日本経済の閉塞は人口減少放置のツケ

今週のキーワード 真壁昭夫
【第419回】 2016年3月8日 真壁昭夫 [信州大学教授]

足踏みから抜け出せない日本経済
回ってきた人口減少問題放置のツケ

2月26日発表の2015年国勢調査速報で、ついに初の人口減が記録された

わが国経済の閉塞感がなかなか払拭できない。アベノミクスの円安・株高で一時的に盛り上がった景況感は、昨年11月中旬以降、再び悪化している。

家計部門の実質ベースの所得が減少している一方、食糧品などの価格が上昇し、人々の生活実感は厳しさを増している。個人消費の大幅な伸びを期待できる状況ではない。

海外に目を転じると、中国経済の一段の減速懸念や米国経済の先行き不透明感、さらには欧州地域の景気低迷や一部金融機関の信用不安など、リスク要因はそれこそ枚挙に暇がない。短期的には、輸出の拡大も大きな期待は持てそうにない。そうした状況を考えると、景気が足踏み状態から抜け出せないのは仕方がないだろう。

ただ、わが国経済の閉塞感の大元に、二つの大きな要因があることを忘れるべきではない。一つは、人口構成の問題だ。既にわが国の人口は減少局面を迎えており、しかも少子高齢化の進展で、経済の様々な面で下押し圧力が働き始めている。

理屈から言っても、人口が減り、シニア層が増えると消費は伸びにくい。また、供給サイドを考えても、モノを作ったり、サービスを提供したりする労働力に制約がかかりやすい。また、シニア層の増大は社会保障費などの負担を増すことになる。

かなり以前から、わが国の人口問題の重要性は議論されてきたにもかかわらず、国としてほとんど有効な手立てを打つことができなかった。そのツケをこれから払わざるを得ない。

もう一つ重要なポイントは、実情に合わない仕組みや制度を刷新するのを怠ってきたことだ。それは公共セクターに限らず、民間企業でも同じだ。社会全体で、昨日とは違う新しいものを生み出す努力が足りなかったと言える。

人口減少と経済には密接な関係がある
ただしそれでも経済成長はできる

従来、経済学では人口は所与のものとして、どちらかというと理論体系の枠の外に位置付けてきた。しかし、冷静に考えると、人口と経済活動には密接な関係が存在する。

人口が多ければ、モノを買う人は多くなり消費は伸びやすい。また、若年層が厚ければ、生産年齢人口=働き手の数が多くなり、豊富な労働力を得やすくなる。それは経済活動にとって重要なメリットだ。

わが国のように人口減少・少子高齢化が進む社会では、経済活動そのものが低下しやすくなる。しかも、社会保障費の拡大によって国民負担は増大する。負担の増大によって、で将来、年金制度の維持が難しくなるなどといった漠然とした懸念は、人々の消費意欲を低下させる可能性が高い。

供給サイドの企業では、既存製品の国内需要の伸びが期待できないため、どうして海外展開を考えなければならない。積極的に海外展開を考えるには、為替の変動や現地企業の経営などリスクを負担しなければならない。そのデメリットは決して小さくない。

こうして見ると、人口減少・少子高齢化が進むわが国では、経済成長ができないと考えがちだが、一概に悲観的になることは適切ではない。なぜなら、今まで世の中に存在していなかった新しい技術や新製品を生み出せば、国内でも新しい需要を掘り起こすことができるからだ。

一言でいえば、社会にイノベーションを起こすことだ。イノベーションは、画期的な技術や新製品のを開発することだけではない。今までと違った原材料や新しい顧客を見つけたり、企業の組織を効率的に変えたりすることも重要なイノベーションの一つだ。

内部留保をため込み委縮する企業
このままでは国全体が縮小均衡に向かう

足元のわが国企業の状況を概観すると、その多くが高い収益を上げる一方、資金を内部留保としてため込んでいる姿が浮かび上がる。

経営者にヒアリングしても、「1990年代のバブル崩壊、2008年のリーマンショックなどを経験すると、どうしても安全運転を心がけざるを得ない」とのニュアンスの回答を聞くことが多い。その結果、積極的な投資には二の足を踏み、内部留保を厚くして有事に備えるスタンスを鮮明にせざるを得ないのだろう。

問題は、経営者がそうした防衛型のスタンスを取り続けると、リスクを伴うイノベーションに踏み出しにくくなることだ。特に、AI(人工知能)やIoT(インターネット・オブ・シングズ)、さらにはロボットなどの先端分野で、ライバルの欧米、中国企業に後れを取ってしまうことである。

先端分野でライバルの後塵を拝することになると、後から追いつくのはかなり難しい。そうなると、当該分野にいかにビジネスチャンスがあっても、参戦すること自体を放棄せざるを得なくなってしまう。

それでは、わが国経済全体の競争力が低下して、縮小均衡に向かわざるを得なくなる。経済が縮小均衡に向かうということは、国民は生活の水準を低下させる必要があるということである。今まで高水準の生活に慣れてきた世代にとって、そうした厳しい生活に耐えられるかは疑問が残る。

先日、シンガポールの友人が東京にやって来た。彼は、「日本企業は自分の能力を過小評価している」と指摘していた。海外の投資家から見ても、わが国企業が委縮している状況がよく分かるのだろう。

閉塞感を打ち破るためには
政治のリーダーシップが不可欠

人口が減少したからといって、経済が縮小するとは限らない。人口減少局面を迎えた欧州諸国の中には、その逆境を乗り越えて経済成長を続けた国がある。

1990年以降、スウェーデンやイタリアなどは労働力人口が減少した。しかし、それらの諸国ではいずれも、労働力の低下を生産性の上昇で補い経済成長を達成した。つまり、労働者一人あたりが生み出す付加価値を高めることで、経済を活性化することに成功したのである。

わが国もそれと同じことができれば、人口減少・少子高齢化のマイナス面をカバーすることが可能だ。それには、何といっても、企業が防衛型の行動様式を打ち破って、新しい技術、新しい商品に向かって走り出すことが求められる。

企業がイノベーションに向かって走り出すためには、国全体に漂う閉塞感を打破しなければならない。それは、経営者一人、二人でできるものではない。政治のリーダーシップが必要不可欠になるだろう。

政治が率先して痛みを伴う改革に取り組み、イノベーションに向かう姿勢を国全体に見せるのである。国民がそうした政治のリーダーシップを見て、新しいことにチャレンジする姿勢を醸成すればよい。

一時期、景況感が盛り上がったアベノミクスだったが、冷静に振り返ってみると、米国経済の好調な時期に円安・ドル高が進み、それに伴って株価が上昇しただけとも言える。米国経済が減速すると、再び円高・ドル安に戻り、株価の上昇も抑えられるのは当然だ。

アベノミクスはあまりに金融政策への依存度が高すぎた。黒田総裁は2年程度の短期決戦型の政策運営を行ってきたが、原油価格の下落もあり、結局、期待したほどの効果を持続することができなかった。

政府は金融・財政に頼る政策運営を変えて、本当の意味でわが国経済を強くすることを目指すべきだ。それには、労働市場の改革など時に痛みを伴う政策運営が必要になる。それを肝に銘じなければならない。

Categories アベノミス

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