「改憲勢力」が3分の2の議席を得た参院選を受け、自民党憲法改正推進本部が再開した。

党の憲法改正草案について、保岡興治本部長は党の「公式文書のひとつ」と位置づけ、撤回は否定しつつ、衆参両院の憲法審査会に草案を提案することは考えていないと表明した。

草案は自民党が野党だった2012年につくった。戦前を想起させるような国家優先の発想がにじむ内容に対し、民進党などは撤回を主張している。

一方、安倍首相は参院選後、「我が党の案をベースに3分の2を構築していくか。これがまさに政治の技術だ」と述べた。やはり自民党の「本音」が盛られていると見るべきだろう。

だが、草案には問題点が多すぎる。最大の問題は、憲法は何のためにあるのか、その出発点が転倒していることだ。

立憲主義に基づく憲法は、国民の人権を守るため、国家権力をしばるルールである。

だが自民党草案は逆に、国民に義務を課し、特定の価値観を押しつける思想が色濃い。しばる相手がさかさまなのだ。

例えば草案24条は「家族は、互いに助け合わなければならない」と定める。

国会質疑で民進党の蓮舫代表は「なぜ家族(の規定)を憲法にいれたのか。昔の時代に戻るのではないか」と指摘した。

家族を大切にする思いは多くの人が共有しているだろう。しかし憲法は、「家族の助け合い」を、国民に義務づけるためのものであってはならない。

基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と定めた現行憲法97条が、草案ではまるごと削られている。首相は「条文の整理に過ぎない」というが、「最高法規」の章にこの条文が置かれていることの意義をどう考えているのか。

草案はまた、憲法を尊重する義務を国民に課している。国会議員らにはより強い「擁護」の義務を定めているものの、ここでもしばる先を間違えている。

現行憲法が重んじている個人の人権よりも、集団や国家を重んじる思想が、草案には通奏低音のように流れている。

これが自民党のめざす国家像なのだとしたら、安倍政権がめざす憲法改正は極めて危うい。

今後、与野党の議論がどう進むかは見通せない。だが大原則は、憲法改正をめぐる議論は国民、与野党の大多数が必要性を認め、納得して初めて前に進めるべきものということだ。

自民党が逆立ちした憲法観のままならば、その前提は決して整わないだろう。