「分配」を言い始めた首相の焦りに透けるアベノミクスの失敗

山田厚史の「世界かわら版」
【第100回】 2016年1月7日 山田厚史 [デモクラTV代表・元朝日新聞編集委員]

安倍首相は年頭会見で「成長と分配の好循環という新しい経済モデル」に言及した Photo:首相官邸HP

「成長」一本やりだった首相の発言が微妙に変わってきているのをご存じだろうか。最近の演説に「分配」が登場する。4日の年頭会見でも「成長と分配の好循環という新しい経済モデルに挑戦していかなければならない」と語った。

アベノミクスはトリクルダウンの経済ではなかったか。ピラミッドの頂点にいる大企業が儲かれば、富はおのずと底辺にまで滴り落ちる。企業を利すれば賃金や設備投資が刺激され、好循環が起きる、という理屈だった。

トリクルダウンが起きていないことは、誰の目にも明らか。しびれを切らした首相は、財界に「賃上げしろ」「設備投資を増やせ」と言うようになった。利益を溜めこむな、吐き出せ、というわけだ。首相の言う「分配」とはこれなのか?

「政府が企業経営に口出しするのはいかがなものか」という冷ややかな視線を浴びながら、「携帯電話の通信料金が高すぎる」と業界を叱ったり、経団連・連合を交えた政労資協議会で経営側に春闘ベアや設備投資の積み増しを要請するなど、介入姿勢を鮮明にしている。

「正しい者の味方」を演ずる啓蒙的君主にも見えるが、権力者である首相のこうした振る舞いは、思うように政策が進まない「焦り」の現れではないか。

政府と財界はじゃれ合うばかり
経済の好循環は期待外れに

小泉政権を継承したころから、安倍政権には新自由主義の流れをくむ「小さな政府」の色彩が濃かった。金融緩和によって成長を促すアベノミクスも、市場機能による好循環を目指すものだ。年間80兆円もの日銀マネーを市場にぶち込めば、インフレ期待が起き、経済は熱を帯びるはずだった。

残念ながら、物価も成長も上昇期待を裏切った。なぜか。賃金が上がらないから個人消費が振るわない。設備投資が湿ったままで波及効果が起きない。

安倍政権が期待した好循環は起きていない。財界にベアや投資を要請せざるをえないのは経済運営の見込み違いを現わしている。

儲かっている企業の納税を軽くしてやったのだから、人件費を上げるぐらいのことをしろ、というのが政府の言い分だろう。

そう言われても財界は面食らうばかりだ。経団連の役員はこう言う。

「安倍さんは、企業にとって一番仕事しやすい国にすると言って、外国より高い法人税を下げたのではなかったか。税を安くしたから賃上げを、というのでは話が違う」

経団連にとって法人税引き下げは企業の儲けを増やすためにある。上手に言えば「日本企業の国際競争力を高めるため」である。昨年度は円安で儲かったが、利益は永続するとは限らない。一時金ならともかく、固定費の増大につながる賃上げに応ずるのは難しい。そんなことを政府から求められるのでは「仕事しやすい国にはならない」というのが経団連の本音だろう。とはいえ首相とうまくやるには「お付き合い」は必要と考え、出せる企業は賃上げに応ずる構えだ。

政府と財界の摩擦は、「仲良しのじゃれ合い」に過ぎない。お代官様のような首相が、越後屋風情の経団連会長に、上から目線で指図しているように見えるが、実際は逆だ。越後屋がほしがる施策をお代官様が実行する関係である。

自民党が政権に復帰すると経団連は政治献金を再開した。企業の「社会貢献活動」だという。各党の政策を評価し、社会に有用と思う政党にカネを出す。そんな体裁をとって自民党にカネを出すのはいかにも越後屋だ。

