永岡です、第159回ラジオフォーラム、今週は東海大学の谷岡理香さんの司会で放送されました。今週も三角山放送局を聞いて、前番組のスタッフの丸山さん、ぜひラジオフォーラムで小出先生のお話を聞いてくださいと言われました。
その前に、今朝の、近藤勝重さんの、しあわせの風景(MBSラジオの川柳番組、しあわせの五・七・五から)、しあわせと言うのと逆の風景を、海外のテロ、国内も事件が多く、社会が全壊しており、食べ物を廃棄せずルートに乗せるもの、川上英吾さんのエッセイで、食べ物はさらにあると食べ物で、残すとゴミになるというもの、この境目、捨てるものを偽装するもの、ここまで来るか、刺身も2度出したこともあったと言うが、近藤さんは大阪の商人経済を学び、互いが信用だけで成り立つ経済で、正直にしないとダメなのに、今は信用もなく乗ってしまい、バスの事故も規制緩和で無理を承知でやって事故であり、東北の復興事業での談合に人が群がり、国会での政治とカネの問題など、挙げればキリがない。
近藤さん倉本総さんと対談され、「そうは言っても」は富良野塾では禁じていると言われて、そうは言っても分からないとだますとかあり、政治で金儲け、生存競争のエゲツナさ、ミサイルが飛んでくるから、平和憲法もそうは言ってもという政治家がいる、エネルギーのために、そうは言ってもと原発とか、「そうは言っても」は卑怯な論理であるが、社会がこれで出来てしまい、近藤さん事あるごとに、1965年の対談集で、岡さんは、今の人類は生存競争で、人類ではなく獣の世界で、1965年は人類の時代ではないと喝破され、獣性、負けたらダメと、人間性が否定され、これを生き延びて人類の時代が来るというものであり、今は岡さんの言われる「情」、親子の情がおかしくなると世の中は崩壊し、考えられない虐待も行われ、川柳でみんなと触れ合うのは本当の人間の文化であり、「そうはいっても」は人間性の否定で、時代を再生するのは人間性であり、しあわせの五・七・五の目指す世界は、自分の中にある人間であるというものを引き出すのが川柳で、それをみんなと分かち合い、人間で良かったというもので、人間には弱さと強さがあり、互いが感じ合い、そこで眠っていた人間性がよみがえるもので、そのこと自体を当たり前にしないと世の中はひどくなり、岡さんは、アインシュタインの相対性理論→原爆まで25年しかないのが岡さんにはショックで、今生存競争、1965年ですら、このまま行ってはいけないというものであり、人類は人との存在で、今これを否定できず、だから、「そうは言っても」を禁句にすべきであり、ここに人間と獣の境があり、そうは言ってもといい、自分を捨てていないか、きわどい時代だと近藤さん締めくくられました。
谷岡さん、市民メディアフェスティバルに参加されて、12月に京都であり、大阪芸大でヘイトスピーチを対象にしたものを作り、沖縄国際大の車椅子の女性が、ノンステップバスがいつ来るか分からない中、銀行のATMも車いすではしんどいという、情報発信はプロだけでなく、様々な立場からと言うことを紹介されました。
今週のテーマは、昨年最高裁判決の出た婦別姓訴訟、弁護士の一人であった金塚綾乃(かねづか・あやの)さんのお話がありました。結婚して姓が変わった、あるいは婿養子、結婚で姓を変えたくないと、最高裁判決は去年の暮れで、金塚さんは、フランスでも活躍されて、海外の事例の紹介もされます。
前半のお話、この訴訟は19名の弁護団で、女性も多く、しかし弁護士の中ではまだ女性は少なく(夫婦別姓訴訟では女性が多い)、谷岡さん、男性が多いと文句が出ないのに、女性だと批判が来ると指摘され、金塚さん、これは男性の問題でもあり、男性とともに取り組んだと言われました。
最高裁判決、原告5名が2011年のバレンタインデーに提訴して、それも実名であり、判決の日に涙されて、金塚さんは判決文にガッカリであり、要するに通称使用で不利益なしが最高裁判決の根幹で、これでいいのか、谷岡さんもこの判決をメディアが大きく取り上げたと指摘され、金塚さん、2011年の提訴については、金塚さん自身日弁連のDV、性犯罪に取り組まれて、もちろん別姓に関心を持ち、しかし結婚しても法律は変わらず、なぜ女性のみ変わるのか、これに違和感を持ち、委員会でも議論して、裁判をやろうとなり、その中で原告団長も富山で闘われて、生まれた時の名字で死んでいきたいというものであり、また別姓に関して、男性も原告になり、金塚さんの感覚は選択できればいいなのに、弁護団で会議して、どうしたら訴えを認められるか、憲法に反する法律を放置している政治家の責任を問い、最高裁の大法廷は光も見えるかと言うものなのに、判決を見たら希望も見えて、主文は敗訴なものの、第一に3人の女性裁判官が憲法違反と、自分の問題としてとらえてくれたことは意味があり、女性の裁判官は、戦後からの社会変化により、名字の重要性は高いと指摘し、姓はアイデンティティを失うことになると指摘、96%の夫婦が夫の姓を名乗り、妻に事故喪失感があると指摘し、女性への負担を問い、民放750条の規定を見てくれて、女性の社会的、経済的な立場の弱さに由来するものとあり、現実の不平等と力関係があり、妻のアイデンティティに関わると指摘、多数意見ではないものの、最高裁が踏み込んだのです。
