Global Ethics


南海電鉄車掌の差別発言 by limitlesslife
October 14, 2016, 2:05 pm
Filed under: Uncategorized
 川西玲子です。最近、南海電鉄の車掌による差別発言が話題になっています。私が知る限りでは、事実関係はこういうことらしいです。

ある男性の乗客が、「外国人が多くて迷惑だ」と叫び、それを聞いた車掌が「外国人のお客さんが多く、ご迷惑をおかけしています」と放送したと。男性の発言はもちろん、車掌が放送で述べた言葉も差別です。ただそれを前提にした上で、私はこう考えます。

「最大の問題は、政府が受け入れ体制も整備せずに外国人観光客を増やして続け、現場で起きている混乱を放置していることにある」。何しろ外国人観光客の増加は、安倍政権唯一の成果ですからね。しかもビザの発給要件を緩和するだけでいいのですから、とても簡単です。中国人の爆買いが終了したことを受けて、さらに発給要件を緩和するそうです。

しかし、実際には様々な混乱が起きています。次女はフリーカメラマンをしながら、無印良品でアルバイトをしていますが、「もう無理。これ以上は対応できない」と怒っています。また通訳ガイドをしている友人は昨年から、外国人の無資格ガイドによる違法行為が横行していることに怒っていました。

それなのに、今度は法律で無資格ガイドを認めるというから驚きです。今のやり方はもう限界です。いえ、限界を超えていると言えるでしょう。ホテルも足りないから民泊を活用するという話になっていますが、この民泊がまた大問題なのです。フランスでは民泊に圧迫されて、ホテルが次々に倒産しているそうです。浅草でも、小規模の旅館やホテルの営業が厳しくなっています。また民泊は安全上も様々な問題があります。

ガイドにしてもホテルにしても、とにかく政府のやることは泥縄式で、観光立国の土台を築こうなどという真面目な努力を全くしていません。数さえ増えれば構わないのです。その皺寄せが現場に集中していて大変です。そして観光客の三分の一以上を中国人が占め、在日中国人も90万人を超えたため、混乱の多くに中国人が関係しています。民泊も本家のエアビー&ビーに中国人が経営する中国人向けが加わり、さらに大混乱をきたしています。

ところがこういう現実に少しでも触れると「差別」ということになるので、実態に触れることができません。そのため見て見ぬふりをすることになり、結局はネット右翼の攻撃材料になってしまいます。在日中国人社会と協力して、違法ビジネスをなくしていくという方向にはならないんですよ。もちろん、外国人による違法ビジネスは国籍を問わないし、日本人のたくさんやっていますが。

話は戻りますが、南海電鉄の車掌はクレーマー的な乗客に気を遣って問題発言をしました。これは差別ですが、瞬間的に違う対応をすることは難しかったでしょう。日本では人権教育はほとんどなされていないし、差別禁止法もありません。この車掌の対応は、大部分の日本人が普通にとる行動だったと思います。だからこの車掌や南海電鉄ばかり批判しても、問題の根絶にはなりません。

この車掌を批判している人の多くは、「アメリカやドイツと比べて日本は遅れている」という論法です。そもそも日本の進歩派には欧米かぶれが多く、排外デモはいつの間にかヘイトスピーチに統一され、差別はレイシズムになっています。人種主義ではだめなのでしょうか。肝心の言葉はみんなカタカナや横文字にして、その言葉の説明が人権意識の普及活動になっているかの如くです。

私はこれをいつも苦々しく思っています。明治の知識人は苦闘して日本語に翻訳したのに、あっけなくカタカナや横文字にして得意になっています。今や、知的な言語は次々にカタカナや横文字に置き換えられて、日本語は二級言語扱いです。人権派は植民地エリートになるべきではありません。いつも外から批判しているだけでは、日本社会を内側から変えることはできないでしょう。

