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私の受けた教育について、一見してすぐ目につくのは、子供のうちに大量の知識を身に
つけさせようとして払われた膨大な努力であろう。それも、高等教育で教えるとされて
いて、大人になってようやく修得できるかどうかという類の知識である。-ミル自伝
この教育実験は、やり方によってはそれが決して難しくないことを証明した。と同時に
、学校で通常教えられている少しばかりのラテン語やギリシャ語を身につけるために貴
重な時間が壮大に無駄遣いされていることも、明らかにしたのである。-ミル自伝
この無駄遣いを理由に、いっそラテン語もギリシャ語もすっかり普通教育から省いてし
まおう、との見当外れの案を論じる教育改革論者が多い。-ミル自伝
私が生まれつきとびぬけてのみこみが早いとか、物覚えが正確でけっして忘れないとか
、あるいは万事に積極的で意欲に満ちあふれているとでもいうのなら、たしかにこの実
験結果を額面通り受け取るわけにはいくまい。だがこうした資質に関して、私はどれも
人並みにすら達していない。-ミル自伝
だから私にできたことは、人並みの能力と健康な体を持つどんな子供にもできるはずで
ある。私がなにがしかのことを成し遂げられたとすれば、資質以外の幸運な条件が重な
ったからにほかならない。-ミル自伝
青少年期に大量の知識をひたすら叩き込まれると、考える力が養われず、逆に過剰な知
識で損なわれやすい。生徒は断片的な事実だの人の言ったことや書いたことだのを次々
に詰め込まれ、自力で考えずにそれらで代用するようになる。-ミル自伝
こんな具合だから、教育熱心な父親を持った名家の子弟が、往々にして教えられたこと
をわけもわからず唱えるだけで、あてがわれた道筋通りにしか頭を使えない人間に育つ
ことになる。-ミル自伝
だが私の受けた教育は、全然違った。何を学ぶときでも、単に記憶力だけを働かせて済
ますことを父は決して許さない。教わったことはその都度きちんと理解するように、で
きれば教わらないうちに一歩先を理解できるように、父は骨を折った。-ミル自伝
考えればわかることは、何事であれ、自分で答を見つけようと苦心惨憺してからでなけ
れば教えてもらえない。覚えている限りでは、私はこの点ではまったくお粗末だった。
ほとんどしくじってばかりで、自分で答を出せたことは数えるほどしかない。-ミル自
伝
たとえば、十三歳のころには、こんな失敗をした。何の気なしに「観念」という言葉を
使ったところ、「観念」とは何だとすぐさま父に聞き返され、どうがんばってもうまく
説明できずにいたく父の機嫌を損ねたのだ。-ミル自伝
「何々は理論上は正しいが現実には通用しない」といったよくある言い方をして、父を
怒らせたこともある。-ミル自伝
どういうつもりで「理論」という言葉を使ったのかを説明しようと私がさんざん無駄骨
を折るのをみてから、父はようやく正しい意味を説明し、みんなが言うからとうかつに
使った表現のどこがまちがいなのか、とくとわからせてくれた。-ミル自伝
「理論」の正しい意味も知らず、しかもそれを現実と対立するもののように扱うとは、
おそるべき無知をさらけ出したのだと私は思い知らされたのである。-ミル自伝
こんなやり方は行きすぎだと思われるかも知れない。そう言えなくもないが、それは、
子供の間違いに腹を立てたことだけだと思う。生徒というものは、できないことを要求
されて初めて力の限りを尽くすのだから。-ミル自伝
うぬぼれは有望な前途を台無しにしかねないので、父はこれを防ぐことに何よりも心を
砕いた。誉め言葉が絶対に息子の耳に入らないように、また他人と比較して自己満足に
陥らないように、細心の注意を払った。-ミル自伝
父と接している限り、私には自分がひどく不出来だとしか思えなかった。また父は終始
一貫して、他人の出来と比べるのではなく、本来すべきこと、できるはずのことを基準
に私を評価した。-ミル自伝
十四歳が終わろうとする頃、父の元をしばらく離れてフランスへ発つという日の前日に
なって、父は言った―これからいろいろな人と知り合うようになると、おまえは同じ年
頃の少年が普通は知らないことを自分はたくさん知っている、と気づくだろう。-ミル
自伝
東インド会社で働き政策運営に何が必要か実地に学ぶ機会に恵まれたことは、新しい思
想や制度改革を論じるうえで大いに役に立ったにちがいない、とよく言われた。-ミル
自伝
こうして私は大勢の人を動かす難しさ、譲歩の必要性を身に染みて知り、名を捨てて実
を取る駆け引きも体得した。ほかにも学んだことは少なくない。-ミル自伝
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