ダライ・ラマが若き日に中国から追われるかたちでインドへ出られたときにお訪ねにな
ったのがマハテロ師だともお聞きしています。そのご縁としては、十世紀にインドの仏
教が衰えたころ、アティーシャというベンガルのお坊様がチベット高原に上がってチベ
ット仏教の最初の基礎を築いたわけですが、このアティーシャのお骨をチベット仏教は
とても大事にしていたので、周恩来の時代に中国からインドへお返しすべきだというこ
とになって、そのときにお出迎えになったのが、黄色い衣を身に着けたテーラヴァーダ
(上座部)仏教の最高峰として代表をお務めになったヴィシュダナンダ・マハテロ師だ
という歴史があるからです。
ったのがマハテロ師だともお聞きしています。そのご縁としては、十世紀にインドの仏
教が衰えたころ、アティーシャというベンガルのお坊様がチベット高原に上がってチベ
ット仏教の最初の基礎を築いたわけですが、このアティーシャのお骨をチベット仏教は
とても大事にしていたので、周恩来の時代に中国からインドへお返しすべきだというこ
とになって、そのときにお出迎えになったのが、黄色い衣を身に着けたテーラヴァーダ
(上座部)仏教の最高峰として代表をお務めになったヴィシュダナンダ・マハテロ師だ
という歴史があるからです。
すでに亡くなりましたけれども、京都の町のお医者さんで松田道雄という方がおい
でになりました。その松田先生が晩年、人間には何がいちばん大事なのかということ
について、それは、医療ではなくケアなのだとおっしゃっています。松田先生は、
「親しい人の心のこもったお世話」とおっしゃっています。しかし、それは、とても
簡単なものではありません。「患者さんや障害を持った方と親しくなることがチャレ
ンジで、そして心を持ってお世話し続けるということは、さらにチャレンジだ」とい
うふうに松田先生は日本人として、医者として言葉を残されました。