女性裁判官が当事者であり、15人の裁判官のうち女性3人が違憲、男性2人も違憲で、これは少なくなく、変えるためには新たな裁判もいり、大きな第一歩、主文では負けたが、発展して行けて、多数意見もこのままでいいではなく、夫婦別姓を否定する判決ではないのです。
小出裕章ジャーナル、今週の小出先生のお話は、去年12月のCOP21による日本の環境・原発政策についてで、脱化石燃料に世界は行っているのに、残念ながら日本は逆行で、日本は原発稼働→使用済み核燃料からプルトニウム(核兵器材料)を取り出して、もんじゅを動かして、核を意味のあるエネルギーにしたいとしていたのに、もんじゅは高速増殖炉の原型(商業施設ではなく実験段階)で破綻、推進委員会すら匙を投げる始末で、高速増殖炉は実質破綻+プルトニウムを取り出す再処理は、日本原燃という原発を担う電力会社の傀儡がやっていたのに、再処理も2兆円どぶに捨てて破綻、民間企業では手に負えず、日本政府は、民間企業ではなく、認可法人という国が関与する(電力会社に逃げさせない)もので始末すると言うのです。
高速増殖炉と再処理が破綻なのに、政府が核にしがみつく理由は、日本の国民は核の平和利用、発電のためと聞かされて信じてきたが、もちろん嘘で、「日本が核に関わった最初の理由は発電ではなく、平和利用の大義名分で核兵器を作る能力を保有したい」ものであり、再処理と言っても、プルトニウムは核兵器材料で、これを何としても自分の力で手に入れたくて、六ヶ所村も、高速増殖炉もあきらめない、高速増殖炉を動かせたら、核兵器材料として超優秀なものであり、日本は長崎原爆4000発!分のプルトニウムを持ち、今まででは優秀なプルトニウムは少なく、高速増殖炉+再処理で、核兵器開発をあきらめないのです。
世界はすでに再生可能エネルギーに移行しており、日本はエネルギーで世界に取り残されて(永岡注:デーンマークだと、自然エネルギーで賄えて、化石燃料は要らないところまで3年前に行っている)、ウランは資源として貧弱で、核にしがみついていても未来なし、化石燃料も限度があり、核の悪夢から覚めて、クリーンなエネルギーにすべきで、日本は今のままでは世界の潮流から取り残されるもので、谷岡さんは、戦争のできる国に着々なっていると締めくくられました。以上、今週の小出先生のお話でした。やり取り全文は以下にあります。
http://www.rafjp.org/koidejournal/no159/
永岡注:先週の週刊新潮に、御用学者と呼ばれてと言う、核推進の学者たちの対談があり、彼らは福島事故を全く反省せず、あまつさえもんじゅは要ると言う始末で、極論したら、東京裁判の場で、大日本帝国は正しかった、天皇陛下万歳と言うに等しい内容で、今日出先で読んで唖然であり(もちろん、週刊新潮が原子力マフィアからお金をもらいこんなものを載せたのでしょうが)、日本が戦争を反省していないことと、核開発を進めるのは全く同根だと私(永岡)は実感しました。
ここで音楽、金塚さんの選んだ、グロリア・エステファンのリーチ、アトランタ五輪のテーマ曲です。これはユーチューブにありました。
https://www.youtube.com/watch?v=yAlai6C1MU4
後半は、日本社会の多様性のことです。音楽に谷岡さんも励まされて、しかし最高裁判決で原告団はどうかと聞かれて、金塚さんショックで、予想はしていたものの、当日は判決全文を読めず何も通じなかったのかと思われて、心苦しく、しかしちゃんと読むと光はあり、こういう観点から民法の規定を考えてくれたと感じ、最高裁大法廷まで来て、夫婦別姓は80年代からあり、裁判を起こすこと自体が大変であり、谷岡さんは20代で結婚して、姓を変えることへの抵抗もあり、夫婦別姓は、88年に通称使用を認めることが提訴され、論文で姓が違うと海外で通じないことが問題であり、金塚さんはこの時は弁護士として関与はせず、この件は大学と和解なものの、谷岡さんも通称はキャリアがないとダメと指摘されました。
