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過剰生産恐慌としてのバブルの弾けー中国ブラック・マンデー 覚え書き、その2。3章まで(上)(8・31~9・5執筆) 塩見孝也 編集する
2015年09月08日17:20 188 view.
恐慌は資本主義のそれまで隠されていたり、良く分からなかった問題・領域を含め、あらゆる問題を集大成的に炙り出してゆく。
目次
(1章)官僚制国家資本主義の枠・衣を剥ぎ取れば、典型的な過剰生産恐慌
(2章)この二週間(8・17~31日位)余の中国当局、米・欧・日先進資本主義国やG5、G20ら発展途上国の反応・対応
(3章)毛沢東思想の止揚(揚棄)ではなく、文革清算以来の中国経済の帰し方。<社会主義市場経済>という唯生産力主義路線のための六つの課題への邁進
(4章)唯生産力主義の六つの課題展開の検証、結局この帰結は、格差社会をもたらしたこと。
(5章)リーマン恐慌と中国恐慌との共通性と差異
(6章)中国に期待するもの。注文すべきこと。
(1章) 官僚制国家資本主義の枠・衣を剥ぎ取れば、典型的な過剰生産恐慌
中国・上海株式市場の株価暴落の事態は、その「社会主義市場経済」が、これまで行けゆけドンドンで登りつめ、それが天井にいたり、その資本蓄積の固有性に基づき、そこでドドンと急落して行く、といった資本主義経済における宿命ともいえる過剰生産恐慌の典型を示しています。
この事態は、「官僚制の計画経済」という、自由主義資本主義経済とは、異質な枠組みを有し、その衣で覆われ、相当、歪められ、隠蔽される側面を有していたものの、もはや、それも、効力を失ない、資本主義市場経済の宿命をさらけ出して来た、と言えます。
これは、リーマン恐慌の際、5兆元(80兆円)という破格の財政投資で、中国のみが、この恐慌
から自由で、わが道を進んでいるという仮象を印象付けて来たが、それも、今や、逆目として現われ、中国式高度成長の矛盾を引き伸ばした結果となり、より巨大な矛盾を爆発させるものとなったと捉えられます。
以下、中国恐慌の現状と中国政府の現状的対応や諸外国の反応を見て行きつつ、これを、通じて引き出されれる総括的結論として、中国・世界経済の長期的収縮は避けられない、ということを示して行きます。
(2章)この二週間余の中国当局、米・欧・日先進資本主義国やG5、G20ら発展途上国の反応・対応
★リーマン恐慌以降から、約7年、そうは言わないまでも、この4~5年前から、中国経済は過剰生産恐慌に陥ち入り、経済成長率は10数%から10%へ、更に8%へ、更に7%台へ、そして、今年の目標は7%ぎりぎりに下げられて行くといった具合に、じりじりと減速して来ていました。今年は5%くらいという学者も沢山います。
このような経済の状態は、実体経済における過剰生産、恐慌が先行、基礎となっていること。そ
れが、上海株式市場を中心にする金融バブルの弾けに連なって、顕在化したといえます。
★8月17日、月曜、上海株式市場を中心に株価は大暴落しましました。6月から8月の二ヶ月間で上海総合株式指数では、約4割、株価は下落した。この株の売買に、人口の約二割、2・5億人の人々が手を染めていたと言われています。