護送船団方式は賞味期限切れ
大企業だけが儲かり格差が拡大

さりとて政策はカネだけで動いてはいない。脈々と続く経産省の産業政策がある。日本が誇る強い企業を育成・支援すること。経産省と経団連は一体となって国際競争力の強化に励んできた。経産官僚の第二の人生は大企業や業界団体への天下りであるところに両者の関係がにじみ出ている。

城山三郎が「官僚たちの夏」で描いたような業界育成に励む役人の姿は、高度成長のころまでは「国益」と合致していたかもしれない。経済に国境があり、強い企業は輸出で外貨を稼ぎ、国民経済を豊かにした。1980年代に資本規制が外され、現地生産や営業活動が海外でできるようになり、状況は変わった。冷戦が終わりヒト・モノ・カネが自由に飛び回る時代となり、企業は国民経済から解き放たれた。

アベノミクスで円安になっても国内経済は潤わないことがその証拠だ。国際展開する大企業は史上空前に利益を上げているが、日本国内に投資しない。投資は海外だ。儲かる市場に投資する。利益は膨らんでも従業員の給与は上げない。コスト増は国際競争力を低下させる。企業がグローバル化すれば、日本の労働者は中国やアジアの労働者と競争を強いられる。

経団連が政府の求めた労働法制の「改悪」も国際競争に追われる企業にとって必要な措置だった。生涯面倒を見なければならない正社員の数を減らし、賃金が安く、いつでも「雇い止め」できる非正規社員を増やす。デフレ下にリストラで人員を減らし、人の手当ては非正規で補う。その結果、日本の産業界は40%の働き手が非正規となった。

経済に「合成の誤謬」という言葉がある。

それぞれが最適選択として行った行為が、全体では悲惨な結果を招く、という現象だ。

企業として生き残るには、人件費を節約することは大事だ。正規社員を減らして請負や派遣に切り替えるのは合理的な措置だ。ところが皆がその方向に走ると、消費者の購買力が落ち、企業の売り上げが減る。それぞれの企業が最適選択した結果、国内市場が枯れてしまった。

加えて人口減。国内市場はますます狭まる。魅力のない市場には投資できない。海外市場で儲けた企業は海外で投資する。産業空洞化が日本で起きている。

貯金は増えても活力を失った産業
大企業の繁栄はもはや国民経済を潤さない

20年にも及ぶリストラの連続で産業界は3つの過剰をほぼ解消した。設備の過剰・在庫の過剰・人員の過剰である。スリムになって企業の内部留保は350兆円に膨れ上がった。日本の産業は貯金は増えたが、活力を失った。

日本の企業が強かったのは経営者の能力が国際水準を超えていたからではないだろう。現場が強かった。まじめにモノづくりに励み、創意工夫が現場から起こり、工場と研究所が一体となってワイワイ・ガヤガヤやってアイディアを生み出した。

リストラは現場から活力を削ぎ、企業のイノベーションを鈍らせた。

気がつけば商品も技術も外国勢に後れを取った。いま大企業に流行るのがM&Aである。海外企業を買収する。「技術と時間を買う」そうだ。20年間、脇に置いていたイノベーションを取り戻すため。懐具合はいい。

買い取った企業をうまく経営できるかが課題、というが、投資も雇用も外国で発生する。新聞などで報じられる大企業の活躍も、国内経済を潤すことはない。しかも外国の投資銀行のいいお客になっている。

「日本を代表する企業を強くする」が国民経済を強くすることにつながらないことは21世紀になってはっきりした。

アメリカでは1993年に政権に就いた民主党のビル・クリントン大統領のもとで労務長官を務めたロバート・ライシュが「多国籍企業は国内に雇用を生む力は少ない。地場に根差した中小企業を強めることが国民経済に有益だ」と大企業寄りの政策を改める必要性を指摘した。この見立ては慧眼に値するが、現実はその方向に進まなかった。

