永岡です、今日はラジオ関西の、時間です!林編集長に、新聞うずみ火代表でフリージャーナリストの矢野宏さんが出られて、今日で71年の神戸大空襲について語られました。 |
3月17日、1945年に神戸で大空襲、8000人亡くなり、兵庫区で合同の慰霊祭もあり、体験された豊田和子さんのお話もあり、日清・日ロ戦争も短期決戦で勝ち、太平洋戦争も最初の頃で勝つと思ったが、「欲しがりません勝つまでは」、としてはいけないことが増えて、太平洋戦争は1941年12月に始まり、その年の4月に女学校に入られて、入学式の日に、日本全国戦争一色になり、それでも太平洋戦争は感じず、そこからは日に日にあれをしてはいけない、報道の自由もなく、規制が厳しくなり、米も配給、ものがどんどん減り、自警団も出て、女性は服装も婦人会から規制されて、戦争の中で空襲だけでなく、自警団や婦人会が偉そうにする時代は嫌であり、女学校も戦争に参加させられて、今はあんな馬鹿なことを、と思うが、焼夷弾を消すなどのことを訓練させられて、防空演習でも焼夷弾を消せと、家が焼かれる、神戸中が焼け野原とは思わなかったと、豊田さん、抑圧させる世界を林さんに語られて、無数の飛行機が来て空襲とは、まさか思わなかったと言われるのです。
豊田さん、高射砲などで兵隊が戦ってくれるのではなく、警護団は逃げるな、消火しろとして、気が付いたら火の海で、大混乱であり、焼けていない家があったものの、入れず、周囲は猛火で、焼け死ぬのかなと思ったら、母親が防火用水を見つけて、ここで生きているとは思われず、何人か入ったら防火槽は一杯、そこで意識を無くされて、そして男性が助かったぞと叫び、真っ白な光景、朝が白いと知り、焼け野原に真っ白な朝、しかしそれからが大変で、六甲の親戚に行こうと、体を引きずり、しかし焼け出された人たちは、他の人を助ける余力もなく、豊田さんの生まれた産婦人科があり、そこで大八車を借りて、父と母を連れて行けて、これがなかったら父と母は死んでいた。しかし、焼け出されたものには悲惨であったのです。
豊田さん、あの時代のこと、震災時のボランティアを見たらやさしかったが、戦争は殺し合い、殺すことが当たり前で、それが全員にあり、同情も出来ず、親兄弟が戦争の犠牲になっても助けるより敵を殺せが戦争であり、71年経って、8月15日、日本に戦争があったことを国民の半分が知らず、しかし、若い人たちに、戦争のことをもっと知ってほしいと言われるのです。
学徒動員、女性は工場に動員されて、しかし病気で行けないと非国民と言われて、食料をもらえない、空襲で家は全部焼けて、まさか真ん中に焼夷弾を落とされるとは思われず、思い出のものも全て焼けてしまい、戦争の空気の重さを豊田さん言われて、敗戦時に、負けたことより、頭の上にあった雲が消えたことが大きかったと言われるのです。
矢野さん、みんな右を向かされて、違うと言う人に非国民とレッテルを貼り排除するのが戦争で、そして戦争の前に、○○をやってはいけない、は今も似ていると林さん指摘されて(安倍政権のメディア弾圧とうり二つだ!)、戦争をしてはいけないが、71年前で、若い人にわかってほしいと豊田さん言われて、神戸や大阪も空襲に会い、これはまだ70年前であり、これを語り継がないといけないと言われて、そして東京大空襲も報じられず、知っていたら警戒したのに、この日も紀伊水道をB29がやってきて、焼夷弾にはリボンがついて燃えるガソリンがあり、燃えたら花火のように見えるが、燃えたら800~1000度!になり、大変なのものなのです。
そして、矢野さん、改めて神戸大空襲71年、林さんも平和について考えてほしいと言われて、今の豊田さんのお話を聞き、矢野さんは大阪大空襲の取材で、谷口さんと言う方、3/14に、母親が大きい空襲が来る、あんたはお姉ちゃんと逃げろ、お母さんは家を守らないといけないといい、母は空襲で亡くなり、なぜ母は逃げなかったのか、これは防空法のためで、大人は逃げてはいけない、罰則規定があり、初任給の10倍の罰金、空襲が来たら逃げずに消せであり、矢野さん、もし当時の政府が国民の命を大事にして、逃げろと言えばたくさん助かったのに、先の豊田さんも、空襲だと防空壕に逃げさせられて、防空法は逃げるなというもので、空襲は怖くない、防空壕がしっかりしていたら、ではなく、家の中に防空壕を作って、入り口が塞がれて、一家全滅もたくさんあり、豊田さんも悲惨な目にあい、周りの目は厳しく、配給制度+隣組、逃げたら配給されず、悲劇が拡大したものであり、もちろん時代で片付けるべきではなく、ドイツはナチスがひどかったものの、防空壕はちゃんとしていて今も残っており、しかし太平洋戦争時の日本の防空壕は残っていない。
さらに、情報統制、東京大空襲時に、大本営発表で、B29の襲来で全滅したのに、被害は小さかったと嘘を報じて、1日で10万人殺されたのに報じられず、これがちゃんと報じられて、焼夷弾に勝てない、逃げろとしていたら、被害は少なくなったので、当時の政府の人命軽視によりたくさんの人が殺され、防空法は真珠湾攻撃の1か月前に作られて、当時の政府は空襲でやられることを知っており、矢野さんはその政府がいいかどうかは、その政府が人命を尊重するかであり、しかし今、福島で10万人帰れないのに原発再稼働、「この国は良い国ではない」と、矢野さん締めくくられました。
矢野さんや豊田さんのお話を聞くと、不特定秘密隠蔽法、戦争準備法案、安倍政権のメディア弾圧は、21世紀の防空法、治安維持法ではないかと思われました、以上、ラジオ関西の内容でした。