この現象は、銀行預金は利率が低く、それまで、住宅株や製鉄業・資源開発株に手を染めていた個人株主達が、ここでの停滞が鮮明になっていることで、その資金を上海株式市場に流し込んで行った後、一転≪売り≫に転じたからだ、と言われています。
★この株価暴落ニュースが流れるや否や世界経済は「世界同時株安」の事態となって行きました。アメリカ株は丸四日間、低落し続け、その下げ幅は1000ドルに達し、全ての外国諸国の株式市場では、軒並みに急低落しました。あの日から、約2週間、低落と反撥を繰り返しつつも、今は、500ドルくらいの下げ幅となっていますが、これが、底値とは言いきれず、今後どうなるか、まだまだ、流動的で、分かりません。
日本株も、それまで、2万円を超える程であったのが、現在1万8千円代に下げています。(※これは、9月7日、現在で1万8千円を割りました。)しかし、この下げ幅が、ここでとどまるか否かは、アメリカ同様、まだまだ流動的で分かりません。
★中国と密接な関係を持つ、G20、G5など「発展途上国」地域は、先進資本主義国に比べ、この事態の影響は遥かに深刻です。アメリカFRBの9月利上げ予測報道が可なり前から流れており、これが現実となれば、その深刻さは更に深まって行くであろう。
★中国当局は、これまでの自国経済の状態に対して、平価切り下げを3度も繰り返したり、先月、25日には、金利の利下げを断行しました。しかし、輸出が伸びているわけではない。又今回の事態に対して、個人株主の人々に対して、投機的な株売買の自粛を呼びかけ、手近の国有経済部門や地方政府にはこのような行為を厳しく監視・統制したりし、悪質投機者を急遽、逮捕・処罰したりして、事態の沈静化におおわらわです。
★更に、9月1日、企業と銀行が、資金の流出を防ぐために、「元売り、外貨買いの為替予約」の場合、一定の「保証金を課す」政策を布告した。
●しかし、中国経済の実体は、既に唯生産力主義の高度成長の行き過ぎから、「制限された消費に対して、生産と生産力が過剰化する」恐慌の原理的規定に沿って、過剰生産恐慌の事態に襲われていることからして、中国共産党とその政府が如何に強権的に迅速・果断な応急的諸措置をとっているにしても、これだけで、このような恐慌を食い止められるとは、トテモ考えられません。
当の中国共産党と政府当局ですら、そうは思っていないこと。彼等も又、自らの経済構造の抜本的な構造改革が必要とされている、と認識しています。
このことは、「高度成長からニュー・ノーマル(新状態)経済(日本流の「安定成長」に近い。)への転換」として、既に構想されていたことは既知のことです。
しかし、この転換は、経済の量的拡大の性格からの高度成長の歪み、矛盾を是正しつつ、民衆の安寧・福祉の目的を孕みこんだ、日本で言えば第三の経済分野、サービス業分野(医療・教育、社会福祉の充実、公害対策、自然環境の防衛ら)の開拓を含んだりする質への経済の質的転換を図るものであり、試行錯誤、手探りの状態を伴う、一寸やそっとで実現されない性格の経済路線の大転換を意味します。
事態が落ち着いて行くと楽観的に仮定しても、最低5~6年はかかる、と思われます。
日本で、言えば、1996年の景気後退(恐慌)に続いた、「失われた10(20)年」のように、10(20)年くらいは、かかるのではないでしょうか。
●このような事態に加えて、FRBの利上げが重なれば、どうなるでしょうか?