多国籍企業は資金力にものをいわせ政治を買収している。議会でロビー活動を展開する一方で、政治献金の上限が外され、政策をカネで買う力を強めている。

TPPの舞台裏で多国籍企業が自らの利益に沿って政策を振りつけているように、米国の政治は経済強者の呪縛から抜け出すことは難しい。

経産省内閣とも言われる安倍政権は、財界や強い産業の要望に沿った政策を採用する。法人税減税、労働者の非正規化、TPP推進、原発再稼働、円安の推進。経産省が推進する大企業寄りの政策がてんこ盛りだ。

先にも述べたように、日本を代表する企業が儲ければ、国民経済が豊かになる、という構図は20世紀で終わった。競争と市場原理だけでは貧富の差が拡大するのは世界で実証済みだ。成長がすべての人を底上げする経済ではない。

政治が招いた豊かな社会の貧困問題
バラマキではない分配政策の知恵が問われる

安倍首相が「分配」という言葉を使い始めたのは、彼なりに政策の空回りに気づいたからだろう。

アベノミクスが津々浦々に行き渡らないのは、タイムラグがあるからではない。構造に問題がある。強者優先の経済はトリクルダウンどころか、国内経済を疲弊させる。

ゼロ成長は皆が足踏みしているのではない。株や海外取引で儲ける人はますます利益を膨らまし、その対極で貧困を加速する。

子どもの貧困、母子家庭、独居老人、若年ホームレス、地方の疲弊。豊かな社会に隠れ見えにくい貧困が静かに拡大している。分配の問題が放置された結果である。

一人当たりのGDPで日本は世界ランキングで後退するばかりだが、394万円(2015年)は、決して低い額ではない。皆で分け合えばその半額でも十分な暮らしができる。

「皆が等しく貧しい時は成長で。貧しい中で少数だけ豊かな時は革命が。豊かな社会に潜む貧困は分配で解決できる」

経済学者の浜矩子は言う。

貧困問題は今や日本の大テーマである。不機嫌な空気が漂う底流に貧困がある。年金で暮らせないことに怯える中高年。非正規から這い上がることができない若者。国民年金の掛け金さえ払えない貧困予備軍が5人に1人はいるという。

昭和の日本は企業が「福祉」を担ってきた。終身雇用・年功賃金・企業内組合を3点セットにした日本的経営は非効率の代名詞のように言われたが、それなりに従業員の安心を支えていた。グローバル化と構造改革の掛け声とともに解体され、新しい「安心」は用意されていない。

昨年を代表する漢字は「安」だった。「安心」の安ではなく「不安」の安。

「この3年、経済中心にやってきました」と安倍首相は年頭で述べたが、本人はどれほど本気だっただろうか。経産省・経団連の神輿に乗って進めた結果が「豊かな社会の貧困問題」である。輪転機を回してお札を刷っても国内にカネは回らない。「賃上げ要請」で何とかしようという発想が政治の貧困を見せつけた。

地方の衰退に拍車がかかっている。田園まさに荒れんとす。目に見えない貧困が、これを見よとばかり、やがて社会問題になるだろう。今のような政治を続けていれば、自民党からも異論が噴き出すだろう。

新自由主義は、強い企業を元気にしても、国民経済を支え切れない。資本は海外に飛び立つことができても、政治には国境があり、有権者は国内にいる。

一億総活躍社会。名称はいただけないが、男女を問わず一人ひとりが居場所を見つけることができる社会には賛成だ。医療・介護・子育て・教育。誰もが必要とするサービスを公共が担えば、個人は能力を発揮できる。失敗を恐れず、リスクに挑戦できるセーフティーネットが一刻も早く必要なのだ。

産業政策も同じ。資本規制があったころのモデルを引きずった政策は根本から洗い直す時期に来た。多国籍企業は自分でたくましく生きてゆけばいい。雇用を生み、資金を国内で循環させる中小企業と地方に政策の軸足を移す。

バラマキでない分配政策への知恵が問われている。「分配」を口にした首相に、次の時代が現れている。

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