そして、住民票の裁判、通称であり、しかし住民票と事実婚が違うのは差別と提訴したら、別姓だと子供がかわいそうと批判されたら、子供がいじめられたら社会の責任と主張し、裁判は負けたものの、実は取れたものであり、裁判に負けても、当事者が声を上げて変えることもあると言われました。
夫婦別姓が答申されたのは96年、金塚さんはフランスにおられて、フランスだと結婚しても姓は変わらずであり、子供の姓をどうするかは、フランスでは事実婚が多く法律も変わり、闘って法律を変えており、多様性に対する寛容性がフランスでは強く、周りがこうだから自分もこうではなく、法律の実務では、フランスでは違憲判決を厭わず、憲法裁判所もあり、法律が憲法違反と平気で出して、この裁判もフランスだと違憲になり、しかし、日本の司法には問題もあるのです。
夫婦別姓をみんなではなく、選びたい人のためということを、条約から見たら、女性差別撤廃条約に違反しており、日本の裁判は条約には触れず、しかしこれは日本も85年に批准しており、夫婦別姓を認めないのは条約違反であり、選択的夫婦別姓に踏み込めないのは、最高裁判決で驚いたのは、夫婦が同じ姓=子供が嫡出子と分かることが重要とされて、子供の姓は親と同じでないといけないのか、これは金塚さんショックで、夫婦間の問題より、子供の姓が変わるのを問題というのは、裁判官の価値観であり、これが判決になり、当事者性の欠如、みんな夫婦別姓に関わらず、苦しい思いをしたことのない人の感覚であり、女性差別撤廃条約で勧告も出て、強制権はないのに日本政府は跳ね除けて、条約がストレートに男女不平等を問うており、16条で男女の平等をうたい、同一権利を求めており、女性差別撤廃条約は、女性に差別になる立法を廃止すべきとしており、民放750条はこれに抵触しており、違反であるのです。
最高裁判決は、女性差別撤廃条約の委員会で注目されて、今年2月に日本政府が国連に報告するもので、カウンターアプローチもNGOからされて、判決では夫婦別姓に光もあり、法律婚と夫婦別姓、権利が失われ、現実で女性、子供、さらに男性にもアイデンティティの喪失、免許証・パスポート書き換え、生命保険の受け取りの問題、何より自分が自分でなくなり、事実婚ではなく法律婚で、母親と子供の姓が違っていてもいじめられず、多様性が必要で、金塚さんには子供はいないが、子供の不都合はなく、多様性を認めるべき、社会の寛容さが必要、通称でまかなえるからOKではなく、戸籍の名前と、普段使っている名前が違うとしんどく、むなしいと谷岡さん、自分を証明できないしんどさは、当事者でないと分からないと言われて、金塚さん、結婚による名字の選択の問題を問われて、今後は、多くのメディアが取り上げて、20~30代の関心が強く、多くの人に知ってもらうべきであり、そのために、ラジオフォーラムが役に立てれば、なのです、以上、金塚さんのお話でした。
みんなジャーナル、谷岡さんのお一人でのお話で、冒頭のメディフェス、学生たちはマスメディアには属さず、指導している先生はマスメディアに籍を置いた人であり、マスメディアの存在を知りつつ、それだけでは足りないという立場で、この学生たちはマスメディアに入り、今までと違う視点をもったメディア人になると谷岡さん指摘され、安倍政権でマスメディアが抑圧されて、それでも頑張っている人はたくさんいて、今後のメディアのことを、谷岡さん提言されました。
今週のラジオフォーラム、金塚さんは寛容性、多様性に敏感で、こういう人の活躍は心強く、他方古い価値観に縛られた裁判官もいて、痛みが分からず、苦しい立場にいる人のことをどれだけ視野に入れているのか、政治でも世襲で、社会のしんどい人が見えておらず、メディアの報道組織でもこれは同じ(長く女性が少なく、女性の視点がない)、安倍政権の、女性の社会進出というものの、「社会」は何か、女性はどこに閉じ込められていたのか、社会には様々な立場の人がいて、動ける範囲の少なくなることで見えることもあり、市民が意見を様々なところで発すべきと言われました。
今朝の、近藤勝重さんのお話を思い出し、最高裁は「そうは言っても」と夫婦別姓を認めなかったとも感じました。被害者の痛みが分からないから、原発を進める、戦争を起こす、とも思われました、以上、今週のラジオフォーラムでした。
Attachments area
Preview YouTube video Gloria Estefan – Reach (The 1996 Atlanta Summer Olympics Closing Ceremony)