報道するラジオ(2016/3/4) 東日本大震災、福島第一原発事故5年 障碍者はどう避難するのか、鈴木絹江さんのお話

 

 

永岡です、第177回報道するラジオ、今週もMBSアナウンサー水野晶子さんの司会、ジャーナリスト・元毎日新聞論説委員の平野幸夫さんの案内で放送されました。

ニュースは千葉猛さんの担当で、辺野古を巡る裁判にて、安倍総理が和解を受け入れて、辺野古に翁長氏が埋め立てを取り消して、国がこれを取り消しの裁判をしており、国が辺野古埋め立て工事を中止して、翁長氏の取り消しへの是正もあり、新たに裁判になったら、判決確定までは円満解決に向けて協議するもので、しかし協議がまとまらなければまた揉めるもので、安倍氏は辺野古埋め立てしかないと言い、沖縄は辺野古NOで、実態では対立は変わっておらず、平野さん、和解とは双方の妥協による決着であるが、これは棚上げ、沖縄県は和解になり、安倍政権は予算のめどが付き、政権の目標は参院選であり、そこで辺野古全面対決を持ち越したくない+国が敗訴になる可能性があり、強引で裁判所の印象も良くなく、移設の変更はないと政府は強弁しており、見直しは一切言わず、和解の前にアメリカの合意はハリス大使に得られており、もう辺野古は2年遅れと伝えており、全面対決で、沖縄県議選でも負けたくなく、政権は和解になり、争点を隠すものであると言われました。和解と言う言葉だけでなく、抜本的な解決ではないというのです。

 

今週は東日本大震災、福島原発事故5年特集で、福島県田村市で障碍者の自立支援を行われるNPO法人ケア・ステーションゆうとぴあ(http://www12.plala.or.jp/youtopia2003/ )の理事長で、今京都に避難しておられる鈴木絹江さんがゲストであり、ケア・ステーションゆうとぴあは福島第一原発の西40kmにあり、鈴木さんは原発事故で利用者3人とヘルパーの方とともに会津、新潟に避難されて、避難所での暮らしが難しい障碍者、高齢者がどうすべきか、鈴木さんのお話がありました。鈴木さんは、原発国賠京都訴訟の原告でもあります。

http://shienkyoto.exblog.jp/

田村市にある障碍者の自立のための施設であり、鈴木さんスタジオでのお話であり、原発事故で放射能汚染の中自主避難、ケア・ステーションで12人集団避難であり、鈴木さんは施設のリーダーであり、自身も障害があり、今日も車いすでスタジオに来られて、車いす生活は35年になり、母親も同じ障害、骨がもろいものであり、そして東日本大震災、福島原発事故、この施設は311まで通所施設であり、就労支援もして、ヘルパーが訪問介護もやり、作業もして、入浴もあり、主に昼間の生活をされていた施設であり、避難生活の大変さを語られます。

避難生活を強いられている方はたくさんいて、鈴木さん京都から来られています。

鈴木さんたちは、福島からの避難の道のりを、報道するラジオの記者がたどり、関係者のインタビューもあり、災害時の避難は、障害のある人もない人も同じ避難所であり、しかし障碍者にはどうなるか、南相馬(原発20km)での、脳性麻痺の車いすの方、小学校の体育館で数日過ごされて、トイレは洋式が要り、股関節が悪く大変であり、避難所で人が一杯で横になれず車いすで何日も、夜も、で眠れず、身障者用の手すりはトイレにあっても、30分かかり、大変なものであるのです。利尿剤を服用していたが、避難所では服用できず、体調を崩して足がむくみ、鈴木さんも足首が45cmになり、本当につらかったのです。

一般の避難所で、車いすの方は過酷であり、トイレと、場所、体育館だと、元気な人が四隅を埋めて行き、障碍者は後になって真ん中or出入り口の近くで、足を踏まれて暮らせず、そして人に迷惑になり、他の人より空間がいるのに確保できず、避難所に行けず、家がある程度無事なら家や車で過ごし、しかし避難物資は来ず、しかし傾いた家で、障碍者は弁当を取りに行けず、避難所では専門家でないと障碍者か分からず、大変だから我慢しろと言われて引くものなのです。

