Global Ethics


この世に希望を持つためには批判し続けることこそが必要だ   by limitlesslife
October 10, 2016, 4:03 am
Filed under: Uncategorized
この世に希望を持つためには批判し続けることこそが必要だ

政治からは逃れられない。純粋な芸術の領域や思想の領域に逃げ込むことや、また、そ
の点に関して言えば、公正無私の客観性や超越的な理論に逃れることなどできはしない
。 『知識人とは何か』

知識人にとってなすべきことは、生存の問題を超えて、政治的解放の可能性を問うこと
であり、指導層に批判を突きつけることであり、代替的可能性を示唆することである
『知識人とは何か』

(オリエンタリズムの)表象の外在性を常に支配しているのは、「もしオリエントが自ら
表象できるのなら実際にそうしているだろう。オリエントにはそれができないからこそ
、表象という仕事が西洋の為に、またやむを得ず哀れな東洋の為になされるのだ」とい
う決まり文句の何らかの言いかえなのである。

(オリエンタリストらによる)このような表象は、制度・伝統・慣習あるいは表現効果を
理解するための合意に基づいた暗号に依拠しているのであって、彼方に模糊としてある
オリエントに依拠しているのではないのである。 『オリエンタリズム』

知識人としての自分には二つの選択肢がある。一つは最善を尽くし真実を積極的に表象
すること、今一つは、消極的に庇護者や権威者に導いてもらうようにすることである。
ちなみに世俗的な知識人にとって、庇護者なり権威者とは“あの”神々、つまり、いつ
も失敗する神々なのである。 『知識人とは何か』

知識人とは、極めて偏った権力にこびへつらうことで堕落した専門家として終わるべき
ではなく権力に対して真実を語ることができるような別の選択肢を念頭に置き、もっと
原則を尊重するような立場に立つ、まさに知識人たるべきではないか 『知識人とは何
か』

逆説的で、冷笑的で、仮借なきまでに批判的。 『知識人とは何か』

オリエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式(スタ
イル)なのである。 『オリエンタリズム』

オリエントは、その最新の現実に対してではなく、ヨーロッパの遠い過去との一連の接
触に対して付与された、価値評価の集合体として存在したのである。 『オリエンタリ
ズム』

非ヨーロッパのあらゆる民族・文化を凌駕するものとして自らを認識するヨーロッパの
ヨーロッパ観がそれ(ヘゲモニー的ヨーロッパ文化)である。 『オリエンタリズム』

問題なのは、専門能力が直接的な関心ごとの外にあるものを見えなくさせ、一般的な教
養を犠牲にして人を特定の権威なり規範的な考え方だけに迎合させること 『知識人と
は何か』

オリエンタルの世界の認知可能性と自己確認とは、オリエンタル自身の努力によっても
たらされたものではなく、むしろ西洋がオリエントというものを同定するにあたって、
認知作業の技術的操作の為に採用した複合的手続きの総体によってもたらされたものな
のである。 『オリエンタリズム』

(ラディカルな人間の)根底にあるのは、一つの神から新しい別の神への移行であって、
この移行が今現実に、鳴り物入りで喧伝されているのだ。 『知識人とは何か』

ヨーロッパ人が古典的オリエントという過去から引き出したものは、自分たちのためだ
けに有利に働かせることのできるヴィジョンであった。一方、近代東洋人が彼らから与
えられたものは、便利さと改良と、近代オリエントにとって何が一番いいのかについて
ヨーロッパ人が下してくれる判断の恩恵であった。