世界経済は、その牽引車であった中国経済の「墜落」という事態に遭遇し、更に収縮し、正しい経済対応がなされない場合、「資本主義の≪死≫の≪苦悶≫と≪痙攣≫を続け、最後には≪大崩落≫してゆく」可能性・危機性を大いに秘めているといわなければなりません。
7年前のリーマン恐慌の際は、世界経済の牽引車となりつつあった中国経済を政府が、急遽、約5兆元(60兆円)を投入し、この恐慌の自国への波及を食い止めて、一応、持続的成長を維持し続けました。
そのことで、中国経済が世界恐慌拡大の防波堤の役割を果たしました。G5やG20ら発展途上国も、その離陸力が、ここからのダメッジを上回り、エジプト・中東地域を除けば、経済収縮をある程度、食い止め得ました。
しかし、今回は、その防波堤をなす諸国は何処にも無く、かつて、その役割を担った主役(リーマン恐慌のそれまでは、<陰の主役>であったのたが)の中国経済が恐慌の震源地になっているのですから、この中国・世界の恐慌は、リーマン恐慌を遥かに超えて、深く、広いスケールを持った性格と捉えられなければなりません。ですから、不況克服は長引きます。
リーマンショックの煽りがエジプト・中東を襲い、エジプトでは、アメリカ金融資本や農業独占資本の画策によって、食料品の高騰、食糧危機と4人に一人、青年層では二人に一人の失業状態を生ぜしめ、「アラブの春」を呼び込んだような深刻な事態が、今回は、発展途上国の大半で再現されてゆく可能性があります。「発展途上国」諸国は、ブラジルに典型を見るように離陸力を失い、中東並みの経済危機、ひいては政治危機に襲われる可能性が大と考えられます。
(3章) 文革以来の中国経済の帰し方。<社会主義市場経済>という唯生産力主義。そのための六つの課題への邁進
こうであるなら、僕等は、先ず、どうして中国経済が、かかる事態に陥るようになってきたか、中国経済の帰し方を検証し、そこから中国と世界の経済の未来を確定し、活路を捜して行くようにしてゆかなければなりません。
●1節 中国経済の来し方。
★中国経済は資本主義としての離陸・高度成長の路線を鄧小平氏のリーダーシップによって確立してゆきました。これには、毛沢東主席の「プロレタリア文化大革命」の諸問題を、1978年の中国共産党・三全総に始まり、1989年の第二次天安門事件までの10年間において、権力者の側から、最終的に集約して行くことに成功するまでの歳月が必要でした。
★その後、唯生産力主義の鄧小平路線は、対内的には、彼の「南方(杭州等)巡行」で持って、高度経済成長に拍車を掛け、対外的には、それまでは、逡巡していた、香港経由だが「WTO(国際貿易機関)」にも正式に参加し、世界経済にリンクして行きました。
こうして、中国は、国際資本主義経済の正式のメンバーとして承認されることで、その<現代化><改革><開放>路線を実行に移し、その後の驚異的な高度成長の時代に踏み出して行きました。
中国高度成長経済は、13億人の人口の巨大性をベースに、21世紀初頭から、10年から15年の間、高度成長を遂げ、GDPで一気に日本を追い抜き、今年、竹中平蔵氏の言うには、現在ではアメリカの六割近く、日本の2・6倍、経済大国に成長して来ました。
●2節 唯生産力主義は、鄧小平氏の「黒猫でも白猫でも、鼠を捕る猫は良い猫である。」「※先富(後来(?)論」「公害などには構っていられない」の言に象徴されています。唯生産力主義の立場に立てば、――僕は批判の立場にありますが――いろんな問題を惹起させるにしても、中国社会の発展段階からして、ある意味では避けがたい側面も有していた、と考えられます。
こういったマイナス面の副産物を是正して行かんとするものとして、江沢民→胡錦祷(→習近平)と政権担当者が10年間毎に、平和的に交替される政治システムを確立して行きました。この歴代の政権は、対外的には、唯生産力主義の立場に立ち、「中華民族の偉大性」といったナショナリズムをキイ―ワードにして、拡張主義・覇権主義まがいのものも推進しつつ、対内的には<法治>を唱え、習近平政権は汚職・腐敗の撲滅らをキャンペーンしてきました。
