter.

Truman went to his grave insisting that he never had a single regret or a moment’s doubt about his decision. Certainly, in the key weeks leading up to August 6, 1945, the record offers no evidence that he gave serious consideration to any alternative.

“Revisionists” Were Present at the Creation

Twenty years ago, the Smithsonian’s National Air and Space Museum planned an ambitious exhibit to mark the 50th anniversary of the end of World War II. At its center was to be an extraordinary artifact — the fuselage of the Enola Gay, the B-29 Superfortress used to drop the atomic bomb on Hiroshima. But the curators and historical consultants wanted something more than yet another triumphal celebration of American military science and technology. Instead, they sought to assemble a thought-provoking portrayal of the bomb’s development, the debates about its use, and its long-term consequences. The museum sought to include some evidence challenging the persistent claim that it was dropped simply to end the war and “save lives.”

For starters, visitors would have learned that some of America’s best-known World War II military commanders opposed using atomic weaponry. In fact, six of the seven five-star generals and admirals of that time believed that there was no reason to use them, that the Japanese were already defeated, knew it, and were likely to surrender before any American invasion could be launched. Several, like Admiral William Leahy and General Dwight Eisenhower, also had moral objections to the weapon. Leahy considered the atomic bombing of Japan “barbarous” and a violation of “every Christian ethic I have ever heard of and all of the known laws of war.”

Truman did not seriously consult with military commanders who had objections to using the bomb. He did, however, ask a panel of military experts to offer an estimate of how many Americans might be killed if the United States launched the two major invasions of the Japanese home islands scheduled for November 1, 1945 and March 1, 1946. Their figure: 40,000 — far below the half-million he would cite after the war. Even this estimate was based on the dubious assumption that Japan could continue to feed, fuel, and arm its troops with the U.S. in almost complete control of the seas and skies.

The Smithsonian also planned to inform its visitors that some key presidential advisers had urged Truman to drop his demand for “unconditional surrender” and allow Japan to keep the emperor on his throne, an alteration in peace terms that might have led to an almost immediate surrender. Truman rejected that advice, only to grant the same concession after the nuclear attacks.

 

Keep in mind, however, that part of Truman’s motivation for dropping those bombs involved not the defeated Japanese, but the ascending Soviet Union. With the U.S.S.R. pledged to enter the war against Japan on August 8, 1945 (which it did), Truman worried that even briefly prolonging hostilities might allow the Soviets to claim a greater stake in East Asia. He and Secretary of State James Byrnes believed that a graphic demonstration of the power of the new bomb, then only in the possession of the United States, might also make that Communist power more “manageable” in Europe. The Smithsonian exhibit would have suggested that Cold War planning and posturing began in the concluding moments of World War II and that one legacy of Hiroshima would be the massive nuclear arms race of the decades to come.

In addition to displaying American artifacts like the Enola Gay, Smithsonian curators wanted to show some heartrending objects from the nuclear destruction of Hiroshima, including a schoolgirl’s burnt lunchbox, a watch dial frozen at the instant of the bomb’s explosion, a fused rosary, and photographs of the dead and dying. It would have been hard to look at these items beside that plane’s giant fuselage without feeling some sympathy for the victims of the blast.

None of this happened. The exhibit was canceled after a storm of protest. When the Air Force Association leaked a copy of the initial script to the media, critics denounced the Smithsonian for its “politically correct” and “anti-American” “revision” of history. The exhibit, they claimed, would be an insult to American veterans and fundamentally unpatriotic. Though conservatives led the charge, the Senate unanimously passed a resolution condemning the Smithsonian for being “revisionist and offensive” that included a tidy rehearsal of the official apologia: “The role of the Enola Gay… was momentous in helping to bring World War II to a merciful end, which resulted in saving the lives of Americans and Japanese.”

Merciful? Consider just this: the number of civilians killed at Hiroshima and Nagasaki alone was more than twice the number of American troops killed during the entire Pacific war.

In the end, the Smithsonian displayed little but the Enola Gay itself, a gleaming relic of American victory in the “Good War.”

 

Our Unbroken Faith in the Greatest Generation

In the two decades since, we haven’t come closer to a genuine public examination of history’s only nuclear attack or to finding any major fault with how we waged what Studs Terkel famously dubbed “the Good War.” He used that term as the title for his classic 1984 oral history of World War II and included those quotation marks quite purposely to highlight the irony of such thinking about a war in which an estimated 60 million people died. In the years since, the term has become an American cliche, but the quotation marks have disappeared along with any hint of skepticism about our motives and conduct in those years.

Admittedly, when it comes to the launching of nuclear war (if not the firebombings that destroyed 67 Japanese cities and continued for five days after “Fat Man” was dropped on Nagasaki), there is some evidence of a more critical cast of mind in this country. Recent polls, for instance, show that “only” 56% of Americans now think we were right to use nuclear weapons against Japan, down a few points since the 1990s, while support among Americans under the age of 30 has finally fallen below 50%. You might also note that just after World War II, 85% of Americans supported the bombings.

Of course, such pro-bomb attitudes were hardly surprising in 1945, especially given the relief and joy at the war’s victorious ending and the anti-Japanese sentiment of that moment. Far more surprising: by 1946, millions of Americans were immersed in John Hersey’s best-selling book Hiroshima, a moving report from ground zero that explored the atomic bomb’s impact through the experiences of six Japanese survivors. It began with these gripping lines:

“At exactly fifteen minutes past eight in the morning, on August 6, 1945, Japanese time, at the moment when the atomic bomb flashed above Hiroshima, Miss Toshiko Sasaki, a clerk in the personnel department of the East Asia Tin Works, had just sat down at her place in the plant office and was turning her head to speak to the girl at the next desk.”

