マケルナ会から 【ソウル通信 第1回】「カトリック大学のキャンパスから、ご挨拶」植村隆  

謹啓                 2016/03/30
いつもお世話になります。
植村さんからのソウル通信を転送致します。
頓首

マケルナ会事務局

【ソウル通信 第1回】「カトリック大学のキャンパスからのご挨拶 」

皆さん、ごぶさたしています。
3月1日付で、韓国カトリック大学客員教授になった植村隆です。
3月3日に着任しました。
もうそれから3週間以上経ってしまいました。
近況報告が遅れましたことを、お詫び申し上げます。

韓国語での講義という「重圧」の中、ばたばたとしているうちに、時間が経った
という次第です。

3度目の韓国暮らしとなります。
朝日新聞時代に語学留学生(1987年8月~88年8月)、特派員(96年
12月~99年8月)として、2度ソウルで暮らしました。

今度は朝日新聞をやめ、大学教員としての韓国暮らしです。大学本部がある聖心
キャンパス(京畿道富川市)の中にあるゲストハウスに住み、そのキャンパスで
教えています。

語学留学生時代には、ソウルでの話題を伝える手書きの新聞「ソウル遊学生通
信」を発行していました。
2度目は特派員として、朝日新聞に記事を書きました。

3度目の今度は、メールなどを使って韓国事情などを報告する個人通信「ソウル
通信」を発行しようと思います。
住んでいるのは、ソウルの隣町で、ベッドタウンの富川(プチョン)ですが、首
都圏なので、「ソウル通信」と名づけました。
ご愛顧ください。

さて、今回は、どんな講義をしているかをお伝えします。
私は、教養科目などを担当しているELP(ETHICAL LEADER
PATH)学部の所属です。

「東アジアの平和と文化」という教養科目を担当しています。
最初は、日韓交流を学ぶ授業をしようと思ったのですが、教務の責任者から「東
アジアで行きましょう」と言われ、「事業拡大」して「東アジア」を冠すること
にしました。

私はソウル特派員だけでなく、北京特派員として、中国に住み、北朝鮮も担当し
ました。そうした経験や問題意識も講義に生かしたいと思います。
今回の授業では、新聞記事や映像資料などを活用して、受講生の社会や歴史への
関心を高めたいと思います。
そして、その延長線上として、東アジアの平和 や人権を考えるような機会にし
たいと思っています。

講義は週1回火曜日です。
50分授業を3回連続で行います。
午後3時から、休憩時間をはさんで、午後5時50分までです。
東京と札幌で裁判を抱えており、ソウルと日本を行ったりきたりとなります。
このため、講義をまとめてやるようにしました。

長い講義なので、学生たちを飽きさせないで、やらなければなりません。いろい
ろな工夫が必要です。

これまでに、講義を3度こなしました。
①「体験的メディア論」
②「新聞入門(新聞の活用の仕方)」
③「BACK TO 1990年代」

韓国語の発音は良くないのですが、思っていることは、だいたい話すことはでき
ます。
何とか、私の言いたいことは、学生たちに伝わっているようです。

しかし、教材の韓国語を音読するとき、最初は十分な音読の練習をしていなかっ
たため、うまくしゃべれず、恥をかいてしまいました。
教え子からはやんわりと、事前練習の必要性を指摘されました。

しかし、がんばれば、何とかなりそうです。ご安心ください。

私は、昨年1月に亡くなったドイツのヴァイツゼッカー元大統領の言葉を講義の
「指針」にしたいと思っています。

岩波書店から2月末に出版した手記「真実 私は『捏造記者』ではない」にもそ
のことを書きました。
北星学園大学での最後の学内講義で1985年に当時の西独大統領だったヴァイ
ツゼッカー氏の演説を紹介しました。日本では「荒れ野の40年」という名で知
られる演説です。
特に以下の部分を強調しました。

「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪をかきたてつづけることに腐心しており
ました。
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただき
たい。(中略)若い人たちは、たがいに敵対するのでなく、たがいに手を取り
合って生きていくことを
学んでいただきたい」
(岩波ブックレットNO55 「荒れ野の40年」より)

民族や、思想の違いなどによる対立を超えて欲しい、とヴァイツゼッカー氏は訴
えていました。
私もそういう人間でありたいと思います。

「偏見と敵意と憎悪をかきたてつづける」人びとは、いまも世界中にはびこって
います。

日本での私への激しいバッシング、誹謗中傷も同じ根っこの現象ではないか、と
思っています。

こうした「憎悪」を乗り越えるためには、「たがいに敵対するのでなく、たがい
に手を取り合って生きていく」ことが必要だと思います。

そして、そうした若者を育てていく必要があると思うのです。

私は、カトリック大での1回目の講義「体験的メディア論」で、植村バッシング
について詳しく説明した上で、このヴァイツゼッカー氏の言葉を説明しました。
そして私の思いを伝えました。
日本からの留学生7人を含む約30人の受講生は熱心に聞いてくれました。

1回目の講義は、いわばお試し期間のようなもので、その後に、最終登録が行わ
れます。
第2回目(3月15日)講義の直前に確定した受講生名簿では36人(うち日本
からの留学生は7人)の学生が最終的に登録してくれました。
ということは、

第1回目の講義を聴かなかったが、最終登録した学生が何人かいた、ということ
になります。これは、とても、うれしいことでした。

おまけに
日本語学科長から、金曜日の講義(50分)も手伝ってと言われて、やることに
なりました。

それだけではありません。
日本語学科の学生たちから、日本語の勉強に付き合ってくれという要望があり、
木曜日の夜(午後6時~8時)に
自主ゼミも開催することになりました。

29歳だった語学留学時代に覚えた言葉「パップダ、パッポ」(忙しい、忙し
い)が頭に浮かんできました。

裁判で、日本に戻る際には、自主ゼミなどを休むことになりますが、できる限
り、たくさんの学生たちと一緒に学ぶ時間をとりたいと思います。

健康に気をつけてがんばります
これからも
よろしくお願いします。

植村 隆

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Categories 従軍慰安婦

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