オリエントの知識は、力を背景に発生したものであるからこそ、ある意味で、オリエン
トやオリエンタルやオリエント世界を創造するのである。 『オリエンタリズム』

いかなる種類の政治的な神であれ、私はこの神に改宗・転向したり、この神を崇拝する
ことには断固反対である。 『知識人とは何か』

オリエンタリズムの語彙を用いることは、オリエント的事物を個別化し、扱いやすい小
部分に分割することに他ならない。 『オリエンタリズム』

(知識人は)正統思想やドグマを生み出すのではなく正統思想やドグマと対決しなければ
ならない 『知識人とは何か』

オリエンタルは、いずれの場合にも、支配を体現する枠組みの中に封じ込められ、また
そのような枠組みの下で表象される存在なのである。 『オリエンタリズム』

オリエンタリズムは、かつてデニス・ヘイがヨーロッパ観念と呼んだところの集団観念
からかけ離れたものではない。この集団観念は、「我ら」ヨーロッパ人を「彼ら」非ヨ
ーロッパ人のすべてに対置されるものとして同定する。 『オリエンタリズム』

(西洋のイスラム観において)洗練と複雑さの度合いを高めていくものは、結局のところ
西洋の無知なのであり、量と正確さを増す西洋の実証的知識の何らかの部分では決して
ない。 『オリエンタリズ

知識人とは、その根底において、決して調停者でもなければコンセンサス形成者でもな
く、批判的センスにすべてを賭ける人間である。 『知識人とは何か』

現代の知識人はアマチュアたるべきである。 『知識人とは何か』

オリエントは、その最新の現実に対してではなく、ヨーロッパの遠い過去との一連の接
触に対して付与された、価値評価の集合体として存在したのである。 『オリエンタリ
ズム』

スエズ運河の構想には、オリエンタリズム的思考の論理的帰結と…オリエンタリズム的
努力の論理的帰結とが共に見出される。…こうした恐るべき不変の相手を打倒するには
、まず最初にオリエントを知り、ついでオリエントに侵入してこれを所有し、学者や兵
士や裁判官の手で再=創造せねばならなかった。

わたしをとらえて離さないのは、やはりなんといっても同化精神より反骨精神であって
、知識人のありようをめぐるロマンスなり、利害なり、挑戦なりは、すべて、現状に対
する異議申し立て行為の中で光をはなつ 『知識人とは何か』

この世に希望を持つためには批判し続けることこそが必要だ

オリエントとはそこに全東洋が閉じ込められた舞台なのである。…その時オリエントは
、なじみ深いヨーロッパ世界の向こうに際限なく広がる空間ではなく、一つの閉ざされ
た領域、つまりヨーロッパに附属する演劇舞台としての外観を呈するのである。 『オ
リエンタリズム』

オリエンタリズムとは、オリエント的事物を、詮索・研究・判決・訓練・統治の対象と
して、教室・法廷・監獄・図鑑の中に配置するようなオリエント知識のことなのである
。 『オリエンタリズム』

(ラディカルな人間の)根底にあるのは、一つの神から新しい別の神への移行であって、
この移行が今現実に、鳴り物入りで喧伝されているのだ。 『知識人とは何か』

ナポレオンにとってのエジプトとは、経験的な現実を通してではなく、テクストから抽
出された観念と神話との領域に属するもろもろの経験を通じて、彼の頭の中で、また後
には征服のための準備の中で、現実性を獲得していった一箇のプロジェクトだったので
ある。 『オリエンタリズム』

オリエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式(スタ
イル)なのである。 『オリエンタリズム』

最も重要な仕事は、今日オリエンタリズムに代わり得るものが何であるかという研究に
取り組み、どのようにすれば他者を抑圧・操作したりするのではない自由擁護の立場に
立って、異種の文化や異種の民俗を研究することが可能であるかを問いかけることであ
ろう。 『オリエンタリズム』

(オリエンタリストらは)忘れられた言語、歴史、民族、文化を発掘し、それらを同時代
のオリエントを判断したり支配したりするために利用できる真に古典的なオリエントと
して、―同時代のオリエンタルの目の届かぬところに―陳列して見せたのである。 『
オリエンタリズム』

Edward Said _ bot ?@EdwardSaid_bot  10月4日
(オリエンタリズムにおいて)一方に西洋人があり、他方にアラブ=東洋人がいる。前者
は合理的、平和的、自由主義的、論理的で、真の価値を見分ける能力を持ち、生来の猜
疑心は持たないのに対し、後者はこれらのことが全部欠けている。 『オリエンタリズ
ム』

IROHIRA

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace


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