●3節 中国式近代化路線とそのための六つの課題への「挑戦」。
中国は、自らの近代化・工業化・高度成長のために必要とされる以下六点くらいの課題を設定し、この実現に挑戦しつつ、遮二無二、突き進んで来ました。
第一に、インフラの整備(道路、鉄道、河川、港湾、航空路の整備)が必要とされる。
第二に、この第一と関連させつつ、後ほど、僕が指摘する第五の課題と連関しつつの製造業部門に必要不可欠な、石油は輸入に頼るとして、石炭ら鉱物資源の開発、製鉄業から電力、自動車・電気機器、PC関係に到る重化学工業の振興を急激な形で促進してゆくこと。そのための技術導入・技術革新、IC技術の外国からの取り込み、等らを追求してゆく。
第三に農民の労働者化とその住宅条件ら生活・福祉面を整備し、その相対的過剰人口化を追求すること。
第四に、経済において血流である、必要不可欠な金融分野を開拓し、金融力の飛躍的向上を目指す。このメカニズム、システム確立を目指す。これを、中央人民銀行を中心に国際面、対民間製造業部門、国有経済部門、中央に対する地方政権・その銀行と関係性において整備して行く。
第五に、外国資本の参入への特別な継続的な優遇措置をとることで、欧米日など先進資本主義との企業連携・資本の呼び込みを持続的に推進して行くこと。この機会を利用して、技術革新を巧みに取り(盗りこむ)込んで行くことなどが必要とされる。
第六に、こうして、巨大な人口を利用すること、市場経済を活用すること、飽くなき唯生産力主義の高度成長の目的意識的追求を持って、それまでに、徐々に蓄積されて来た資本(力)を逐次利用しつつ、先進資本主義への商品・資本輸出をやりぬくこと。平行して、それ以上に、かつての「第三世界」、今は、「資本主義発展途上国」に対して、「中国式」商品・資本輸出に力を注いで行くこと。
「中国式」とは高度成長の先輩として、自己の経験を活かし、インフラ整備、中国式製造業振興のノウハウを啓蒙し、同時にこれと一体に商品・資本輸出をやってゆく手法です。
この対象地域は、東南アジア、中央アジア(これは、中東、インド、ロシア、アフリカ、ヨーロッパに繋がって行く経済上の世界戦略と一体のもの)とアフリカ・ 南米・中南米地域でありました。アフリカ
は、かつて中国が新民主主義革命の路線をとっていた時代からの繋がりは深い。
★このような、中国の対外経済膨張路線は、最近では「一帯一路」路線や「アジア・インフラ銀行(AIIB)」設立の世界戦略的経済路線に具体化されて来ています。
中国共産党と国家・軍は、このような六点ぐらいの課題に、この副作用や行き着く先の根本的限界を知りつつも、挑戦、突進し、この課題を実現に邁進していったと言えます。
(下)に続く。
過剰生産恐慌としてのバブルの弾け (第4章)から (下) 塩見孝也編集する
2015年09月09日04:44 201 view.目次
(1章)官僚制国家資本主義の枠・衣を剥ぎ取れば、典型的な過剰生産恐慌
(2章)この二週間(8・17~31日位)余の中国当局、米・欧・日先進資本主義国やG5、G20ら発展途上国の反応・対応
(3章)毛沢東思想の止揚(揚棄)ではなく、文革清算以来の中国経済の帰し方。<社会主義市場経済>という唯生産力主義路線のための六つの課題への邁進
―――これ以降の(4)章から―――
(4章)唯生産力主義の六つの課題展開の検証、結局この帰結は、格差社会を漏たらしたこと。
(5章)リーマン恐慌と中国恐慌との共通性と差異
(6章)中国に期待するもの。注文すべきこと。
承前
(第4章)六つの課題展開のもたらしたものの検証。 この帰結は<格差社会>と「制限された消費と生産・生産力の発展の矛盾」をもたらした。
★この唯生産力主義の高度成長はもともと、根本的限界を有し、この限界露呈の段階で、調整・転換されてゆかなければならないものでした。