自宅だと情報もなく、大変であり、鈴木さんの事例は、自身車椅子+ケア・ステーションの理事長で、3/13に原発事故の詳細を知り、ヘルパーには妊婦、幼い子持ちの方もいてすぐに避難させて、利用者で一人暮らしの方3人を、ヘルパーを確保して12人で西に逃げることになり、3/14の夜、自己決断で避難を決めて、ヘルパーには寝たきりの家族のため避難できない人もいたが、自動車2台で夜中を走り、もちろん移動も大変、トイレもどうするか、車を20時に出発、しかし翌日は雨で、広島の黒い雨を知っていたので、風向きで西に避難し、原発爆発で80kmの距離が要り、夜中のトイレもあるのに、高速は救急車両しか通れず、3/15の雨を避けて、未明に会津にたどり着き、昭和村、海からは内陸で、140km以上走って宿舎に着き、一緒に避難された脳性麻痺の方、大変であり、被災者への周囲の態度は冷たかったというのです。

精神的なバリアーもあり、鈴木さん、突然に夜中に12人も着いて、宿泊は大広間にしたのに、階段のために大変であり、けがされたら困るので早くここを出てくれと、バリアフリーでないので、受け入れ先もこういう始末であり、しかしやっとたどり着いたところで安息はなく、しんどく、そしてまた避難が要り、そこからどうするか、また大変であったのです。

選択肢はいくつかあり、東京は電気がないとダメであきらめて、友人宅もなく、新潟に避難者を受け入れる、昭和村の村役場に、車いすのものは、ここには病院もなく、さらに避難者をさらに受け入れないとダメで、生涯のある人は大きいところに行ってくれと言われて、福島県外の、新潟に行くことになり、障碍者には宿泊場所が命を決めて、避難所は無理で、大きいホテルだとバリアフリーと知り、新潟の温泉に行くことになり、19日の昼間を数時間走り、山を越えて120km以上あるもので、月岡温泉、日本海側に行かれたのです。

ここは600人泊まれる高級ホテルで、雪の降る中、ホテルの方が迎えてくれて、車の処理もしてくれてビックリであり、ここの女将さんの飯田さんは、中越地震、中越沖地震の際に他県の方の支援をもらったので、県の旅館組合で、太平洋側の被災者を受け入れて、食事もやり、障碍者が体育館だと避難は無理で、この温泉は段差も少なく手すりもあり、障碍者には合っていたと言われるのです。