差別発言をした南海電鉄の車掌は、言ってみれば穏健派です。排外デモに参加するような人間ではありません。また会社は批判を恐れて、とにかく謝罪する。これでは本人も納得したかどうかわからないし、日本社会全体の意識も変わらず、差別意識は水面下でくすぶり続けます。そして何かの拍子に、歪んだ形で爆発するのです。

必要なのは人権教育と差別禁止法の成立だと私は考えます。日本の人権擁護運動は日本の近代史に立脚し、日本の歴史風土や生活文化を踏まえて、観念的にならないよう工夫をするべきです。いまアニメ「君の名は。」が大ヒットし、宇多田ヒカルの新アルバムが売れていますが、どちらも日本人の琴線に触れるものがあります。これは重要な点です。日本社会を内側から変えていくのはどうしたらいいか、色々と模索したいものです。

以上、私見で失礼しました。

_____________________
川西玲子さん、

おなじように、わたしも感じています。
安倍政権の言うことと為すこととが矛盾だらけであるのは、
つねにつねに「下心」がかくされているからだとおもいます。

「マクベスの魔女の呪文」だって、竹信美恵子さんは言ってます。
この呪文「きれいは汚い、汚いはきれい」には、じつは深いイロニーが浸透していて、
カーニヴァル的転換を象徴するすてきなことばなので、それを
安倍がごとき陋劣な政治屋に適用するのは、わたしはこのまないけれど、
しかし、このことばのもっとも平俗的なつかいかたとして安倍政権の「下心」に
なぞらえるなら、まさに、「汚い」ものを「きれい」にみせかける呪文に
転化するでしょう。

まっこと、そういった意味であなたの御指摘は的を射ています。

《南海電鉄の車掌はクレーマー的な乗客に気を遣って問題発言をしました。これは差別ですが、瞬間的に違う対応をすることは難しかったでしょう。日本では人権教育はほとんどなされていないし、差別禁止法もありません。この車掌の対応は、大部分の日本人が普通にとる行動だったと思います。だからこの車掌や南海電鉄ばかり批判しても、問題の根絶にはなりません。》

つぎの御意見にも共感します。

《この車掌を批判している人の多くは、「アメリカやドイツと比べて日本は遅れている」という論法です。そもそも日本の進歩派には欧米かぶれが多く、排外デモはいつの間にかヘイトスピーチに統一され、差別はレイシズムになっています。人種主義ではだめなのでしょうか。肝心の言葉はみんなカタカナや横文字にして、その言葉の説明が人権意識の普及活動になっているかの如くです。

私はこれをいつも苦々しく思っています。明治の知識人は苦闘して日本語に翻訳したのに、あっけなくカタカナや横文字にして得意になっています。今や、知的な言語は次々にカタカナや横文字に置き換えられて、日本語は二級言語扱いです。人権派は植民地エリートになるべきではありません。いつも外から批判しているだけでは、日本社会を内側から変えることはできないでしょう。》

おっしゃるとおり、幕末から明治にかけて欧米の文化をなんとかとりいれようとした先覚者たちは、
文字どおり苦心惨憺して、オランダ語やドイツ語やフランス語や英語の「術語」を日本語で表現する
ことに成功しました。
「ただの翻訳」だとわかいひとびとはおもうかもしれないけど、このような翻訳とは、
それまでになかった新たな概念を、なんとかして、それに近い概念を表現しうる日本語に
おきかえる、まったくなかった概念に関しては、さいわいわたしたちがもっている漢字という有力な手段を駆使して
新しい言葉を創りだす、あるいは、やまとことばをもちいてその概念をあらわす(これは物理学用語に多い)などといった作業をおこなうことであったのです。

なかには難解でのちのちにかならずしもいい影響ばかりはもたらさなかった訳語も
ありますが(医学用語など)、しかし、新しい概念を日本語で理解しうるようにしたという
先達の努力には、どれほど感謝してもしたりることはないでしょう。