習近平氏や李克強氏など中国共産党中枢が唱え始めた「ニュー・ノーマル経済(新状態経済)」への路線転換の追及、すなわち、経済の量的拡大、「高度成長」から、人民の福祉の質を持った――ここには経済の第三分野、サービス産業の開拓という新しい分野を含む――高度成長よりは「安定成長」を選択する路線への質的転換と軟着陸の構想は既に生まれてはいました。だが、その実行のその前に、恐慌が爆発したわけです。
この恐慌は、グローバル経済によって中国と相互依存関係にある、全ての欧米先進資本主義国(欧米と日本、或いは韓国など)やG5のBRICS諸国、離陸期に入っているG20諸国にリーマン恐慌以上に巨大な影響を与えるであろうことは、(2)章で既に指摘しておきました。
又、これらの諸外国との「協調性」が「行け行けドンドン」で加速したり、その「加速性」が逆に、自国経済にプラス面やマイナス面、両方において、反転的な作用をすることも事実である。とはいえ、今回の事態は、中国官僚制国家資本主義経済独自の内在的諸要因の累積・総合として、すなわち、「制限された消費とこれに相対的な関係に立つ生産・生産力の過剰」が顕在化した、明白な<過剰生産恐慌>であることがしっかりと確認されるべきです。
●さて、その過剰生産恐慌の諸問題であります。
鄧小平路線の六つの高度成長の条件を列挙してきましたが、この課題実現には、その課題毎に問題点、根本的限界を孕んでいたことを検証、総括してゆくこととします。
①、インフラ整備について言えば、重厚長大で、粗放的な在り様を内包し、民衆の福祉を大事にするような在り様には注意が払われず、切り捨てられ、ただただ作れば良いというような偏向、限界を最初から有していた。しばしば、悲惨な大事故や爆発事故を多発すようなものであったこと。
②製造業部門の開発、経済の重化学工業化においても、やはり、粗放的で、作って行けば良い、という代物で、労働者の低賃金、劣悪な労働条件、公害の垂れ流しは見過ごされて来ました。それでも、発展途上国に於いては、許容され、競争力も持っていた。しかし、先進資本主義国においては、その技術革新、資本の有機的構成の高度化においても、大きな劣位性を未だ持ち、自動車、電機器、PC部門においても、先進資本主義国に切り込んで行けるような目玉業種、商品を生み出しえてはいなかったこと。
考えて見てください。日本市場で、「暴(バク)買い」はあっても、これと言った中国製の業種、目玉商品を見出せるでしょうか?
③又、この唯生産力主義の行け行けドンドンの高度成長路線は、富めるもの「万元戸」「億元戸」などの新興成金(資本家)を輩出させはしたが、貧乏人の勤労人民大衆は取り残されてしまいました。
鄧小平氏が展望した「経済成長に応じて、富んでゆく能力を持った人が、先に富み、後から来た人を助ける」「先富(後来論?)」のようには進んでは行かず、貧乏人は、元のままで、中国特有の格差社会を生み出していったこと。
官僚自身が利己的で、官僚と起業家(資本家)の癒着は超重度で、汚職と腐敗は常態化して行ったこと。軍自身すら、独立採算制で市場経済に身をゆだねる経営体に堕して行ったりしていました。地方政権の役人人事は、その総合的な政治力ではなく、経営能力によって決定されるといった具合でありました。
安価な労働力は最初の段階では売り物であったし、外国資本はこれを目的として、資本投下して行きました。農民を労働者化するために、戸籍を固定化するような措置は取り払われて行き、かつての農民が、「流民」となり、都市に定着しては行ったが、労働者の低賃金、劣悪な労働条件、公害の垂れ流しら、労働者の福祉は全くと言ってないがしろにされてきたこと。このことをめぐって、何万件、何十万件、何百万件という争議が惹起されて行きました。 これに加えて、一人っ子政策ゆえに、労働力は、日本と同じように高齢化して来ています。