Hiroshima remains a remarkable document for its unflinching depictions of the bomb’s destructiveness and for treating America’s former enemy with such dignity and humanity. “The crux of the matter,” Hersey concluded, “is whether total war in its present form is justifiable, even when it serves a just purpose. Does it not have material and spiritual evil as its consequences which far exceed whatever good might result?”

The ABC Radio Network thought Hersey’s book so important that it hired four actors to read it in full on the air, reaching an even wider audience. Can you imagine a large American media company today devoting any significant air time to a work that engendered empathy for the victims of our twenty-first century wars? Or can you think of a recent popular book that prods us to consider the “material and spiritual evil” that came from our own participation in World War II? I can’t.

In fact, in the first years after that war, as Paul Boyer showed in his superb book By the Bomb’s Early Light, some of America’s triumphalism faded as fears grew that the very existence of nuclear weapons might leave the country newly vulnerable. After all, someday another power, possibly the Soviet Union, might use the new form of warfare against its creators, producing an American apocalypse that could never be seen as redemptive or merciful.

In the post-Cold War decades, however, those fears have again faded (unreasonably so since even a South Asian nuclear exchange between Pakistan and India could throw the whole planet into a version of nuclear winter). Instead, the “Good War” has once again been embraced as unambiguously righteous. Consider, for example, the most recent book about World War II to hit it big, Laura Hillenbrand’s Unbroken: A World War II Story of Survival, Resilience, and Redemption. Published in 2010, it remained on the New York Times best-seller list in hardcover for almost four years and has sold millions of copies. In its reach, it may even surpass Tom Brokaw’s 1998 book, The Greatest Generation. A Hollywood adaptation of Unbroken appeared last Christmas.

Hillenbrand’s book does not pretend to be a comprehensive history of World War II or even of the war in the Pacific. It tells the story of Louis Zamperini, a child delinquent turned Olympic runner turned B-24 bombardier. In 1943, his plane was shot down in the Pacific. He and the pilot survived 47 days in a life raft despite near starvation, shark attacks, and strafing by Japanese planes. Finally captured by the Japanese, he endured a series of brutal POW camps where he was the victim of relentless sadistic beatings.

The book is decidedly a page-turner, but its focus on a single American’s punishing ordeal and amazing recovery inhibits almost any impulse to move beyond the platitudes of nationalistic triumphalism and self-absorption or consider (among other things) the racism that so dramatically shaped American combat in the Pacific. That, at least, is the impression you get combing through some of the astonishing 25,000 customer reviews Unbroken has received on Amazon. “My respect for WWII veterans has soared,” a typical reviewer writes. “Thank you Laura Hillenbrand for loving our men at war,” writes another. It is “difficult to read of the inhumanity of the treatment of the courageous men serving our country.” And so on.

 

Unbroken devotes a page and a half to the atomic bombing of Hiroshima, all of it from the vantage point of the American crew of the Enola Gay. Hillenbrand raises concerns about the crew’s safety: “No one knew for sure if… the bomber could get far enough away to survive what was coming.” She describes the impact of the shockwaves, not on the ground, but at 30,000 feet when they slammed into the Enola Gay, “pitching the men into the air.”

The film version of Unbroken evokes even less empathy for the Japanese experience of nuclear war, which brings to mind something a student told my graduate seminar last spring. He teaches high school social studies and when he talked with colleagues about the readings we were doing on Hiroshima, three of them responded with some version of the following: “You know, I used to think we were wrong to use nukes on Japan, but since I saw Unbroken I’ve started to think it was necessary.” We are, that is, still in the territory first plowed by Truman in that speech seven decades ago.

At the end of the film, this note appears on the screen: “Motivated by his faith, Louie came to see that the way forward was not revenge, but forgiveness. He returned to Japan, where he found and made peace with his former captors.”

That is indeed moving. Many of the prison camp guards apologized, as well they should have, and — perhaps more surprisingly — Zamperini forgave them. There is, however, no hint that there might be a need for apologies on the American side, too; no suggestion that our indiscriminate destruction of Japan, capped off by the atomic obliteration of two cities, might be, as Admiral Leahy put it, a violation of “all of the known laws of war.”

So here we are, 70 years later, and we seem, if anything, farther than ever from a rejection of the idea that launching atomic warfare on Japanese civilian populations was an act of mercy. Perhaps some future American president will finally apologize for our nuclear attacks, but one thing seems certain: no Japanese survivor of the bombs will be alive to hear it.

 

Christian Appy, TomDispatch regular and professor of history at the University of Massachusetts, is the author of three books about the Vietnam War, including most recently American Reckoning: The Vietnam War and Our National Identity (Viking).

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Copyright 2015 Christian Appy

 

Tom Engelhardt, who runs the Nation Institute’s Tomdispatch.com (“a regular antidote to the mainstream media”), is the co-founder of the American Empire Project and, most recently, the author of Mission Unaccomplished: Tomdispatch Interviews with American Iconoclasts and Dissenters (Nation Books), the first collection of Tomdispatch interviews.

 

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