わたしは、かつて、フィリピン人の船員たちとおなじ船のなかでながくくらした
ことがありましたが、しだいにしたしくなってくると、あの戦争中おれの祖父は
日本兵に拷問されて殺されたんだよ、なんて話を、遠慮なしにわたしに
ぶつけてくるようにもなりました。

そんなおり、ふと、何語で勉強したかというはなしになった。
で、わたしは、たずねてみた、きみたち、物理や高等数学を何語で勉強したの?
英語でさ、という答えが当然のようにかえってきた。
でそこで、わたしは一席ぶった。
わたしたちのひいじいさんあたりまでは、大学での数学や物理の授業は
欧米人の先生がそのひとの母語で教えていたのです。
けど、わたたちの父母の世代になると、もう、
どんなに高級な学問でもすべて日本語で勉強できるようになっていたんですよ。

かれらにはショックであったようです。
英語ができるのはあたりまえだと信じこみ、
英語のできない日本人をバカにしていたのですからね。
英語ができればいい地位につけて楽な暮しができる。
それがごくあたりまえのことだとおもっていた。
ところが、それこそが植民地であったことのあかしであることを
そのとき彼らははじめて意識したのです。
インドネシアの船員たちは英語がへたくそだ。
独立以来、母語をたいせつにしてきたからだ。
そういうことも意識できるようになった。

またあるとき、わたしは技術通訳でした。
ロシア語と英語と日本語との三角通訳をやらされる羽目になったこともある。
通訳は、ときに、文書の翻訳もやらされる。
名はあげないでおきますが、一流企業のエリート技術者たちの書く英文を
ロシア語に翻訳しようとして、はたと困惑した。
なにを言いたいのかさっぱりわからない。
そこで、この文のここのところは、一義的にではなく、いくとおりかに理解できますが、
あなたの言いたいのはつぎのどれですか?
といった質問を箇条書きに書いて渡した。

英語ができない、英文が書けていない、のではなかった。
日本語で書いても、いや、日本語で書いたらなおのこと、
わけのえあからない文章になっていたでしょう。
要するに論理的でない文章だった。
つまり、論理的思考ができていなかった。

このところを、多くのひとびとは誤解しているようです。
英文の企画書がうまくできてなかったので落札できなかった、なんて言う。
そうじゃないんですね。日本語で書いたってへたくそ、つまり、非論理的なんです。
母語できちんと書けないものがどうして外国語でちゃんと書けますか?

哲学でも物理学でも数学でも医学でもなんでもいい。
英語なりフランス語なりドイツ語の術語がどうしても日本語では表現しきれないって
ときには、その言語をそのままカナ書きしてもちいることはあります。
日本語にかぎったことじゃない。

ロシア人に、「即自(être-en-soi)」と「対自(être-pour-soi)」、
あるいは「実存(existence)」という概念を説明しようと苦心惨憺したことがありました。
ロシア語に、ぴったりする語がなかったからです(1960年代のことです)。
ひょっとすると一部の専門家の間では訳語が確立していて、わたしが知らなかっただけなのかも
しれませんが、しかし、ふつうのロシア人にこの概念を理解してもらうのは至難のわざでした。

しかし、日本語でちゃんと表現可能な語までカタカナで言語の発音を不正確に表記する
必要があるでしょうか?

街にはラテン文字の看板があふれています。
やはり、そのほうが「おしゃれ」だって意識があるのかしら?
でも、アパートがすたれ、マンションも古くさくなって、
それにかわるドイツ語やスペイン語やイタリア語を必死でさがすなんてのは
あさましくないかしら?
看板の綴りには誤記がふんだんにあります。
とりわけ英語以外のヨーロッパ語(たとえばフランス語)に目立つ。
なかには、「あちら」には存在しない語もある。
和製英語もそのひとつでしょう。

カンジンカナメのことをわすれてやしないですか?
川西さんのおっしゃるように、「日本の近代史に立脚し、日本の歴史風土や生活文化を踏まえて、
観念的にならないよう工夫をする」ことこそ必要なのではないでしょうか?

ひこ

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace


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