④沿岸部の都市と奥地、新疆らとでは、大きな格差が最初生まれた。この地域格差は徐々に埋められてゆきつつはあるものの、同時に沿岸部での格差構造が奥地に持ち込まれただけ、というような結果も生み出して行った事。
⑤金融体制も整備されては行った。資本主義経済とまったく同じ金融・証券市場も生まれていった。そこで、個人株主も広範に生まれた。これが、バブルを加速し、頂点に押し上げ、一挙に崩壊させて行く、決定的媒介となって行きました。アンダーグランドのシャド―バンクも生まれた。
国有経済部門と民間経済部門との関係、中央経済と地方政権との関係、或いは、中国資本と外国資本との関係では、まだまだ、いびつな関係であり、更に、サービス部門、医療・教育・社会福祉の保障面、公害対策、環境整備は、やっと手がつけられた段階で、まだまだ、圧倒的に未発展であること。
⑥総括すれば、重厚長大・粗放性を持った経済の量的拡大はそれなりに実現されたが、質的な「民衆中心」「人間中心」の経済の追求は逆に、ないがしろにされて来、格差社会が拡大していったこと。
この部門が、まだまだ育ちきれていないこと。経済の量的面ではなく、質的面での円滑性、多様性、弾力性を欠くという問題が生まれたこと。
日本でも、70年代初頭、同じことが起こったが、資本主義として、資本主義なりに、60年・70年の人民の側の二つの安保闘争を執権勢力の側が、彼等なりに取り込んで行ったことにおいて、中国とは相当違うところがあります。いわゆる「市民社会」が、ひねこびたものではあれ、根付き、成熟していったわけです。
(5章)リーマン恐慌と中国恐慌との共通性と差異
中国経済はリーマン恐慌までは、陰の世界経済の牽引車、その後は、表に出て来た牽引車であった。その牽引力の主役、中国経済が資本主義経済の宿命、過剰生産恐慌を爆発させて行ったのである。
この点で、7年前のリーマン・ショック恐慌が、主として国際市場の拡大(実は中国経済)を当て込んだ――デリバティブ、ヘッジファンド――過剰生産であったとしても、過剰生産という点での共通性はあるとは言え、金融危機が先行して行ったのに比し、今回の中国恐慌はモノつくりの製造業部門での過剰生産が基本原因で、而して、上海金融危機の爆発となって現れたこと。その現れ方において大きな差異もあります。
リーマンショック恐慌については、中国経済が、世界経済収縮の防波堤となっていたことは2章で指摘しておきました。
それまでは、中国経済は「世界経済維持の陰の主役」でしたが、これを境に、「表でも主役」となって行きました。その中国経済が、過剰生産を勃発させて行ったのです。
アメリカは、リーマン恐慌以来、オイル・シェールの開発や失業率の「減少」などがあったとは言え、もともとモノづくりの実体経済の面で、既に、70年初頭の変動相場制を採用してゆく時期以来、衰亡期に入った国家であります。このことは、1975年の米軍を中心とする国際資本主義の反革命植民地体制防衛軍が、完璧にベトナムから叩き出され、敗退した事。
この事態でもって、植民地体制が消失し、現代資本主義は、帝国主義でありながら、「植民地無き帝国主義」の地位に追いやられてしまったことで最終的に確定しました。
アメリカ経済は自国通貨、ドルをして、世界の基軸通貨とすることで、ドルを乱発・垂れ流して、自国の弱体化を他国の経済成長で補完して行く経済であります。ウオール街を世界各国経済と直結させつつ、この機軸通貨の操作を持って、金融緩和政策を採用したりして、金融・貿易の管理による差益で儲けんとするようなような金融利殖国家国になっていったのです。
それまでの資本主義は、それまで、圧倒的な生産力・帝国主義国民国家・植民体制の三位一体のワンセットの超過利潤を要とする資本蓄積方式で帝国主義として聳え立っていました。