鈴木さん、やっとぐっすり眠れた、パジャマに着かえたのもここであり、避難時に障碍者に欠かせないのは、体温調節のために冷暖房施設が要る、畳では寝られない人があり、食事で食べていいもの悪いもの、薬もあり、車いすのためのトイレ、個室があるか、おむつ取り換えのこと、さらに介助者と一緒に避
難をすべきなのです。
こういうバリアフリーの施設はありがたく、プロのいるホテルしかなく、費用は素泊まり4000円であり、新潟の観光協会での取り決めで、国、福島の助成も4月から出て、しかし鈴木さんの時には助成はなく、新潟の観光協会の費用で泊めてもらったのです。それで、助かったのです。 しかし、ホテル側が受け入れてくれるか、月岡温泉では、せっかく被災者が来られるので、楽しめないというお客さんもいたと言われて、避難者受け入れと営業、売り上げがどうなるかともあり、しかし人のために尽くすものであり、県外のお客さんが、新潟に旅行に来なくなり、その結果観光業界が落ちたのです。
今後の災害時も受け入れると飯田さんは言われて、平野さんは立派な対応と言われて、新潟は地震を経験したから、であり、しかしビジネスとの両立は大変で、公的な補助は必須であり、災害救助法が適用されて、ホテルには無料で宿泊できるようになったのです。
しかし、飯田さんの決断は大変で、県と旅館組合の日頃からの話し合いがあったからで、どの県でも出来るかと平野さん言われて、当初はお金もなく、もちろん金銭的な余裕があって避難したのではなく、NPOの基金があり、阪神・淡路大震災後に被災した障碍者の支援団体が鈴木さんに何が要るかと連絡して、資金援助ももらい、災害の前のネットワークが活用されたことなのです。
鈴木さんのお話、リスナーのメールがあり、視覚障碍者の方で興味深く聴いている方、難聴の母と暮らしているとあり、高齢者は持病がたくさんあると言う声もあり、平野さん、何もハンディのない人はないと言われて、これは誰もが抱える話だと水野さんも言われて、あるいは息子さんが自閉症で避難しないといけなくなっても一般の避難所はダメとあり、障碍者の声があり、鈴木さん、大勢の人と24時間暮らすのは大変であり、避難所で声を出す、走り出すとうるさく、車にいるしかなく、また福島ではないが、自閉症の方が地域にいて、この人のために専用の部屋を用意した例もあり、地域で学校にて暮らしていると、災害時に助かるともあり、視覚、聴覚障碍者も、地震+津波でたくさん犠牲になり、避難所に手話の分か
る人がおらず、筆記で知った人もあるというのです。 リスナーより、聴覚障碍者は阪神・淡路大震災には置いてきぼりとあり、情報が障碍者にはしんどく、
これは日ごろの課題で、自宅にいたら救援物資を取りに行かないとならず、車もなく、冷蔵庫の中のものを食い尽くした時に、息子さんが自転車で食料を届けてくれた例もあり、日ごろからどうするか、なのです。
公は福祉避難所を考えて、鈴木さん、これはハード、手すりなどであり、しかしソフトの介助者はなく、自分で自分のことが出来る人しか暮らせず、家族と一緒なら3家族で一杯になり(家族数人)、福祉避難所は、たくさんの人といられない人が入るべきで、一般の障碍者はホテル、旅館で、寝る、食べることの心配がないことが何よりであり、ホテル、旅館をもっと活用すべきで、障碍者に緊急時にホテルをタダで利用できるパスポートをと京都で主張されています。
福祉避難所は数も足りず、そこへ直行できず、一般の避難所から振り分けられて、それでつかれるリスクもあり、平野さん、障碍者のリストを行政は作っているかと指摘されて、鈴木さん、作っても、個別計画はなく、どこに誰を割り振るかは12%しかできていないというのです。
建物(ハード)と介助者(ソフト)がいり、しかし鈴木さんのような集団避難は困難で、一緒に避難された方、ともかく一人でやらないとダメであり、災害が夜に起きたら誰も助けてくれず、いかに介助する人が大切であり、そして介助する側の声、ヘルパーの佐々木さん、熱心なケアをされる方で、震災時に妊娠7カ月であり、鈴木さんが真っ先に避難させよとして、佐々木さんお腹の子供のために避難されて、災害時にヘルパー、職員は利用者を助けるのに大変で、仕事以外の時は家庭のお母さんなどで、いざと言う時にすぐに行けず、障害のある人は、周りと連絡を取り、周りから気にかけてもらうように発信すべきと言われて、鈴木さん、佐々木さんは責任感が強く駆けつけられなかったことに責任を持ち、しかし災害時には目の前の人と避難すべきであり、災害派遣の介護チームを作ることも鈴木さん提唱されて、障碍者には様々な介助がいるが、介助者も被災しており、他のところから助けてもらうことが必要だと言われました。
リスナーより、人工透析の方が、災害が怖い(透析できなくなる)とあり、福島では透析の人は全員県外に行ったと言われて、災害と障害は、他人のことではないと、鈴木さん締めくくられました。今週の報道するラジオ、放送の曜日と時間が変わり、月曜の夜8時からの1時間になり、3/25までは金曜ですが、3月28日から月曜夜8時になり、引き続きフォローします。

2009年からコメンテイターをされた平野幸夫さんは、3/25の登場が最後になり、平野さんも思い出深い、転換期であったと言われて、平野さんのコメントを楽しみにしている人も多く、今日のテーマ、学ぶべきことが多く、鈴木さんは脱原発の集会も参加されて、さっと行動されたことが大きいと言われて、鈴木さん、日本は社会、個人の生き方があぶり出されたと言われて、リスナーより、弱いものを中心の社会を作るべきともありましたまさに震災から5年、この言葉を噛みしめるべきと締めくくられました。
以上、この内容、例により拡散してください、災害、そして原発事故で、障碍者は見捨てられるのです
から!MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace

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