この資本蓄積方式が消失せしめられ、その代わりとして、中国経済おも巻き込んだ、というより相互に依存関係を維持しつつ、世界統一市場に依拠した、市場競争で利潤を得る「金融資本主導の新自由主義競争に依拠するグローバリズム」の蓄積方式に転換してゆくことを余儀なくせしめられていったわけです。これが、資本主義展開の<第3段階>とも言える、僕等が、今、そこで生きている現代資本主義であります。この、段階の資本主義世界では、、段々に国際価値法則が規定的に作用するようになり、国際的過剰人口創出と一体に、<利潤率の傾向的低落>が生じて行きます。
有り体に言えば、アメリカ経済は、既に自力で、世界経済を牽引する力を持っていず、国際的要因、つまり、中国経済の成長に助けられて、このような現状を維持してきたと言っても過言ではありません。
ともあれ、今回の中国経済の事態は、4~5年前か、7年前のリーマン恐慌以来からかは、別にして、始めは、陰の世界経済の牽引車、リーマン恐慌以降は、表に出てきた牽引車であった中国経済が、その行け行けドンドンの在り様で、好況を登りつめ、天井に達し、ドサンと実体経済の分野で、過剰生産恐慌に落ち込んで行ったことを根本原因、本質としていることを重ねて強調しておきます。
官僚制国家資本主義としての<市場社会主義>故に、その資本主義的性格が隠蔽されている面を持ってはいたものの、実は「不況→活況→好況→恐慌→そして、新たな活況」の資本主義の経済循環サイクルに基づいて、「資本論」で指摘されている資本主義の経済的運動法則、資本制生産に宿命的に付きまとう過剰生産恐慌をほぼ、ストレートに爆発させていったわけです。
恐慌は、過剰化した生産・生産力・資本を無政府主義的な自由競争を通じて、無慈悲、強力的に既存の生産、生産力を価値破壊して行き、資本を淘汰して行く資本主義の経済的運動法則であります。資本の下で、働いていた労働者は、ドンドン失業せしめられてゆきます。
この点で、リーマン恐慌と中国恐慌では、恐慌の現れ方において、大いなる相違があるし、この差異を認識せずしては、今後の世界経済の行方も洞察できません。
(6章)中国に期待するもの。中国に注文すべきこと
●唯生産力主義、そこからの拡張主義、覇権主義から脱却してゆくべきこと。
●貨幣の物神化(交換価値、カネ中心)から、幸福の内実としての使用価値の実現(使用価値という欲望の実現の仕方)に、心を砕いてゆくべきこと。唯生産力主義の経済合理主義に対して、民衆諸個人を大切にする、思想的、倫理的価値基準を確立して欲しい。
●社会の格差化を「人民大衆中心」「人間中心」「人間と自然との調和・循環」の世界、「人類共同体」創出の方向で改めること。この方向に向け、先ず「公平と平等、而して自由を!」を原点的出発点においてゆくこと。
●従来の域内少数民族(ウイグルら)、チベット問題、台湾問題らの新しい解決の方向の追求すべきこと。
●公害問題、地球環境の問題、高齢者問題、核廃絶・軍縮などに積極的に挑戦し、正しい解決方向を打ち出して行くべきこと。エネルギー源を原発に求めてゆくことを止め、自然エネルギーに求めてゆくこと。
■唯生産力主義、「社会主義市場経済」の鄧小平氏の唯生産力主義路線の帰結であることを改めてしっかりと認識すること。これを、「人民大衆中心」「人間中心」「人間と自然との調和、循環」の見地から、改めるべきこと。
こうして行かないと、資本主義の市場原理と中央集権的な官僚制経済の原理、この二つの原理は、相容れず、この相克を激化させて行くこと。こうなれば、中国もまた、「(資本主義の)死の≪苦悶≫と≪痙攣≫」の中に入り、一方で新自由主義路線と他方での、官僚制の集産主義(共有化を国有化路線に錯誤すること)の相克が路線・権力闘争闘争として激化することは必至であります。 この矛盾を統一・止揚してゆくには、引き続き「開放・改革」という路線を堅持しつつ<人間性の本源である、諸個人の命の最高尊厳性>、それを社会的保障し、輝かせてゆくする<諸個人の労働・生産を重視しつつの≪自主性≫の最高尊貴性の承認」、「先ず公平と平等、而して自由を!」を基本原則としつつ、「人民大衆中心」「人間�!
�心」に据えること。「人間と自然との調和」で、社会主義の本来の姿を創造してゆくべきこと。侵略・拡張主義・覇権主義をやめ、民主主義を諸民族の自主性を尊重しつつ、プロレタリア国際主義に裏付けられた真の民主主義に改造・創造してゆくこと。
■9・3「抗日戦争勝利記念70年式典と軍事パレード」で、習近平氏は、一方で“平和”を連呼し、「我々は拡張主義、覇権主義を絶対にしない」「30万人の兵力削減」も表明しました。これが、額面通りなら、まったく良いことです。
しかし、他方軍事パレードで、最新兵器の数々をひけらかした。何よりも、この式典を祝うべき主体である、中国人民は、天安門周辺から締め出されて行く始末でした。又アメリカ・アラスカ州沿岸で、軍事艦船を接近させました。南沙列島では、固定的な海上軍事基地建設を継続しています。「尖閣列島」では、これは日本の方が先に、強引な「国有化」で「日中共同管理・共同経営」の盟約、協定を破ったにしても、覇権主義的、拡張主義的対応を止めてはいません。
ロシア・プーチン大統領が、アジアで、日ソ不可侵条約があったのに、又、殆ど抗日戦で何も行わなかったのに、終戦間際に突如、東北三省に「ソ連<赤軍>」が南進し、暴挙の限りを尽くし、日本兵を拉致・強制抑留したりしたのに、「戦後秩序の防衛、この秩序を壊す勢力と闘う」とか、言いたい放題をいうことに同調したりもしました。
このことは、日中双方にある相互不信を未だ拭い切れていないことを示しています。
僕等日本民衆・国民は、憲法9条の国のあり様に立脚し、反改憲・日米安保体制打破・沖縄連帯を目指して闘う。インチキな「積極的平和主義」なるものを唱え、これ又、でっち上げの「集団的自衛権」論に基づく、戦争準備の「日本安全保障の法制化」などと闘って、安倍政権を打倒せんと奮闘する。
ですから、中国は、中国で、世界の大国になっているのですから、大国なら大国に値する、もっともっと寛容さ、度量、品位を持って、他国と協調し合いつつ、もっともっと高く、広く、遠くまで見通うす大志を持ち、知恵を働かせ、互恵・互助で世界の平和と経済的繁栄に尽くしていって欲しいものです。
「人類の自然史を終わらせ、真の人類史を切り拓いてゆく(マルクス「ドイチュ・イディオロギー)」ような理想を掲げ、進んで行って欲しいものです。
______________
塩見さん
投稿有り難うございます、
>現在の主としてヨーロッパ・アメリカとアラブの矛盾は、決して泥沼と化しつつある宗教対宗教の対立・宗教戦争ではない、金融資本主導の新自由主義のグローバリズム資本主義と国際プロレタリアートを中心とする人民の世界的規模の世界主義・人類共同体を目指す階級闘争であり、資本主義打倒の社会革命である。 それが、「イスラムの衣」を被っている段階と言えます。
人民殺しを「聖戦」などとするのは、浅はかで、愚かな、やがては消滅する謬論も良い所の代物である。やがては、この「衣」をアラブ民衆は脱ぎ捨てて進んで行くでしょう。
それにしても、唯物論であろうと観念論であろうと、人民、人間(それを社会的に実現する自主性・社会的共同性)を最高に尊貴しない哲学・世界観が変革の力となった歴史が、これまであったであろうか。
戦後70年欧米ロはユダヤ人をイスラエルに追い出し、
アラブ人に対しジェノサイドを強行しています。
しかし、被抑圧民族になっているアラブ民衆の闘いが
成果をあげていないのは、自爆テロに見られる宗教に
頼る政策からだと思います。
マルクス主義がまだまだ浸透していないようです。
塩見さんが述べているように実態としては階級闘争が
進んでいると思いますが。
私たちの支援は中東での休戦・停戦を呼ぶかけることでしょう。
(今週の週刊金曜日に投稿・掲載)
マスコミはその呼びかけをしていません。
帝国主義(軍産主義)は世界中で停戦休戦が実現できれば
自ずから墓場を迎えます。
このことから憲法9条は世界史の先端を行っています。
難しい理論がなくても解ると思います。
(さいたま市 石垣敏夫)
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コメント:金・物・力の奪い合いから命・心・和の分かち合い、金字塔文明の五過(錯誤・束縛・差別・搾取・殺戮)を止め命梵網文化の五福(覚醒・自由・平等・博愛・平和)への、エゴからエコへ(我利我利亡者から無我全体健全への枠組み転換が必要!1%の99%の搾取・支配から100%協働・融和へ!